MU[無]展 講演録2_杉田敦「ポルトガルの現代美術について」[原美術館]

「MU[無]—ペドロ コスタ&ルイ シャフェス」展関連連続講演会第2回目では、美術批評家の杉田敦氏をお迎えし、ポルトガルの現代美術についてお話し頂きました。

杉田氏は女子美術大学で教鞭をとられ、ベッヒャー以降のドイツ写真、ゲルハルト リヒター、ジェームズ タレル等、現代美術の研究と評論活動に加え、オルタナティブスペース「art & river bank」を主宰されています。またポルトガルへの渡航を重ね、かの地の文学、映像、美術への造詣を深めて「白い街へ」(彩流社、2002年)ほかを上梓、ペドロ コスタを含めたポルトガルの作家によるグループ展「極小航海時代」(2010年、女子美アートミュージアム)も企画されています。ここでは、写真や映像をふんだんに交えて行われた講演の内容を抜粋・編集してお届けします。

[イントロダクション]
僕のポルトガル行きのきっかけとなったのは、スイス人監督アラン タネールがリスボンで撮った「白い町で」(1986年)という映画です。プロデューサーはパオロ ブランコ、主演は後にヴィム ヴェンダース「ベルリン 天使の歌」で注目を浴びる俳優ブルーノ ガンツです。初めは仕事とは関係なく行ったのですが、じきに現代美術の作家や美術関係者と知り合うようになりました。

リスボン市内を歩いてみると、詩人フェルナンド ペソア(1888-1935年)を描いたグラフィティをよく見かけます。須賀敦子氏の訳で知られるイタリア人小説家アントニオ タブッキはペソアに関する小説を書いていますが、ポルトガルにおいてペソアは大きな存在です。書店に行くと、詩のコーナーが充実しているのに驚きます。大航海時代に世界中に旅立った歴史の名残として、「私の母国は《ポルトガル語》である」という表現がある程、詩と言語はポルトガル語の文化圏において大きな意味を持ちます。

また市内の斜面にトタン屋根の家々がびっしりと並ぶエリアがありました。スラムです。そこはリスボン万博(1998年)の折に行政指導により撤去されました。(このように行政によるスラムの撤去と移転は頻繁に見られる現象です)。

[建築家 アルヴァロ シザ ヴィエイラ]
では徐々に核心に迫っていきましょう。ここではペドロ コスタとルイ シャフェスの周辺としてのポルトガルの事情をお話していきます。ポルトガルには大きな美術館が多数ありますが、第二の都市ポルトにあるセラルヴェス美術館(「MU[無]」展の前身、「FORA! OUT」展を2005年に開催)は、建築家アルヴァロ シザによるものです。大規模な建築であるのにも関わらず、大変小さなエントランスが特徴的です。また、泳ぐと海へと続いているように見えるスイミングプール(ポルト近くのレサ)や、リスボン市内シアード地区地下鉄駅の長い階段とエスカレーターの例を見てみましょう。さらに、マルコ ドゥ カナヴェーゼス町の聖マリア教会を見てみましょう。四角いモダニスト的な外観ですが、内側は曲線を描いており、光が充満する空間となっています。ルイ シャフェスの彫刻を見ても感じますが、ポルトガル人の空間への考え方は大変研ぎ澄まされていることがわかります。アルヴァロ シザのドローイングが気になって手紙を出し、ヨコハマポートサイドギャラリー(現存せず)で、シザのドローイングと映像の展覧会を実現しました(2002年)。


ドローイングをするシザ

[ポルトガルのアートシーン]
日本では、ハラ ミュージアム アークで開催された「ポルトガル現代美術展 西の線表現」(1993年)がおそらく初のポルトガル現代美術展ではないでしょうか。その後、越後妻有アートトリエンナーレでポルトガルを代表する作家、ジョゼ デ ギマランイス(José de Guimarães)や、ジョアナ ヴァスコンセロス(Joana Vasconcelos)が出品しています。

日本で未だ「南蛮文化」の印象の強いポルトガルですが、現代アートシーンがちゃんとあります。仏独のマーケットと近いこともあり、アーティストの生活費やアトリエをギャラリーが提供するなど、日本以上にうまく機能しています。「Cristina Guerra」Galeria Graça Brandão」他、大きなコマーシャルギャラリーがあります。またオルタナティブスペースとしては、大友良英氏がノイズコンサートをした「Galeria Zé dos Bois」、アーティストの運営により、パフォーマンスやレクチャーを行う元床屋のスペース「The Barber shop」、大学卒業後に通う美術学校「MAUMAUS」などが挙げられます。

[大航海時代への自省の意識]
ドクメンタXI(2002)に出品されたアルトゥール バリオ(Artur Barrio)のインスタレーションを見てみましょう。ワインの瓶やコーヒーの粉など、旧植民地で作った物産が使われています。この作品にも顕著ですが、ポルトガルの作家に共通するテーマとして、植民地(支配)への問題意識が挙げられます。植民地を切り拓いて享受し、その問題を放置してきた大航海時代のネガティブな要素(への自省の意識)です。ペドロ コスタの映画にもそうした視点が見られます。本人のシャイで頑固な感じや、植民地出身の人々が抱える困難を描いている点も、大変ポルトガル的と言えるでしょう。

僕の企画した展覧会「極小航海時代」(2010年、女子美アートミュージアム)では、ジョアン タバラ(João Tabarra)、マリア ルジターノ
(Maria Lusitano)、ミゲール パルマ(Miguel Palma)
、ペドロ コスタ(Pedro Costa)ら、4名のポルトガル人作家による映像展示を行い、現代ポルトガルを見つめ直す試みをしました。


「極小航海時代」展示風景


女子美術大学で行われたペドロ コスタへのインタヴュー(Oral Critic Archiveというインタヴュー プロジェクトの一環)風景(以上3点画像提供:杉田敦氏)

[日本と現代ポルトガル]
ざっと振り返るとこのような展覧会、映画祭が開かれています。

1997年 「ポルトガル・日本現代美術展」(佐賀町エキジビットスペース)
2000年 「ポルトガル映画祭 2000」(辣腕プロデューサーパウロ ブランコの作品を中心に。ペドロ コスタ「骨」を上映。)
2002年 アルヴァロ シザ展(ヨコハマポートサイドギャラリー)
2010年 極小航海時代展(女子美アートミュージアム)
(追記: 2010年 ポルトガル映画祭

これらに続く2012年のMU展は、ポルトガルの二人の作家に焦点をあてた極めて特徴的で、意味のある展覧会と言えるでしょう。

最後に、町が素敵で食事もおいしいポルトガルにぜひ行ってみてください。また、郷愁を誘う要素だけでなく、ポルトガルにも現代表現があることを忘れないで頂きたいと思います。

第2回 講演 杉田敦 「ポルトガルの現代美術について」(美術批評家・女子美術大学教授)
日時 2012年12月16日(日) 14:30‐16:00

(了)

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「MU[無]―ペドロ コスタ&ルイ シャフェス」
12月7日[金]-2013年3月10日[日]

「ソフィ カル―最後のとき/最初のとき」
2013年3月20日[水・祝]-6月30日[日]

坂田栄一郎「江ノ島」(仮題)
7月13日[土]-9月29日[日]

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