シャノン・エブナー: 思考方法としての写真

ジュディ・アニア


The electric comma (A language of exposures) (2011), 28 type-C photographs, 345.4 x 718.8 cm overall. All images: Courtesy Shannon Ebner; Wallspace Gallery, New York.

ロサンゼルス在住の作家シャノン・エブナーは写真を言語ツールとして用いる。彼女の実践には写真に関する知識が深く染み込んでいる。「写真史を考えたとき、サインを撮影してきた写真の歴史がある。それはアジェやルシェ、エヴァンスやクルーガーやホルツァー、ショアやフリードランダー、さらにはマン・レイを挙げることができる写真の歴史」(1)に自分が属しているだろうと彼女自身は認識している。言葉の持つ力に対するエブナーの理解は、ひとつには1990年代のニューヨークで行われたアメリカの詩人アイリーン・マイルスとのコラボレーションやフランシス・ポンジュのような詩人への興味によってもたらされている。また、演説の力を重んじ、その最も洗練された形においては優雅な欺瞞とさえ言えるほどの単純明快さが鍵となるアメリカ、そこにおける比類なき動的なスポークン・ワーズの伝統が生む空気感にも由来するのだろう。エブナーの写真におけるイメージと言葉の混合は、イェール大学の大学院課程を終え、ロサンゼルスへと引っ越した2000年代に現れはじめる。彼女の最初の主要シリーズである『Dead Democracy Letters』は、10年以上の思考の末に2005年のニューヨークのギャラリー、ウォールスペースでの発表の際に完全な形となって現れたように思える。

『Dead Democracy Letters』(2002–06)は当時のアメリカ社会をはっきりと指差して、2001年9月11日以来、この国を取り巻く無関心かつ被害妄想的な政治状況へと観者を突き放した。論争を起こす一方で、この作品は広範に視覚史を活用している。エブナーは段ボールで作った文字を南カリフォルニアの風景に埋め込み、間違ったハリウッドサインを連想させた。ラ・ブレア・タールピットや太平洋を見渡せる崖のある郊外、ジョシュア・ツリーのような砂漠地帯といった多様な都市環境を行き来して、不可避的に氷結を伴う写真の特質が偽りであることを示すイメージを用いて言葉を作り上げる。彼女の思考と画像制作の流動性はロバート・フランクの『アメリカ人』(1958)のザラザラした白と黒のリアリズムやエド・ルシェの無味乾燥な言葉遊びの間の不調和を反映している。エブナーは最終的に段ボールの文字を折り畳み、足の付いたひつぎのような形をした箱に収め、人気のない路上に置かれたその陰気なオブジェを撮影する。そうして作られた「Sculptures involuntaires」(2006)はブラッサイへのオマージュであると同時にほかの作家との関係性も伺える。


Top: USA (2003), type-C photograph, approx 81 x 103 cm. Bottom: Sculptures involuntaires (2006), type-C photograph, approx 122 x 156.5 cm

エブナーは2008年に軽量コンクリートブロックを用いて言葉を作って、それを撮影した。たいていの場合は巨大なペグボードに設置して、文字通りコンクリート・ポエトリーを制作し、ファウンドオブジェクトの概念を拡張した。一般的に壁や安い住宅を建てるためのブロックを使用するため、近年アメリカが突入した戦争や中東に建てられた壁についての継続的考察におけるメタファーとしての意味が拡大される。この作品は遠くからは罫線の引かれた巨大なノートのように見え、その言葉は初期のコンピュータの字体で印刷されているようである。回文を含んだ「Strike」(2008)や、ロサンゼルス・カウンティ美術館から出版された『The Sun as Error』(2009)には、現代社会に言及している不安定な意識の流れによって文字が綴られている。黄金に輝く画像もまたエラーを意味するコンピュータコードのアステリスクであり、エブナーが作ったり、見つけたりした崩れかけのサインや予期せぬ光景がその本に詰まっている。彼女の作品には単なる教訓を超えた辛辣なウィットや移り気なところがある。その大型ながら薄手の本はデザイナーユニットのデクスター・シニスターとともに制作し、いくぶんレトロな雰囲気で、興味を引くような言葉や場所、入り口や出口のサインに使われる人物のグレースケールのイメージが描き込まれている。「この本をより開かれた作品にしたかった」(2)と彼女は話しており、70年代にマサチューセッツ工科大学出版に務めていたムリエル・クーパーという先見の明のあるデザインディレクターに対する恩義も認めている。なぜなら、『The Sun as Error』に再配置の記号として何度も現れるアステリスク記号を作り出したのが彼なのである。

アステリスクは2009年にウォールスペースで行われた個展に再び現れている。そこで展示されたほとんどすべての写真がアグネス・マーティンのミニマリズム、もしくはブライス・マーデンの抽象に近づいていた。普段と同様に大きさの異なるさまざまな作品があり、制作されたものもファウンドオブジェクトも彫刻的要素を帯びていて、すべてがこの世界の事物を暗示していた。このとき、エブナーは「表象の問題から抜け出す方法を探していますが、表象の世界から完全に立ち去りたいというわけではありません。描写されたイメージが機能するための新たなシステムや考え方、あるいはその方法のモデルを編み出すことにより、単により多くを求めることで描写されたイメージの世界にどうにかして留まり続けようとしています」(3)と語っている。インクブロットが不穏な暴風のように見えるかもしれないし、汚れた窓を通して見る雲はロマンチックに見えるかもしれない。同様に、空白のグリッドが私たちに意味を埋めるよう求めてくる。


Strike/ (2008), 540 chromogenic prints, aluminum, wood, approx 381 x 394 cm

今年のヴェネツィア・ビエンナーレの企画展に出品される「The electric comma (A language of exposures)」(2011)では文字の形や音を用いる予定で、4つの謎のオブジェクト(そのうちふたつはファウンドオブジェクトで、あとのふたつは制作したもの)とふたつの太陽(もしくは誤植か、または単なるアステリスクか?)と3つのバックスラッシュで構成される。

常に私たち自身が知っていると思い込んでいることを利用して、それを私たちがまったく知らないであろうことへと引き延ばす仕掛けが存在する。これこそがエブナーの作品の魅力的なところである。彼女はイメージを使おうが言葉を使おうが、またはその両方を使おうが、想像力に揺さぶりをかけてくる。写真という技法は、平面であると同時に想像上の世界でもあり、現実およびそれとほとんど関係のない事物の両方の印画であり得るという奇妙な特性により、エブナーの作品がもたらす混乱に加担する。言葉とイメージとの遊び心に満ちた突き合わせの中で彼女が言わんとしているのは、極めて真剣なことなのである。

(1) アーサー・オウ&シャノン・エブナー, NPD no. 3, 2006, p. 3
(2) シャノン・エブナー, “500 words”, Artforum.com, March 5, 2009
(3) アーティストステイトメント, シャノン・エブナー, “Invisible language workshop”, Wallspace, New York, 2009

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