ニコラ・ブリオー「実践と理論のあいだ」


Nicolas Bourriaud lectures at Tokyo University of the Arts, January 8, 2018. Photo: Shu Nakagawa, courtesy Tokyo University of the Arts.

 

実践と理論のあいだ
インタビュー / 星野太
(※本稿は英語版を元に本誌編集部が翻訳)

 

ART iT まずは初期のご活動についてうかがいたいと思います。意外なことに、この時期のことはほとんど英語でも書かれていません。この時期のあなたにとって、イヴ・クライン、ピエール・レスタニ、そして、ヌーヴォー・レアリスムが重要だったと読んだことがありますが、どのような影響を受けたのでしょうか。

ニコラ・ブリオー(以下、NB) 彼らを最初に知ったのは17歳の頃でした。その頃の私は、既に文学か美術、行為か省察、言語かイメージのどちらかを選ぶことは難しいだろうと薄々感じていました。近代美術や現代美術にはそれほど詳しくなかったのですが、1983年、ポンピドゥーセンターで開催していたイヴ・クラインの回顧展を訪れました。展覧会はすばらしいもので、カタログにはまさに私がやりたいと考えていたことを実行していた感嘆すべき人物、ピエール・レスタニのことが書いてありました。そう、彼はキュレーターであり、美術批評家であり、理論家でもありました。彼自身や彼が影響を与えた60年代のヌーヴォー・レアリスムを発見したことで、自分が何をすべきかがわかりました。選ぶ必要はない、と。言語とイメージのあいだを常に漂うタツノオトシゴのようでありたい、あるいは、言語とイメージの媒介者でありたいと考えていました。当時、1980年代初頭は、そのモデルとなるような人物はレスタニとハラルド・ゼーマンくらいで、フリーランスのインディペンデント・キュレーターは一般的なものではありませんでした。

 

ART iT あなたは1985年にフランス西部のニオールで「垂直(Société perpendiculaire)」を友人とともに結成し、それから10年後の1995年には雑誌『垂直(Revue perpendiculaire)』を、その間の1992年には『芸術についての記録(Documents sur l’art)』を創刊しています。この時期の活動がどんなものだったのか、もう少し詳しく話してもらえますか。

NB はい。「垂直」は友人同士ではじめたものですが、なかにはなかなか重要な作家になったものもいます。たとえば、ジャン=イヴ・ジュアネは、庭を飾るドワーフやノームと、そのばからしさに関する優れた書籍『Des nains, des jardins: Essai sur le kitsch pavillonnaire(ドワーフと庭:郊外におけるキッチュ)』を執筆しました。垂直というアイディアを中心に集まり、文学にとどまらず、文学と交差する領域や芸術形式を取り上げました。「垂直」というのはとてもシンプルなイメージから来ています。今ではもはや当てはまりませんが、当時、さらにはここ何世紀かにわたり、文化的生活は階級ごとに対応する平行線、つまりハイ・カルチャー、アンダーグラウンド・カルチャー、ポピュラー・カルチャー、そして、それらすべての下位区分といったかたちで組織されていました。垂直とは、それらすべてが交わる線、ポップカルチャーやアヴァンギャルド、その他諸々を結びつける線のことです。こうしたイメージの下に集まり、打ち解けあった友人同士であるにもかかわらず、私たちは各部・各科と活動を体系化した、あまりにも不条理な官僚機構を考案しました。このアイディアは、10年後にミシェル・ウェルベックとともに創刊した文芸誌『垂直』として、新たなかたちをとることになりました。この頃、私たちのグループはより文学を志向するようになっていましたが、同時に、いかにビジネスや電子音楽を文学に持ち込むかについて思案していました。

 

ART iT 文芸誌『垂直』は、1998年にフランスで出版されたウェルベックの小説『素粒子』をめぐる論争で幕を閉じます。「垂直」の政治的姿勢について教えてもらえますか。

NB 私たちは彼の小説をきっかけに決別することになりました。あの小説には人種差別的な傾向や、世界をあまりにも単純化した見解が含まれていますが、私たちはそのような多くの両義的な箇所について、単に小説の登場人物がそうした考えを持っているのか、それとも、その考えがミシェル自身のものなのかを明らかにしたいと思いました。事実、それは彼自身のものでした。彼ははっきりとした政治的姿勢をとり、ある種の人々にとってのリーダー的存在になっていました。同じ価値観を共有できないことを知りながら、彼とともに仕事を進めていくことは不可能でしたので、結局、彼をグループから追放することに決めました。この出来事はフランスのあらゆる新聞や週刊誌に報じられ、一大スキャンダルになりました。ミシェルはその年のゴンクール賞を受賞すると見られていましたが、このことが原因で、彼は受賞までもう10年待つことになりました。これは出版社にとって大きな損失となり、私たちは悪者に仕立てあげられて、会社から追い出されました。こちらも文句を言って出て行きましたけどね。

 


Laure Provost – Installation view, “The Great Acceleration,” Taipei Biennial 2014. Photo: ART iT.

 

ART iT あなた自身の政治的姿勢はどんなものだったのでしょうか。とりわけ、マルクス主義との関係について。あなたは著作のなかでルイ・アルチュセールに繰り返し言及してきました。あなたがどのようにアルチュセールの「出会いの唯物論」と美術を関係づけているのか気になっていました。アルチュールを参照するとき、そこになにか政治的マルクス主義との関係はありますか。

NB アルチュセールの「出会いの唯物論の地下水脈」は魅力的なテキストだと思いますが、私は彼の政治的な側面にはそれほど関心がありません。彼が存命中に出版したテキストは、死後に出版されたものほど面白くない。彼自身のイメージもまた、存命中と亡くなった後に浮かび上がってきたものとではまったく違う。あなたが挙げたテキストも遺稿でしたし、重要なテキストのほとんどは死後に出版されたものです。というわけで、私の彼に対する興味は政治的なものではありません。大抵の場合、私はマルクス主義をほかの関心事と結びつけるツールボックスとして捉えていて、マルクス主義をそのままのかたち、あるいは純粋なものとして取り上げたことは一度もありません。

 

ART iT 『関係性の美学』では、ほかにもミシェル・フーコー、ギー・ドゥボール、ドゥルーズ&ガタリといった1968年世代に属する思想家たちに言及していますね。あなた自身は1965年生まれですが、あなたの世代がこのような思想家たちに関心を抱くのは一般的なことなのでしょうか。

NB ええ。80年代の学生たちも、構造主義やポスト構造主義の思想家からは強く影響を受けていましたよ。自分の世代もこうした思想家から世界を学び、私もそれをどんどん吸収していきました。ある意味では、彼らこそが私に母語を与えてくれたのです。

 

ART iT キュレーションの話に移りますが、あなたが最初にキュレーターとして手がけたのは、1993年のヴェネツィア・ビエンナーレのアペルトのようですが、これ以前に何か展覧会を企画していますか。

NB 最初にキュレーションしたのは、1990年のヴェネツィア・ビエンナーレのフランス館です。実際のフランス館が改装中だったため、ドゥカーレ宮殿に隣接する監獄を使った若手アーティストの展覧会を任されました。展覧会のタイトルは「Unmoving Short Movies」。フィリップ・パレーノやドミニク・ゴンザレス=フォルステル、ピエール・ジョゼフ、ファブリス・イベールらが参加していました。私たち全員が初のヴェネツィアで、みんな25歳。考えられますか? 国の公式のフランス館で、25歳のアーティストたちの展覧会が開かれるなんて。今では絶対にありえない。そういう機会を得られたのは本当に運が良かったと思っています。

その次のヴェネツィア・ビエンナーレは1993年、100周年に合わせるために2年後ではなく3年後の開催になりました。この年のアペルトを任されていたヘレナ・コントワに、一部門のキュレーションを頼まれました。同世代の大半のアーティストたちとの親交がはじまったのはこのときで、みんないましたね。私自身が招待したアーティスト以外にも、そう、ダミアン・ハーストなんかもいました。本当に楽しかったですね。

 

 
Thomas Teurlai – Night Shot-Holly Fumes (2017-2018), installation view in “Crash Test: The Molecular Turn” at La Panacée-MoCo, Montpellier, 2018. Photo: © Aurélien Mole, courtesy Thomas Teurlai.

 

ART iT 『Traffic』(1996)から『Altermodern』(2009)まで、画期的な展覧会を企画し、パレ・ド・トーキョーのような機関でディレクターを務めながらも、その一方で理論的著作の執筆も続けていることに驚きを隠せません。世界にスター・キュレーターはほんのわずかしかいませんし、そのほとんどがキュレーションに重点を置くなか、あなたは執筆も出版も続けています。そのモチベーションはどこから来るのでしょうか。

NB これはあなたの最初の質問にも関係していますが、私は常に行為か省察かを選ぶのではなく、螺旋状の運動のなかで両者が混ざり合うような仕事をしたいと考えてきました。そうすることで、あらゆる展覧会が自分の理論に変化をもたらし、今度はその理論が私を新たな展覧会制作へと向かわせることになる。私は「疑問が浮かんだら展覧会を企画し、答えを見つけたら本を書く」とよく話しています。執筆とキュレーションは同じ文法を共有していないので、両者のあいだにはダイナミックな関係がなければなりません。私にとって、展覧会とは問いを投げかける場所であり、ときにアイディアを検証する場所である。と同時に、あらゆる展覧会は必ず当初予定していたものを越え、別のどこかへと向かっていきます。そして、それがまた次のステップへとつながっていくのです。

もうひとつ、私は哲学者ではなく、執筆するキュレーターです。だから、在野の思想家と称したヴァルター・ベンヤミン、執筆する精神分析医だったジャック・ラカン、あるいは、ジョルジュ・バタイユらに惹かれているのかもしれません。彼らはみなアウトサイダーであって、私もまた何らかの仕方で思想の世界のアウトサイダーに留まっていたいと思っています。私自身が書いているものは展覧会制作という基礎に支えられており、なおかつ私は世界を見る視覚的装置として芸術を扱っています。

 

ART iT あなたは美術や理論だけでなく、文学や音楽の領域にも貢献してきました。すでにウェルベックの話はしましたが、1997年に出版したあなた自身の小説『第三紀(L’Ere tertiaire)』についても教えてもらえますか。同作はサイエンス・フィクションでしたよね。

NB とても奇妙な物語です。「ノアの方舟」が原案になっていて、洪水の到来を前にこの世界から救いだせるものをすべて救出する任務を、ノアの代わりにとある企業が担います。救われるべきものの大量のリストがあり、それが次の日には新しいリストに取り替えられているなど。なにかジョルジュ・ペレックのように制約を作品に課したくて、各章が『易経』の数に対応した64章からなる話になりました。とはいえ、このことは話したことも書いたこともなかったので、誰ひとりとして知りませんが。

 

ART iT 2作目は考えていますか。

NB 実は何年も取り組んでいますが、完璧な遺稿を書くというアイディアに惹かれています。

 

ART iT 音楽については、2004年にパレ・ド・トーキョーで『Playlist』という展覧会を企画したり、著書『Postproduction』で何度もDJなど音楽に関する人物について言及したりしていますね。音楽との関わりについても教えてください。

NB もともと音楽に携わっていました。おかしな話ですが、あるレコードレーベルが、私と友人とで1980年代に制作した音楽を見つけ出してきて、最近レコードをリリースしました。1,000枚しか生産しなかったにもかかわらず、リベラシオン紙がこのレコードについて1ページも費やしていました。かなりハードエッジな音楽でしたね。スロッビング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテールみたいなインダストリアル・ミュージックに影響を受けていて、そこにインドのタブラなどのヨーロッパ以外のリファレンスを組み合わせていました。私の人生に音楽は欠かせないもので、いまでもたまにDJをしています。

 

ART iT 日本の重要な美術批評家である椹木野衣さんもあなたとほぼ同世代で、やはり音楽のバックグラウンドを持っています。彼の最初の著作『シミュレーショニズム:ハウス・ミュージックと盗用芸術』(1991)は、日本初のシミュレーショニズムに関する理論書で、当時すでにサンプリングやリミックスといった音楽の技法と、ビジュアルアートの新しい動向を結びつけていました。

NB 音楽における最後の大事件は、1980年代末の電子音楽とテクノ・ミュージックの誕生でした。それ以前とのなんのつながりも持たないまったく新しいものが登場したのは、基本的にそれが最後だったと思います。それ以来、既存のものを再利用したものが大量に出てきて、なかには面白いバンドやプロデューサーもいましたが、70年代末のパンクやニューウェイヴ、80年代末から90年代初頭の電子音楽やテクノ・ミュージックのような本物のムーブメントに並ぶものは現れていません。本物のムーブメントと言ったのは、そこでは視覚的なものの新しい使い方、DIY精神、音楽の民主化、そして新しいパーティの方法といったものが同時に起きていたからです。それはグローバルなものでした。以来、同じような効果をもたらしたものはありません。

そのような事件が起きているときに音楽界隈にいながら、興味を持たずにいることなど不可能でした。さもなければ、あの時代のエネルギーの一端を見逃すことになったでしょう。実際、アーティストたちも同じ音楽を聴いていたので、音楽における新しいことと、美術における新しいことを結びつけるのはごく自然なことでした。

 


Alisa Baremboym – UNIT 2: Thyroid: Growth & Development, UNIT 3: Homunculus: Matter Against Memory, Chromosome Absorption (2018), installation view in “Crash Test” at La Panacée-MoCo, Montpellier, 2018. Photo: © Aurélien Mole, courtesy Alisa Baremboym.

 

ART iT 台北ビエンナーレ2014「The Great Acceleration」のキュレーションでは、人新世、思弁的実在論、オブジェクト指向存在論の言説を掘り下げる方向に舵を切り、カタログの論考でもカンタン・メイヤスーやレヴィ・ブライアントといった哲学者に言及していました。これらはあなたにとって現在もっとも関心の高いテーマということでしょうか。それとも、近年の数ある関心事のひとつにすぎないのでしょうか。

NB 私はいつも複数のテーマを同時に調べていて、時にはそれらがいっしょになったり、別々の方向へと拡がっていったりします。これは(私が著書で述べてきた)いわゆる「ラディカント」の線と似たようなものですね。とはいえ、次の著書は台北ビエンナーレのテーマを発展させたもので、書き下ろしの論考とともに、台北のカタログの論考も収録する予定です。

 

ART iT 本日のレクチャー(1月5日)では、メイヤスーやオブジェクト指向存在論を批判的に語っていました。私の理解が正しければ、美術作品が常に誰かに差し向けられるものである以上、美術において主観性なき世界という考え方は当てはまらない、とあなたは考えている。それでもなお、あなたはメイヤスーやオブジェクト指向存在論を展覧会制作の参照項として使っていますね。

NB まず、グレアム・ハーマンのような人々とメイヤスーをはっきり区別しなければいけません。このなかで最も面白いのは、そして、最も複雑なのはメイヤスーでしょう。メイヤスーとはお互いの考えを話し合えるだろうし、彼の意見は私の意見からそれほど遠くないところにある。特に美術に関してはそうです。なぜなら、人間の存在を抜きにして美術を考えることはナンセンスですから。しかし、グレアム・ハーマンは美術を非人間的なレベルで扱おうとしていて、私にはそれがまさに感傷的で人工的なものに思えるのです。メイヤスーははるかに繊細な仕方でオブジェクト指向存在論のことを話しています。

 

ART iT そうは言っても、アルチュセールの「出会いの唯物論」もまた非人間的な世界に根ざしていますよね。あなたも『関係性の美学』や『The Exform』といった著作で述べている通り、アルチュセールはモナドや原子の出会いを世界の誕生として捉えています。

NB その通りです。私はアルチュセールの歴史理論を使って思弁的実在論を批判することを試みています。主体なき過程としての歴史概念には、思弁的実在論への批判の種子が、まったく異なる唯物論、あるいは私たちが現在「実在論」と呼ぶたぐいのものとして包含されています。哲学における21世紀の主要な任務とは、二元論や独断論とは異なる仕方で、唯物論を発明しなおすことではないでしょうか。思弁的実在論は、人間と非人間という対立をシステマティックに立てている点で、あまりにも二元論的です。もっと繊細な分節化を考えなければいけません。今度、複合美術施設MoCo(モンペリエ・コンテンポラン)で企画している展覧会のタイトルは「Crash Test: The Molecular Turn」です。さまざまな国から参加する25名のアーティスト全員が、対象を認識できるような「モル(=遠い)」水準ではなく、「分子(=近い)」水準で、実在とは何かを明らかにしようと挑戦しています。そこでは、実在論的に把握された物質の構成要素から、分子レベルの社会批評を創出することが試みられているのです。

 

 


 

ニコラ・ブリオー|Nicolas Bourriaud

1965年生まれ。1980年代から現在まで、フランスを拠点に現代美術の国際的な動向に影響を与えているキュレーター。現在は複合美術施設MoCo(モンペリエ・コンテンポラン)のディレクターを務める。90年代に自身が企画した展覧会『Traffic』(ボルドー現代美術館、1996)などに見られる同時代の美術の潮流を指して、「関係性の美学」を提唱する。1998年に出版された同名の著書は、英語版を含む複数の言語に翻訳された。ジェローム・サンスとともにパレ・ド・トーキョーの立ち上げに関わり、1999年から2006年まで共同ディレクターを務める。ピンチューク・アートセンター、テートブリテンを経て、2010年にフランス文化省学術部門長官に就任。2011年から2015年までパリ国立高等美術学校学長を務める。これまでに、第44回ヴェネツィア・ビエンナーレ フランス館(1990)、第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ「アペルト」(1993)、第4回テート・トリエンナーレ(2009)、台北ビエンナーレ2014などの展示を手がけている。現在、MoCoで『Crash Test: The Molecular Turn』が開催中。

 

星野太|Futoshi Hoshino

1983年生まれ。美学、表象文化論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、金沢美術工芸大学講師。著書に『崇高の修辞学』(月曜社、2017年)、共編著にThe Sublime and the Uncanny(UTCP、2016年)、共著に『コンテンポラリー・アート・セオリー』(イオスアートブックス、2013年)、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で』(千葉雅也・大橋完太郎との共訳、人文書院、2016年)などがある。

 

インタビュー協力:東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻

特別講演会「グローバル時代の芸術文化概論」
ニコラ・ブリオー「21世紀の関係性のランドスケープ:人間的そして非人間的領域の狭間におけるアート」
2018年1月8日(月・祝)15:00-17:00(開場:14:30)
モデレーター:長谷川祐子(東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授、東京都現代美術館参事)
会場:東京藝術大学 上野キャンパス 美術学部中央棟第1講義室
イベントURL:http://ga.geidai.ac.jp/2017/12/25/bourriaud/

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