ジョーン・ジョナス インタビュー


The Shape, the Scent, the Feel of Things, performance, Dia:Beacon, New York, 2005. Photo Paula Court. All images: Courtesy Wako Works of Art, Tokyo.

 

浮遊するイメージ、動かされる手
インタビュー / アンドリュー・マークル

 

ART iT 1960年代の初期パフォーマンス作品から近年のマルチメディア・インスタレーションにいたるあなたの作品にはすべて、各作品がそれぞれ異なる要素を持つ一方で、ある種の物語の経験を伝達するという一貫したものがあります。例えば、2008年の横浜トリエンナーレで「物の形、香りと手触り[The Shape, the Scent, the Feel of Things]」(2004-05)を鑑賞した際、作品空間では気がつかなかったけれど、アビ・ヴァールブルクの1895年のアメリカ南西部旅行とメランコリアについて、なにかが掴めたような気がしました。あの作品では伝達すること、メッセージというアイディアに取り組んでいるように見えましたが、メッセージのようなものをやりとりするためのなにか異なる方法を見出そうとしていたのでしょうか。それとも、メッセージというアイディア自体を脱構築しようとしていたのでしょうか。

JJ あの作品ではメッセージというよりも、情報が視覚的な表現へと翻訳されることについて考えていました。あの場合、情報というのはヴァールブルクのテキストのことですね。とはいえ、彼のイメージを使って、その言い回しを説明することに興味があったわけではなくて、彼のテキストに刺激を受けた私の体験に基づく、私なりのイメージへと彼のテキストを翻訳することに興味がありました。
私自身も60年代後半にアメリカ南西部を訪れ、ホピ族のスネーク・ダンスを見ています。その経験から、彼のテキストには非常に個人的な繋がりを感じていて、その儀式に関する文章を見つけた時は本当に感動しました。そのようにしてこの作品ははじまりました。そう、私にはアメリカ南西部での経験に関する彼のエッセイと直接的な関係があったのです。

ですので、メッセージについて考えていたわけではありません。しかし、伝達という意味では、ヴァールブルクのテキストからの引用を使っているので、彼の言葉を聴いた鑑賞者がその言葉を理解したり、それとは異なるところで私がそれをどう翻訳し、解釈したのかを理解してくれるかもしれません。それは難しいことかもしれませんが……。とはいえ、鑑賞者にはそこに留まり、作品へと入り込んでもらいたいのです。ヴァールブルクの手法にはなにか非常に近しいものを感じました。異なる文化に対する物言い、イメージの印刷されたカードの収集と再配置、そうしたものが原因かもしれません。異文化間の美術史に対する彼の考え方がとても好きでした。

 

ART iT その意味で「物の形、香りと手触り」は、ヴァールブルクのアメリカ南西部への最初の旅から、彼の衰弱、そして私たちが生きている現在まで、複数の瞬間もしくは歴史をひとつに纏めている。それと同時にそのようなさまざまな瞬間と非常に繊細な繋がりも保持しています。

JJ はい、繋がっていますね。作者である私は作品に関する情報を持ちすぎていて、どうやってもあなたが経験したようにあの作品を経験することはできません。私にできるのは、ただ鑑賞者が理解してくれるのを願うだけなのです。あの作品はもともとアビ・ヴァールブルク役を演じる役者とのパフォーマンスで、同時に演じられたパフォーマンスやそのほかのあらゆるイメージを編集したものをインスタレーションに盛り込み、私がヴァールブルクの思考で最も象徴的だと感じるものや彼の作品に対する私の経験、ホピ族のスネーク・ダンスに対する私自身の経験など、背景となったいくつかのイメージを抜き出すことでパフォーマンスを脱構築しました。それはまた、ヴァールブルクへの関心の前からあった、動物や自然の精霊に対する興味とも繋がっています。

 




Both: Lines in the Sand, performance, documenta XI, Kassel, Germany, 2002. Photo Werner Maschmann.

 

ART iT 一方で、「砂の上の線[Lines in the Sand]」(2002)などは、歴史的、文学的参照と同時代の政治的文脈の間により直接的な線を引いていますね。当時であれば、合衆国が辿ったイラク侵攻という特定の状況ですね。

JJ そうですね。「砂の上の線」は同時期に起きていたこととまさに直接関係しています。そうした特定の状況が原因ではなく、別の理由で制作を始めましたが、その制作期間、その頃はヒルダ・ドゥーリトル[H.D.]の「エジプトのヘレン」を読んでいましたが、そのときに9.11が起きて、作品が当時の”アメリカ”と関係したことがどんどん明確になっていきました。

 

ART iT 過去に遡って、「Organic Honey」(1972)などの制作をはじめた70年代初頭や、風景にパフォーマンスを持ち込んだり、風景を振付けはじめた頃、同時代の社会状況はどのような影響をもたらしましたか。最初のフィルム作品「Wind」は1968年に制作されていますね。

JJ 68年頃には実際に起きたことだけでなく、確かにある種の空気がありました。6, 70年代のアートワールドは今とは全然違って、規模も小さく、マーケットやギャラリーの商業的側面にもそこまで関与していませんでした。もっと実験精神だとか、新しい概念や領域を探るようなところがあり、とてもオープンで業界も小さいからほとんどみんながお互いを知っていて、作品にほかのアーティストが参加するなど、相互作用みたいなものがもっとありました。もちろんこれは私たちの世代の視点から話しているので、おそらく今の若いアーティストも似たような状況かも知れませんね。私は古い世代ですので。

6, 70年代の別の側面としてはヴェトナム戦争が起こっていて、たくさんのアーティストが抗議運動を起こし、政治的な作品を制作していました。私の作品は直接的にそうした政治性に関わっているわけではありませんが、フェミニズム運動には直接的な影響を受けていました。当時のフェミニズム運動はあらゆる人々にとって政治的に重要なもので、誰もが話し、関与していました。1970年前後の私の作品はすべて、間接的にですがフェミニスト・ムーブメントに言及しています。ポリティカル・アートを制作することではなく、最初期から自分の作品が「現在」とどう関係するのかに興味がありました。ただ過去のものとなる作品は作りたくないですね。作品は現在との関係において存在すべきですから。

 

ジョーン・ジョナス インタビュー(2)

 

 


 

ジョーン・ジョナス|Joan Jonas

1936年ニューヨーク生まれ。映像を用いたパフォーマンス・アートの先駆的存在かつその歴史における最も重要なアーティストのひとりとして知られる。美術史と彫刻を学んだ後、60年代後半から70年代にかけて、鏡や衣装、小道具、ドローイング、映像などを組み合わせた実験的なパフォーマンスやインスタレーションを屋内外で発表。幅広いイメージの源泉から、さまざまな表現手段を用いて、独自の視覚言語を織り上げている。

これまでにニューヨーク近代美術館、バルセロナ現代美術館、レイナ・ソフィア国立現代美術館、テート・モダンをはじめとする世界各国の美術館で個展を開催、パフォーマンスを発表している。また、ドクメンタやヴェネツィア・ビエンナーレ、サンパウロ・ビエンナーレなど、多数の企画展、国際展に参加している。日本国内では、CCA北九州やワコウ・ワークス・オブ・アートでの個展のほか、横浜トリエンナーレにも参加している。

 

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