連載 田中功起 質問する 5-3:沢山遼さんヘ 2

「ジャーナリズムの一形態としての美術批評はある役割を終えた」という前提に立つ沢山さん。その上で、芸術批評の役割とは、これまでとは全く異なる相貌や重要な細部を浮かび上がらせることであると指摘。往復書簡第2信は、誰もがもつ「批評的態度」というものに焦点を当てて考えます。

沢山遼さんの第1信はこちら往復書簡 田中功起 目次

件名:批評的態度、お皿は一万年後もお皿か

沢山遼さま

1回目の返信ありがとうございました。
2月にLAでのはじめての個展をやったんですが、この長期滞在でのひとつの成果を発表することができたかなと思ってます。このThe Boxというスペースは、あのポール・マッカーシーさんの娘、マーラ・マッカーシーさんが運営する場所で、若手の発表にかぎらず、発表の機会が減ってしまったシニア・アーティストのリバイバルの場としても認知されている、なかなか面白いところです。


LA近郊にある自生のヤシの木の群れ。

批評と批評家

さて、沢山さんの言うとおり、美術批評はある一定の役割を終えてしまった。ぼくもこの認識には同意します(とくに日本国内において(*1))。それは国内全般の美術系商業誌を見ればわかります。テキストの文字数はもはや図版キャプション程度の長さへと縮められ、なかなかまとまったものが書けなくなってしまった。必要とされるのは熟考する批評家ではなく、臨機応変なライターです。でもこれは紙媒体全般が商業的に難しくなっている現状とパラレルに考えるべきですね。むしろ批評的な言説はネット上に拡散してしまったのかもしれません。ごく少数の著名な批評家はいまでも書籍を出版していますが、それ以外の批評家たちはひとまずネット上に活路を見いだしている。ネットでは文字数制限がない代わりに誰でも書けて発信できてしまうため、それらの無数のテキストの中から読者自身が有効かどうかを判断しなければならないわけですが。

ここでひとつ確認しておきたいのですが、ぼくが「批評」として問おうとしていたことのなかにはふたつの問題が混在していたということです。ひとつは批評そのもの、あるいは批評的態度で、これは批評家に限らず誰でも持ちうるものでしょう。もうひとつは(美術)批評家にまつわることで、「批評の役割」と書けば「批評家による批評の役割」としてまずは考えられてしまうということです。これらを分けた上で、少なからず前者の「批評、あるいは批評的態度」というものは今でも求められているようにも思うのです。これは批評家によって書かれたテキストという体裁では必ずしもない。批評家による現場に密着した批評、という「批評」が持っていたひとつの機能は、少なくとも今の日本では、その役割を終えている。

批評的態度:お皿はお皿である

その上で、ぼくがこの場で考えてみたいのは「批評」そのものの可能性です。極言すればそのとき批評家自身の問題は二の次なのです。たとえ仮に職業批評家がテキストを書ける場がなくなり、日本のシーンから消えてしまったとしても、おそらく「批評的態度」はなくならないと思うのです。そして批評的態度を持った人を「批評家」と呼ぶのならば、この意味での「批評家」も消えることはない。

沢山さんにならって「批評」を「自己言及」と言い換えてみましょう。自らに言及できるということは、自己を分析できるということでもあります。自らを分析し、自分が何をしているのかを正確に把握する。自分がどのような「自分」であるかがわかること(この自己分析の過程に付随して、ときに問題点に気づき、反省し、訂正・発展<=拡張>する、こともあるでしょう。(*2))。つまり批評的態度とは「自己分析する態度」と言い換えられると思います。テーブルにあるお皿が「お皿」であるとわかること。もちろんこの「お皿はお皿である」はお皿の機能的な側面についての自己言及ですが、フランク・ステラが自らの絵画について「What you see is what you see.(あなたが見ているものが、あなたが見ているもののすべてである)」と語ったということを受けていますよね。

ここでひとつ疑問です。沢山さんが第1信で上記のことと註で触れていた、「芸術家は事物の異なる運用の仕方を開発する(有用性を脱臼させる)」ことは相反するのでしょうか。いや、芸術家は「有用性を脱臼させ」ているのでしょうか。おそらく「異なる運用=有用性の脱臼」を目的とした作品というものも存在すると思います。ぼくの作品に関してはこの限りではないのですが、仮に「脱臼」を目的とした作品であっても、以下のように考えられると思います。

通常とは別の運用方法でさえも、そのお皿を「お皿」であると言及するための、つけ加えられるべき事柄のひとつなのではないでしょうか。つまりその運用方法も既に「お皿」に内在していた。だからそれは「開発」されたのではなく、むしろ発見されたのであり、限定されていたかに思えた「有用性」もそれによって「拡張」されたとも言えるわけです。ものの使用方法は社会的に限定されているものです。慣例に従って、お皿にはパンケーキとバターが盛られ、メイプルシロップがかけられる。でも子どものとき「お皿」は空飛ぶ円盤であり、つるつるすべすべしたものであり、重石でもあった。それらもすべて、ひとつのお皿を「お皿」と定義していますよね。つまり「お皿がお皿である」とわかるためには、社会化された使用法や有用性を知っている必要がないのかもしれない。異なる運用方法もその「お皿」に備わる属性であり、それを見つけ出す行為は「お皿」という存在を内側から補強している、とも言えるわけですね(*3)。そして沢山さんが書いていたように「芸術批評の機能や役割とは、(中略)その作品の効果・運用方法を限りなく拡張する」のだとすれば、このとき「批評家」とアーティストは限りなく近しい存在になる。

一回性と普遍性の間:一万年後から考える

次に別の側面から民藝運動のことにも触れておきたいのですが、ぼくは、思想的中心であった柳宗悦よりも実作者としてこの運動に関わった濱田庄司により関心を持っています。民藝の本質を、作家主義を排した匿名性にあるのだとすれば、作家としての濱田がこの折り合いをどのようにつけようとしたのか、この点に興味があります。

栃木県にある、益子参考館を訪ねると(「参考館」というネーミングはすばらしいですね)、移築された古民家自体の建物も含めて、さまざまな日用品が世界各国から濱田自身の手によって集められています。それらは濱田が創作の「参考」にした品々でもあり、創作者の立場から民藝運動の思想を多角的に表現した空間でもあるわけです。駒場にある日本民藝館との大きな違いは、参考館が濱田の自邸の一角を開放するかたちではじまり、自然に囲まれた農村地域という環境にそのまま地続きに存在しているという点にあります。

濱田は、無名の陶工が作った器を集め、それと同時に自らも作家として器を製作していました。民藝運動として普遍的な「用の美」を求めつつ、一回性としての作家性との間に引き裂かれていた、とも言えるかもしれません。彼はどうあがいても無名の陶工には戻れないわけですから。これは少々皮肉なことですね。ちなみに窯元が集まっている益子は、濱田に見い出されたことによってメジャーな場所になり、数多くの陶芸作家を輩出しています。それは字義通りの「民藝」を減らし、事後的にできた「益子焼」というブランド名による曖昧なスタイルを生み、「民藝らしさ」をもとめるマニエリスムの蔓延にもつながった。しかし実はこれらは些末なことかもしれません。濱田の器も益子焼作家の器も、いまから1万年もすれば作者の名前も忘れ去られ、誰が作ったのかもわからない「ひとつの器」となってしまうかもしれないですから。あるいはもはや器という機能も理解されず、かつての人類が作った土を焼いたかたまり、として認識されるだけかもしれない。いずれにせよ、一回性としての器はそのとき普遍なものとして捉えられるかもしれない。もはや濱田の作なのか、名もなき民藝なのかの区別もなくなる。こんな風に考えるとき、まあ、一万年は極端ですけど、20年ぐらいでもいいですが、ぼくらはもっと普遍的なものに対峙しているんじゃないかとも思うのです。そのとき辺境も中心も大差がないようにも思います。

さて、「現場(に密着した美術)批評」から距離をとろうとする沢山さんの活動は、現場から(空間的にも時間的にも)距離があるにもかかわらず、その距離ほどは遠くにあるのではないようにも感じられます。沢山さんの歴史への着眼点はその都度、現在の問題を含み、今へと逆照射されているからだろうと。それは間接的な現在への批評ともなっているんじゃないでしょうか。だからこそぼくはあえてそんな沢山さんに、一度は役目を終えた美術批評についての可能性を聞いてみたいと思ったのでした。

今回は触れることができませんでしたが、絵画をめぐる「平面性」の話題は少々気になるところです。引き続きお返事お待ちしてます。

2011年2月 ロサンゼルスより
田中功起 

  1. ここで確認しておきたいのは、美術批評の問題を考えるときに、日本国内のアートの状況や問題をそのままインターナショナルな状況と地続きに語ることができないということです。インターナショナルなアートシーンにおいては、批評的な視点を提出できる場はいわば展覧会キュレーションの場へと移行していったように思います。キュレーターによる企画(これは展覧会にかぎらないかもしれませんが)がそのまま批評的なインパクトを持つようになっている。一方、90年代まで、日本ではキュレーターの批評性よりもやはり批評家による批評性が力を持っていた。影響力のあるメジャーな批評というものがかつてこの国にも存在していたと思いますが、おそらく藤枝晃雄さんから椹木野衣さんへの移行と断絶をもって、それ以降、日本において美術批評はひとつの役割を終えます。この間、インターナショナルに活動する日本のキュレーターは増えましたが、美術批評に関して言えば松井みどりさんを除いて、いまのところほとんど見当たらないのが現状じゃないでしょうか。

  2. ちなみに先に書いた自己分析に付随する「反省・発展・拡張」も、実は「お皿」に内在している可能性であるとすれば「自己分析」の一部であると思います。

  3. 究極のメディウム(?)・スペシフィティはこの世界を規定する物理法則ですね。これ以上、削ることのできないこの世界の特性。自己言及の果て。柳宗悦の「用の美」から「社会的に限定された有用性」と美学的な視点を引き算しても残るもの。そのものがそのものである有様自体。

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