ビジョイ・ジェイン インタビュー(3)

ものを建てる、関係を築く
インタビュー / 日埜直彦


8/29 The eighth day of the construction. Photo: Masumi Kawamura

NH あなたのプロジェクトの規模は次第に大きくなり、より広い社会的ひろがりを持つようになってきました。これまではクライアントと密接に関わり、量産品ではなく、あなたが選ぶ地域の素材を使用して建築してきましたが、規模の大きいプロジェクトはあなたのスタイルにとって試金石となるのではないでしょうか。

BJ 大丈夫ですよ。地域の素材なのか量産品なのかというところには興味がありません。繰り返しますが、量産品しか使えなくとも、私たちの感じ方や私たちの内に根本的にあるものをどれだけ表現できる余地を見つけられるかどうかなのです。創造力は大量生産にも伝統にも近代主義にも依存していません。そうしたものとは関係がないのです。ただ、何を表現するかだけがあり、そこに行けばなんとかなるでしょうし、なんとかするのです。東京国立近代美術館でも私たちは量産品であるベニヤ板などの素材を使用しました。それらをどこに、どのように、どんな組み合わせで使用するのかが重要です。あらゆること、あらゆる素材、あらゆるシステムに潜在力、建築的創造的潜在力を見出すこと。それはふるいのようなものです。現在、2,000平方メートルという私たちにとって大きなプロジェクトに取り組んでいます。ある意味では量産品だと言えるでしょうが、私にとっては違いなどありません。

NH つまり、その国やプロジェクトに関わらず、あなたは使えるものを使い、表現するのですね。とはいえ、おそらく大きなプロジェクトであればあるほど、よりシステマティックな働き方が重要になりませんか。

BJ それは構いません。自分の個人的な責任を放棄したり、すべてをシステムに組み込み、自身の表現の責任をシステムに負わせることが問題なのです。とはいえ、システムはそのようにできており、それがシステムの初期設定なのですが。


Left: 8/29 The eighth day of the construction. Bird Tree. Righ: 8/30 The ninth day of the construction Both: Photo: Masumi Kawamura

NH スタジオ・ムンバイにはたくさんの若いインド人建築家のインターンが所属していますか。

BJ インドのみならず、日本やそのほか世界中から建築家が研修に来ています。若くて優れた職人もたくさんいますよ。そのうち、東京にいっしょに来た3人の大工は、一番年下が27歳で、一番年上が30歳ぐらいです。彼らはみな本当に深いところまで技術を身につけています。木材だけではありません。真鍮やワックス、石膏、ベニヤ、ほかのどんな素材も使えます。木材というのは、非常に正確さを要する素材で、誰もが使えるわけではない難しい素材です。しかし、彼ら大工は、木材に必要な正確さを備えているので、ほかの素材にも対応できるのです。それが私たちが見出した彼らの可能性です。彼らの可能性を大工として扱うだけではありません。彼らはたまたま大工として訓練してきましたが、ほかの素材でも作業でき、色を塗ることも布を扱うことも、そうしたことすべてができるのです。
建築家のインターンの場合、そうした手作業の訓練を積んできたわけではないが、英語やそのほかの言語を話すことができる。ドローイングも描けます。これらは修得のプロセスです。建築の正規教育もまた貢献できるものを持っているのです。たとえば、Eメールで連絡をとること、これも彼らのシンプルな貢献のあり方です。そうして学んでいくのです。彼らは彼らの持つ能力で作業し、共同で働く人々とその能力を交換するのです。プロフェッショナルな職人は9歳か10歳くらいから修行をはじめ、二十歳頃には既に10年の経験を積みますが、二十歳まで一度ものこぎりを持ったことがない人がそれを身につけるには時間がかかってしまいます。しかし、写真を撮るということでも彼らは貢献できるのです。今回連れてきた3人の大工はカメラの使い方を知りませんので、これもまたシンプルな交換となるのです。

NH あなたは非常に柔軟でポジティブですね。最初、私はあなたが自分のためのコミューンのようなものを作っているのだと想像していたのですが、ここまで話してきて、あなたはさまざまな人々とともに働き、彼ら自身の表現を見つけているのだと理解しました。これはある意味で非常にシンプルなプロセスですね。

BJ そう、シンプルですが難しくもある。この難しさとは信頼することです。私は何年もかけて学ばなければなりませんでした。信頼とは試されることです。私たちはそこでくじけ、それがシステムに頼る理由になるのです。なぜならシステムは信頼の欠如をベースに機能するものですから。システムに反対するわけではないのです。信頼をシステムに組み込めれば、それをプロセスの一部にできます。システムには限界があることを知り、理解しなければいけません。誰にも限界があり、互いの限界を理解するところから信頼が生まれるのです。それがコントロールを手放すときです。共同体の各個人の限界を受け入れること、とはいえ、その限界をそのまま認めることはコントロールを放棄せねばならないということ。では、どうやったら人は信頼しはじめ、コントロールを手放すのでしょうか。私はそれをダンスや合気道だと考えています。日常的に、あるいは絶えず互いに順応しなければならない。そういう組織は常に変化し続けていくのです。

NH おっしゃることはわかりました。でもどうも伺った話はあまりにも一般論的にも聞こえてしまいます。そこで敢えてお聞きしたいのですが、そもそもなぜあなたは建築を選んだのですか。なぜとりわけ建築なのでしょう。

BJ 数学者、音楽家、医者になることもできたのではないかとよく思います。ただそれは直感的なものでした。無謀だったかもしれません。建築は簡単な職業ではありませんし。自然にそうなったのです。ほかのものでもありえたでしょう。ちょうど今日訪れた織工だったかもしれない。それもまったく同じことで、違いはありません。彼女はたまたま織工になりましたが、まったく同じことをしているのです。


8/30 The pavilions are almost complete. Photo: Masumi Kawamura

ART iT これまでに何度も建築を見にインドを訪れました。6、7世紀の建築は本当にすばらしいです。インドは特定の期間の非常に優れた建築の歴史を持ちながら、そのような建築と今日のインド社会はかけ離れているようにみえます。

BJ なるほど、しかし、小さな町や村では、私たちが条件付けられている美的なものと相容れないインフォーマルな建築があり、ちょうど寺社の屋根を鳥の翼のようだと大工の彼が認識したように、そうしたものの中にも未だに前進させるなにかがあるのではないでしょうか。れんがやモルタル、窓やドアの内にも彼らはそうした質を捉えることができるが、真っ当な建築とされるものはそうした質を失ってしまいました。殺菌されてしまった。何も残らない無菌状態にしてしまったのです。私たちはあのような感性を取り戻さねばなりません。みなが持っているのです。ただ時間とともに様々なものを手に入れるようになって見失ってしまっただけなのです。しかし、打つ手がないわけではありません。わずか三時間前に私たちは別世界、雨が降り、霧の立つ山の中にいて、そのすべてがすばらしかったのです。

ビジョイ・ジェイン インタビュー
ものを建てる、関係を築く

Part I | Part II|Part III
特別寄稿 スタジオ・ムンバイについて 文/日埜直彦

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