対談:安藤忠雄×杉本博司

もうひとつの世界をつくる——理想の美術館建築とは?

数々の美術館を設計した建築家と、『建築』写真シリーズを発表し、最近は設計も手がける現代美術家。国際的に活躍するふたりの表現者が、美術作品を発表する場としての建築空間について語り合う。アートのための理想的な「ハコ」とは?


Ando Tadao Punta della Dogana
Central Court, the new main gallery set within the existing building interior


From Left to Right: Sugimoto Hiroshi Stylized Sculpture 023, 020 2007
Gelatin-silver prints ©Hiroshi Sugimoto Courtesy Gallery Koyanagi

杉本 僕はいままで、世界の有名建築家がつくった美術館で、いろいろ展覧会をやってきました。ジャン・ヌーヴェルが設計したパリのカルティエ現代美術財団、ダニエル・リベスキンドが改修したトロントのロイヤル・オンタリオ博物館、有名なミース・ファン・デル・ローエによるベルリンの国立美術館(ノイエ・ナショナルギャラリー)、テキサスにある安藤さんのフォートワース現代美術館、SANAA(妹島和世+西沢立衛)が設計した金沢21世紀美術館、そして、ここ大阪の、今日皆さんにお出でいただいているシーザー・ペリの国立国際美術館……。

この6月には、安藤さんが改装を担当しているヴェニスのプンタ・デラ・ドガーナで、京都服飾文化研究財団が持っている1920年代からのファッションのコレクションをマネキンに着せて、それを彫刻として撮るという新作シリーズ『スタイライズド・スカルプチャー』を見せます。

ところが、有名建築家の建築空間というのは、アーティストとしては非常に使いにくいことが多い(笑)。そこで、実際に設計に携わっていらっしゃる安藤さんにもコメントをいただく、そういうような形で始めたいと思います。

有名建築家の美術館は使いにくい?


Installation view at Neue Nationalgalerie (Berlin) 2007
©Hiroshi Sugimoto Courtesy Gaallery Koyanagi

安藤 建築家は使いにくいハコを一生懸命つくると言われますが、そういうところもなきにしもあらずですね。たぶん建築家は夢中で建築をつくっていて、展示はアーティストが何でもやってくれるだろうと思っているのかもしれません(笑)。

美術館はもともと、小さい部屋が連続していくスタイルがクラシックな形でしたが、最近はワンルームが主流です。いちばん最初にできたのは77年に完成したポンピドゥー・センターで、ワンルームだから何でも自由にできる。その代わり、ショッピングセンターの中に美術品を置くみたいなものですから、相当想像力を発揮しないと使いにくい。いま挙げられた中では、サイズは小さいですが、カルティエ現代美術財団もワンルームですね。

ミース・ファン・デル・ローエのベルリンの美術館でも、あの巨大な空間に展示できる作品をつくれる作家はそうそういないと思うんです。だからミースにしたら、展覧会は10年に1回ぐらいでいいんじゃないかぐらいの気持ちでやっていたのではないかと。現に、できてからあまりいい展覧会がなかったんですね。

杉本 結局お金がかかりすぎちゃうんですね。壁をつくるとしてもテンポラリーになっちゃいます。彫刻にしても、あの大空間にぽっと置いて、空間に勝てる彫刻家は少ないですね。

安藤 建築のコストといえば、面白い話があります。アントニオ・ガウディにサグラダ・ファミリアという有名な建築がありますが、それ以外の作品をル・コルビュジェが見に行っているんですね。ガウディは、自分が学生を呼んで勉強するための学校と小さい教会みたいなのをつくっているんですが、これは自分がお金を出してつくっているから、見るからにローコスト。コルビュジェはそのふたつがいいと言ったんです。それと、途中で止まっている状態のサグラダ・ファミリアしか興味がない。その状態、未完がいいと。後のふたつは、ものすごいローコストだからいいと。さすがに大建築家、目もいいですね。

サグラダ・ファミリアも、あの想像力のある人が、修正し、修正し、つくっていくわけです。いまはまた、新しく足していきながら、完成に近づけようとしていますけれども、まったく似て非なるものになっていくでしょうね。想像力を加える人が死んでいるわけですから、あのままつくらずに未完のまま置いといたほうがいいと思います。

杉本 僕も撮影しようと思って行ったんですけれども、断念しました。当初の、生きている間に完成した部分が美しかったのに、どんどん足していくに連れて、つまらないものになっていくんですね。

安藤 先ほど名前が出てきたダニエル・リベスキンドは、ベルリンにユダヤ人のミュージアムをつくっています。私が見たときは、中に展示品がない状態ですばらしいと思ったんですが、どんどん中身を加えていき、展示品をいっぱい置くと、結構普通になってきた。

杉本 全然つまらない空間になっちゃいましたね。あれは展示をしないことによって、ホロコーストの記憶を永遠に留めようというのがもともとの建築家の発想だったんでしょう。

安藤 と思いますね。

杉本 それで展示しちゃったら、ただの秘宝館みたいになっちゃった(笑)。

捨てたもんじゃない日本の現場


Installation view at Benesse Art Site Naoshima 2006
©Hiroshi Sugimoto Courtesy Gallery Koyanagi

安藤 ベネッセコーポレーション会長の福武總一郎さんが、瀬戸内海の直島に現代美術を見せる施設をたくさんつくっています。私も地中美術館など、いくつかお手伝いをしていますが、3年前に木造のホテルを設計しました。その中に杉本さんが、ご自分のギャラリーをつくられるということで、アウトラインが大体完成したので、見せていただきました。我々が設計した建築じゃなしに、別の世界がそこにあって「いいなあ」と。作家が自作を展示するということは、もうひとつの世界をつくってくれるということだと思います。

杉本 直島のホテルは安藤さんが設計したもので、空間としてはまとまっているんですけれども、使う人の意識があまりなかったですね。せっかくいい空間なのに、非常に中途半端な家具が置かれていて、福武さんも何とかしようと思ったんでしょう。で、「杉本、おまえやれ」と。でも、やるとすると、安藤さんが設計したディテールに変更を加えなくちゃいけない。そんな恐れ多いことができますかということで、安藤さんの事務所に行って、打ち合わせをして、それで、これならいいんじゃないかと。

空間というものは、作品に合わせて常に変えていかなくちゃいけませんからね。ですから、作品に合わせて7メートルぐらいの光の箱をつくったんです。底だけが鉄板で、上の5面が全部ガラスで覆われていて、巨大な羊羹を切って中に照明器具を入れたというようなコンセプトを考えたんですね。羊羹の形は、安藤さんが設計した入口ロビーの窓、7メートル半の細長いスリットの窓があるんですが、それをそのまま光ごと切り取って床に置いたんです。安藤建築に対するリスペクトというか、何か言われたら言いわけができると(笑)。

安藤 アーティストはすごく神経が繊細ですが、建築屋は割と荒っぽいところがありまして、ああ、そうですかと(笑)。増改築をするわけじゃないですし、展示空間をどんどん変えていくのは、もうひとつの世界をあそこにつくっていただいて、見に来る人が違った世界を見るわけですから、私はいいなと思って。

福武さんは来年、直島とか、豊島(てしま)とか、犬島とか、高松まで含めて、海をぐるぐる回る島巡り美術展をやると言っていまして、これは福武さんの頑張りに応えないかんと思っています。彼は芸術に対する情熱が非常にありまして、我々みたいな人間に仕事のチャンスを与えるパトロンが少なくなったと言っています。昔はもっといたんですか。

杉本 いや、昔も今も少ないですね。海外のほうが圧倒的に多い。プンタ・デラ・ドガーナを美術館にするピノーさんなんて、世界有数のコレクターです。日本は、三井の財閥とか、戦前のほうがいましたね。

日本という国は、ある意味でいちばん社会主義化が進んだと言えるほどに、平等な社会が出現してしまった国です。アメリカは民主主義だと言うけど、これほど貧富の差が大きな社会はない。でも、貧富の差が大きければ大きいほど、巨大な富がひとりの人に集中するわけです。その人が自分の趣味を兼ねて美術館をつくる。

アメリカの美術館は基本的にはみんなプライベートの美術館で、国公立はスミソニアンだけなんですね。メトロポリタン美術館にしても、ニューヨークMoMAにしても、自分の街がいかに文化的に高い位置にあるかということを、金持ちが美術をコレクションして、美術館を建設することで誇示するんです。シカゴよりもボストンよりも、ニューヨークの美術館のほうがよくなくてはいけない。そういう競争心でできてくるわけです。

19世紀、20世紀の初めまでは、大金持ちになったら教会に寄附していました。ところが神の権威が非常に希薄になってしまって、いまはどんなにお金を貯めても、それを教会に寄附することによる満足感というか、免罪感というか、自分はこれほどいいことをしているという感覚がなくなってしまった。それで、美術館に自分の収集したコレクションを寄附する。ある意味では宗教の代わりになってきているんですね。

日本にはそういう意識もないわけです。ですから、何のために美術品を収集するのかという、そもそもの理由がない。福武さんの場合は、自分の目で、ウォルター・デ・マリアやジェームズ・タレルを選んで、コミッションワークをさせているわけです。突然変異的な日本人がいるということは非常にすばらしいことだと思います。

直島で仕事をしていて、日本も捨てたもんじゃないなと思えるのは、実際に建築をつくる人の現場の感じです。安藤組と言うのか、鹿島建設の中にいて安藤さんを担当して、ここ20年ずっとやってきた職人集団がいます。その人たちに、安藤さんの空間の中でこういうふうにしたい、ここを変えたいんだと言って簡単な図面を提出すると、それをいろんな角度から検証してくれて、これだったら安藤さんもうんと言わないし、杉本もたぶんだめだろうなと経験から判断して、どんどん高度に進めてくれるわけです。逆に「ここに安藤さん風の窓を付けておきましたよ」とか言っていました(笑)。建築家というのは大枠を考えて、後は現場に任せる。現場での判断というのも非常に重要なんですね。

安藤 直島を一緒にやっている鹿島の人たちの場合、私が上でも下でもなく、チームとしてやる。みんなで目標を持ってやっていく。アウトラインがだいたいでき上がると、後は現場で打ち合わせて決めていく。日本ほど技術のレベルが高いところはないです。

杉本 任せたほうがいいものができますね。

安藤 任せたほうがいいものができる。私はヴェニスでも20年やっているんですね。自分の力ではできないので、チームをつくろうと考えた。設備技術者、構造技術者、左官屋さん、大工さん。20年前に25人ぐらいのチームができて、ヴェニスでいま6つ目をやっているんですけれども、ある程度の画を描いて送ると、「任せとけ」とか言ってね(笑)。向こうもときどき日本に来て、私たちも行って一緒にやるんですが、チームとして、自分たちは何ができるかということを考えながらやっていくんです。

持続性のあるイメージとは?

安藤 この間、龍安寺の石庭をたまたま朝早く見たんですけれども、ひとりでぽつんと縁側に寝ころがっていると、私は幸せを感じるんです。それに近い感じというか、杉本さんの『海景』を見ていると、何か幸せな感じがします。

杉本 あの作品を買った方は、自分のベッドルームに飾る人が圧倒的に多いんですね。寝る前にこれに見入って寝ると、心が静かになってよく眠れる。毎日見ていても飽きないし、もっともっと好きになっていく。そういうのは現代美術では非常に珍しいんです。

そういう持続性のあるイメージというのは何か、時間の流れに抗って存在し得る強いイメージというのは何かということなんですね。

僕は、ル・コルビュジェなど現代建築の写真もずっと撮ってきましたけれども、やはりその意味で、あえてぼけぼけの撮影をして、ぼけたイメージに対抗できる強さが建築物にあるかどうか、耐久実験みたいなことをしているわけです。いまどきの建築って、撮ってみると溶けて何も残らないものが多い。

僕は僕の写真のほうが実際に建っている建築よりも美しいと思うんですね。建築というのは頭の中で思い描いたときがいちばん美しい形じゃないかと、勝手に建築家になり代わって思っている。

時間が経つ内に、施主とか施工業者とか予算とかが出てきて、これはできない、あれはできない、ここは変えてくれということになると、だんだん現実的になって変わってくる。ですから、安藤さんが最初、ナプキンにちょいちょいと描く、あのデッサンがいちばん理想形なんじゃないかなと思うんです。

安藤 確かにいろいろあるんですけれども、私は20代の終わりに事務所を構えて、35〜36までは、予算とかクライアントの意見とかいうのはまったく聞かんでもいいと思っとったんですよ。何でも言うて下さいと言いながら、実際は自分がやりたいようにしかやるつもりはなかった。

若いころにつくっていたのは延べ床面積30坪ぐらいの小さい家ですから、それでも通用して。予算の少ないということは幸せなことですね。向こうにも予算がないという負い目があるから、こっちはやりたいことをどんどんやる。そういうときに結構面白いものができますね。

杉本さんの写真はそうじゃなしに、アートですから、初めからバーチャルな世界のレベル以外に世界の人たちが目にすることはないわけですね。最近、U2のボノが新しいアルバムを出しまして、ジャケットの写真が杉本さんの『海景』で、すごいなと。

実は、5年前にボノさんが「安藤さん、一緒に難民救済をやろう」と言ってきた。私はビートルズの世代なもので、ボノを知らんかったもんで、「ノーサンキューや」と答えたら、事務所の人が「面白い人ですから」と言って会うことになって、光の教会に一緒に行ったんです。歌を歌ってもいいかと言うので、どうぞと言うと「アメイジング・グレース」を歌いまして、このおっさん、歌うまいなとびっくりしまして(笑)。それからつき合いが始まって、いま、ボノさんの家をダブリンに設計しているんです。

杉本 発売からまだ2ヶ月も経ってないですけど、500万枚売れたと言っていました。毎日売れ続けているんでしょう。

僕はいきなり南仏の別荘みたいなところに連れていかれまして。僕もあまりよく知らなくて、見たようなおっちゃんがいるなと思ったら、それがボノで、「実は君の海の作品がすごく好きで、この別荘の前に広がっている地中海を撮ってくれないか」と言うんですね。「せっかくだけど、人の注文で撮ったことがないので、それはお断りします」と答えて、いろいろなことを話しながら意気投合していって、作詞作曲にまでかかわるようになってしまった。ですから、表紙のジャケットにそれを使うというのは自動的に……。

でも、500万枚の売り上げがあると、周りに有象無象のコマーシャルの人がいっぱい現れるわけです。そういう人たちが入ってくると、友情が壊れてしまう。この写真、著作権はいくらで売るんだというような話になってくるわけですね。面倒くさいから、それじゃあ、石器時代の物々交換にしようということになりまして、彼は僕のイメージを使ってもいいけど、僕も彼がつくった音楽を自由に使える権利だけを交換しようと。現金がまったく動かない美しい話を考えたんです。資本主義に抗って、税務署も何も関係なく、我々は友達だから交換するんだという。非常にいい関係だなと思っています。

安藤 建築って何やかんや言いながら四角い箱なんですね。使いにくい四角い箱。その中に、例えば杉本さんが入ってこられる、ボノが寄ってくる、デミアン・ハーストが入ってくる。デミアン・ハーストの家も私が設計しているから。

杉本 そうなんですか。なるべく使いにくくして下さい(笑)。

日本の美術館の問題点


Installation view at Modern Art Museum of Fort Worth 2006-07
©Hiroshi Sugimoto Courtesy Gallery Koyanagi

杉本 最後に安藤さんに質問させていただきたいんですけれども、安藤さんが設計されたフォートワース美術館は、テキサスのど真ん中にどかんと大きなものができているんですが、あれ、使い勝手は比較的よくて、工費は50億ぐらいしかかかってない。あれと同じような規模の神戸の兵庫県立美術館、ほぼ同時期につくりましたよね。

安藤 250億。

杉本 そうすると、日本でつくると5倍の費用がかかる。スケールとしては同じぐらいなんじゃないですか。

安藤 神戸のほうがちょっと大きいですけれども、基本的には日本の建築費はアメリカの建築費の倍ぐらいかかる。

杉本 それはどこに消えていくわけですか。

安藤 日本の諸物価が高いというのがまずあります。もうひとつは、公共事業の工期がすごい長い。アメリカは半分ぐらいですね。

杉本 合理化できるところがいっぱいあると思いますが、何とかならないんですかね。

安藤 それは難しいですね。公共事業なものですから。だけど私たちは、もうちょっと無駄のない社会にしていかなければいけない。現実に文化というものをしっかりと受けとめて使っていかなければいけない。そういう意味では、もっと展覧会とか、運営をしていくほうに予算をかけなければならない。

私は20年も30年も前から言い続けているんですけれども、建築をつくる費用を半分減らして、100億なら50億を運営費にしませんかと。そう言うと、それは安藤さんの発言する部分ではない、予算の付け方が違うからできないと言われるわけです。これが日本の国の文化施設を非常にひ弱なものにしていると思います。

美術館というのはひとつの箱に過ぎないのであって、展覧会をするためには別の費用が要りますよね。ところが、そのお金が出ない。ここが日本の美術館のいちばん大きな課題です。

*2009年4月19日、国立国際美術館で、『杉本博司 歴史の歴史』展の関連イベントとして行われた対談を収録しました。

あんどう・ただお

1941年、大阪生まれ。独学で建築を学び、69年に安藤忠雄建築研究所を設立する。79年、「住吉の長屋」で日本建築学会賞を受賞。以後、アルヴァ・アアルト賞、プリツカー賞、国際建築家連盟ゴールドメダルなど数々の賞を受賞する。代表作は「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「フォートワース現代美術館」「地中美術館」「21_21 DESIGN SIGHT」など多数。東京オリンピック招致委員会理事として、環境に配慮した五輪構想を提唱する一方、阪神淡路大震災の被災地復興や、「瀬戸内オリーブ基金」「海の森」など、社会活動にも尽力する。イェール、コロンビア、ハーヴァード大学の客員教授を歴任。97年より東京大学教授を務め、05年、特別栄誉教授となる。著書に、作品集『安藤忠雄の建築』『建築家 安藤忠雄』など。サントリーミュージアム[天保山](大阪)にて『安藤忠雄建築展2009 対決。水の都 大阪VSベニス』展(7月12日まで)が開催されている。

サントリーミュージアム[天保山]
http://www.suntory.co.jp/culture/smt/gallery/index.html

すぎもと・ひろし

1948年、東京生まれ。70年、立教大学経済学部卒業後、ロサンゼルスのアート・センター・カレッジ・オブ・デザインで写真を学ぶ。74年より、ニューヨークに移住。作品制作のかたわら古美術の売買を行い、その後も収集を続ける。主なシリーズに、『ジオラマ』『海景』『劇場』『ポートレート』『蝋人形/恐怖の館』『陰翳礼讃』『建築』『観念の形』など。2001年、ハッセルブラッド国際写真賞受賞。06年の個展『杉本博司:時間の終わり』(森美術館、東京)は欧米を巡回し、09年、国立国際美術館(大阪)にて『歴史の歴史』展を開催。02年、瀬戸内海直島に護王神社を設計。08年には建築設計を行う「新素材研究所」を設立し、「IZU PHOTO MUSEUM」の内装を手がける(静岡、09年9月竣工予定)。写真集以外の著書に『苔のむすまで』『現な像』などがある。

杉本博司公式サイト
http://www.sugimotohiroshi.com/

プンタ・デラ・ドガーナ
15世紀に建てられたイタリア国有の歴史的建造物「海の税関」。フランソワ・ピノー氏のコレクションを展示する現代美術館とするために、安藤忠雄が改装を手がけた。

同館オープニング展『Mapping the Studio』
6.6-12.31 http://www.palazzograssi.it/index.php
キュレーター:アリソン・ジンジェラス フランチェスコ・ボナミ

ビエンナーレ開催時期に併せて行われるこけら落としのグループ展。ヴェネツィア島のパラッツォ・グラッシでも同時開催されるが、杉本博司の『Stylized Sculpture』はプンタ・デラ・ドガーナに展示される。

初出:『ART iT』 No,24 (Summer 2009)

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