トヨダヒトシ インタビュー/記憶の奥にとどまるもの 【原美術館】

トヨダヒトシはプリントや写真集を作らず、35mmフィルムによるスライドショーでのみ発表を続ける異色の写真家だ。アナログの映写機を自ら操作し、写真を一枚一枚、手動で送り出しては闇に消していく「映像日記」。それは一人の写真家が生きてきた時間の軌跡を描き出すとともに、見る者の記憶の扉を開き、静かな余韻を残す。その日その場に集った者だけが見ることができ、また二度と同じことはない、一期一会のスライドショーは、日本・アメリカ各地で回を重ねるうちに静かな反響を呼び、近年では「ヨコハマトリエンナーレ2014」でも話題を呼んだ。

筆者は2014年ヨコハマ創造都市センターでの「The Wind’s Path」(2002-2014)、2015年神奈川県立近代美術館鎌倉館での「白い月」(2010-2015)の上映を拝見し、独特のリズムで繰り出されるスライドの連なりが、まるで言葉と言葉の間にイメージを想起させる詩のように豊かな広がりを持つのに魅了された。特に、夕暮れ時の光の移ろいや街の喧騒までを取り込んだ屋外の上映は、いっそうの叙情性を帯び、風をはらんだスクリーン上のイメージがまるで新たな命を呼吸しているようだった。

トヨダは「写真が消えていくところを見てほしい」と語る。それは何を意味するのだろう。来たる8月13日(土)、14日(日)、原美術館の中庭で行なう映像日記・スライドショーに先立ち、お話を伺った。(取材・文=松浦彩・原美術館)


トヨダヒトシさん近影
写真:大野隆介 ©ウェブマガジン創造都市横浜

《写真への疑念》
―映像日記・スライドショーというユニークな作品形態に至った経緯をお聞かせいただけませんか。

高校生の頃から「写真」というものにずっと疑いを持っていました。写真は、60分の1秒といったほんの一瞬を一方向からとらえたものなのに、時に永遠の真実みたいな顔をしています。これは気をつけなくてはいけないメディアだな、と思っていました。今もその気持ちは持ち続けています。

《生きる目的を模索してニューヨークへ。写真はそれまでの人生を写し出すもの》
21歳の時にニューヨークに行き、エレベーターボーイなどのアルバイトをしながら暮らしました。5ヶ月が過ぎ、こころの中にいろいろなことがたまっていたのに、それを出す方法を知らずにいました。そんな中、たまたま友達から借りたカメラで撮ってみたら、それが捌け口のようで多くの写真を撮るようになりました。

ある日マンハッタンで、ビルの間を飛んでいく赤い風船をふと撮りました。撮ったあとで何故これを撮ったのだろうと。すると小学生の時に体育館で見た『赤い風船』という映画に思い至りました。それは少年と赤い風船がパリをさまよう詩的な短編映画で、見た時にはすごく感銘を受けたのに、思い出すことなく過ごしていました。そこで気づいたのです。写真を撮ることは、無意識のうちに心にたまっていた埃を払うようなものなのだということ。体育館で『赤い風船』を見た昔の自分が今その写真を撮らせたのだと。疑いを抱いていた「写真」の別の側面が見えてきたのです。

当時、どうやって生きていこうかと考えていました。それまでの人生では、いろいろな人に「ありがとう」と言うばかりでした。悩んでいた時にラジオから流れてきた曲や読んだ本に救われて「ありがとう」、旅先で手を差し伸べてくれたおばさんに「ありがとう」って生きてきたから、これからは「どういたしまして」と応えられるようになりたい。「ありがとう」「どういたしまして」の連鎖が生きることの意味なのではないか。そうやって生きていくのが正しいとニューヨークでの日々で確信していました。そして写真で何かやってみようと動きはじめました。

《行き先を決めないアメリカの旅。そして撮れない日々》
―東京、そしてまたニューヨークへ。その後22年間住むことになるわけですね。

東京に戻り、やがてポストカードや雑誌での写真の仕事もするようになり、その頃から当時印刷原稿になっていたスライド(リバーサルフィルム)で撮り始めました。1988年頃かな。ただ、選ばれるのは必ずしも自分が良いと思うものではなく“売れる”写真。繰り返すうちに、どういう写真を撮ればお金になるのかわかってきたけれど、そういう写真を撮るために始めたわけではないから、これだと自分の「ありがとう」を伝えるための写真にたどりつけない、そう思って26歳の時にまたニューヨークに行きました。

まず行ってから写真で奨学金をもらい、中古のステーションワゴンを500ドルくらいで買い、そこに寝泊りしながら行き先を決めずにアメリカを旅して、写真を撮りました。でも、自分の写真が何なのかわからないし、資金も尽きてくる中で商業写真も撮るけれど、こんなんじゃないって思っているしで、だんだんきつくなって。そんな中、高校生の時に抱いていた写真への疑いが自分の内にやはり大きくあったことに気づきます。

今でもよく覚えているのが、アメリカ中西部の田舎町のバーカウンターに並んだ二人の男達の姿。午後の光の中、ちょっとうつむいた瞬間を撮ったら、中西部の孤独がにじむような悲しげな写真が撮れてしまいました。でもその3秒後に二人は大笑いして肩を叩き合っていたのです。そういう「写真の嘘をつけてしまい易さ」に辟易として、だんだん写真が撮れなくなり、やがてやめてしまいます。ニューヨークでただアルバイト先と家を往復するような悶々とした日々が始まりました。1992年のことでした。それでもモノクロのフィルムを入れたコンパクトカメラを、肌身離さずぶら下げて歩いていました。全然撮らない日々も続いたけれど、何も持ってないと自分が何をしているのかわからなくなってしまうから、ただそのためだけに持っていたようなもの。当時の僕にとって、写真は船外活動をする宇宙飛行士の命綱のようなものでした。

《転機。写真の連なりに見えた思いや心の動き》
ある日、住んでいたウィリアムズバーグから橋を渡ってマンハッタンの友達に会いに行きました。橋の上から川面に砕けた太陽の写真を二枚撮り、なぜかわからないけれど振り返ってもう一枚。ちょっと歩いて今度は空を見上げて雲を撮り、風で少し形の変わった同じ雲を撮りました。友達に会って、別れ際に彼の写真を撮って、また橋を渡って歩いて帰りました。ごく普通の一日。

帰って撮った写真を現像してコンタクトシートで見たら、同じような川面の太陽が三枚あって、雲が二枚あって、友達の顔があって。一枚一枚は何でもないけれど、写真の連なりにその時の自分の思いや心の動きが写っているような気がして、これだったら何かできるかもしれない、と感じました。だからといってすぐできたわけでなく、それから8ヶ月くらい経った翌6月30日の晩、もう一度明日から撮ろうと心に決め、もと使っていた一眼レフにリバーサルフィルムを入れました。その頃から、旅に答えを求めるのをやめ、普段の暮らしの中にある一見なんでもないものの中に、人生の大切な秘密があるのではないかと思い始め、日々の中で自分が本当に接した物事や人を撮るようになりました。そして撮ったものを時間軸に沿って順番に見せる映像日記を、模索しながら作り始めたのです。

90年代のニューヨークには絵や音楽やパフォーマンスを、パーティーのような感じで見せるアーティストロフトでの集まりがあり、まずはそうしたところで上映しました。そのうち1994年ころから駐車場や公園といった公共の場でも上映するようになり、だんだん100人くらいの人が見に来るようになりました。するとニューヨークのアートフェスティバルから短編作品を作らないか、と依頼を受けました。それが最初の作品「An Elephant’s Tail (ゾウノシッポ)」の原型。ひとりで淡々とやっていたから、今のようなかたちになるのに5年くらいかかったことになります。作家になろうというつもりもなく、何か生き方としてやっていたので、暮らしながら思ったことを形にしていただけでした。ただ、切実さだけはありました。

―90年代のニューヨークの状況が興味深いですね。また、トヨダさんの作品からは、トヨダさんがそれを作らなくてはならなかった必然性、生き方がそのまま作品になっているような切実なものを常々感じていましたが、その理由がわかった気がします。

2000年よりトヨダは、日本各地の美術館やギャラリー、山奥の廃校になった小学校の校庭、三内丸山遺跡、米国各地の映画祭・芸術祭、また「ヨコハマトリエンナーレ2014」などで上映を重ねていく。


三内丸山遺跡でのスライドショー

 
野外上映 ポートランド(米国)にて

《未来と同じように過去もまた未知である》
―写真を撮り、編集し、そして上映するという三つの時間。それはトヨダさんにとってどのような意味を持つのでしょう。

過ぎていく日々の中で気になること、自分なりに考えたいことについて、フィルムに日記を付けるように写真を撮っていますが、「あの時期のことでこの話がしたいな」と思ったら、その時期の写真を取り出して選ぶ作業を始めます。時間を経てやっと撮った意味がわかることもあるし、作品を作る時点では選ばなかった写真でも後から気づくこともあって、数年して加えることもあります。自分の撮った写真、あるいは自分の過去に対する認識が変化することを感じています。未来と同じように過去もまた未知であると。だから作品は毎回同じにはならず、少しずつ変化していきます。できた作品はオートマティックではなく、一枚一枚自分の手でスライドを送りながら上映したい。それは、写真を撮った過去の時間と上映している現在の時間をひとつひとつ縫い合わせるようなこと。そうやってその場を作りたい、と思っています。

《撮った写真そのものよりも大事なこと》
―「写真が消えていくところを見てほしい」とおっしゃっていましたが、それはどういうことなのでしょう。

写真に撮った瞬間だけが大事なのではなく、一枚一枚の写真の間にあったたくさんのこと、写真に撮らなかったこと、撮れなかったことの存在も僕にとってはとても大事で、大きな出来事よりも、その出来事を支えているひとつひとつの小さな出来事にこそ身を置きたいと思っています。だからスライドショーでは映された写真そのものよりも、間に横たわる黒い闇の部分を見てほしい。一枚の写真と次の写真が撮られた間は5秒だったり5日が経っていたりもするけれど、たとえ5秒だったとしても、その5秒の間に3年間と同じくらいの大きさの想いが入っていたりする場合がある。そういう「間」が、撮った写真そのものよりも大事だと思っています。

《原美術館での上映作品「spoonfulriver」(2007-2016)、「for Nine Postcards」(2015)について》
―8月13日に原美術館で上映する「spoonfulriver」について、少しお聞かせください。

今回上映する「spoonfulriver」は「NAZUNA」と「白い月」という作品の間の時期に位置します。「NAZUNA」で取りあげた時期の2年半後の日々。暮らしていたニューヨークの何気ない道から始まります。旅をした時期でもあり、日本での時間、ヨーロッパを通り過ぎた時間も映し出されます。今も忘れ得ぬある人に宛てた手紙のような側面もあり、そのことを見つめ直したい想いがありました。「for Nine Postcards」という作品との関連性からも今回は「spoonfulriver」を上映しようと思いました。


「spoonfulriver」(2007バージョンより) ©Hitoshi Toyoda

―8月14日に上映する「for Nine Postcards」(2015)は、神奈川県立近代美術館による委嘱作品(*注)で、日本の環境音楽の第一人者、故・吉村弘の遺した約2,800枚のスライド写真の中からトヨダさんが選び構成したものと伺っています。吉村さんの没後にスライドショー制作の依頼を通して氏の存在と出会い、一つの作品にまとめ上げる作業はトヨダさんにとっても初めての試みであり、決してたやすい作業ではなかったことと想像します。これについて少しお話をお聞かせください。

ただ良いと思う写真を自分の主観で選んで組み合わせることはしたくありませんでした。映したら良いだろうなと思う写真はいくつもあったけれど、吉村さんの撮った写真と自分との距離がなかなか縮まらず作業はまるで進みませんでした。そんな中で神奈川県立近代美術館に吉村さんの遺したノートがあると聞きました。それは30年あまりにわたる「音」についての制作ノートのようなものだったのですが、それらを読みながら、だんだんスライドのそこかしこに吉村さんの思考の表情のようなものが見えるようになり、たくさんの吉村さんの音作品も聴き、最初の作品「ナイン・ポストカード」を元にスライドを組もうとこころが動きはじめました。それから数ヶ月後、五部構成の作品が出来上がりました。

「ナイン・ポストカード」はとても興味深いサウンド作品で、いまアメリカでも新たにリリースされる動きがあるのですが、もともとは原美術館で流されたデモテープがきっかけでアルバム化されたもので、それをもう一度原美術館の空間に返せたらいいな、と思っています。

 


「for Nine Postcards」(2015)より (撮影:吉村弘)

1980年頃、風景の波動をとらえた新しい音楽を模索していた吉村弘は、現代美術館として開館したばかりの原美術館を訪れ、その佇まいや窓越しに見た木々の眺めに感銘を受けたという。その後、原美術館の空間に広がる自らの”音の風景”を試したいという吉村の希望を受け、完成した音楽を流したことがきっかけとなり、初のアルバム『ナイン・ポストカード』(1982)が誕生した。
*「for Nine Postcards」についてはこちらの記事に詳しく紹介されています。


7月某日、原美術館におけるスクリーンのテスト設営作業中のスナップ

《創作のなかで見えてきたこと》
―トヨダさんの作品には、世界はとどまることなく生まれては消えて行くことの繰り返しなのだという諸行無常の感がありますね。20年以上にわたる創作の中で見えてきたことが何かありますか。

どの瞬間も絶対に手に届かないところに去って行っています。でも、スライドショーを作り続けていく中で気づくようになったことがあります。それは目の前のどの瞬間も過ぎて消えていくけれど、同時に永遠に続いていると言えること。あの『赤い風船』が僕にニューヨークで風船の写真を撮らせたように、記憶の奥にとどまって今に続いている。また、消えて行くから、失うからこそわかることもあります。だから消えていくことも大切なものとして、日々というものを敬意をもって受け止めています。

—了—

トヨダヒトシ 映像日記・スライドショー
2016年8月13日[土]、14日[日]

原美術館中庭で開催予定。詳細・ご予約は上記リンクからどうぞ。

トヨダ ヒトシ(1963-)
写真家。1986年の渡米をきっかけに独学で写真を始める。1993年よりニューヨークを拠点にし、ブロードウェイ沿いの駐車場やチャイナタウンの公園、教会、劇場といったパブリックスペースにおいて、アナログのスライド映写機を自ら操作し上映するライブスライドショーという形式で、映像日記作品を発表しはじめる。2000年より日本各地の美術館やギャラリーといったアートスペース、山奥の廃校になった小学校の校庭、三内丸山遺跡、米国各地の映画祭・芸術祭、また「ヨコハマトリエンナーレ2014」などで上映を続けている。2012年拠点を日本に移す。http://www.hitoshitoyoda.com

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みんな、うちのコレクションです
2016年5月28日[土]-8月21日[日]

トヨダ ヒトシ 映像日記・スライドショー
2016年8月13日[土]、14[日]

篠山紀信展 「快楽の館」
2016年9月3日[土]-2017年1月9日[月・祝]

「エリザベス ペイトン」展(仮題)
2017年1月21日[土]-5月7日[日]

原美術館ウェブサイト
http://www.haramuseum.or.jp
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