ジョーン・ジョナス インタビュー(2)


Mirror Piece II, performance, Emanu-el YMHA, New York, 1970. Photo Peter Moore, courtesy Wako Works of Art, Tokyo.

 

浮遊するイメージ、動かされる手
インタビュー / アンドリュー・マークル

 

ART iT フェミニズム運動の話になりましたが、あなたは以前「Organic Honey」を性的かつセクシーなオルター・エゴだと述べています。私の第一印象では、あれは男性優位の大手メディアで流通する商品化された女性のイメージを再私有化するものだと思いました。

JJ おっしゃりたいことはわかります。私は作品の見方をコントロールしたいと思わないので、そのような解釈もあると思いますが、それは私の意図したものではありませんね。あの作品は演劇性とはなにかということを、ビデオを用いた制作を通して発見していくプロセスでした。そのプロセスはビデオというテクノロジーに深く関連しており、鏡の前に座るようにビデオの前に座って、私の外見、ひいては私自身のペルソナを変えていきます。衣装などを用意しながら、自分でありながら自分ではない何者かのペルソナを探究するというアイディアにのめり込んでいました。もちろん、どうイメージを構築するのかということも自分でコントロールしていました。

「Organic Honey」には、女性のアイデンティティ、女性らしさとはなにかを考えるという側面もありました。当時、人々は異なる言語における男性らしさ/女性らしさについて考え、それが何を意味するのかを問うていましたね。女性のイメージというようなものはあるのだろうか、そして、そうしたものはいわゆる女性によってもたらされるべきなのかといったことを私は問うていました。その頃私は、非常に”女性的”なイメージを持つジャック・スミスのフィルム作品やパフォーマンスを見て、いわゆる“女性的”なアイデンティティを構築することに関心を持っていました。このような問いがあって、それからこうした時期が終わりに差し掛かると、私たちの文化において女性が担う役割について引き続き考えながらも、それ以外のことも探究していくようになりました。

 

ART iT 実際には、「Organic Honey」は実験による直感的なプロセスから展開していったものだと考えていいのでしょうか。

JJ はい。最初はビデオだけで何もないところから始めたのです。ビデオというメディウムだけで制作することがラディカルだったんです。テレビの前に座って自分自身を見ること、自分のフィルム作品が自宅で制作できること、編集して、舞台化して、録音して、フィルム作品を作る。こうしたことが当時どういうことだったかなど、今では想像できないでしょうね。フィルム作品と呼ぶ理由は、当時の私はフィルム作品を見て、アンダーグラウンド・フィルムからの強い影響を受けていたからです。それは理論的なものではなく、文学、とりわけ詩的構造による考え方に基づいていました。また、音とイメージの関係性、そして同じく初期の映画作家によるモンタージュという考えに基づいていたのです。

 

ART iT 作品がどんな方向に向かうのかわからないといったことはありませんでしたか。

JJ いえ、方向性は確実にありました。私自身の身体や私が集めたオブジェ、参照物を使って制作を始め、また、フェミニズムの影響から、女性として制作すること、私はだれなのか、私とはなにか、そして、それがどういう意味を持つのかといった疑問が出発点となりました。ちょうどその頃に初めて日本を訪れ、ソニーのポータブルビデオカメラ「ポータパック」を手に入れました。能を観劇したことも非常に印象に残っています。それは必ずしも目に見える形で作品に存在しているわけではありませんが、それはまた別の影響として現れています。

 


Joan Jonas ‘Mirror Check’ 1970 from Kaldor Public Art Projects on Vimeo.

 

ART iT ミラー・パフォーマンス、鏡としてのビデオの使用によるものでしょうが、あなたの作品をナルシシズムとの関連で論じようとする人もいます。しかし、神道の神社の鏡は神々を表象しており、ほとんどナルシシズムを補完するもの、つまり自分と同一視できるような鏡ではありませんね。鏡の作品で体験したような、自身のイメージからの解離に類似するような要素はそのほかにもありましたか。

JJ そうですね、まずは私もイメージを解離したものとして捉えています。しかし、同時に私は当時のミニマリストのパフォーマーたちのある種アンチ・ナルシスティックな傾向にも呼応していました。彼らはマーサ・グレアムのようなダンサーに反発していましたね。私はナルシシズムという概念を問いたいと考えていたのです。神道の鏡の話は初めて知りましたが、先程言った日本滞在時に、神社の鏡に自分の顔が反射している写真を撮りました。おそらくまだ家に残っているでしょう。

それ以外にも初めて知って興味深いと感じたのは、能における鏡の間という考えです。鏡の間とは、演者が舞台に上がる前に役に入り込む部屋のことです。日本にはこのようにたくさんの鏡の参照がありますね。しかし、日本に初めて訪れる前から鏡を使った制作をはじめ、そこから鏡としてのビデオへと移行していったのです。

 

ART iT 過去に、いくつかの作品に対して「性的」という言葉を使っていますね。そのようなパフォーマンスの文脈では「性的」という言葉をどのように理解していたのでしょうか。

JJ 意識的に性的な作品を制作しようとは考えていませんでした。しかし、作品はエロティシズムの匂いを帯びていたと思います。それは私が取り組んだイメージやエロティシズムに対する感情、あの時代といったものが原因ではないでしょうか。当時は誰もこれをテーマにしていませんでしたが、私は自分自身の言語を進展させていくことに興味があったのです。キャロリー・シュネーマンの作品はむしろ性的なものだと言えますね。しかし、当時彼女はロンドンにいたので知りませんでした。ジャック・スミスの「フレーミング・クリーチャーズ」(1963)は一般的な意味で確かに性的です。表象のある種の限界に向けて性的なものを重視してみること、そして、イメージの豊かさ、色彩の可能性、テキスタイル、ある種の気怠さに関心を持っていたのです。

 

ART iT そのような性的なものが一連の動きやオブジェや空間への関与の仕方を示唆するようなことはありましたか。

JJ いいえ。それは必ずしも性的である必要はありませんが、「Organic Honey」に使ったレゲエがすごく良かったことは確かです。「今夜の 君は とても 美しい」といった歌詞ですが、それはただ本当に素晴らしいレゲエで、髪飾りや仮面、衣装を持ち出して踊り、楽しみました。これを性的だと呼べるかどうかわかりませんし、それはちょっと過剰反応と言えるかもしれません。音楽に合わせて踊る女性、これは自然なことでしょう。それは性的に思えるかもしれませんが、敢えてそうしようとは考えず、ああやって踊るのを楽しんでいたのです。

 

ART iT 同時にあなたはパフォーマンスという領域を解体してもいますよね。

JJ その通りですね。複数のことが同時に進行しています。構造や形式、ビデオというメディウム、鑑賞者が異なるリアリティを同時に見る方法に取り組み、そうしたことすべてが同時に起こる。そういうことを考えながらゆっくりと作品を作っていきました。

 

ジョーン・ジョナス インタビュー(3)

 

 


 

ジョーン・ジョナス|Joan Jonas

1936年ニューヨーク生まれ。映像を用いたパフォーマンス・アートの先駆的存在かつその歴史における最も重要なアーティストのひとりとして知られる。美術史と彫刻を学んだ後、60年代後半から70年代にかけて、鏡や衣装、小道具、ドローイング、映像などを組み合わせた実験的なパフォーマンスやインスタレーションを屋内外で発表。幅広いイメージの源泉から、さまざまな表現手段を用いて、独自の視覚言語を織り上げている。

これまでにニューヨーク近代美術館、バルセロナ現代美術館、レイナ・ソフィア国立現代美術館、テート・モダンをはじめとする世界各国の美術館で個展を開催、パフォーマンスを発表している。また、ドクメンタやヴェネツィア・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレなど、多数の企画展、国際展に参加している。日本国内では、CCA北九州やワコウ・ワークス・オブ・アートでの個展のほか、横浜ビエンナーレにも参加している。

 

ジョーン・ジョナス インタビュー
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