33:絵描きと「贋金つくり」——会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(3)

前回はこちら


会田誠+21st Century Cardboard Guild「MONUMENT FOR NOTHING II」2008年− Courtesy Mizuma Art Gallery

激情と虚無との間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕は僕の孤独を殺すことは出来なかった。そんなにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のささやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。
————福永武彦『草の花』(*1)

森美術館での会田誠「天才でごめんなさい」展が会期を終えて一ヶ月以上が過ぎた。あれだけ周囲を騒がせた物議の数々も、まるで、なにもなかったように消えてしまったかのようだ。本展に次の巡回先はないし、会期中に浮かび上がったいくつかの問題が、主催者の手で生産的な舞台へと引き上げられることもなかった。公立施設の現状を見るかぎり、今後も開催がむずかしい会田誠の大規模な回顧展が開かれたことの意義は小さくない。けれども、この展覧会を通じて、日本の美術をめぐる「様々なる意匠」についての思索は、はたしてどれだけ深められただろうか。いつかまた、同じ問題の「忘却と反復」が、「悪い場所」に特有のあの素知らぬ鉄面皮を装って、別の変奏で繰り返されるだけなのではないか。

だからこそ、せめていま振り返っておきたいのは、今回の展覧会を通じて浮かび上がった会田誠という美術家の本質は、いったいなんだったのかということだろう。会期中、この作家をめぐる肯定的な意見として散見されたものに、「会田誠は聡明な作家である」という論調がある。見かけは「エロ・グロ・ロリ」で、なおかつ作家自身にも多少の同様な性向があったとしても、それらは意図的に選び取られた自己への省察の結果であり、そこに込められたアイロニカルな手つきは、対象を美醜で問わず理知的に形式化して扱うモダニストのそれにほかならない、とするものだ。

けれども、このような聞き分けのよい理解にこそ、実はもっとも警戒しなければならない誤謬が潜んでいる。一見しては正しそうに見えるし、またある程度まではそうなのだが、この作家の本質をひとたびこの一点に絞ってしまえば、会田の諸作は見る見るうちにやせ衰え、その「魅力」の大半を失ってしまうだろう。われわれは絵を首尾よく理解するために見るのではない。わけもなく「魅惑」されるから、せめて「理解」くらいはしたくなるのだ。しかし、先のような解釈は、会田の作品に接する糸口にこそなれ、魅惑の秘密を解き明かしてくれることはない。もし、それで済ませてしまうようなことがあれば、代償とするには重大すぎる損失だ。ならば、いっそ「理解」などしないほうがよい。

もっとも、そのような浅薄さに導く責任の一端は、作家自身にもある。たとえば、今回の展覧会でもっとも注目(悪名)を集めた作品に連作「犬」がある。四肢を切断された少女が四つん這いで微笑む、あれらの絵である。もしくは、地下鉄の構内にビルボードサイズで大々的に貼り出され、会田展の代名詞的な存在にもなった群像図「滝の絵」を挙げてもよい。いずれも代表作に数えられるものではあるだろう。にもかかわらず、これらの作品は会田のなかでは凡作か、もしくは平均以下の絵にすぎない。

なぜか。それは、これらの絵が「絵画」ではなく一種の絵解き、言い換えればコンセプチュアル・アートの図解の域を出ていないからだ。前者などは一見すると、作家が欲望の赴くまま、女性の人権を蹂躙しても我を張り追ったエロスの昇華に思えるかもしれない。けれども、その骨子にあるのは、近代以後、画家としてパリ画壇でもっとも華々しい成功を収めた藤田嗣治が、「日本画」と「洋画」の分裂を統合することで確立した独自の画風を、藤田の代名詞でもあった「乳白色の肌」を持つもうひとつの悪意ある裸婦像を通じて、価値転倒的に反復することにある。

また後者は、今に至る現代美術の革新者であるマルセル・デュシャンの遺作「(1)落下する水、(2)照明用ガスが与えられたとせよ」を想起させる。この「遺作」でデュシャンは、股を開いた女性の裸体を鑑賞者に穴から「覗き見」させることで、西洋美術史の裸婦像に秘められた、欲望充足の常態を顕在化してみせた。同様に会田は、絵のなかに描かれた「落下する水=滝」を通じて、鑑賞者にスクール水着の少女たちを「覗き見」する口実「さえも」、芸術の名のもとに担保してみせる。前者では藤田の「画風」が、後者ではデュシャンの「構想」が、現代の風俗へと見事に翻案されている。が、そのことを「理解」してしまえば、これらの絵の前に、それ以上留まる理由はない。会田がみずからを「コンセプチュアル・アーティスト」と呼ぶゆえんである。


会田誠「滝の絵」2007-2010年 アクリル絵具、キャンバス 439×272cm
撮影:福永一夫 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

たとえ労力的にはたいへんな時間と手間が掛けられていたとしても、いぜんこれらは、作家の頭のなかに浮かんだ概念の構図を、絵画という形式を通じてイラストレート(彼のことばでは「デザイン」)したものにすぎない。としたら、会期中、これらの作品について形式主義的に見ることができない者が、そこに人権蹂躙(過激さ)や欲望充足(物足りなさ)しか見出せなかったとしても、それは当然のことだろう。最初からこの絵は私的嗜好に基づいて描かれてはいない。別様に言えば、そのような「非難(=願望)」と先の形式主義的な「理解」は、これらの作品をめぐって、うまい具合に表裏をなす。いわば両者は共犯関係にあるのであって、そのように意見が割れることこそ、会田の思う壷というものだろう。が、そのような物議を醸す分裂が可能になるのも、本作が「難解な現代美術」とは違い、名目的には、誰にでもわかることになっている「絵」であるからにほかならない。

会田が持つこのような知略的な側面は、本人によって長くカモフラージュされてきた。なにしろ会田は、彼がデビューし、まだまだポストもの派の動きが目立った1990年代初頭に、あえて自分から「絵描き」を名乗った人物である。いったい誰が、彼のことをコンセプチュアル・アーティストなどと思うだろうか。しかも、この「偽装(シミュレーション)」は一貫していて、2010年にミヅマアートギャラリーで開かれた個展「絵バカ」などは、あきらかにこの流れを汲むものだろう。けれども、みずから時代錯誤的に「絵描き」と名乗り「絵バカ」と卑下するその態度そのものが、ロマン主義的アイロニーの産物であるのは言うまでもない。それは、死語となって久しい「絵描き」を想像的に回復することで「反動」となり、美術の現状(現代美術)に対して政治的に抵抗する姿勢を付置する(それ自体、現代的な)効果を持つ。

けれども、もっとも重要なのは、そのような知略の巧みさにもかかわらず、なお、それを会田誠という美術家の本質として見ないことだ。会田が、みずからを「絵描き」や「絵バカ」と称するのは、真の意味での絵描きや絵バカを、敬して遠ざけているからにちがいない。画家を偽装することで絵画から身を遠ざけ、そのことで絵画を描くことの尊厳をかろうじて保とうとする会田の幾重にも捩じれた本性は、その純粋な孤独の探求を、意外なところに結実させている。が、皮肉なことに、それらの作品は一連の作品群のなかにあって、しばしば「駄作」として片付けられている。実はそれこそが、会田が芸術家であることの権利を小声だが野太い発音で主張するゆえんだというのに。


会田誠「無題」2001年 街のゴミ、お花紙、シリコン・コーキング剤、ハンドバッグ、腰紐、赤ちゃんよだれかけ、卒塔婆、油性ニス、木材用水性防腐剤、木工用ボンド、ご飯、ラーメン、その他食品、クレオソート油、畳、その他 
270×450cm © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery


会田誠「?鬼」(「みんなといっしょ」シリーズより) 2003年 模造紙、油性マーカー、水彩絵具 150×110cm
撮影:木奥恵三 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

たとえば、「横浜トリエンナーレ2001」の出品作で言えば、話題となった「ジューサーミキサー」(2001年)よりも、すでに粗大ゴミとして捨てられ現存しない「無題」(2001年)の方が、遥かに純粋に絵画的なのである。あるいは、脳裏によぎる想念をできうるかぎり即席で紙に転写する連作「みんなといっしょ」も同様だろう(*2)。これらにおいては、会田は完膚なきまでにコンセプトを殺している。同様の試みは、映像作品であれば「上野パンタロン日記」(1990年)や「たいらっぴょう」(1995年)などでも試行されている。いずれも、画家は「いかにして理性を失いうるか」という一点に賭けられている点で、先の「無題」や「みんなといっしょ」と同じ次元で考えることができる作品だ。この延長線上に、本展でもっとも大きな意味を持ったのが、会場の出口に設けられた無為の集合制作/集合展示「モニュメント・フォー・ナッシングⅡ」(2008年~)であろう。私が本作の行方を、新たに手掛けられた複数の大作絵画よりも遥かに重要と考えるのは、そのためである。


会田誠「上野パンタロン日記」1990年 ビデオ 1分10秒 © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery


会田誠「たいらっぴょう」1995年 ビデオ © AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

もっとも、できうるかぎりコンセプトを捨てて描くという着想そのものが、作家がコンセプチュアル・アートに染まっていることの「後ろめたさ」から生じている。が、純粋な美術への「恩返し」から生まれる「無我」へと向かう境地にこそ、本当の会田誠は棲んでいる。そこには、実に観るべきものが多いのである。じじつ、本人もはっきり言っているではないか。「駄作の中にだけオレがいる」と。(了)

  1. 福永武彦『草の花』新潮文庫、1956年、235頁。

  2. この意味で、森美術館での展示で「みんなといっしょ」の大半を、現物ではなくコピーによる展示に置き換えたのは、展覧会構成上、大きな過失であった。会田自身のツイッターによると、壁に直接ピン留めという「コンセプト」に拘泥した結果だと言うが、あくまでノーコンセプトで着想を素早く紙に定着する本作に、現物以外の価値はない。奇しくも、会田誠という作家のなかで「コンセプト」と「絵バカ」が拮抗する様をあぶり出す展示になったとは言えるだろう。

※次回からは「再説・爆心地の芸術」シリーズが再開されます。

前回はこちら

連載 美術と時評 目次

Copyrighted Image