ペドロ・レイエス:パズル  文/オクタビオ・ザヤ

ペドロ・レイエス:パズル
文/オクタビオ・ザヤ


Installation view of Mutantes (Mutants, 2012) at LABOR, Mexico City. All images: Courtesy Pedro Reyes and LABOR, Mexico City.

メキシコのギャラリー、レイバーの新スペースは、メキシコシティ出身で、アート、映画、建築、デザイン、社会批評、教育学を横断する作品制作を行なうペドロ・レイエス (1972生まれ)の個展で幕を明けた。建築家として教育を受けたレイエスは、しばしばスケールや空間の問題を重点的に扱うが、その一方で、個人や集団の相互作用や省察という誘因を通じて、切迫した社会問題に疑問を投げかける。彼の作品のごく一部は実際の建物の実践として位置づけられるが、大抵の作品は、オブジェや模型、内装、社会空間といったなんらかの建築構造を扱っている。
また、日常的なユーモアやコミュニケーション、教育の領域で発展してきた戦略を活用し、観客を引き込む。レイエスは、2000年代初頭にパフォーマンスやビデオ作品で知られるようになるが、2001年から2009年の間に制作された「capula」シリーズに見られるように、それ以降の作品は、より彫刻的で建築的な性質も帯びてくる。代表作のひとつである「Shovels from Pistols」(2008)では、メキシコで最も危険な都市のひとつ、クリアカンに住む人々から公募を通じて1527丁の銃を集め、それらを再利用してシャベルを作り、そのシャベルを使って世界中の都市に同じ数の樹木を植えている。また、おそらくART iTの読者も知っているだろう代表作「Baby Marx」(2008)は、世界中で展示されている作品である。テレビ用人形劇「Baby Marx」では、カール・マルクスやアダム・スミスらが子どもとして設定され、彼らの眼を通して、楽しげに、かつ効果的に資本主義経済や社会主義経済のシステムを扱っている。

今回のレイバーでのレイエスの個展『Rompecabezas (謎解き) 』では、文化人類学的な分類法を物語構成におけるアーキテクチャと組み合わせた作品が発表されている。広々とした新しいギャラリーのメインの部屋に入ると、鑑賞者は三種類の新作に出会う。それらの新作は、さまざまな物語を含む多角的な要素や、パズルのように組み立てたり、解いたりして完成させる配置や形態を特徴としている。多翼祭壇画の「Mutantes (突然変異体) 」は、古代神話や近代神話の登場人物が描かれた170枚の集合から成り、神話の由来が周期表のように縦横両軸により体系化され、動物や事物が男性や女性と組み合わされている。そこにはレイエスが「人間の想像力という不合理な産物のための合理的な枠組み」と言い表すものがある。さらにレイエスは以下のようにも述べている。「物質や動物といった要素が中央の列に並び、一列上に女性が、その上の列にはそれらを掛け合わせたものが並ぶ。例えば、猫と女性から 『キャットウーマン』が創造されている。同じように、一列下は男性が並び、その下の列には中央の要素と男性が融合したものが並んでいる。例えば、石と男性で『ザ・シング』(『ファンタスティック・フォー』の登場人物)”があるといったように。ほかにも、魚と女性から人魚、雄牛と男性からミノタウロスなどが上下に並列している。面白いのは、最終的にポップカルチャーと古代神話の登場人物が併置されることによって、宗教的なアイコンとコミックブックのキャラクターの類似性があることがわかる。このようなすべての‘変異体’は、動物や事物のある性質を抽出し、その力によって我々が力を獲得したいという欲望に近いものを露にしている」。もちろん、このプロジェクトは無限に継続可能であるために、ピカソやダヴィンチの発言である「芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ」という言葉に従うのだが、それは「Cómo perderle el miedo a la Pintura」(どのように描くことの恐怖を克服するか)の背後にある決意と強烈な対照を生み出している。


Left: Detail from Mutantes. Right: Pico della Mirandola (2012).

「Cómo perderle el miedo a la Pintura」は、アンドレ・マルローの『空想美術館』から一般にも知られた非常に古典的なアメリカの先住民彫刻やアフリカ彫刻の写真を模した20点のイメージで構成されている。ギャラリーの壁に固定された長い棚の上に展示され、それら20点の画像は、それぞれが異なる変容を余儀なくされている。まず、レイエスはこれらのをあたかも「フラットな彫刻」であるかのように扱っている。実際のところ、これらの彫像からは奥行きという次元が失われているが、最終的な彫刻群でひとつの作品全体を表現することを、置換や再配置といった操作によって奥行きを取り戻している。レイエスにとって、重要なのは絵具を使うことではなく、いかなるメディアを選ぼうが、ひとつのイメージを創ることにあるのである。「そういう訳で、ギルバート&ジョージが彼らの作品を絵画ではなく画像と呼んでいるのが気に入っている。ひとつの画像はなにか「自己完結した宇宙」である。それぞれの彫像–イメージは、拡大縮小、反復、レイヤリング、切断、再配置などさまざまな方法を経た実験結果だ。大抵の場合は、空間の変化もしくは4つの次元(線、面、量、時間)のうちのひとつを扱っている。だからたとえその実験結果が平面だったとしても、それは三次元の事物が既に変化した、もしくは変化する可能性のある平面のイメージなのだ。時間はあるが、質量がないものがあり、ディスコボロスのように触れられるものがあり、顔を覆っているものや露出しているものがある。ロールシャッハテストのプリントが重ねられたもの、これもまた二次元だが、このインクブロットのプリントも空間的な所作から生産されています。紙を折ったり、開いたりと…。」

次の部屋へ移動する前に見逃せないのが、この展覧会における主要な彫刻作品「Pico della Mirandola」である。この作品名はイタリア・ルネサンス期の有名な哲学者ピコ・デラ・ミランドラに由来している。ピコは23歳にして台頭する新参者達に対抗して宗教、哲学、自然哲学、魔術に関する900本もの論文、「ルネサンス宣言」としても知られる『人間の尊厳について』(1486)を執筆している。レイエスは自身の彫刻-肖像画は、人間の概念を明確に記したピコの書物の次の一節に基づいているのだと述べている。「あらゆる創造物は完成された世界に組み込まれている。ただし、人間だけは違い、未完成のままに残されている。それ故に、自分の望み通りのものへと生まれ変わることが出来る。動物のようにになりたければ動物に、天使のようにになりたければ天使のようになることも可能なのである。人間にはいかなる固有な形態も機能も始めから決めらているわけではない」。この主張に従い、レイエスは火山石の彫刻に孔を穿ち、鑑賞者がそこに別の石製の目、鼻、毛、口、そのほかの身体の部分を挿入するように誘う。こうして、この彫刻もまた、人々の関与や作用によって絶え間なく形を変えるパズルのようなものとなる。「この彫刻の素材に石を選び、さまざまな様式の彫刻の顔を参照した。例えば、ある口の部位にはアメリカ先住民彫刻の様式、なにかアステカの彫像に見られるようなものを、別の口はルネサンス期のヨーロッパ美術に見られるものに似ている。目も鼻も耳も同様に何かに似ているものだ。非常に原始的ではあるが、鑑賞者が触れ、それにより相互に作用し合うことが出来る。大抵の石像彫刻では許されていないことがここでは出来るのだ」とレイエスは説明している。


Top: mano-sillas (hand-chairs, 2012). Bottom: Installation view of The Museum Of Hypothetical Lifetimes (2012) at LABOR, Mexico City.

同じくこのメインの大きな部屋に配置された「mano-sillas(手の椅子)」の一群も無視できない。この作品群はレイエスがかつて探求していた彫刻とデザインの交点における新しい展開のようである。今回は、レイエスがペドロ・フリードバーグの椅子の有名なデザインを流用することで、双方向的なもの、そしておそらくコミュニケーションのひとつのツールとして展開している。左手と右手の各セットは、可動可能な指関節を備えているので、使用者がさまざまなジェスチャーを作ったり、非音声的言語の形態や関連を探ることができる。

デザインは、二番目の部屋を占める「The Museum Of Hypothetical Lifetimes(仮定的人生の美術館)」においても物語装置として用いられている。これまで見てきたように、そのほかのレイエスの作品が行為やなんらかの相互作用を引き起こす一方で、この作品ではそうした行為自体が制作を助け、作品に意味を付与している。この作品は[サナトリウム]の一部として、2011年夏に、グッゲンハイム美術館の 『スティルスポッティング』プログラムのプロジェクトとしてブルックリンで発表した。現在開催中のドクメンタ13のカールスアウエの庭園にも別バージョンが設置されている。この「The Museum of Hypothetical Lifetimes」は、ある人物の人生におけるさまざまな瞬間に関連した展示室や廊下を含む間取り図の縮尺模型である。その模型の向こう側の壁には、巨大なガラスの陳列ケースがあり、見ているひとが、自分自身の人生の歴史、自分自身に対して持っている考え、自分自身の潜在力もしくは欲望といったあらゆるものと関連づけて考えられるような小さきものの膨大なコレクションを展示している。これらは外部世界および我々が想像する内部世界で出会うすべての無生物と生物の出来うる限り完璧な標本を表している。木々、植物、石、大理石、モザイク状のもの、野生動物、家畜、いろいろな行為に従事する平凡な女性や男性、多様な文化に由来する宗教的なもの、兵士、おとぎ話の登場人物、家、橋、船、乗り物など。この作品の参加者は、このコレクションからさまざまな意味を含むミニチュアのオブジェを選ぶことができて、それらを生から死へと体系化されている模型の各部屋に配置していく。学校、仕事、人間関係などが各展示室のテーマとなり、選ばれたオブジェが展示され、ひとつの美術館を作り出す。それは参加者自身の存在の回顧展であると同時に将来的な展覧会を見せる美術館である。

現在に至る経歴のこうした作品において、レイエスは形式の追求と理解を行ったり来たりしている。それらは彼が継続的に行なっている日常生活や文化との対話や、物質、構造、形式、外見に隠された意味によって引き起こされるのである。

オクタビオ・ザヤ
キュレーター、エディター、ライター。1978年より現在までニューヨーク在住。
現在はカスティーリャ・ レオン現代美術館[MUSAC](レオン、スペイン)のキュレーター、セントロ・アトランティコ・デ・アルテ・モデルノ[CAAM](ラス・パルマス、スペイン)のゲスト・キュレーター及び同美術館が発行するバイリンガル季刊誌「Atlántica」のディレクターを務める。そのほか、「Perfoma」(ニューヨーク)の顧問委員会のメンバーであり、「Nka Journal of Contemporary African Art」の編集委員、「Flash Art」の編集を務め、e-flux「Agenda」への執筆も行なう。これまでに、ドクメンタ11(カッセル、2002)のオクウィ・エンヴェゾーのキュレトリアル・チーム、第1回、第2回のヨハネスブルク・ビエンナーレ(1995, 97)でキュレーターを務めている。国際的な美術館での企画展や著作、カタログへの執筆も多数。

第18号 ドクメンタ13

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