艾未未・缼席 文/牧陽一

艾未未・缼席
文/牧陽一


全て: 台湾台北市立美術館『艾未未・缼席』(2011–12) 展示風景 写真:牧陽一

今回は艾未未が1980年代の状況について語っているものを選んだ。北京798の「ユーレンス現代美術センター」を新植民地主義と言い切っていて、実に爽快だ。全くだ、798も嫌な場所になった。「85美術運動」も臭気のぷんぷんする時代と言い放っていて小気味がいい。過去を否定して初めて未来も見出せる。最後の「中国人は文化そのものに対して本当の認識がなく、文化は権力の言説であり、尊厳を得るチャンスぐらいにしか考えてはいない、これは文化を侮蔑するやり方だ」に引っかかった。というのは、先日閉幕した『艾未未・缼席』展をめぐる問題を思い起こさせたからである。
2011年10月29日から2012年1月29日、台湾台北市立美術館で『艾未未・缼席』展が開催された。行動を制限されている艾未未本人が美術展に出られないで「缼席」にさせられた展覧会だ。

筆者は1月18日、同展を見に台北へ向かった。一つは11月25日の台湾総統馬英九の『艾未未・缼席』展参観と演説が気になっていた。中国共産党との関係回復と同時に大陸の六四天安門事件の解明、人権問題には確固たる態度を表明していくという主張だったと思う。1月14日には総統選挙を控えていた。馬英九は艾未未展を利用して民主化は外せないという態度を見せて、民進党寄りの浮動票を獲得しようとしたのではないか。結果わずかな差で民進党の蔡英文に勝利し再選された。大体美術館が総統に演説させるというのはどういうことなのか、台北市立美術館の学芸員Yさんに訊いてみたが、「総統が美術展を参観することは珍しくない。艾未未展が特別なのではない」といい、政治的に利用されたことを認めようとはしなかった。この時期に艾未未の展覧会をすることも特別意図したわけではなく、2009年、森美術館での『何に因って?』展で相談して決めて以来、予定通りのことだという。

その後、2月16日から21日、北京市長郭金龍ら500人の訪問を台湾側は大歓迎で受け入れている。2月16日、艾未未が台北市立美術館の『缼席』展カタログ製作を拒否した。当初艾未未はこの北京市長の台湾訪問に抗議したものと報道されたが、台北市立美術館の同展に対するやり方が気に入らなかったのだという。まず開幕式には市長ほか関係者が出席しない、(無理だと解っていたとしても)艾未未本人を招聘しようとしなかった、報道関係者他への宣伝に努めなかった、といった「自粛」に問題があるという。こうした自粛は馬英九講演と全く矛盾するではないか。つまり美術館自体が確固とした態度を持たなかったことに艾未未は抗議しているのだろう。これは正に「文化は権力の言説であり、尊厳を得るチャンスぐらいにしか考えてはいない」政治家に迎合する「文化を侮蔑する」態度と見なされても仕方がない。

筆者はゴディバのチョコを持って2日後また美術館のYさんを尋ねた。市民の反応を聞きたかったのだが「そんなに聞きたければ、勝手に観客に聞け」という。二人連れの若い男性に聞いたが「大陸と商売しているから来た。艾未未のことはよく知っている。四川大地震犠牲者の名簿をつくっていて、警察に暴行を受けたのも、拘留されたのも知っている。土器にコカコーラと落書きした作品が好きだね」と言っていた。館内作品の撮影を禁じているので十二支の前では記念撮影をする人が絶えなかった。お父さんが子供を抱き上げて「虎」の前で撮影している。多分子供は1歳ぐらいだ。みんな自分の干支の前で写真を撮っている。2011年5月のニューヨーク・セントラルパークではあまりなかった光景だろう。艾未未も見たかっただろうなと思った。「永久」印の自転車を1200台使った作品も迫力があったが、その日当たりのいい場所に大理石でできた子供の車の玩具がぽつんと置いてある、その光景が永久であることへの祈りのようだった。

艾未未のことば 3 臭気ただよう時代

Copyrighted Image