「批評」そのものの可能性をめぐって美術批評の沢山さんと交わす往復書簡の第2信目。批評する態度を自己分析する態度と言い換え、作家が作品をつくる行為と、批判家の近似性を指摘した田中さんの論を受け、進化論的アプローチから差異と反復について考えます。 田中功起さんの第2信はこちら|往復書View More >

「批評」そのものの可能性をめぐって美術批評の沢山さんと交わす往復書簡の第2信目。批評する態度を自己分析する態度と言い換え、作家が作品をつくる行為と、批判家の近似性を指摘した田中さんの論を受け、進化論的アプローチから差異と反復について考えます。 田中功起さんの第2信はこちら|往復書View More >
東京都現代美術館では昨年の秋より今年の5月まで、前期・後期に分け『クロニクル 1947-1963 アンデパンダンの時代』と題するコレクション展を開いている。戦後早々に始まった二つのアンデパンダン展をめぐる集中展示で、資料面も充実しており、見応えがあった。とりわけ『読売アンデパンダView More >
多木浩二さんが亡くなられた。私などとはちょうど20歳の開きがあるのだが、常に対等の目線で話される方であった。近年は検査入院をされたりと、お目にかかる機会もなかったのだが、多木さんが最後まで全幅の信頼を置いておられた建築家坂本一成さんからは、連絡されたらお喜びになるよといって頂いてView More >
「ジャーナリズムの一形態としての美術批評はある役割を終えた」という前提に立つ沢山さん。その上で、芸術批評の役割とは、これまでとは全く異なる相貌や重要な細部を浮かび上がらせることであると指摘。往復書簡第2信は、誰もがもつ「批評的態度」というものに焦点を当てて考えます。 沢山遼さんのView More >
震災絵画 最初に、このたびの大震災にあたり、被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。一日も早く、安全な環境で、平常の生活に戻れますよう。 しかしいまだ余震が続くなか、被災地の美術館が当分のあいだ閉館されるのはもちろん、被災地以外でも中止や延期を余儀なくされる展覧会が続出しView More >
写真提供: 兵庫県立美術館 戦後の現代美術界を牽引されてきた中原佑介先生の訃報に触れ、いまだにその死を受け止められないでいる。昨年の針生一郎先生の死に際しても、また先んじる東野芳明先生の死に際しても、毅然として感情的な表情を見せず、何かを懐かしんでも、そこには何も生まれない。終わView More >
チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』 神奈川芸術劇場 2011年2月1日 撮影:宇壽山貴久子 ネットで「アートスフィア」と検索してみたら、そういう名前の劇場はもうなくて、いまは「天王洲銀河劇場」と呼ぶのだという。2006年に経営母体が変わり、ホリプロ系列のグループ会社がView More >
アウトサイダーの書 去年10月末から12月頭まで六本木の新国立美術館で開催され、いまも全国を巡回中の『第42回日展』。東京展だけで来館者17万5000人、各地の巡回展を合わせた入場者総数50万人以上(第41回統計分)、総陳列点数が3091点!という、日本最大の美術展覧会にして、現View More >
第1信であげられた、「批評」の役割をめぐる3つの問題――作品自体に内在している批判性について、批判が生み出す新たな視点について、そして実際に見ていない作品について書くことの有効性について。作り手の立場から投げかけられたこれらの問いに批評家はどんな球を投げ返すのか。 田中功起さんのView More >
前編はこちら 「休日診療所」 これを読んでいるひとのなかには、「わたしのすがた」を見た人も数多くいると思う。そのなかの少なからずの人が、なにかよくわからないけれども、順路をめぐり終えても根強く残り続ける心的な刻印を受けたのではないだろうか。にしすがも創造舎で受付を済ませて校庭に空View More >
国際的に活躍する気鋭のアーティストが、アートをめぐる諸問題について友人知己と交わす往復書簡。ものづくりの現場で生まれる疑問を言葉にして、その言葉を他者へ投げ、投げ返される別の言葉を待つ……。第5回の相手は、美術批評の沢山遼さん。約3ヶ月の間にそれぞれ3通の手紙で「作品と批評との関View More >
撮影:林直 3. 避難所としての美術館:はみ出すものをすくうこと / 個人的な物語を編み出すこと YM この『マイ・フェイバリット』展というのは、ものすごく個人的なタイトルかと。これは河本さんのフェイバリットですよね? KS このタイトルに至るまでに、View More >