no image

ニッポン国デザイン村 : 6

アウトサイダーの書 去年10月末から12月頭まで六本木の新国立美術館で開催され、いまも全国を巡回中の『第42回日展』。東京展だけで来館者17万5000人、各地の巡回展を合わせた入場者総数50万人以上(第41回統計分)、総陳列点数が3091点!という、日本最大の美術展覧会にして、現View More >

no image

連載 田中功起 質問する 5-2:沢山遼さんから 1

第1信であげられた、「批評」の役割をめぐる3つの問題――作品自体に内在している批判性について、批判が生み出す新たな視点について、そして実際に見ていない作品について書くことの有効性について。作り手の立場から投げかけられたこれらの問いに批評家はどんな球を投げ返すのか。 田中功起さんのView More >

no image

15:「わたし」に穿たれた深くて暗い穴(後編)

前編はこちら 「休日診療所」 これを読んでいるひとのなかには、「わたしのすがた」を見た人も数多くいると思う。そのなかの少なからずの人が、なにかよくわからないけれども、順路をめぐり終えても根強く残り続ける心的な刻印を受けたのではないだろうか。にしすがも創造舎で受付を済ませて校庭に空View More >

no image

連載 田中功起 質問する 5-1:沢山遼さんヘ 1

国際的に活躍する気鋭のアーティストが、アートをめぐる諸問題について友人知己と交わす往復書簡。ものづくりの現場で生まれる疑問を言葉にして、その言葉を他者へ投げ、投げ返される別の言葉を待つ……。第5回の相手は、美術批評の沢山遼さん。約3ヶ月の間にそれぞれ3通の手紙で「作品と批評との関View More >

no image

『マイ・フェイバリット』展 関連企画 やなぎみわ×河本信治 対談(3)

撮影:林直   3. 避難所としての美術館:はみ出すものをすくうこと / 個人的な物語を編み出すこと   YM この『マイ・フェイバリット』展というのは、ものすごく個人的なタイトルかと。これは河本さんのフェイバリットですよね? KS このタイトルに至るまでに、View More >

no image

『マイ・フェイバリット』展 関連企画 やなぎみわ×河本信治 対談(2)

『プロジェクト・フォー・サバイバル』展(1996)展示風景 「ベネトンルーム:《サッコとヴァンゼッティの読書室》の再解釈」(1992/1996) 撮影:小西晴美   2. パブリックスペースとしての美術館:美術館は開かれるべきか   YM 引き続き『プロジェクView More >

no image

14:「わたし」に穿たれた深くて暗い穴(前編)

後編はこちら 飴屋法水「わたしのすがた」は、舞台芸術祭『フェスティバル/トーキョー10』の正式な参加作品である。したがって、役者も居らず脚本もなく劇場で上演されないからといって、これを単純に演劇でないと決めつけることはできない。事実、チラシには「構成・演出:飴屋法水」と明記されてView More >

no image

『マイ・フェイバリット』展 関連企画 やなぎみわ×河本信治 対談(1)

2010年3月に京都国立近代美術館で行われた展覧会『マイ・フェイバリット——とある美術の検索目録/所蔵作品から』に際して、出品作家のクシュシトフ・ヴディチコ、ドミニク・ゴンザレス=フォルステル、やなぎみわ、笠原恵実子、そして「利岡ビル・アート・コレクション」寄贈者の利岡誠夫らによView More >

no image

連載 田中功起 質問する 4-6:冨井大裕さんから 3

件名:「作ること」を受け入れる(「作ること」から解放されるために) 田中功起さんの第3信はこちら|往復書簡 田中功起 目次 田中功起さま 最後の返信になります。ちょっと感慨めいたことを書いてみたい気もしますが、この書簡全体を通しての僕の感想は、今後の僕の制作で応答したいと思うのでView More >

no image

13:肉と眼の見えない結合——都築潤の「ニューエイドス」展をめぐって

(以下全て)「ニューエイドス」展展示風景 人が2、3人も入ればもう一杯になってしまいそうなキューブ状の展示室には、壁の三面を比較的大きな絵が一枚づつ占めている。残る一面には、それぞれの壁に対応して同じ絵が映し出された三台のiPadが置かれており、直接、手にとって画面を拡大して見るView More >

Copyrighted Image