特別寄稿 澤隆志 強くて儚い映像

ヨコハマ国際映像祭を楽しむための「ある視点」

文:澤隆志

現代における映像のあり方を問うヨコハマ映像祭。観に行く前に知っておきたい映像表現の潮流、今回の注目作品。


ピピロッティ・リスト「PEPPERMINTA」2009年

「映画は人工的に現実を再現させるもので、空間と動きに関わる光学的イリュージョンといえます」
『フィルム・ビフォー・フィルム』ヴェルナー・ネケス(*1)

自分にもはっきりはわからなかったが、目の筋肉のどこかを動かすと、目の前の空中に、壁紙の小さな写しが生まれるのだった。
『可愛いエミリー』L.M.モンゴメリー

○映像は強い

ホワイトキューブの一面や大きな会場の一部分にビデオ・プロジェクターで映像作品をループ上映する、今日的な“映像インスタレーション”が日本で広く一般的に知られた契機は、おそらく2001年の横浜トリエンナーレだろう。ビッグネームの絵画や彫刻を素通りして、人々が、映画とは違うスタイルの「動く絵」に殺到した光景は驚きだった。

年月が経ち、美術館やギャラリーでも当たり前に映像インスタレーションの展示が行なわれるようになった。暗闇で皆が一つのスクリーンを凝視するという映画の上映というシステムは、強力なインスタレーション装置の一つだということに改めて気づかされるのだ。そして、それはあり得たかもしれないいくつかの方法の一つに過ぎないということも。

○映像は儚い

最新技術を駆使しても、最後には人間が覚醒しながらだまされる「動く絵」という錯視。ソーマトロープ(*2)やファンタスマゴリー(*3)の時代から、最新の映像祭においても、そんな「magic」の要素が映像の根底にある。

さらに、映像は情報量の多いメディアであるがゆえに、連想の糊代に満ちていて他の映像とつながりたがる性質がある。会場で見た複数の作品や、作家の過去の作品に反射的に連想が働いてしまう。映画が映画を、また美術作品が映画をしばしば直接的、間接的に引用するのはこのためであり、こういった衝動的な編集が映像祭の楽しみの一つだと思っている。本来関連のない複数の作品につながりを感じてしまう。映像は単独ではいられない。

強くて儚い映像。人工的な錯覚。そんな思いで、今回の『ヨコハマ国際映像祭』参加作品、作家リストに目を向け、現時点での自分なりのつながりを試みる。


ヨハン・グリモンプレ『ダブル・テイク』スチール写真 2009年 80分
写真提供:Universal and Zapomatik

映像は、正確には暗闇で分断された連続する静止画の“差”を見ていると言える。差分を見る、ここにサスペンスを盛り込んだヨハン・グリモンプレの『ダブル・テイク』(2009)は、ヒッチコックとそのそっくりさん、映画とTV、ニクソンとフルシチョフがお互いの抹殺を企むという物語を膨大な映像のカットアップで描き出す。差分が恐怖を生んでいる。そんな危うさはコンペティションでCREAM賞を受賞した松島俊介のシンプルなYouTube作品『VOICE-PORTRAIT ~self-introduction』にも見いだせる。数多くクリップを再生するほど、声のリアリティが増していき、セルフ・ポートレートが希薄になっていく。


アーナウト・ミック「Schoolyard」2009年 デジタルビデオ 2チャンネル プロジェクション 
写真提供:carlier | gebauer

映像に重なり、物語を曲げる“声”の存在。2005年位まで続いたヴィジュアル・エフェクト過多の反動か、近年の映像作品に「フレームの外からの声」による刺激的な試みが多くなった。既存の記録フィルムから多くの作品を展開するフィオナ・タンは、今回は古い写真から物語を展開する。ヴォイス・パフォーマンスが有名な山川冬樹はTV放送の声と共鳴する。


山川冬樹「The Voice-over」2008年

肉体の肌理が多くを語る映像も多い。現代美術家スティーヴ・マックイーンの長編映画デビュー作『ハンガー』(08)は、ハンストを行うIRA活動家の肉体を徹頭徹尾描いた衝撃作。自身の皮膚をコラージュしてデジタル合成したCGアニメーションを制作する大山慶の新作『HAND SOAP』は、薄皮一枚で辛うじて体面を繕う肉袋のような家族のおはなし。「Float」「Kitchen」など、無目的に蠢く無垢な身体のビデオが著名なアーナウト・ミックも新作を発表。最近の作品はドキュメンタリー色が強くなってきている。

コミュニティや国家に関わる存在としての人間を描く事、海外のフェスティバルでは日常で日本の作家には異例な事。この差についても、アルトゥール・ジミエフスキ、アルフレッド・ジャー、イム・ミヌク、ワリッド・ラード等、各国の作品を観て考えてみたい。

新しい展開を見せる著名作家にも注目したい。映画界/美術界からも注目のアピチャポン・ウィラーセタクンは部分的にアニメーションを用いた。ピピロッティ・リストは84分の劇映画『PEPPERMINTA』を完成。ビデオ・インスタレーションの爽快感がフォーマットを変えてどのように映るのか。


アピチャポン・ウィラーセタクン「マイ・マザーズ・ガーデン」2007年 HD color サイレント 7分 
DIOR委託作品 写真提供:SCAI THE BATHHOUSE

まだまだ詳細はわからないが、上映プログラムのオーダーや展示作品のレイアウトにはディレクターの戦略と熱が込められているので、個々の作品ばかりではなく、その並びにも是非注目して欲しい。

映像は合力の作用だと信じている。差分により動きが生じ、見えるものの組み合わせから、見えないものを想起させる強くて儚い作用。世界中から集った鮮度の高い映像を組み合わせて、新しい感覚を持ち帰ってみよう。

  1.  ドイツを代表する実験映画監督のヴェルナー・ネケスが、カメラ・オブスクラやホログラフィーなど、映画が発明される以前にあった様々な映像形態を紹介するドキュメンタリー。1985年製作。
    http://www.imageforum.co.jp/cinematheque/931/index.html

  2.  図柄の描かれた円形の板やカードの両端に紐を取り付けた玩具。紐を素早く振り回すことで円板の両面の図柄が残像現象によってひとつの絵柄に見える。18世紀にイギリスで発明された。

  3.  18世紀末にフランスで発明された、幻灯機を用いて壁や煙、半透明の幕に像を投影するもの。興行によって19世紀を中心にヨーロッパで流行した。

さわ・たかし
イメージフォーラム・シネマテーク、 イメージフォーラム・フェスティバルのプログラム・ディレクター。映像作品に『特派員』、アートブック『temperature』(共作)などがある。
イメージフォーラム http://www.imageforum.co.jp/

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