ホー・ツーニェン「空虚の彼方へ」(2)

空虚の彼方へ
インタビュー / アンドリュー・マークル
I

 

II.

 


Ho Tzu Nyen, Hotel Aporia (2019), site-specific installation at Kirakutei, Toyota, 6-channel video projection, 24-channel sound, automated fan, lights, transducers and show control system, installation view. Photo Hiroshi Tanigawa. All images: Unless otherwise noted, courtesy Ho Tzu Nyen.

 

ART iT ここまで京都学派の哲学の矛盾について話してきました。形而上学は存在について探究する哲学であり、存在を探求するということ、それは自分が探究する実体に決してたどり着くことができません。必ず、もうひとつの側面、もうひとつの観点、もうひとつの位相の存在がある。たとえば、翻訳には常に別の表現の可能性があるように。

ホー・ツーニェン(以下、HTN) 私は形而上学や哲学一般を常に歴史的なものだと考えています。ただ、あらゆる歴史的物語は、わかりやすい形であれわかりにくい形であれ、すべて哲学的立場から生まれてきます。京都学派や西田幾多郎を理解するためには、一体どれだけさかのぼらなければいけないのでしょうか。禅の歴史も振り返らなければいけませんし、禅を理解するために中国禅をたどり、それが中国から伝わる際に、その諸実践がどのように日本に適応させられたのかを知る必要もあります。さらに、中国禅を理解するためにその発祥の地であるインドまで仏教をたどる必要もあります。無数のラインがどこまでも螺旋を描くように続いています。

 

ART iT あいちのような検閲劇において、歴史修正主義者や歴史否定主義者が実はあらゆる知識の妥当性を疑う極端な形而上学的立場をとっていることは語られていません。たとえば、彼らは「従軍慰安婦」制度に日本軍が能動的に関与した記録資料はなく、それを証明することはできないと主張します。そして、いかなる体験や記録もその制度や体制を顕していないと矮小化されうるのであれば、一体どのような基準で目撃者の証言や記録資料を信頼できるのだろうかという難題が浮かび上がってきます。どれだけのファクトを積み上げれば、真実になるのか。歴史修正主義者/歴史否定主義者の議論はきわめてニヒリスティックです。それは権力以外に知識を創造できるものはいないということを示唆しています。

HTN 何がこのニヒリズムの原動力となっているのでしょうか。どのような歴史の力がそれを駆り立て、生み出すのでしょうか。この問題を内側から壊すには、真剣に取り組む必要があります。もし、私たちがそれを望むのであればの話ですが。

このところ、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロが食人について論じている『インディオの気まぐれな魂』を読んでいます。一般的に、食人は敵を壊滅するという非社会的な要求から生まれたものだと考えられているかもしれませんが、実際のところ、デ・カストロは他者を消費することは過剰な社会性が原因であると考えています。それは文字通り、敵との「同一化」であり、他者の視点を内在化する方法であり、そして、アマゾン川流域の文化における多元的なパースペクティヴィズムにつながるものです。これは本当に美しい考え方だと思いました。まず、それは人類学的な対象を哲学的に扱うことで、高次の哲学/形而上学と他者に関する学問(たとえば、人類学)の間に区別をつくらない。次に、敵の視点を内在化することは、難しい対象を扱う際の生産的な戦略になり得ます。

しかし、本当に他者の視点を身につけるには、共感という立場からはじめる必要があります。文脈を理解しようとして、その中で自分を見失ってしまうかもしれません。文脈が不十分なのはリサーチの問題ですが、過剰な文脈は人を麻痺します。他者の中に身を置きすぎるのは危険なのかもしれません。そのような危険を《旅館アポリア》の「ゲスト」をリサーチする過程で感じました。

 

ART iT それでは京都学派のどこが受け入れられなかったのでしょうか。それは隠れた国家主義的思想の持ち主だったところでしょうか。

HTN 「隠れた」なのかどうかはわかりませんが、間違いなく国家主義者でした。戦時中、京都学派関係の著名な学者には、東條英機陸軍大将による軍事政権の転覆を目論む海軍の派閥と連携している人もいました。首相経験者の米内光政海軍大将の派閥との秘密裏の会合が開かれています。近年、その記録が再発見されて、田辺元の教え子でその記録を取っていた大島康正にちなんで「大島メモ」の名で公開されました。

興味深いことに、デヴィッド・ウィリアムズによる3度の座談会の翻訳は『戦時日本の抵抗の哲学(The Philosophy of Japanese Wartime Resistance)』のタイトルで出版されました。最初にそのタイトルを見たときは、平和主義的な観点から反戦を唱えた哲学者に関する書籍だと勝手に思い込んでいましたが、むしろ、実際の内容はそれよりはるかに込み入ったものでした。彼らは戦争の戦い方に反対していたのであって、戦争という概念にはほとんど反対していませんでした。アメリカ合衆国との戦争に反対していたのは、彼らがそれを勝ち目のない戦争だと知っていたからに過ぎません。

 


Ho Tzu Nyen, Still from Hotel Aporia (2019).


Ho Tzu Nyen, Still from Hotel Aporia (2019).

 

ART iT それは単純に戦術的なもので、倫理的立場によるものではなかったわけですね。

HTN そうです。そして、彼らはなんとか戦争それ自体の本質をより高次の道徳的なものに変容しようと目論んでいました。言い換えれば、彼らは日本の再編成に利用できる限りにおいてのみ、戦争を重要視しているようでした。これは私が京都学派のこの派閥について最もいかがわしく感じるところです。彼らはその質の高く広範囲に及ぶ哲学や世界史の知識にもかかわらず、どういうわけか、他者性について考えること、あるいは、単純に他者に関心を持つことができません。だから、彼らが戦争をひとつの理念、すなわち抽象的なものとして語ることに驚きはありません。

言うまでもなく、彼らの語る戦争はほぼアメリカ合衆国との関係によるものです。その一方で、彼らは日本がほかのアジアに対して行なっていたことについて、本格的に言及する価値をまったく置いていませんでした。中国については、日清戦争や日中戦争、そして学者たちが中国の古典に精通していたことにより語られることもありますが、それ以外はせいぜい幽霊的な存在に過ぎませんでした。

中央公論の座談会のなかで最も興味深い言及のひとつに、西谷がマレー人について語っているものがあります。西谷自身は一度も東南アジアを訪れたことがなく、何も知らないにもかかわらず、マレー文化に関する人類学の文献をひとつ読んだだけで、マレー文化をとても高貴な文化であり、マレー人を半日本人化しうるのではないかと語っています。「マレー人を半日本人化しうる」とは、彼がマレー人に惜しみなく与えた最高の賛辞だったのです!

これは先ほどエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロの食人との関係で話した人類学の「使用法」と良いコントラストを為していますね。デ・カストロの食人は、自己を他者に開く方法であり、別のものになる過程ですが、西谷の場合は、他者は自己という鋳型にはめ込まれうるものとしてしか考えていません。

地獄への道は善意で舗装されていると言いますが、私が京都学派に関心を持つ理由には、この人種差別主義とユートピア的思想の混淆、善悪の絡み合いがあります。しかしながら、京都学派のこの派閥の人々が、自分が正しいと思う行動や発言をすることで、そのキャリアや人生に重大なリスクを冒していたことは否定のしようがありません。そして、私たちが認めなければならないのは、彼らは後知恵に頼らず、その濃密な歴史的瞬間において、ああした行動や発言をほとんど皮肉のない態度で行なっていたということです。私自身の思想的立場が離れているにもかかわらず、彼らの座談会を読みながら、自分が同じ状況にいたとして、もっと上手くやることができただろうか、私なら自分の立場の限界を超える視野を持つことができただろうかと考えてしまいました。ある意味、私は京都学派が生み出した哲学よりも、歴史的現象としての京都学派に関心があるのかもしれません。このようにして、自分がこの取り散らかった状態に没頭していったのだと説明するわけですが、それでも友人の多くはそうした「右翼」の思想家について取り組む価値があるのだろうかと納得してくれませんでした。

 

ART iT 世界に存在することについて驚くべきことのひとつは、いついかなるときも何が社会的に意味を持つものとなるのかがわからないことです。共産主義国家がロシアに樹立し、永遠に続くと思われていたが、70年後に崩壊してしまう。すべての戦争を終わらせるための戦争があり、その21年後に同じことが繰り返される。そして、第二次世界大戦後のアメリカ帝国。アメリカがイラクに侵攻し、泥沼にはまり、あんな風に終わるなんてとても考えられないことでした。9/11の翌日に、それからの20年でアメリカ帝国が崩壊寸前にまでなるなんて誰も予想していなかったに違いありません。ただ、それが私たちの現在地なのです。

HTN 現在きわめて重要なのは、このもつれを複数のパースペクティブから考えることではないでしょうか。太平洋における中国の台頭と、それによるアメリカ合衆国との緊張関係を考えてみましょう。私たちはこうした二元構造から抜け出さなければいけませんが、現時点ではあらゆるものが不安定な状態です。古き世界秩序は崩れ、新しい秩序はどうやら築くことができない。この空白の時間において、西田の絶対無のことを考えずにはいられません。東アジアの文脈では、道教であれ仏教であれ、「エンプティネス(emptiness)」は西洋古典学で受け取られているかもしれないような空虚とは違い、むしろ、純粋な可能性としてあります。中国の「空(コォン)」や日本の「空(クウ)」に当たる仏教のシュニャーターに立ち返れば、「エンプティネス」は空(そら)のことでもある。それらはみな同じ言葉です。空は無限でもある。実際、それはさまざまなインド哲学の本質にもつながっています。ギリシャの数学は進歩的でしたが、「0(ゼロ)」を構想することはできませんでした。いずれにせよ、私たちは今、ある種の空虚に生きていて、そこは左が右に、右が左になる、すべてが混乱した世界です。

そこで私が知りたいのは、この空虚をどのように生産的、創造的、倫理的に考えることができるだろうかということです。

 

 

ホー・ツーニェン インタビュー(3)※近日公開予定

 


 

ホー・ツーニェン[何子彦]|Ho Tzu Nyen
1976年シンガポール生まれ。ポスト植民地主義時代の東南アジアにおける歴史、神話、政治を探究すべく、ときに過剰なほどに歴史的参照項を織り交ぜた、観客を没入させるような映像インスタレーションを発表している。その活動は現代美術のみならず、映画、演劇にまで及び、制作、キュレーション、執筆活動といった多面的展開を見せている。

ホーは、メルボルン大学ヴィクトリアン・カレッジ・オブ・ジ・アーツ(1998-2001)を経て、2007年にシンガポール国立大学東南アジア研究プログラム(2003-2007)で修士号を取得。2003年にシンガポールのSubstationで個展『Utama – Every Name in History is I』を開催。2006年から2007年にかけて、個展『The Bohemian Rhapsody Project』が上海多倫現代美術館をはじめ、オスロ、メルボルン、シドニーを巡回し、2011年にはシドニーのArtspaceで個展『Earth』を開催。同年、第54回ヴェネツィア・ビエンナーレにシンガポール代表として出場した。その間にも、第26回サンパウロ・ビエンナーレ(2004)、第3回福岡アジア美術トリエンナーレ(2005)、第1回シンガポール・ビエンナーレ(2006)、第41回カンヌ映画祭監督週間(2009)などに参加。その後も森美術館のMAMプロジェクト(2012)、ビルバオ・グッゲンハイム美術館(2015)、香港のアジア・アート・アーカイブ(2017)、上海の明当代美術館(2018)、クンストフェライン・ハンブルク(2018)などで個展を開催、世界各地の展覧会や映像祭で作品を発表している。

日本国内では、上述したもののほか、『Move on Asia 2006 「衝突とネットワーク」』(ソウルのLOOPから巡回し、2006年にトーキョーワンダーサイト渋谷で開催)、堂島リバービエンナーレ2009、ヨコハマ国際映画祭2009、『Media/Art Kitchen – Reality Distortion Field』(東京都写真美術館、2014)、『他人の時間』(東京都現代美術館、国立国際美術館、シンガポール美術館、クイーンズランド州立美術館、2015-2016)、『サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から』(森美術館、国立新美術館、2017)、あいちトリエンナーレ2019、『呼吸する地図たち/響きあうアジア2019』(東京芸術劇場ギャラリー1、2019)に参加し、TPAM 国際舞台芸術ミーティング in横浜では、2018年に「一頭あるいは数頭のトラ」、2019年に「神秘のライテク」を発表している。

Copyrighted Image