松井紫朗 —亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法—

『松井紫朗 —亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法—』
2011年6月11日(土)– 8月28日(日)
豊田市美術館
http://www.museum.toyota.aichi.jp/


Shiro Matsui, One Man’s Ceiling is Another Man’s Floor (2011), ripstop. Installation view at “Matsui Shiro: What the Tortoise Said to Achilles,” Toyota Municipal Museum of Art, Jun 11–Aug 28, 2011. Photo Shiro Matsui

驚くことに本展覧会は日本の美術館における松井の初めての個展である。グループ展で存在感を示すことが多かったこともあり、この事実は意外であった。丁寧に作品を作っているアーティストであるだけに、これまで定期的に国内美術館での個展の機会に恵まれなかったのは不運以外のなにものでもない。その彼の美術館での初個展ということで、展覧会は回顧展の形式を取っていたが、果然その選択は正しかったように思う。

昨年のあいちトリエンナーレ2010で見せた体験型のバルーン作品「Channel」(2010)と同じ系統である「君の天井は僕の床」(2011)は、豊田市美術館のメインの展示室であるGallery 1に置かれ、まずこうした参加型の作品を見せることで、どちらかといえば安易に理解し難い彼の作品を親しみやすいものに見せる効果を生んでいた。まず内部に入り、そのあと外側を歩き、さらに展覧会中盤で上部の開口部から覗き込む、という鑑賞方法の提示もタイトル通り鑑賞者に空間の反転を感じてもらうためだろう。
空気圧を操作することで緩やかに膨張と縮小を繰り返すその作品を見ながら、やはり今年、パリのグランパレで発表されたアニッシュ・カプーアの「Leviathan」(2011)を思い起こす。空気圧の調整という原理はおそらく同じであろう。違うのは圧倒的な予算規模から生まれるスペクタクル性か。とするならば、作品の良し悪しを決めるのは資本力なのであろうか。ここでは、否と答えたい。スペクタクル性や技術力に驚きを見出すことは簡単であり、そうしたカプーア作品が提供する遊園地や科学芸術館で発見できる悦びとは別の、ひとりの人間の思いつきが生み出し実現した魅力があった。そして、周知の事実ながら明確にしておきたいのは、カプーアが作る前の2004年頃より松井はこうしたバルーン作品を制作しており、それを資本に裏打ちされた技術で完成度の高い作品を作ったからと言ってカプーア作品がより優れている、ということにはならないことである。両者の他の作品を見てもわかるように、彼らそれぞれが持っている興味の対象——世界がどのように繋がっているのか、収束されるのか、どのように測定可能かなど——は、もともと非常に近いのだろう。そうしたことを踏まえて、作品の本質をどこに見るのかということ、即ち、美術が資本力を得て、アーティストのコンセプトを元にしながらもアーティスト自身の手を離れ、複数の領域にまたがる専門的な技術力を得ながら完成された、建築的に作られたといってもよい作品(カプーアに限らず、例えばオラファー・エリアソンの大型作品などもこの範疇に入る)が次から次へと生み出されている現代において、個人が制作して生み出す作品とは何であろう、ということをもう一度考えるきっかけとなった。


Both: Anish Kapoor, Leviathan (2011). Installation view at Monumenta 2011, Grand Palais, May 11–Jun 23, 2011. Photo ART iT

松井が持つもうひとつの評価するべき資質として、インスタレーションの上手さがある。特にそれが遺憾なく発揮されていたのは1991年から制作しているシリコンを使った作品群であった。各作品の色の組み合わせ方、空間における設置の仕方は共に非常に美しい。これらも、シリコンという工業用の素材を使いながら制作痕が残る、良い意味で手垢のついた作品であった。ただ、より身体的に捉えられ、観客の理解を得やすい「Slip-per」(2001)および「Shadow Casting—Le Corbusier」(2000)のふたつの作品が、少し追いやられた場所に展示されていたことには少し疑問が残った。ただ、それにより純粋的なシリコン彫刻作品を中心として空間を構成し、展示室内に視覚的な美が生まれていたのも事実である。


Both: Installation view at “Matsui Shiro: What the Tortoise Said to Achilles.” Photo ART iT. Bottom: Slip-per (2001), silicone rubber

2010年の『Trouble in Paradise/生存のエシックス』展(京都国立近代美術館)でも発表していた、宇宙航空研究開発機構(JAXA)との共同プロジェクトからの作品「Message in a Bottle」(2010)は、造形的な意味より、松井の興味がどこへ向かっているのかが明解に見て取れる点で特筆すべき作品であった。過去の作品を見てきて感じたことの種明かしがされ、ようやく腑に落ちる部分があったが、コンセプトを常に造形に落とし込んできた松井が、なかなか作品を理解してもらえないことにしびれを切らして、ついに言語化してしまったようにも思えた。その点で、彫刻家松井であることから少し客観的に距離を置きつつあるのだろうか。


Both: Message in a Bottle (2011) and related materials. Installation view at “Matsui Shiro: What the Tortoise Said to Achilles.” Top: Photo ART iT. Bottom: Photo Mari Ikezawa

松井展からは離れるが、加えて言うならば、全館を通して美術館としての一貫性が見えたことも発見であった。会期を同じくして開催されている『シュテーデル美術館所蔵 フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展』自体は、フランクフルトのシュテーデル美術館単館の所蔵品を持ってきただけの、「地理学者」の作品1点にフォーカスした、さして新しい見方を与える展覧会ではなかった。しかし、それを松井展と組み合わせることにより、古今東西、アーティストという生き物が世界をどのように捉えることができるか、ということを見せる試みを行なっていることがわかる。
また、このふたつの企画展に加え、コレクション展示では同様の視点からを選んだ作品を展示し、スペクタクル的でないが同様のテーマを問う静かなバックボーンとして機能していた。ルネ・マグリット「無謀な企て」(1928)、ミケランジェロ・ピストレット「窃視者(M・ピストレットとV・ピサーニ)」(1962/72)、高松次郎「赤ん坊の影 No. 122」(1965)、ダニエル・ビュラン「フレームの内外で回転する正方形」(1989)、小川信治「ウェストミンスター・ブリッジ」(2001)などの作品を展示することで、世界がどのように見えるか、世界をどのように見るか、知覚認識できるもの、できないもの、知覚の転換などを巡って、考察する作品を見せている。これぞ近現代を共に扱う美術館の醍醐味と言ったところであろう。地味ではあるが、コレクション展というものが、企画展の広がりをより複眼的に見せる機能を持ちうるということを証明してみせた。

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