対岸の火事:日本において表現の自由が晒されている脅威


展示風景「表現の不自由展・その後」撮影:アライ=ヒロユキ

 

対岸の火事:日本において表現の自由が晒されている脅威
文 / アンドリュー・マークル

翻訳:奥村雄樹
※ 本稿は、Frieze誌に掲載された「The Threat to Freedom of Expression in Japan」(2019年8月15日)を一部編集、翻訳したものである。

 

あいちトリエンナーレ2019が迎えた最初の週末は惨憺たるものだったが、あまりにも事態が複層的に入り組んでいるため、一体どこから話を始めればいいのか、一体どうすれば重要な事項をすべて埋没させることなく語ることができるのか、見当もつかない。芸術祭の内覧会から3日後の8月3日に、「表現の不自由展・その後」と題された、日本の公的な機関において近年に検閲された20点以上の作品を集めた展示それ自体が実質的に検閲された。しかしトリエンナーレの主催者たちは、そこに検閲性はなかったと言い張るばかりである。同展示の入り口はいまや大型のパーテーションによって塞がれているが、主催者たちはあくまでも公開中止の決定を、オープン直後からトリエンナーレの事務局に押し寄せた数百件に及ぶ――その多くは攻撃性を帯びていた――連日の抗議電話と「ガソリン携行缶持って」会場に「おじゃますんで」と脅迫する8月2日付のファクスへの緊急的な対応として正当化している(その後、ファクスの送信者は逮捕された)。

とはいえ、人々の極端な反応、そして展示中止の迅速な決定には、地方および閣僚級の政治家たちによる発言の影響もあったと考えるのが普通だろう。トリエンナーレの大部分は名古屋市内に位置しているが、同市の市長もそうした政治家のひとりだ。名古屋市長の河村たかしは、「表現の不自由展・その後」の作品――具体的には、韓国人のアーティストであるキム・ソギョンとキム・ウンソンが手がけた若い少女の彫像で、日本軍による強制売春、性奴隷、人身売買の仕組みである「慰安婦」制度が残したものを扱う《平和の少女像》(2011)と、何人かの日本人アーティストによる、戦時中の国家元首である裕仁天皇のイメージが組み込まれた数点――を「日本人の心を踏みにじる」ものとして断じつつ、同展示の閉鎖を訴えた。一方ツイッターでは、戦時中の、そしてトランプ時代のレトリックを使い回しながら、ネトウヨたちがトリエンナーレの芸術監督である津田大介を「反日左翼」呼ばわりして攻撃し、日本から出て行けと言い放つのだった。

8月5日には、愛知県知事で、あいちトリエンナーレ実行委員会の会長でもある大村秀章が異例の対応を見せた。日本国憲法の第21条は、表現の自由を保証し、検閲を禁止するものだが、大村は河村市長の発言をそれに反するものとして公の場で批判したのだ。だがそれは、あまりにもささやかで、あまりにも遅かった。結局のところ、大村は津田とともに、同展を閉鎖するという決定に関与していたのだから。大村県知事が代替的な緊急措置――もっと多くの事務スタッフを雇うことからセキュリティを強化することまで――を考えることができなかった、あるいは考えようともしなかったことから確認できるのは、保護されるべき言論であっても、その発言がその時点における権力側の都合にそぐわないとき、それを擁護するための政治的な手筈がほとんど存在しないということだ。その背景にあるのは、政権与党の自由民主党が2012年に発表した、戦後憲法をより排斥主義的かつ潜在的に権威主義的なものに変節させようとする改定案である。その内容には、天皇を再び国家元首に据えること、そして「公益及び公の秩序」に反するような権利や表現に制限を加えることが含まれている。

慎重な言い方で遠回りしている場合ではない。「表現の不自由展・その後」の閉鎖が示すのは、日本において、アートおよび言論の自由が紛れもなく危機に瀕しているということだ。このことに人々がどのように応答するかによって、来たるべき年月における表現の条件値が定められることになるだろう。すでに日本の公的な機関や組織では、アーティストやキュレーターが一定の検閲体制のもとで挙動するようになっているが、同展がそれを可視化したのだとすれば、その閉鎖が開示するのは、政府からの助成や企業からの協賛を確保するため、すべての大規模なアートの活動が自己検閲によって統制されるという暗い未来の見通しである。さらに背筋が凍るのは、このことによって、暴力の使用に頼ることで他者を黙らせようとする過激派分子たちが勢いづいてしまうことだ。

皮肉なことに、「表現の不自由展・その後」の閉鎖によって、トリエンナーレは展覧会としての強度を増すことになった。いまや、日本に住む「ハーフ」たちの経験に目を向ける田中功起のマルチメディア・インスタレーション《抽象・家族》(2019)から、ジェンダーの移行の最中にある人々の声を提示するキュンチョメのビデオ、そしてクローニングと人工授精と優生保護法――遺伝性疾患や障害を持つ人々への強制的な不妊手術を認める法律で、タイトルとなっている1996年まで撤廃されていなかった――へのリファレンスを組み合わせた青木美紅の大規模なミクストメディア・インスタレーション《1996》(2019)まで、日本人であることや日本社会の特質に対峙する作品群は、どれもさらなる切迫性を帯びながら、右翼の政治家たちが進める本質主義的な単一文化の提起に反撃している。

 


モニカ・メイヤー「The Clothesline」2019年、参加型インスタレーション、展示風景『あいちトリエンナーレ2019:情の時代』、名古屋市美術館、2019年、撮影:ART iT

 

この文脈において最も力強い展示作品のひとつであるモニカ・メイヤーの《The Clothesline》(1978/2019)が参加者に促すのは、性的な抑圧や暴力の経験をピンクのカードに匿名で書き記すこと、そして他の来訪者たちが読めるようにそれを物干しロープ状の構造体に取り付けることだ。同作は名古屋市美術館で公開されているが、それが扱う問題は、性差による不平等がいまだに根強い社会のなかで、長らく待ったなしの状態にあったものである。私が訪れた8月7日に見られたのは、幼少期に性的な虐待をされたこと、電車で痴漢にあったこと、教師からハラスメントを受けたこと、上司から圧力を受けて不快な状況へと追いやられたこと、強姦されたことの表明だった。大学になんか通って何になる、学問の世界になんか入って何になる、キャリアを積もうと志すなんてとんでもない、そのように言いつけられた経験の表明だった。不幸なことに、他の場所と同じく、日本においてこうした経験はすべからくありふれたものだ。それでも私は、熱中しながらテーブルでピンクのカードに記入する10代の少女たち、そして同じように身を入れる男子学生たちの姿を眺めながら、この作品の解放的なポテンシャルに深く感じ入ったのだった。

この点で、私はトリエンナーレのチーフ・キュレーターである飯田志保子と心情を共にする。飯田は私に、ひとりでも自作の展示継続を望むアーティストがいる限り、彼女が職を辞すことはないと述べた。今回のトリエンナーレが、地元の聴衆にとってまさにいまこそ見るべき重要な展覧会であることは、たしかに私にも見て取れた。けれども、どのような妥協ならば――もしもそのような妥協があるのなら――許容されるというのだろうか?日本の現政府は、旧日本軍が「慰安婦」制度に関与したことを認めず、証言のために名乗り出た生存者たちを被害者叩きとガスライティング的な手法で貶め、さらには文部科学省による検定を通過した教科書のみに販売許可が与えられる制度によって、中学校の歴史教科書からこの項目それ自体を一掃してきた(いまや「慰安婦」への言及を含むのは、市場に出回っている教科書のうちでたった一冊、売上にして0.5%にあたる分にすぎない)わけだが、メキシコシティからメデジンやワシントンD.C.まで各地で設置されてきたメイヤーの《Clothesline》が想起させるのは、まさにそうした方針の背後にある女性蔑視なのである。私たちは、かつての大日本帝国による行為や日本の現政府の政策について批判的に論じようとする試みを、ネトウヨたちがそうするように、「ヘイトスピーチ」あるいは「プロパガンダ」として相対化することを許してはならない(一方で、最初の週末におけるイム・ミヌクとパク・チャンキョンに続いて、複数のアーティストたちが「表現の不自由展・その後」が再開されるまで自作を鑑賞できない状態にするよう求めたが、そこにはメイヤーも名を連ねている)。

この論考の初期の草稿は、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)を中心とした女性グループによって2000年12月に組織された、「日本軍性奴隷を裁く女性国際戦犯法廷」についての詳述から始まるものだった。この女性戦犯法廷は、第二次世界大戦後に開かれた極東国際軍事裁判の象徴的な延長として構想されたもので、そこでは64人の元「慰安婦」たちと他の目撃者たちによる証言が、国際的な「裁判官」たちと1000人の聴衆に対して提示された。有罪の評決は、軍のヒエラルキーの頂点、すなわち裕仁天皇にまで言い渡された。よく知られているように、戦後の復興を見据えたリアルポリティークの要として、彼はアメリカが主導していた連合国による訴追を免れたのだ。

今日の日本の社会情勢から見返すとき、これは爆発性のあるマテリアルだ――そこには夢幻的なアート・プロジェクト、あるいは過激な映画監督による空想を思わせる要素がある。現在ではこのようなプロジェクトを考えることすら難しいという事実は、世間の風潮が著しく右へと移行したことを示している。[1] 女性国際戦犯法廷の記録を保存するために東京で2005年に設立された小さなアーカイブ/資料センター「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)は、あいちトリエンナーレが晒されているのと同じような嫌がらせにこれまで耐えてきた。2016年には爆破予告も送りつけられている。それでも同館は、私が名古屋から帰ってから訪れたときには、そうした包囲網の渦中にあるようには見受けられなかった。暖かく迎え入れてくれる和やかな雰囲気のなかで、来訪者たちは、日本語、中国語、韓国語、英語を交えながら会話していた。知識と探求、過去と未来に開かれた場所だった。それが継続的に存在してきたという事実は、日本の民主主義が辛うじて保たれていることの証左となっている。

日本では、アートは政治的であってはならないという観念が、好ましくない表現を公的な場所から排除するための政治的な手段と成り果ててきた。だが、天皇が「日本国」および「日本国民統合」の生きた「象徴」として設定されている国において、象徴的なものと政治的なものとの分離など妄想でしかありえない。アートは、価値を問い直すため、そして歴史に関する思い込みに挑むための空間を生み出すものであり、ゆえに言論の自由をめぐる議論の最前線である。そのような空間なしには、アートとその制度や機関は、権力を不透明化する美学的なあり方へと退化することになる。そして、批判的な声を組み込む可能性なしには、過去20年に渡って列島の全域で急増した芸術祭――それらは地域に特有の料理、工芸、生産物といった快楽主義的な副次的要素とひとつに抱き合わされている――のすべてが、観光客から金を絞り取り、地域経済に資本を注ぎ込むだけの、空虚な枠組みの数々として露見するほかないだろう。あいちトリエンナーレのウェブサイトで公開されている日本語の情報によれば、2016年のトリエンナーレは愛知県に約63.3億円の収入をもたらした。それに対して支出は12.1億円だった。国際的なアート・サーキットに乗った数多くの同種のイベントにおいてそうであるように、みずからの作品がある程度までひとつの利便的な器具として使われることについて、参加アーティストたちが自覚的なのは当然である。しかしながら、そのイベントにいかなる自律性も欠落していると感じたとき、それでも彼らは持ち堪えることができるだろうか?

もはや傍観している猶予はない。日本のアーティストたち、そして日本のアートシーン全体は、先頭に立ってアクションを起こさなければならない。

 


 

注記:本稿を執筆している時点で、「表現の不自由展・その後」の閉鎖に対する抗議として、以下のアーティストたちがあいちトリエンナーレ2019における自作の公開停止を求めている。タニア・ブルゲラ、ピア・カミル、CIR(調査報道センター)、レジーナ・ホセ・ガリンド、クラウディア・マルティネス・ガライ、ドラ・ガルシア、イム・ミヌク、モニカ・メイヤー、レニエール・レイバ・ノボ、パク・チャンキョン、ペドロ・レイエス(キュレーターとして)、ウーゴ・ロンディノーネ、ハビエル・テジェス。

[1] 実のところ、現在のように「慰安婦」制度の歴史が日本で抑圧されるようになった経緯には、ある意味で女性国際戦犯法廷が関係している。当時は内閣官房副長官だった安倍晋三を含む自民党の政治家たちが、同戦犯法廷を取り上げることになっていたNHKの番組に、2001年1月の放送前に介入したのだ。結果として、番組の内容は著しく改竄され、裕仁天皇に対して有罪が言い渡される場面や、生存者たちと他の目撃者たちによる重要な証言の場面がカットされた。VAWW-NETジャパンは、信頼が侵害されたとしてNHKを提訴し、裁判は最高裁まで争われた。最終的に訴えは却けられたものの、安倍ともうひとりの自民党の政治家である中川昭一がNHKに圧力を加え、それによって番組が改変されたことは、この裁判を通じてより周知されることになった。ちなみに、同番組のプロデューサーだった永田浩三は、「表現の不自由展・その後」を組織したメンバーのひとりである。

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