フィオナ・タン インタビュー

鏡の間
インタビュー / アンドリュー・マークル


Rise and Fall (2009), installation view at the 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa, 2013. Photo ART iT.

ART iT アーカイブの映像素材を組み込んだ初期映像作品から写真によるインスタレーション「人々の声[Vox Populi]」、近年のマルチメディア・インスタレーションまで、これらに一貫する特徴のひとつとして、キュラトリアルな視野、もしくは眼差しに対する歴史編纂的な見解が挙げられます。どのようにして制作における自分の言語を獲得してきたのか教えてもらえますか。

フィオナ・タン(以下、FT) 私の作品は眼差しを扱っています。それは非常に単純かつ明瞭ですので、わざわざ言う必要もないかもしれませんが、言っておくべき本当に基本的なことだというのもたしかなことです。ファウンドフッテージを使い、それらについて考えはじめた当初は、しばしば、なぜ自分がいつも同じイメージ群のことばかり考えるのか、それらはなぜ自分にとってこれほどまでに意味があるのか、なぜそれらを何度も何度も見直し、そのイメージ群を使って作品をつくろうとしているのかを自問していました。それに加えて、私自身も素材となるものを撮影していました。そうして、レンズベースのメディアについて、それが象徴するもの、それが私たちのイメージに対する考えにどう影響するのかといった問いについて、じっくり考えていくこととなりました。
キュラトリアルな手法に関して、これはアーカイブを調査したり、個人的なアーカイブをつくったりするところから来ているのだと思います。そして、制作を続け、年月を重ねてきたアーティストは、自分自身のやってきたことをキュラトリアルな方法で振り返るものです。それは実際のところ、自身の作品との関係が予期せぬ形で変化したりするので楽しいことですね。過去の作品を見直して、「この作品も悪くないね」とか「ああ、本当にこんなことやったんだな」とか考えるのもなかなか悪くないですよ。そうすることで、いくらか距離をあるところから自分を見つめることができるんです。
制作活動を始めた頃からそうでしたが、ますます明らかになってきたのは、アーティストとして作品やインスタレーションをつくってきただけではなく、常に展覧会制作者として制作したものを展示し、その展示方法やそこで伝えようとしている物語に注意を払ってきたということです。建築や与えられた状況に働きかけ、それに反応することは実践における重要な要素です。私自身そのことに気がついて、そういったこと、作品だけではなく、自分の実践の文脈において、それらをどう扱うかということについて話すようになってきました。

ART iT キャリア初期の10年間は、ポストコロニアルに関する言説の文脈で作品を解釈されることが多かったと思いますが、私はあれらの作品がそうした枠組みから厳密に逃れていたと感じています。

FT 小説家にはある一冊の本によって有名になるということがしばしばあります。その本はその後のキャリアにもつきまとい、その本が知られているために、さらに10冊の著作を残していても、常にその一冊の本について語らねばならない。私はこれと似たような構造、つまり、ポストコロニアルや多文化的アイデンティティという分類に閉じ込められているかのように感じることがあります。とはいえ、それを否定することはできません。実際にそういう作品をつくってきたわけだし、現在でもつくることがありますから。それは私の自伝的背景から来る私の一部であり、東洋と西洋の関係性について今でも考え直すことがありますが、そのような基準だけで私の作品について考えたり、話したりするのはあまりにも窮屈です。きちんと言っておかなければなりませんが、そうした要素があるのは否定しません。しかし、私はそれ以外にも、時間、アーカイブ、歴史など、さまざまなことについて考えているのです。


Both: A Lapse of Memory (2007), HD installation, 24 min, 35 sec.

ART iT 「記憶のうつろい[A Lapse of Memory]」(2007)では、ポストコロニアルの中枢にいたるまで、植民時代と現在との歴史的境界といった考え方を掘り下げています。ブライトンのロイヤルパビリオンを装ったこの装置は、依然として現在の一部であるとともに、さまざまなものが渾然一体となっていますね。

FT そう、私たちは未だに東洋と西洋という思考のパラダイムに囚われています。あの作品ではそのパラダイムを越えて考えようとしていたのですが、結局は作品内の主役ヘンリー/エン・リーと同じように、どっちつかずの曖昧なところに迷い込んでしまいました。東洋と西洋という思考のパラダイムを越えることには失敗しましたが、それでも作品は完成させることができました。

ART iT ある意味、あなたは彼の習慣や振舞いによって、あの建物の存在を浮かび上がらせていったのだとは考えられませんか。

FT あの建物はあの作品をつくるきっかけとなったものです。偶然見つけたのですが、あまりにも魅力的な場所だったので頭から離れませんでした。あの建物を使ってなにかしなければ、と。そして、まず頭に浮かんだのは、誰かをあそこで生活させること、そうしなければ、ただ単純に誰もいない建物のガイドツアーになってしまうと思いました。誰を住まわせたいかはすぐに決まっていて、彼はかなり現実的な登場人物となってきました。奇妙なことですが、建物は非常に現実的にも関わらず、撮影することで、建物はどんどん幻想的なものとなっていき、一方、私が考えた登場人物は完全に架空のもので、役者が演じているにも関わらず、撮影によってどんどん現実的なものになっていきました。

ART iT ヘンリー/エン・リーも「Rise and Fall」(2009)に登場する年配の女性も、素晴らしい演技でしたね。あの建物内のヘンリー/エン・リーの存在感、それが彼の身体性を増幅させていましたよね。どちらの登場人物も年配だったのは偶然でしょうか。

FT はっきりと意識していたわけではありませんが、頭の中にはあったはずです。私自身が年をとり、老いや過去を振り返ることについて考えはじめるようになりました。自分自身が考える記憶の作用を表現したいという壮大な野望を持ちながら、「Rise and Fall」に取り掛かりはじめました。もちろん実際には私たちは記憶がどのように作用するのかわからないし、私にもわかりませんが、記憶を解剖したいと考えていました。しかし、この考えはあまりにも野心的で、結局のところ、作品は想起というよりも忘却に関するものになりました。忘却もまた、なにかに向き合う方法として、それを捨て去るという創作過程における重要な要素のひとつだと学びました。
この作品を展開していく中で、この巨大で複雑なアイディアに粘り強く取り組んでいくための架空の物語が必要だと思っていたのです。自分の人生を振り返る年老いた女性が必要だと。また、女性性について、強く儚い女性についても考えていました。誰かそういう存在はいなかったかと想いを巡らせて、そして、かつて私の先生だった女性を思い出したのです。実は彼女は最近亡くなってしまいました。彼女はプロの役者ではなく、パフォーマンスアーティストでしたが、彼女が適役ではないかとしばらく考えていて、そこで、友人から彼女が癌の宣告を受けていることを聞きました。癌と必死に闘う彼女に依頼などできないと思ったとき、待て、自分は彼女を既に死んでしまったかのように扱ってはいないだろうかと気がついたのです。おそらく、彼女に依頼するべきで、彼女は決断してくれるはずだと。
彼女の古い友人を通して連絡をとり、それからベルギーにある彼女の自宅まで車で向かうと、過去を振り返っている年老いた女性の小説家という登場人物のことを説明すると、「そうね、引き受けるわ。過去の人生を振り返っているなんて、今の私自身だわ」と答えて、余命三ヶ月という事実を私に伝え、「だから、急がないとね」と口にしました。
彼女の状態が非常に悪い時期に撮影したのですが、それは信じられないくらい心を揺さぶるとともに、とても怖いことでした。幸運にも、彼女は新しい治療に挑戦し、その後、余命を三年間延ばすことができました。残された時間が二、三ヶ月しかなかった彼女が、自分のために三、四日という膨大な時間を割いてくれたのは本当に嬉しいことでした。こうしたことが、作品に切迫感を与えているのではないかと思っています。


Both diptychs: Rise and Fall (2009), HD installation, 21 min.

ART iT 「Rise and Fall」では、カメラ自体がほとんど主役となっていますね。カメラは絶えず落ち着かず、女性が寝ている場面でさえも、張りつめたエネルギーが映像作品の中へと浸透しているようでした。実際のカメラワークはどのようなものだったのでしょうか。その場での自発的な動きによるものだったのか、それとも事前に練られた動きによるものだったのでしょうか。

FT あの作品において、カメラはまさにひとりの俳優でしたね。カメラワークに関してですが、出来る限り計画を立てましたが、遊んでみたり、なるがままにしておく余地は残しておこうと考えていました。セレンディピティを受け入れるのは重要なことです。撮影技師はギフトについて語ります。ここしかないという瞬間に太陽が雲間から顔を出したり、背景に犬が歩いたり、それが完璧なのです。こうしたことは計画できるものではないので、それらに出会したり、それらを受け入れたりするためには、オープンでいなければいけません。
私は非常に視覚的に考える傾向があるので、自分がどのように見せたいのかを正確に知っているけれど、同時に、それを保持しつつも、見せたかったものが展開していったり、変化したりすることを受け入れています。

ART iT そのようなカメラの使用方法の美学をどのように概念化していますか。カメラが捉える色彩やディティールという豊かな側面だけでなく、そこには、ざらざらとした親密さのようなものも存在していますよね。

FT 説明が難しいですね。自分自身が何をやりたいのか知っていますし、それが出来たかどうかもわかっているのだと思います。現実感というある種の感覚がそこにある。事物を物理的に感じられるようにしたいんです。初期作品のいくつかは非常に身体的な映像を取り込んでいて、例えば、金沢21世紀美術館所蔵の「Roll I & II」(1997)では、私自身が砂丘を転がり落ちるということを繰り返しています。私自身が「Rise and Fall」もまた非常に身体的であり、それはあの滝の持つ暴力性から来ているのだと感じられたのは素晴らしいことで、映像を見せかけやうわべだけの作り物にしたくはないと思っています。

ART iT それは民族学的な客観的視点というものに対する反応でもあるのですか。

FT 私は黎明期の映像から映像を学んだといつも話しています。専門的な教育は受けていませんし、カメラの正しい使い方も学んだことはありません。ですから、何百時間も初期の映像を見続けたことが重要なのです。それは現在のものとは違う、純粋な物質で、例えば、初期のニトロセルロースのフィルムの黒、あれがまさに黒なのです。初期の映像素材を見ることで、そうしたことに敏感になれたのが良かったですね。
また、多くの素材はサイレントで、視覚のみ。カメラの動きもほとんどありません。当時のカメラは非常に重くて、それを動かす土台みたいなものもありませんでした。かなり写真的ですね。人々はカメラの前で動かないように求められました。「Seven」(2011)などには、そうしたことが活かされています。あなたにあるのは撮影されたものだけです。


Inventory (2012), installation view at MAXXI, Rome.

ART iT 新作の「Inventory」(2012)には、あなたのキュラトリアルな視点やレンズベースのメディアの特性に対する関心が現れていますね。これはロンドンにあるジョン・ソーンズ博物館で撮影されたものですね。この作品について、なにか教えていただけますか。

FT この作品は、現在、ローマのイタリア国立21世紀美術館[MAXXI]で初めて発表しているものです。美術館内美術館といった、マトリョーシカのようなものになっています。また、目録の目録でもあり、私の使用したメディウムの目録でもあります。新古典主義の建築家ジョン・ソーンは古代ローマを非常に愛した人物で、私には、彼が築き上げたコレクション、最古の私立博物館のひとつが、ローマの個人的な複製のように見えたのです。さらに、彼はオリジナルの隣に、本来複製であり、コピーである質の悪い石膏像を並べていて、今日のデジタルコピーを予感させます。私はそれらのコレクションを6つの異なるメディアを使って撮影し、それらすべてを同時に見せています。私はソーンのローマに対するヴィジョンをローマの地へと運んだのです。ロンドンの新古典主義の”家”から、偶然にもロンドン在住である建築家ザハ・ハディドによる現代建築のかなり極端な例のひとつ、イタリア国立21世紀美術館へと。それはあたかも、すべてが反射しあう鏡の間のようです。
この作品はメディウムそれ自体の限界や可能性を反映しているだけでなく、さらには、美術館とはなにか、それはどこから来たのか、そして、人々はなぜ集めるのだろうかという問いに対する綿密な省察にもなっています。このようなアイディアに関しては、この作品でやり尽くしたとは思っておらず、継続的に探究していく入り口に立ったところですね。

フィオナ・タン|Fiona Tan
1966年プカンバル(インドネシア)生まれ。アムステルダム在住。初期作品はタン自身の幼少期の経験を背景としており、ポストコロニアリズムの文脈に位置づけられることが多いが、既存の写真やフィルムを用いた作品や入念な設定のもと演出された映像作品やインスタレーションは、一貫して、心象と記憶の関係性、時間、言葉や物語の関係性を追求したものとなっている。
2009年の第53回ヴェネツィアビエンナーレ・オランダ館の個展をはじめ、ドクメンタ、イスタンブールビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレなど数多くの国際展や企画展に参加している。数カ国を巡回している『Rise and Fall』やイタリア国立21世紀美術館で開催された『Inventory』など、継続的に個展も開催している。日本国内ではワコウ・ワークス・オブ・アートでの個展のほか、『ザ・セカンド オランダのメディア・アート』(ICC,1998)、『STILL\MOVING:境界上のイメージ—現代オランダの写真、フィルム、ヴィデオ』(京都国立近代美術館,2000)、『ドーム:そのモニュメントをめぐるアーティストの試み』(広島市現代美術館,2008)、『アジアとヨーロッパの象徴』(国立民族学博物館ほか,2008-09)、『建築、アートがつくりだす新しい環境—これからの”感じ”』(東京都現代美術館,2011)といった企画展、横浜トリエンナーレ2001、ヨコハマ国際映像祭2009 CREAMに出品している。さらに現在、金沢21世紀美術館にて国内美術館初の個展『フィオナ・タン|エリプシス』が2013年11月10日まで開催されている。

http://www.fionatan.nl/


Vox Populi Tokyo (2007), photographic installation. All images: Unless otherwise noted, © Fiona Tan, courtesy the artist and Wako Warks Of Art, Tokyo.

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