ジョーン・ジョナス インタビュー(5)


The Shape, the Scent, the Feel of Things, performance, Dia:Beacon, New York, 2005. Photo Paula Court. All images: Courtesy Wako Works of Art, Tokyo.

 

浮遊するイメージ、動かされる手
インタビュー / アンドリュー・マークル

 

ART iT 初めて日本に来たとき、まず音の違いが印象に残ったとおっしゃっていましたが、音の使い方はあなたの作品においても非常に重要な要素ですよね。

JJ あの頃の作品の音の使い方は、日本での体験に直接的な影響を受けています。帰国してすぐに「Jones Beach Piece」に取り掛かり、そこには能や歌舞伎の拍子木からの直接的な影響があります。この作品では、手を打つという動作によって、観客とパフォーマーとの距離が測られます。

幼い頃から音楽にはずっと強い関心があり、音もまた作品制作を通して展開してきたのです。現在は技術アシスタントやコンポーザーの助けを借りながら、サウンドトラックを制作、編集しています。まずは非常にミニマルな音を使うところからはじめ、徐々により複雑な音へと展開し、その後、コンポーザーとともに制作するようになりました。最初のミラー・パフォーマンスでは、事前に録音しておいたデヴィッド・アンティンの詩を一度だけ再生する以外には、まったく音を使いませんでした。

コンポーザーのアルヴィン・カランと作業した「Variations on a Scene」(1990)では、初期の屋外作品にあったたくさんのアイディアに再び取り組んでいます。そこでは、私が音を作り、彼が電子音楽を演奏しました。その他いくつかの作品では、打楽器で構成されたものをコンポーザーに依頼し、パフォーマンス中にライブ演奏ができるようにしました。

 

ART iT そうした音に対する感性が「Variations on a Scene」舞台全体のパフォーマンスを形作っていたのでしょうか。

JJ 音との関係性は常にあり、それはしばしばパフォーマーの動きにも影響します。作品を構築するために、音はいつも重要な要素になっています。サウンドトラックからはじめて、そこから逆に全体を制作していくこともあります。「Upside Down and Backwards」(1980)がそういう作品ですね。この作品も寓話に取り組んだ作品で、「The Juniper Tree」の後に制作しています。イメージがそうありうるように、音もまた物質的なものなのです。

 

ART iT インタビュー前半で、アビ・ヴァールブルクやH.D.の『エジプトのヘレン』といった文学の参照について触れましたが、北アイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーによる中世アイルランドの物語『Sweeney Astray[さ迷えるスウィーニー]』に基づく同名の作品も制作していますね。こうした作品の場合、テキストはどのように作品の残りの部分を作り上げていくのでしょうか。

JJ 「Sweeney Astray」や「Lines in the Sand」の場合、繰り返し何度も詩を読み、台本を作るための最も気に入った箇所を選び出します。とはいえ、台本はテキストのみで、そこから、テキストとの関係のもと、それ以外のすべてのパートを仕上げていかねばなりません。テキストは最初のレイヤーですね。
各作品に対して少しずつ異なるアプローチを取るのですが、装置を使うことが多いです。例えば、「Sweeney Astray」では、パフォーマーが演じるための、180センチ程の高さのガラスのテーブルを作成しました。これは呪いによって鳥に変身させられた王のための木を表しています。その後、この作品をアムステルダムをある劇団と発表するのですが、その前に、東ドイツ出身の役者といっしょにベルリンのKWで作品を発展させていきました。ちょうどクラウス・ビーゼンバッハがそこで働きはじめたところで、すばらしい中庭の空間を約一ヶ月提供してくれました。ガラスと木で作成したテーブルで、すごく繊細なものにもかかわらず、幸運なことに酷い出来事は一度も起こりませんでした。その後、骨組みを鉄製にし、ガラスを合わせました。すべての作品において、視覚的装置の構造とテキストの間を行きつ戻りつ、相互作用があるのです。

 

ART iT もちろん、詩や小説を読むときにはテキストに没頭するのですが、そういうときにもあらゆる連想や気散じが心に浮かぶことがありますよね。あなたの作品も読むことと生きることとが交差するような感覚を与えることがあると言えるのでしょうか。

JJ 私はそういう風には考えませんが、起こっているのはそういうことでしょう。「ダンテを読む[Reading Dante]」はその辺りに関係してますね。この作品はイタリア人にとって、ダンテがどれだけ重要かを考えると怖い作品でした。イタリアで発表するときは本当に神経質になりましたね。とはいえ、読むというプロセスや自由な連想に関する作品になってほしいと考えていました。これはあなたが言ったことに直接関係していますね。もちろん私はあなたのように言葉にしたり、まったく同じように考えていた訳ではありませんが、最初からこういうやり方で制作してきました。

 




Top: Lines in the Sand, installation, Queens Museum of Art, New York, 2003-04. Photo David Allison. Bottom: Reanimation, installation view, Wako Works of Art, Tokyo, 2013.

 

ART iT 構造の話に戻ります。アムステルダム市立美術館での回顧展だったと思いますが、その機会にあなたは過去のパフォーマンスを意識的に見直すことで、インスタレーションへと転換していきましたね。これはあなたの実践において、とても意識的な転換点ではなかったでしょうか。

JJ 回顧展が終わり、自分の作品についてそういう風に考えはじめましたね。それはパフォーマンスから自分がライブで演じない作品のアイディアへ、という非常に大きな変化でした。少し異なった空間の問題に取り組みはじめるということがとても面白そうだと感じましたし、今でも継続的に考えています。「物の形、香りと手触り」はもともとパフォーマンスでしたが、「Lines in the Sand」はもともとインスタレーションで、そこから展開して、パフォーマンスになりました。

 

ART iT 現在では、数多くの若手アーティストが、パフォーマンスのための空間にもなりうるインスタレーションや、インスタレーションを生み出すパフォーマンスに取り組んでいますが、こうした状況をどのように見ていますか。

JJ それは興味深いですね。観に行く時間が十分にありませんが、ほかのアーティストの作品や展覧会を見ることには興味があります。スタジオで集中しなければならないけれども、大規模で国際的な展覧会はできるだけ観に行くようにしています。私にとって、若い人々が考えていることに意識的でいることは大切なことです。さまざまな美術大学で知り合った若手アーティストの作品はその後も追っていますね。それは幸せなことです。

 

ART iT 彫刻の教育を受けていますが、現在やっていることも彫刻的、加法的作業だと考えていますか。

JJ ある意味ではそうでしょうね。彫刻家としてスタートしてから今まで、彫刻や空間、オブジェのアイディアをパフォーマンスやインスタレーションに持ち込んでいます。結果的には彫刻のことも考えているということでしょうね。とりわけ、小道具との関係ですが。たとえば、「リアニメーション」では、クリスタルを糸で吊ったオブジェの上にビデオプロジェクションを投影しています。こういうことに今は興味がありますね。

 

 


 

ジョーン・ジョナス|Joan Jonas

1936年ニューヨーク生まれ。映像を用いたパフォーマンス・アートの先駆的存在かつその歴史における最も重要なアーティストのひとりとして知られる。美術史と彫刻を学んだ後、60年代後半から70年代にかけて、鏡や衣装、小道具、ドローイング、映像などを組み合わせた実験的なパフォーマンスやインスタレーションを屋内外で発表。幅広いイメージの源泉から、さまざまな表現手段を用いて、独自の視覚言語を織り上げている。

これまでにニューヨーク近代美術館、バルセロナ現代美術館、レイナ・ソフィア国立現代美術館、テート・モダンをはじめとする世界各国の美術館で個展を開催、パフォーマンスを発表している。また、ドクメンタやヴェネツィア・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレなど、多数の企画展、国際展に参加している。日本国内では、CCA北九州やワコウ・ワークス・オブ・アートでの個展のほか、横浜ビエンナーレにも参加している。

 

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