アートの支援者たち:資生堂

新たな美を創り続ける場

常に時代を先取りした新しい美のイメージを創り続けてきた資生堂。日本におけるメセナ活動の先駆けとして、日本の現代美術史の一端を担ってきた企業である。活動の中心である資生堂ギャラリーの歴史から、資生堂のメセナ活動の原点を探る。

取材・文:編集部

資生堂ギャラリーの歴史

1919年、銀座に開廊した資生堂ギャラリーは、現存する国内ギャラリーの中で最も古い歴史を持つ。初代社長であり、写真家でもあった福原信三の「若手作家たちに無償で場所を提供し、世に出る機会を与えたい」という設立の趣旨を踏まえ、長く貸し画廊というスタイルが保持された。その一方で、47年に始まって現在まで続くグループ展『椿会展』、同時代の工芸作家を紹介する『現代工藝展』(75年〜95年)などの自主企画展も開催してきている。75年には、写真やファッションなどのサブカルチャーを取り上げるザ・ギンザ・アートホール(後にザ・ギンザ・アートスペースに改称、2000年まで)を開設、さらに、『椿会展』と『現代工藝展』の出品作を含むコレクションを保存・展示する資生堂アートハウス(78年〜、掛川市)が設立され、文化支援の活動範囲が広げられていった。  

原点回帰

そうした流れの中、90年に企業文化部が設置され、資生堂ギャラリーが宣伝部から移管されたことを契機に、ギャラリー運営の方針について徹底した見直しが図られた。  

「それまでの資生堂ギャラリーといえば、ベレー帽にループタイをした画家が出入りしているイメージでした。初めは若手であった作家も、出展数を重ねるうちに画壇の中枢を担う存在になり、各公募団体の重鎮が展示する場になっていたのです」

92年より企業文化部でギャラリーの企画や協賛活動に携わる樋口昌樹氏は転換期の状況をこう語る。

「そこでもう一度原点に立ち戻り、若手作家を中心とした現代美術を紹介していこうということになりました。実際に現代美術の展覧会を開催したときに周囲からは驚かれましたが、方向転換したのではなく、原点回帰したのだと説明しました」

それまでの椿会メンバーには、梅原龍三郎や岡鹿之助、上村松篁など斯界の巨匠が選ばれていたが、93年の第4次からは李禹煥や舟越桂など、戦後の現代美術家にシフトしていく。

「第4次のメンバーも今から見ると、現代美術界の大御所が多いですよね。もの派の李さんとその次の世代の美共闘の堀(浩哉)さんが一緒にいるというふうに、いわば戦後の現代美術史を網羅したような顔ぶれでした。その後、第5次、6次と段階を追って、より同時代に活躍する作家を取り上げるようになっていったのです」

01年の全面リニューアルの際に、「伝統を継承し、時代に合わせて革新していく」「グローバルな時代にふさわしい国際規模の展覧会を開催する」「新しいアートの潮流を紹介する」という3つの基本方針が定められ、この方針に基づいて企画が練られていった。また、このときから貸し画廊が廃止され、自主企画展のみを開催するようになった。

「アジア作家の紹介は、94年の『亜細亜散歩』以降断続的に続けていて、今年の秋にはキム・スージャを企画しています。作家をワンランク上に上げるようなサポートをするという理念がありますので、将来が有望な若手作家を取り上げてきました。また、海外で旬な作家をいち早く日本に紹介することにも力を入れてきました。公の美術館は社会教育機関として、ある程度評価が定まってからでないと紹介できない場合もあるかと思いますが、その点では民間ギャラリーとしてのフットワークの良さを生かしたいですね」

メセナ活動の先駆者として

こうした活動が評価され、企業メセナ協議会主催の「メセナアワード2007」にて「メセナ大賞」を受賞した。

「現在のメセナ活動の潮流では、支援の対象をアートNPOや、アワードなどの自主プログラムに絞っていく傾向が強まっていますが、資生堂の場合は、アーティストの活動そのものを直接サポートしていくことに重きを置いています」

例えば蔡國強や大巻伸嗣に対しては、彼らの活動の初期段階から現在に至るまで、大規模な展覧会や国際展への参加毎にサポートを続けている。また、2000年に始まったプログラムADSP(Art Documents Support Program by SHISEIDO)は、若手作家のカタログ制作を支援するという類例のない取り組みであった。

「95年に『資生堂ギャラリー七十五年史』を編纂した際、将来に向けて、作家の活動記録を残すことの必要性を痛感しました。ADSPは単にお金を出すのではなく、編集のノウハウを提供し、作家とともにカタログをつくっていくプログラムです。評論の執筆者や写真家への依頼などは作家自身が行ないます。そうした過程で自分のドキュメントを作る重要性を学べるところに、このプログラムの意義があったと思います」

ADSPは05年、好評の内に終了し、その進化形として資生堂ギャラリーを開放する公募展『shiseido art egg(シセイドウ アートエッグ)』が07年にスタート。企画展だけでは紹介しきれない新進作家に対して門戸を開いた。ギャラリーアドバイザーと学芸スタッフによって選出された3名が3週間ずつ作品を展示。3ヶ月の展示期間の終わりには、その中のベストの展示に「shiseido art egg賞」が贈られる。

「いちばん重要なのは、選ばれた作家が学芸スタッフと一対一で話し合い、ときにはダメ出しを受けながら、半年かけて展覧会を作り上げていく、その過程で、スキルアップしていくことです。ある種のセルフプロデュース力や、作品をどう見せるかというテクニックは、作家の創作能力の一部だと思います。そういう能力を含めて作家にスキルアップしてほしいと思っているので、賞が重要なのではありません。いかに作家の成長を後押しできるかがポイントです」

常に時代の先端的な美を追求し、商品を通じて新しい価値を創り上げていくという企業の活動からすれば、資生堂の文化支援の取り組みは、企業活動そのものと言える。今後の展望として、ギャラリーの企画と協賛活動とを相互に関連させ、より強いサポートのあり方を目指したいという。真摯な取り組みの姿勢に、これからの革新的な活動への期待が募る。

資生堂ギャラリー 
http://www.shiseido.co.jp/gallery


Left: ex-, 2001
Right: Promenade in Asia, 2001
Installation views, photos Sakuai Tadahisa


Left: life/art ’02, 2002
Right: Koganezawa Takehito, Dancing In Your Head, 2004
Installation views, photos Sakuai Tadahisa


Left: Ohmaki Shinji, ECHOES INFINITY, 2005
Installation view, photo Watabe Ryoji
Right: Robin Rhode, 2006
Installation view, photo Kato Takeshi


Left: Light Passage – Cai Guo-Qiang & Shiseido, 2007
Right: Tsubaki-kai 2008
Installation views, photo Yamamoto Tadasu

登録日:2008年8月8日

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