マーク・マンダース インタビュー(2)

〈石脚〉のみがよすがとなる
インタビュー / アンドリュー・マークル
Ⅰ.


Mind Study (2010-11), wood, painted epoxy, painted ceramic, painted canvas, iron, 170 x 240 x 500 cm. Bonnefantenmuseum, Maastricht. Photo David Huguenin, courtesy Zeno X Gallery, Antwerp, and Tanya Bonakdar Gallery, New York.

II.

ART iT ここまでは「建物としてのセルフポートレイト」という啓示や、その啓示がいかに「超−瞬間」という概念と結びついているのかについて話してきました。ここからは2013年のヴェネツィア・ビエンナーレ・オランダ館で発表した「Mind Study」の話に移っていきたいと思いますが、この作品は複数の椅子に支えられたテーブルと、そのテーブルの一辺でバランスを取っているかのような一本足の人物像で構成されています。あなたはこの作品を「3次元詩」と呼んでいますが、どの辺りに詩、建物、彫刻の繋がりを見ていますか。

MM まず第一に、「Mind Study」では椅子、テーブル、人物像という至って普通の単語が繋がっています。私はこれらの単語を絶妙なバランスを保つトリックが使われているような、張りつめた緊張関係で結びつける方法を探していました。この作品は、これらの単語を非常に繊細で落ち着いたものであると同時に緊張感に包まれたものへと広げていきます。そこで私は複数の椅子に直接支えられた脚のないテーブルをつくり、(それはただの木製の板に過ぎないけれど、それでもなおテーブルだとわかるのがいいですね)一本脚の人物像のバランスを支えられるように重しを加えました。
もちろん実際にはあの人物像はバランスを取っているのではなく、中に鉄が入っていて、とても頑丈なんですね。興味深いのは、ビエンナーレを訪れた観客が今にも倒れそうな人物像の周りを非常に気をつけて移動していたことです。そう、この作品は本質的にはわずか3つの単語からなる詩なのです。

ART iT 例えば、椅子に巻き付けた端切れなど、ほかの部分についてはどうでしょうか。このようなより小さな細部も詩的な、もしくは言語的な働きを持っているのでしょうか。

MM もちろんです。それは言語、しかし、非常に語りにくい言語です。細部は非常に重要なものだと思います。構造物の脚のところに粘土の塊、その下にロープが張られ、粘土には木片が突き刺さっている。このようなあらゆる細部が重要です。
椅子もまた同じで、この作品ではそれらを少し大きすぎるサイズ、通常の椅子よりもいくらか大きいサイズでつくりました。かなり奇妙な椅子で、そこにいくらか歴史を感じたとしても、正確にどの時代のものかわからないと思います。
タイトルの「Mind Study」もちょっと変わっていて、実際、これ以前の作品にも同じタイトルを使ったことがありますが、この作品はそれとはほとんど真逆の特徴があります。誰もがこの作品に対して異なる解釈をするので、このタイトルは作者の精神のスタディだけでなく、観客の精神のスタディも示唆しているわけです。
以前に制作した「Mind Study」は、二匹の犬と一体の簡素な人物像、巨大な機械からなる作品でした。巨大な機械は非常に複雑なものに見えますが、「建物としてのセルフポートレイト」のための最初の間取り図に基づいていて、実際にいくつかの部屋が配置されているのがわかるでしょう。隈無く細部を見てみれば、まったく無駄のない機械に思えるでしょう。すべての異なる部分が繋がり合い、閉回路のように非常に組織的なものとなっている。

ART iT では、これは詩ではないということでしょうか。

MM 詩ではなく、ふたつの意味で「Mind Study」です。これを完成させるのに長い時間、ちょうど19年を費やし、非常にゆっくりと制作をはじめて、完成するまで一歩一歩進めてきました。作品を間近で見れば、あらゆる行程を辿れるでしょう。そういう意味で、これは「意識調査」みたいなものであると同時に、部分部分が相互に結びついた意識の作用みたいなものでもあります。


Mind Study (2011), bronze, iron, wood, 355 x 850 x 450 cm. Photo David Huguenin, courtesy Zeno X Gallery, Antwerp.

ART iT ひとつの作品に19年間取り組むとき、出発点から自分が辿っていくべき大まかな方向性は決めていましたか。

MM はい。この作品の場合は最終地点も見えていたのですが、技術的にどう実現すればいいのかわかりませんでした。例えば、10年前に制作したところもあります。また、この作品のための時間や空間がなくて、完成すべき正しい瞬間というものは訪れませんでした。ときどき、細部に取り掛かれども、物足りなくてやり直さなければならなかったりします。この作品はずっとスタジオで完成のときを待っていました。ヴェネツィアで発表した「Mind Study」はたった2年間で完成に至りましたが、最初の頃は既に頭の中にイメージがありながら、完成させるためにより長い時間を必要としました。

ART iT 詩についてもう少し聞かせてもらえますか。この作品の観点で言えば、それは異質なものを並置することなのでしょうか。

MM 詩は共有できるということで、どこか変わっています。おそらく、誰もが共有可能ではなくても、詩の美しさは人々が読むことができるところにあり、私たちが共有しうるものなのではないでしょうか。もしかしたら、私たちが詩的だと思っていることが、200年後の人々には理解されないかもしれない。でも、本当に詩的なものならずっと続くはずだと感じています。

ART iT おそらく、詩は人生の構成要素となる感情や経験の絶え間ない流れに介入するための意識的な方法なのではないでしょうか。そう、あなたの言う「時を凍結する」ための方法です。また、感情がどこかへ逃げていったり、それに続く事柄に拭い去られてしまう前に、それを凍結してくれるのではないでしょうか。

MM 詩とは、感情的なものと知的なものが組み合わされたものです。もしも、詩が感情的なものと結びついていないのであれば、詩に生き延びる価値などありません。もはや詩には十分な時間が残されていないのではないかと時々不安に襲われます。しかし、詩が生き延びていくであろうことは間違いありません。

マーク・マンダース インタビュー(3)

マーク・マンダース|Mark Manders
1968年フォルケル(オランダ)生まれ。現在はロンセ(ベルギー)とアーネム(オランダ)を拠点に制作活動を行なう。86年に「建物としてのセルフポートレイト」という認識を得た瞬間のもと、一貫した制作を続ける。詩や言語への関心に基づき、彫刻や家具、日用品や建築部材などを用いて、抽象的かつ個人的な思考や感情を視覚化したインスタレーションを発表する。これまでに、サンパウロ・ビエンナーレ(1998)やドクメンタ11(2002)をはじめ数多くの国際展や企画展に参加。2000年代後半にはハノーバーやゲント、チューリッヒを自身初の回顧展が巡回した。2013年には第55回ヴェネツィア・ビエンナーレにオランダ館代表で参加。また、日本国内では『テリトリー:オランダの現代美術』(東京オペラシティアートギャラリー、2000)や『人間は自由なんだから:ゲント現代美術館コレクションより』(金沢21世紀美術館、2006)といった企画展に出品している。
今回、ギャラリー小柳では、ひび割れ朽ちかけた粘土彫刻に見えるブロンズ像やマンダースによる偽の新聞を用いた平面作品「Perspective Studies」を展示空間にあわせて構成した。

マーク・マンダース
2015年4月14日(火)-6月13日(土)
ギャラリー小柳
http://www.gallerykoyanagi.com/

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