
5つの事柄についての永続的な調書
インタビュー/アンドリュー・マークル
IV. 倒錯
ART iT あなたの作品はしばしばパフォーマティブなものとして語られますが、それは作品がその時々において展開していくということと関係あるのでしょうか?
ダン・フォー(以下DV) さあ、そうなのでしょうか。私にはカテゴリーに縛られる必要性は感じられません。流動的な状態が好きです。ときには展覧会を開催して展示スペースに何かを置き、ときにはインタビューをし、ときにはリサーチに没頭する。ただひたすら何かをするということが好きで、計画を立てることはあんまりありません。
ART iT ヨーロッパでのあなたの作品の受け止め方はあなたのアイデンティティに基づいていると感じることはあるのでしょうか? それが作品の中のパフォーマンスに関わってくることはあるのでしょうか?
DV 否定するほどナイーブではありません。認識はしていますし、必要があれば使うこともあります。別にそのことを否定的に捉えてはいません。基本的に、事の次第の中に色んな機会を見出すことを心掛けています。目立つこともあれば周りに溶け込むこともあります。
私たちは救世軍ではないのです。私が直面するコミュニケーションの問題はきっと想像がつくと思います。誰かが「あれやこれを解説しないといけない」と言い、私は「いや、私たちは不足している情報を提供するためにここにいるのではない——あちこちの国に爆弾を落としたりした代償を私たちが払う必要はないはずだ」と答えます。全く馬鹿げた話です。

ART iT 制度側が自身の爆破の罪悪感を緩和させるために美術家に反戦の作品を作ってもらいたがるということでしょうか?
DV 爆破というより、歴史そのものです。アメリカのある有名な機関がシャンデリアの作品を購入したいと申し出たときには議論が白熱しました。シャンデリアは3つありました。最初に私が興味を惹かれたシャンデリア——1973年の報道写真に写っているシャンデリア[第1部参照]——はテーブルの真上に吊られていましたが、その周りにあと2つのシャンデリアがありました。3つの別々の作品として扱い、それぞれのシャンデリアを取り外した日時をタイトルにしました。タイトルはその作品が未来も過去も指していて、今存在するものでもあるのだという概念と関連しています。
当初、その機関は1つ目の大きなシャンデリアを購入したがっていましたが、私は反対しました。アメリカの大きな機関がこの「最重要」な作品を収蔵するということはどのような意味を持つか。それは私には歴史の中に再び統合されることを意味しているように思えましたが、作品がそのように動くのは間違っています。キュレーターたちとの相談を経て、周りに設置されていたシャンデリアをその大きな機関に置く方が非道徳的で倒錯的であるという意見がまとまりました。歴史への再統合ではなく、更なる緊張感と意味を作り出します。美術で歴史の埋め合わせをするのは安易なことです。私はその状況に反抗したいと考えています——私たちはもっと非道徳的かつ倒錯的であるべきだと思います。

ART iT この非道徳的な倒錯はあなたの全ての作品に見られるのでしょうか? あなたのお祖母さんのお墓の作品などでもそのような倒錯を取り入れる余地はあったのでしょうか?
DV はい。墓石の作品はかなり倒錯的だと思うのですが。でもただ単に倒錯的であるために作品を作っているわけではありません。作品には複数のレベルで機能してもらいたいのです。私自身だけでなく、家族全体にとって大事な人の墓石を作るときには、その墓石に個人的な機能と意味合いを持つ性質が加わるというだけのことです。
まずは母に墓石をデザインするようお願いしました。結局は彼女の母親なので(私が多少導いてはいましたが)彼女がデザインするべきだと思ったのです。墓石とは、人生の中で一番大事なものを描写するものであるべきだと母親に言いました。それを受けて、母はアジアではよく見られる、物を運ぶための天秤棒とその両端からぶら下がる籠とを再現することを提案しました。どうやら、祖母は終生ずっとそのようにして市場で物を売っていたそうです。でも、実施する上で問題がありました。私にはそのような物はどうやって作るのか分かりませんし、大体それを鋳造するべきなのかなんなのか——。これではちょっと奇抜すぎるのではないかと思いました。
このように、母が思いつく案はどれもあまりにも奇抜だったので、私が自分で考えなければならないという結論に達しました。最終的に作った墓石は、祖母がドイツに移住したときに受け取った物を展示空間の中に全部積み上げて作った彫刻作品を基にしています。祖母にとって非常に深い意味を持つこれらの物のレプリカを作ることにしました。例えば移民救援団体から支給された洗濯機、冷蔵庫、テレビ、カトリック教会からもらった十字架。単に既存の彫刻作品の前面を再現したのです。
家族には大変好評でした。「かわいそうに、きっとこれは本当に彼女が欲しかった全てのものでしょう」。祖母は最後はハンブルクのプロレタリアになりました。

ART iT デュシャンについて考えることはあるのでしょうか?
DV 色んな人が彼の話をしますが、私は自分の作品と結びつけられるほど彼の作品について知りません。
ART iT これらのオブジェを使うときにはもうレディメイドの概念は超えているのでしょうか?
DV 墓石を作ったときには、さあ、何かを自分の手で作るときが来た、と思っていたのですが、結局ただ単に自分の作品のコピーを作りました。色んなことがたまたま起こる、ただそれだけです。私はひとつの戦略として、自分の意志に反することをすることがあります。墓石の場合はレディメイドの物を作るのではなくて何かを作り、せめてその二つの違いを知りたいと思っていました。自分を前や後ろに押して枠に収まらないようにするのは私にとって大事なことです。枠に収まる必要などありません。
クンストハレ・バーゼルは私がどのようにして展覧会を構築するかの良い例だと思います。私は大きなスケールで考えずに、ひとつひとつの物事について次々と考えます。最初はシャンデリアから始めましたが、他にも何か同じ空間に展示したくて、それが墓石になりました。でもそうするとちょっと弁証法的すぎるのではないかと思いました。そこで、インドシナの宣教師たちの歴史を知っていたので、ベトナム戦争との弁証法的な関係を分断するために彼らを挿入しました。ベトナム人が宣教師を追う様子を表す要素を取り入れることによって、複雑な、交互に揺れ動く力関係を表したかったのです。
また、シャンデリアを美術館に引きずり込み、そして美術館の中でオブジェを作ってそれを墓地に引きずり出す、その二つの行為の間に生じる緊張関係(tension)と、これらの行為にどのような意味や働きが生じるか見てみたかったということもあります。色んな物がどのようにして生きているのかを検証していたとも言えるのかもしれません。
ART iT では、バーゼルでの展覧会を帝国主義体制や帝国主義が残す影響に対するステートメントと捉えるのは短絡的すぎるのでしょうか?
DV あの中では宣教師たちが物事をややこしくしていて、とてもうまく機能していたと思います。これはベトナム高原の先住民と関わりを持つようになった理由のひとつです。彼らもまたずっとベトナム人に追わている立場なので。抑圧はあらゆる位相で起こっています。ベトナムがフランス領にならなかったらカンボジアは存在することはありませんでした。ベトナム人も完全に帝国主義者だったのです。このような、私たちが認知すべきことはたくさんあります。抑圧のサイクルがずっと終わることなく続いている——私たちはきっとそれが好きなんでしょう。
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