ハッセルブラッド国際写真賞2020


Alfredo Jaar, We Shall Bring Forth New Life (Umashimenkana)(For KURIHARA Sadako and the children of Ishinomaki) (2013), Aichi Triennale 2013

 

2020年3月9日、ハッセルブラッド財団は、写真界への多大なる功績を表彰するハッセルブラッド国際写真賞を、サンティアゴ出身で現在はニューヨークを拠点に活動するアルフレッド・ジャーに授賞すると発表した。授賞式は10月19日にヨーテボリのハッセルブラッドセンターで行ない、同賞の40人目の受賞者となったジャーには賞金100万スウェーデンクローナ(約1090万円)が授与される。また、同センターでは授賞式翌日の20日よりジャーの個展を開催、同展に合わせて、ジャック・ランシエールの論考を収録したカタログがヴァルター・ケーニッヒより出版する。

アルフレッド・ジャー(1956年生まれ)は、複雑な社会政治的問題の数々に表象の倫理を前面に出しながら取り組んでいる。写真や映像、インスタレーション、地域密着型のプロジェクトなど、その静寂かつ瞑想的な実践を通じて深刻な問題に正面から向き合い、人道的危機をその目に収め、世界各地の軍事衝突や政治腐敗、経済的不平等の影響を証言し、現実に対する一般的な認識を挑発的に揺さぶってきた。その活動の中心を為すのは彼が「イメージの政治性」と呼ぶものであり、私たちのイメージの使用や消費に対して疑問を投げかけると同時に、写真やメディアが重要な出来事を表象する際の限界を指摘している。

審査委員長を務めたブラジルのインスティテュート・モレイラ・サレス現代写真部門長のチアゴ・ノゲイラは、「アルフレッド・ジャーは、見るという行為に組み込まれた経済的、社会的影響、私たちのイメージの観客としての責任を示し、イメージの生産と流通を統治する政治性という問題に取り組むという観点から写真史における多大な貢献を果たしてきた」と授賞理由を語り、『ハッセルブラッド国際写真賞』展のキュレーターを務めるルイーズ・ヴォルタースとドラガナ・ヴヤノヴィッチ・エストリンドは、「彼のイメージの政治性に関する妥協なき研究や心を打つ強烈な作品は、写真における重要な側面に言及している。同時に、その作品はメディウムの特異性を乗り越え、喫緊の問題へと私たちの関心を差しむける」と評した。アルフレッド・ジャー本人は受賞に際し、「このような素晴らしい賞をいただき大変光栄に存じます。ハッセルブラッド財団、そして、森山大道、ベルント&ヒラ・ベッヒャー、ロバート・フランク、スーザン・メイゼラス、ウィリアム・クライン、アンリ・カルティエ=ブレッソンといった、私に多くを教えてくれたこの賞の歴代受賞者たちに敬服と感謝の意を表します。私はこれまでの活動全体をイメージの政治性に専念してきましたが、この度の寛大な評価はこの暗い時代における旅を続ける上で心強い励みになります」とのコメントを寄せた。審査員はノゲイラのほか、ジョシュア・チュアン(ニューヨーク公共図書館 写真シニアキュレーター)、アンナ・カイサ・ラステンバーガー(ヘルシンキ芸術大学教授、フィンランド)、ローラ・セラニー(インディペンデント・キュレーター、イタリア/フランス)、ヤニス・トゥマジス(ニコシア市立アートセンター ディレクター、フレデリック大学助教、キプロス)が務めた。

 


Alfredo Jaar, A Hundred Times Nguyen (1994), Shanghai Biennale 2018

 

アルフレッド・ジャー(1956年サンティアゴ生まれ)は、チリ大学で学んだのち、1982年にピノチェト軍事政権下のチリを離れてニューヨークへと渡り、現在に至るまで同地を活動の拠点に据えている。キャリアを通じて、数々の論争的なテーマに取り組んでいる。南アフリカ共和国の報道写真家ケビン・カーターが1993年に深刻な飢餓が起きていたスーダンで餓死寸前の少年とハゲワシを撮影したピュリツァー賞受賞写真に基づいた映像インスタレーション《The Sound of Silence》(1995)は、観客の目を眩ませるような蛍光灯が敷き詰められた外壁を持ち、構造物内ではカーターの写真と彼を自殺に至らせた写真に対する批判について言及する映像が流れ、それらが人間の苦悩に面したときの観客の役割と責任について指摘する。このように、ジャーの作品はジャーナリズムの問題が抱えるイメージや情報、語りにおける政治性と倫理における優れた探求を示す。《Searching for Africa in LIFE》(1995)では、LIFE誌の1936年の創刊から1996年の休刊に至るまでの2128の表紙を時系列に提示し、そこにアフリカの表象の不在を顕在化し、同様の戦略により、《From TIME to TIME》(2006)では、グローバル・ノース(北半球に偏在する先進諸国)におけるアフリカ大陸の認識に影響を与えるレイシズムを表面化した。代表作として知られる《Rwanda Project》(1994-2000)では、100万人以上が犠牲となったルワンダ虐殺に対するグローバル・ノースの沈黙、無関心、怠惰に反応し、生存者による証言や写真を含むさまざまな方法を駆使して、暴力のイメージに対する観客の脱感受性を試し、悲劇的事件を表象する上でのアートの限界を探求している。また、《The Skoghall Konsthall》(2000)で、製紙業を中心とするスウェーデンのスコグハルに紙で美術館を建設し、24時間後に燃やすという出来事を通じて、コミュニティにおける文化施設の不在を視覚化しようと試みたり、電子広告板を使った《A Logo for America》(1987)や、メキシコとアメリカ合衆国の境界の両側でパフォーマンスを試みた《The Cloud》(2000)など、美術館外の空間に介入する活動も少なくない。

ジャーは4度のヴェネツィア・ビエンナーレ(1986、2007、2009、2013)、4度のサンパウロ・ビエンナーレ(1987、1989、2010、2020)、2度のドクメンタ(1987、2002)をはじめ、1980年代から現在に至るまで、世界各地の国際展、美術館で作品を発表、70を越える公共的なプロジェクトを実現している。2006年には母国チリで初めての個展をサンティアゴのテレフォニカ財団で開催。そのほか、主な個展に、ニューミュージアム(1992)、ホワイトチャペル(1992)、ストックホルム近代美術館(1994)、シカゴ現代美術館(1995)、ローマ現代美術館(2005)、近年の主な回顧展に、ローザンヌ州立美術館(2007)、ピレリ・ハンガービコッカ(2008)、ベルリン芸術家協会(2012)、アルル国際写真祭(2013)、ヘルシンキ現代美術館(2014)、ヨークシャー彫刻公園(2017)などがある。日本国内では、スカイザバスハウスやケンジタキギャラリーでの個展をはじめ、『現代の写真I「失われた風景—幻想と現実の境界」』(1996、横浜美術館)やヨコハマ国際映像祭(2009)、第2回恵比寿映像祭(2010)、『LOVE展:アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生、初音ミクまで』(2013)、あいちトリエンナーレ2013などで作品を発表。2018年には第11回ヒロシマ賞に選出され、2020年夏に受賞記念展を予定している。

 

ハッセルブラッド財団http://www.hasselbladfoundation.org/

 

 


 

過去10年の受賞者
2019年|森山大道
2018年|オスカー・ムニョス
2017年|リネケ・ダイクストラ
2016年|スタン・ダグラス
2015年|ヴォルフガング・ティルマンス
2014年|石内都
2013年|ジョアン・フォンクベルタ
2012年|ポール・グラハム
2011年|ワリッド・ラード
2010年|ソフィ・カル

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