
遠くて近い、近くて遠い、アラブと日本:アーティストの役割とは何か
9月28、29日の2日間、アラブと日本のアーティストおよびキュレーターによるシンポジウムが森美術館で開催された。同館で2012年6月16日-10月28日の期間で開催された 『アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る』の関連プログラムとして、『ポップアップ・マトハフ@森美術館—遠くて近い、近くて遠い、アラブと日本:アーティストの役割とは何か』と題された本シンポジウムは、カタールと日本の国交樹立40周年を記念して、マトハフ・アラブ近代美術館(ドーハ)およびカタール美術館庁との共催事業として実施された。
シンポジウムは一貫して、『アラブ・エクスプレス展』を検証する内容となっていた。森美術館館長の南條史生およびキュレーターの近藤健一のキュレーションにより、日本で初めてアラブ現代美術を多角的に検証する同展は、民族紛争やテロリズムに彩られたメディア報道に形作られてきたアラブ社会のステレオタイプに挑戦している。アラブ諸国のアーティスト34組による、写真、映像、絵画、インスタレーションを通じて、今日のアラブ世界における多様性を示唆するとともに、「アラブ世界」がディアスポラの人々やレジデンシーおよび国際展によって全世界に広がっている姿を提示している。
近藤は、マトハフ・アラブ近代美術館前事業戦略部長のディーナ・シャラビーとタッグを組み、展覧会に参加する海外アーティストと日本人アーティストの対談形式による3つのセッションでシンポジウムを構成。各セッションでは、対談したアーティストたちの作品に通底するテーマについて議論が繰り広げられた。1日目となる9月28日のセッションIは、「目撃者は語る」と題され、イラク生まれの写真家ハリーム・アル・カリームとアーティスト集団Chim↑Pomの卯城竜太とエリイが対談。2日目のセッションII「歴史をたどって」では、シリア生まれの写真家ハラーイル・サルキシアンと映像作家である小泉明郎が、セッションIII「キッチュなものの力」では、ベイルート在住の小説家/ミクストメディアアーティストのゼーナ・エル・ハリールとメディアアーティストのスプツニ子!が対談した。その後、すべての出演アーティストが南條のモデレーションのもと、クロージングディスカッションを行った。「遠くて近い、近くて遠い」というタイトルが示す通り、各セッションでは、活発なやり取りのなか、登壇アーティストたちの表現の共通性や相違性が浮き彫りになった。また、会場からも多くの質問やコメントが飛び交っていた。

Top: Halim Al Karim – Untitled 1 (from the Urban Witness series) (2002), installation view as presented in “Arab Express: The Latest Art from the Arab World” at the Mori Art Museum, Tokyo. Photo Kioku Keizo. Courtesy XVA Gallery. Bottom: Halim Al Karim speaks about the influence of Sumerian reliefs on his artistic practice as Ellie and Ryuta Ushiro of the artist collective Chim↑Pom look on. Photo Mikuriya Shinichiro.
セッションI「目撃者は語る」では、ハリーム・アル・カリームが影響を受けているというシュメール時代の彫刻orレリーフの写真をスライドで紹介。自らの制作アプローチを間接的な形で提示した。彼のピンボケの作風は、古代の工芸品が有する時間の作用と自らの視力の悪さにインスピレーションを受けているという。また、イラクの古代文化についてリサーチするにつれ、自分は過去と現在のはざまに生きていると感じる様になり、女性を神として崇拝していたシュメール文化に、作品も自らの女性観も影響を受ける様になっていったという。彼の作品は批判的な様相も呈している。1980年代のイラン・イラク戦争時代、フセイン政権下での徴兵制度から逃れるために3年間も砂漠に潜伏していたというアル・カリームは、その間に、人間とは何かについて新たな考えに至ったという。「Lost Seclusion of the Soul」「Hidden Agenda」「Black Rain」「Black Bread」シリーズでは、イラン・イラク戦争、フセイン政権に対する国際世論、1991年の湾岸戦争によるイラク侵攻、それに続く国際的な経済制裁へのイラク国民の怒りといったテーマを扱っている。
Chim↑Pom のメンバーを代表して登場した卯城竜太とエリイは、ゲリラ的な表現で知られる彼らの活動を、生存をかけた行為であると説明した。初期の映像作品「スーパーラット」と「ブラック・オブ・デス」を上映し、ネズミと烏は東京のような大都市環境で生存の危機にさらされている生きものを象徴しているとのこと。これらの作品は、メンバーの日々の生活に呼応する形で生まれてきたという経緯も紹介した。2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに続く津波と放射線被害は、Chim↑Pom のメンバーだけでなく日本社会全体に激震を及ぼし、当然のものと思われていた平穏な生活を一変させた。Chim↑Pom は、未来の世代に向けて、今回の災害を何らかの形で作品にしなければと考えた。彼らは震災の爪あとが色濃く残る福島県相馬市を訪れ、地元の人たちがアーティストと一緒に円陣を組み、、ひとりひとりが未来への希望を順番に述べていくという作品「気合い100連発」を撮影した。「リアルタイムス」では、福島第一原子力発電所から30キロ圏内の避難勧告地域ギリギリの地点まで車で乗り入れた。主要な報道機関は近づくことのなかった地域で撮影を敢行した経験を通して、映像や報道の領域における自分たちの役割を認識する様になったという。作品ではメンバー数人が防護服を着用し、発電所を見下ろすことのできる丘で、放射線のマークを赤のスプレーでペイントした、日本の国旗を彷彿とさせる白旗を掲げている。
対談では、卯城とエリイがアル・カリームの経歴に感嘆のコメントを寄せると、アル・カリームからはChim↑Pom の「気合い100連発」はシンポジウムのテーマにぴったりだとコメント。日本と諸外国は数千キロ以上離れているかもしれないが、相馬の人たちがお互いを励まし合っていた様に、世界の人々も日本人を激励している。「気合い100連発」からは、様々な違いから隔たっている様に思われる人々や社会も、不思議と一体になる瞬間があること。「差異」と「同質」は決して相反するものではないことを読み取ることができるという見解を示した。

Top: Hrair Sarkissian – “Execution Squares” (2008), installation view as presented in “Arab Express: The Latest Art from the Arab World” at the Mori Art Museum, Tokyo. Photo Kioku Keizo. Collection Sharjah Art Foundation. Bottom: Hrair Sarkissian, with Meiro Koizumi in background. Photo Mikuriya Shinichiro.
セッションII「歴史をたどって」では、ダマスカス生まれのアルメニア系シリア人の写真家ハラーイル・サルキシアンが、オスマン帝国におけるアルメニア人の大量虐殺(1915-23)について触れていた。100万から150万人のアルメニア人が殺害され、多くのアルメニア人が強制移動させられたことは、現存するアルメニア系の人々のアイデンティティの問題として、今なおたくさんの人々に影響を与えている。オスマン帝国の継承国家であるトルコ政府は、今日なおこの虐殺を公式には認めておらず、サルキシアンはこの消し去られた過去に関する作品をイスタンブールで発表してきた。空白の歴史と対峙する方法論として、イスタンブールの公立の図書館と資料館を写真におさめた「Istory」シリーズを制作。最新作「Unexposed」では、大量虐殺が行われた時代にキリスト教から強制的にイスラム教徒に改宗させられたアルメニア人についてリサーチ。新しい名前や信仰のもと、現在もトルコに暮らす彼らの子孫のポートレートを撮っている。その中には、秘密裏にキリスト教徒へと再改宗し、アルメニア人名を使っている者もいる。サルキシアンは3年間の月日をかけて、こうしたバックグランドを持つ9人のアルメニア人とコンタクトを取り、彼らの自宅で撮影を行った。彼らが本当のアイデンティティを隠し続けなければならない状況を生み出しているトルコ社会、その一方で、イスラム教徒への強制改宗に屈しなかったアルメニア人からの反発をも反映するかの様に、その姿はぼやかされている。
2005年から2年間オランダに滞在していた経験のある小泉明郎は、その間、自分の日本人としてのアイデンティティと日本社会との関係性について考える様になり、その事が作品にも影響を及ぼしているという。帰国した2007年当時、日本が保守化傾向にあるように感じたこともあり、第二次世界大戦中に編成された神風特別攻撃隊について興味を持つようになった。小泉にとって特攻隊は、日本の過去を象徴するアンビバレントな存在だ。彼らのとった行動は、完全に自発的なものとはいいがたく、かといって、時の権力に無理強いされただけとも言い切れないからだ。特攻隊の生存者の証言は、そのどちらもが入り混じった状況だったことを語っている。こうした歴史に触発されて制作されたのが「若き侍の肖像」だ。作中では、特攻隊員とおぼしき青年が、カメラ越しの両親に向かって熱のこもった別れの挨拶をしている。すると、カメラフレームの外から「もっとサムライ魂を出して」という指示が聞こえ、目の前の場面が俳優を使って演出されていることが明らかになる。青年はその後も、様々な演出指示を受けながら独白を繰り返す。同じシーンが何度も繰り返されるが、回数を重ねるたびに俳優と監督の間の緊張感は高まっていく。小泉は、夫婦が自宅で夕飯を食べながら戦争について話しをしている様子を映し出した、2チャンネルの映像作品「ビジョンの崩壊」(2011年)も紹介した。話し合いのシーンは全部で8バーションあり、夫婦の体の動きがだんだんと違和感を増していくことで、最初はごく一般的な夫婦と思われていたふたりが、実は盲目であることが明らかになる。

Top: Zena El Khalil – Xanadu, Your Neon Lights Will Shine, Skip the Light Fandango and Peace Will Guide the Planets and Love Will Steer the Stars (2010), installation view in “Arab Express: The Latest Art from the Arab World” at the Mori Art Museum, Tokyo. Photo Kioku Keizo. Courtesy Galerie Tanit. Bottom: Moderator Deena Chalabi speaks about the work of Zena El Khalil as El Khalil (lefthand screen) and Sputniko! listen. Photo Mikuriya Shinichiro.
セッションIII「キッチュなものの力」では、ベイルート在住のゼーナ・エル・ハリールと東京在住のスプツニ子! が、お互いの作品の類似性に触れていた。ポップカルチャーとの関係性、および、ソーシャルメディアや分野横断的なアプローチを通してより広い活動の場を模索している点において、ふたりはシンポジウム参加作家の中でも最も近い存在だろう。エル・ハリールは、幼少期をラゴス、ナイジェリア、ベイルートで過ごし、様々な文化に触れながら育った生い立ちを紹介。異なる文化の間で生きていくギャップを埋めてくれたのがポップカルチャーだったという。そしていま、戦争の浅はかさを露呈させ、愛とユーモアによってオルタナティブな現実を立ち上げる手段として、ポップカルチャーを扱っている。彼女にとって、ピンクは重要な色だという。ピンクにはキッチュなイメージもあるが、同時に、平和運動である「コード・ピンク」や乳がんの啓発運動である「シンク・ピンク」、ゲイプライドを象徴するピンクの三角形の様に、非暴力のシンボルでもある。エル・ハリールは、アートを瞑想の場および周囲の喧騒から逃避できる場として考えている。数千個の小さなピンを用いたコラージュ作品は、展示する場所性によって派生する意味が変わるデリケートな作品だ。誰かが作品を並べ替えることで、いつでもまったく違う物語が生まれる同作品は、レバノン地域の不安定さと1975~1990年に勃発した内戦以降のコレクティブな記憶の喪失を反映しているという。エル・ハリールはまた、何かと物議を呼んでいる宗教のシンボルをアプロプリエーションする。アラビア語でアラーと書かれた巨大なミラーボールを設置し、神の光の下、殺しあうのではなく踊ることを促したり、アラーの文字の巨大な彫刻をイタリアの教会に展示、そこでも人々が一緒に踊る仕掛けを展開した。彫刻の作品は、抗議運動の参加者たちの集合場所になっているトリポリの記念碑にインスピレーションを得ているという。『アラブ・エクスプレス展』への出品作品は、2006年の戦争の際にばら撒かれたイスラエルのプロパガンダのビラに着想を得ていて、暴力的なイメージを美的なものに変容させる方法論は、激しい内戦に巻き込まれているにも関わらず、最後まで自分の村を離れることを拒み続けた彼女の祖父から引き継がれていると言う。家の近くに爆弾が落とされるたびに、爆撃であいた穴に木を植えた祖父。いまでは成長した美しい木々が家の前のアプローチを彩っているという。緑に覆われたその路地は、「フラワーストリート」と呼ばれているのだそうだ。
両親ともに数学者である、日本人の父とイギリス人の母を持つスプツニ子! は、エル・ハリールと同じく複数の文化の間で育ってきた。ロンドン大学インペリアル・カレッジで情報工学と数学を学んでいたが、日本における女性の役割に興味を持ったことと、自らの生態に関連して生理、妊娠にまつわる問題に疑問を感じ始めたことをきっかけにアートに転向。工学を学んだバックグランドを活かして自らがサイボーグになることで、そうした問題をアート作品を通して投げかけたかったのだという。最初の作品「生理マシーン、タカシの場合。」では、女装好きでもっと女の子に近づきたいという思いから、生理マシーンを装着する男の子に扮している。科学者の力を借りて、瓶に入った血液と電極とで生理に伴う痛みと不快さを再現するマシンを作り上げ、架空の人格であるタカシとしてスプツニ子!がマシンを身につけている写真作品のほか、オリジナルのテーマソングとミュージックビデオも制作した。ミュージックビデオはTM Revolution などのポップミュージシャンやメディアアーティストであるローリー・アンダーソンに影響を受けている一方で、作品は、テクノロジーに形作られる社会的な圧力について疑問を投げかけている。スプツニ子! は、経口避妊薬が開発された当初、医者たちは薬が生理をとめることを知っていたにも関わらず、ピルを3週間だけ飲むことで1ヶ月に1度の生理のサイクルを維持できる様にプログラム。また、日本でバイアグラは5ヶ月で認可されたのに対し、4週間服用するタイプの経口避妊薬(リブロ)が認可されるのには9年かかった事実にも言及。腰の周りに回転ベルトをつけ、美しい女性の姿をしたサイボーグが、サラリーマンに寿司を振る舞う女体盛り写真と短編の映像作品で構成される「寿司ボーグ☆ユカリ」を紹介した。サイボーグはその後、回転ベルトにナイフを取り付け、男たちを皆殺しにする。最新作の「Healing Fukushima (菜の花ヒール)」は、現在も続く311の後遺症に対するスプツニ子! のレスポンスとして制作された作品。チェルノブイリで菜の花が地面の放射能を吸収することが発見されたことにヒントを得て、 おしゃれなハイヒールにアブラナの種とディスペンサーを搭載。その靴をはいて歩くたびに、地面に種が植えられていく仕掛けだ。バイオディーゼルの原料にもなるアブラナを育成することは、福島周辺の空気も浄化でき、震災で農作物を失った地元の農家の人たちに、原子力にかわる新エネルギービジネスに繋がる新たな収入源をもたらす。
エル・ハリールとスプツニ子! は、ともにポップカルチャーにインスピレーションを得ている反面、 関心のある様々な問題について熟考し、商業ベースのアーティストよりもゆっくりとしたペースで表現活動をすることができるのがアートであると話していた。

シンポジウムは、出演アーティスト全員とキュレーター(シャラビー、近藤)によるディスカッションで締めくくられた。本シンポジウムのモデレーターである南條は、冒頭でアイデンティティーの問題と、それが英語であれ現代美術であれ、「共通言語」が内包するヘゲモニーの問題をどう考えるべきかという問題提起をした。それに対し、サルキシアンは「中東アーティスト」と呼ばれることに関して、そうした分類自体が欧米基準の視点であること、アーティスト個人の活動や本質的な国際交流においては非生産的な考え方であると発言。小泉は映画監督の小津安二郎を例に取り、小津の場合はハリウッド映画がそうであった様に、アーティストはみな何かに影響されて制作を始める。その上でなお、独自の芸術表現を作り上げることができるとコメントした。一方、南條と近藤はキュレーターとして、各アーティストの独自性を大切にすると同時に、展覧会全体として観客に伝わる展示にする必要があったとコメント。彼らの率直な振り返りは、最近の現代美術が、市場と国際展に摂取される傾向にあるのではないかという点にも触れていた。
アラブ・エクスプレス : アラブ美術の今を知る
2012年6月16日(土)-10月28日(日)
森美術館
展覧会URL:http://www.mori.art.museum/contents/arab_express/
マトハフ・アラブ近代美術館共催シンポジウム、『ポップアップ・マトハフ@森美術館-遠くて近い、近くて遠い、アラブと日本:アーティストの役割とは何か』は、『アラブ・エクスプレス』展の関連イベントとして、2012年9月28日、29日に行なわれた。