ニッポン国デザイン村:9

妄想芸術劇場

「露出投稿雑誌」というメディアがあるのを、ART iTを読むような方々はご存じだろうか。「露出」といっても写真の露出=exposureではなくて、「露出狂」の露出=exhibitionismの露出。つまり野外や公共の場所で、あられもない姿を晒し、それを撮影した画像によって構成される雑誌のことである。

そういう写真はほとんどの場合、プロのカメラマンとモデルではなく、シロウトが撮影者となり、モデルとなるのであって、そのリアリティが(クオリティではなく)読者の共感や興奮を呼ぶことは言うまでもない。

もともと写真とは裕福なアマチュアによって、おもに発展してきた珍しいメディアであり、その意味でシロウトの投稿作品によってつくられる写真雑誌は、つねに写真メディアの王道的存在だったと言える。日本でもすでに明治30〜40年代には『はなのかげ』というアマチュア・カメラマンの投稿写真誌が存在し、徳川慶喜など華族の作品がページを飾っていた。

日本の写真雑誌が大きな変化を遂げるのは1980年代であり、それは一眼レフなど高性能なカメラ機材が、中高生でも容易に購入できるようになった時代でもあった。1981年には新潮社から『FOCUS』、白夜書房から『写真時代』という対照的な、そして革新的な写真雑誌が世に出たが、それらはまだプロの写真家による作品によって、ほとんどすべてのページがつくられていた。

シロウトによる、しかも「露出系」に片寄ったセクシュアルな投稿によって一冊の写真雑誌がつくられるようになったのは、1984年の『投稿写真』(考友社出版、のちにサン出版)あたりからだと思われる。高部知子という未成年の清純派アイドルが、性交後のけだるさを漂わせつつベッドでタバコを一服、という「にゃんにゃん写真」が、当時の交際相手によって『FOCUS』編集部に持ち込まれ、大騒動となったのを記憶している方も多いだろう。あの記事が掲載されたのは1983年だったが、思えばあのころから80年代中期にかけて、写真週刊誌は硬派のジャーナリズムから、芸能を中心とする軟派のパパラッチ路線へと、急激に転換していったのではなかったか。

それはともかく、高部知子と『FOCUS』によって「にゃんにゃん」が性交をあらわす日本語として認知され、みずからのコンプレックスの代償のように巨大な望遠レンズで武装した“カメラ小僧”たちによる、アイドル・パンチラ写真が『投稿写真』をはじめとする各写真誌の誌面を飾るようになったのが80年代後半の「盗撮ブーム」期だとすると、90年代に入って投稿写真メディアはふたたび大きな転換点に突入する。それは、それまで隠すべき対象だった、だからこそ「盗撮」という概念が成立した個人的な性行為を、行為者みずからがメディアに投稿するという、画期的な転換であった。

90年代のデジカメの急激な普及と見事に歩調を合わせながら、80年代に創刊された投稿写真誌はどんどん内容を過激化させていったのだが、「こんなの普通の書店で売っていいんですか!」と驚くような写真が、雑誌どうし、投稿者どうしの競い合いのごとく毎号誌面を飾っていたいっぽうで、多くの投稿写真誌には後ろのほうの1〜2ページを「投稿イラスト」にさいていた。そしてほとんど気に留められることのない、添え物のような投稿イラスト・ページへの掲載をめざして、人知れず夜ごと画用紙や葉書に向かう「投稿職人」たちがいたのだった。

投稿写真誌のなかでも、その過激さで他を大きく引き離す『ニャン2倶楽部』という雑誌がある。白夜書房系列のコアマガジンから1990年に創刊された『ニャン2倶楽部』は(愛読者は「ニャンニャン」ではなく、親しみを込めて「ニャンツー」と呼ぶ)、その後『ニャン2倶楽部Z』『ニャン2倶楽部ライブWindowsDVD』『ニャン2倶楽部うぶモード』など、姉妹誌を10誌以上に増やしながら、多くの読者と投稿者の支持を受け、創刊20周年を超えた現在も継続中である。


左: 『ニャン2倶楽部』 右: 『ニャン2倶楽部Z』(共にコアマガジン発行)

『ニャン2』の投稿イラスト・ページを初めて見たのがいつごろなのか、記憶は定かでないが、ひとつの作品がほとんどの場合、名刺にも満たない小さなサイズで10数点から20点以上もびっしり並べられた誌面を見たときの、異様な印象はよく覚えている。たとえば夕刊紙の挿絵や、エロ漫画誌を飾るプロのイラストレーターとはまったく異なる、荒い、稚拙な、しかし恐るべきオブセッションとエネルギーにあふれた画面。それは名もない表現者たちによるアウトサイダー・アートであり、苦しいほどの妄想に苛まれる悪夢のパノラマだった。

今年から始まった『ニャン2』のインターネット版アーカイブというべきウェブマガジン『VOBO』で、僕は『ニャン2』の誌面をひっそり飾ってきた伝説的なイラスト投稿者たちを振りかえる連載を持たせてもらっている。

写真業界ではプロのほうがアマチュアより上とされているのだし、写真雑誌では作家の作品を載せるほうが、投稿作品より上だとされている。シロウトの投稿による、それもエロ写真誌という、業界的にはもっとも底辺に位置する(と認識されている)露出投稿誌で、いちばん後ろのほうにちょっとだけページをさいてもらっている投稿イラストは、いわば三重苦というか、カースト外に位置するような存在だ。

写真ならいくらでも焼き増しすればいいし、デジカメの時代となった現在ではデータを送ればそれで済む。でもイラストは、そうはいかない。時間をかけて、一枚ずつ”オリジナル”を描かなくてはならないのだが、この種の雑誌は投稿作品を返却しない。つまりせっかく描いた作品が、編集部に送ったまま失われるということである。

しかも投稿者のなかには作品の裏面に、ときにはびっしりと長文の解説というか物語を書き綴るものがいるのだが、投稿ページでは採用されたとしてもイラストが掲載されるだけで、文章まで載ることは基本的にあり得ない。そういうことを全部わかっていて、それでも創刊された1990年ごろから現在に至るまで、20年以上も作品を送り続ける投稿者がたくさんいるというのは、いったいどういうことだろう。

自分の作品が掲載されれば、掲載料が微々たるものであっても、それはうれしいだろうが(しかし掲載の喜びをだれと分かちあえるのか)、失われることがあらかじめ約束されていながら、作品を描きつづけ、送りつづけ、そして失いつづけること。僕らが考えるプロフェッショナルなアーティストとは180度異なる創作の世界に生きる表現者が、それもメディアの最底辺にこれだけ存在していること。それをいままでほとんどだれも認識せず(僕が知る範囲ではリリー・フランキーさんがいちど小規模な展覧会を企画し、エッセイに書いただけだ)、もちろん現代美術界からも、アウトサイダー・アート業界からも完全に無視され、投稿写真家たちからさえ「自分たちより変態なやつら」と蔑視されながら、いまも生きつづけ、描きつづけていること。

そういう彼らが描く作品世界とは、たとえばこういうものである——。



ぴんから体操
「ぴんから体操」は1992年から、幾度も作風を変えながら投稿を続けるベテランである。特に90年代後半の、黒ペンによる点描のグロテスク・リアリズム、そしてみずからが「ぬるぴょん」と名づけた、不思議な物体が画面を覆う2001年ごろからの「ぬるぴょん期」の作品には、最上のアウトサイダー・アーティストにしか到達できない、妄想の強度がある。


MR.スパーク
やはり1990年のニャン2創刊時代から、およそ10年近くにわたってハイ・レベルの作品を投稿しつづけてきた初期の重要人物が「MR.スパーク」。完璧なテクニックに裏打ちされた、昭和の時代感覚を前面に表出した画面構成。エロ・イラストと言うよりも「艶笑漫画」、あるいは「きいちのぬりえ」のオトナ版と呼んでみたい、そんな古風なテイストがどの作品にも色濃く漂っている。



政尾早和惠
政尾早和惠は90年代初期の投稿ページでは欠かせない存在だった。94年ごろになって突然、投稿をストップ。そしてほとんど10年ぶり近い2002年ごろになって、また本格的な投稿が始まっている。印刷物のなかに見つけた少女の画像をトレースすることで、独自の妄想大宇宙を作りあげたヘンリー・ダーガーのように、政尾早和惠の少女たちは笑っていても、泣いていても苦しんでいても、どこか表情が乏しくプラスティックで、それが画面に独特の「絵画性」とも言える独創的な魅力を付加しているようだ。


アポロ
「アポロ」がニャン2倶楽部の誌面に初登場するのは1993年。掲載された作品は単色のラフなスケッチだったが、それから数年のうちにめきめきと腕を上げ、現在にいたるまで投稿を続けている、大ベテランのひとりである。アポロの作品の楽しさは、ひとコマ漫画ふうのテイストにあるのだが、最近ではそのユーモラスな作品世界から一歩進んで、キュビズム時代のピカソまでをパロディにした大胆なシリーズに挑戦している。

ウェブマガジン『VOBO』での連載『妄想芸術劇場』はいまも毎週火曜日更新で進行中である。過去の記事もすべて読めるようになっているので、その破壊力にぜひとも打ちのめされていただきたい。



左上: アポロ. 左下: 政尾早和惠. 右上: MR.スパーク. 右下: ぴんから体操.

http://vobo.jp/

(今回掲載された作品は、すべて上記サイトからの転載です。協力:株式会社コアマガジン ニャン2倶楽部編集部)

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