ナム・ファヨンの個展「昼寝」が行なわれていたソウルの一宇美術館の入口付近の風景。作品:ナム・ファヨン《When we are not there》(制作年未詳)撮影:三嶋一路
大きい画面
先日、万博記念公園内にある映画館でクリストファー・ノーラン監督の『オデュッセイア』(2026)を見た。韓国滞在期間中にIMAXで見た後、日本に帰ってきてもう一度IMAXで見るつもりだったけど、ソウルではチケットが取りにくくて諦めるしかなかった。この映画は、韓国で8月に劇場公開され、その33日後に1,000万人の観客動員記録を突破した。これは、7月に公開されたアニメ『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』も記録した数字だが、総人口が日本の半分に至らない約5,160万人の韓国では、単純計算でいえば、約1ヶ月の間に5人のうち1人が『オデュッセイア』を見たということになる。
正直な感想は、「IMAXで見なくても大丈夫か……」だった。というか、素肌の上に金属の鎧を着ている兵士たちが、血と砂まみれになり、塩水を浴びながら海の上を彷徨う場面をあの画質で見続けていると、自分の肌まで痛い感じがして辛かった。また、大きい画面で見た一つ目の巨人サイクロプスは怖かったけど、映画館から出ると目の前に聳える三つの顔を持つ《太陽の塔》に比べると大したものではないと思った。前作『オッペンハイマー』(2023)は、理論物理学という学問が、政治という現実の力学と結びついて、人間のコントロールを超えてしまう瞬間を描いた映画だから、学生たちには少しでも圧倒される感覚を覚えられるよう、IMAXの画面で見ることを勧めた。古今東西の映画がいつでもどこでも楽しめるコンテンツになった時代に「見る形式」を選ぶ作品は意外とそう多くはない。そして、共産主義への関与疑惑や実験が上手だという程度にしか描かれなかった弟のフランク・オッペンハイマー(1912-1985)が、メディア・アートの源流となる戦後のアートとテクノロジーの文脈で重要な人だという話をした。兄とは異なる方法で科学技術の社会貢献を目指した彼は、1969年に「自然現象を学ぶことで、世界を理解する力に自信をつける」ことを活動の目標にし、アーティストとの協働を重要な軸とする科学館、エクスプロラトリアム(Exploratorium)を設立した。さらに理解を深められる日本語の文献として、坂根厳夫さん(1930-2024)の著作を紹介したくて、大切なサイン入りの書籍数冊を講義室に持ち込んだけど、寂しいことに、この話に強い関心を見せる学生はいなかった。
光州市内のカフェで見かけた第16回光州ビエンナーレのポスター(筆者撮影)
変化の余白
第16回光州ビエンナーレに到着したのは、内覧会の翌日9月5日の朝のこと。入口に向かう階段で、たまたま通りかかった芸術監督のホー・ツーニェン(Ho Tzu Nyen|1976年生まれ)に出会った。声が出にくくなるほど疲れていたツーニェンは、「来ると言わなかったね」と、笑顔でハグしてくれた。私は「開幕おめでとう」と言いながら、「ごめんね、これがアーティストの友人に対する私なりのリスペクトなの」という言葉を心の中に留めた。好きだから距離を取るというと、一昔前の韓国ドラマに出てくるセリフ、「君を愛しているから一緒になれないんだ」みたいに聞こえるかもしれないけど、プレスとしてではなく、一般の観客としての鑑賞を選ぶと、入手できる情報の量が減るものの、それによって担保された距離から書ける文章の種類が増える。今年の光州ビエンナーレは、本当に良かった。だからこそ、バランスよく情報を伝達する類の記事ではなく、ごく主観的な感想を書いてみたい。
当初、現地のマスメディアは、過去2回光州ビエンナーレに参加したシンガポール出身のアーティストが、今度は芸術監督を務めることと、22カ国から43人/組という歴代最少の参加作家数に注目していた[1]。他方、開幕直後には、ツーニェンのキュレーションした本展示とは別の枠で、光州ビエンナーレ財団が公募で選定した国や組織のパビリオンのうち、韓国国立アジア文化殿堂(National Asian Culture Center: ACC)で展示している台湾館の名称をめぐる、ビエンナーレ財団、台湾、中国の関係者の間のトラブルが頻繁に取り上げられた[2]。気になるのは、このような政治的な対立や検閲に関する熱を帯びた報道から、しばしば展示内容や作品に対する本質的な議論が蔑ろにされがちな傾向が見受けられることである。個人的には、今回の台湾館の「インスタント・ダンジョン:グレーゾン(漢字表記:無限副本:灰色地帯)」展が、国立台湾美術館の展覧会「インスタント・ダンジョンと照準器」を縮小して構成されたためなのか、「世界的な権力闘争の中、絶えず反復され、絡み合う歴史と葛藤の空間」としての「ダンジョン」という隠喩や、「新冷戦構図の世界的な混乱の中、台湾の持つ複雑な歴史的、政治的文脈と戦略的な位置を深く探究する」という企画意図を、展示内容からいまいち掴めないことをとても残念に思った。もしそれができたとしたら、名称をめぐる一連のトラブルによって、むしろ国際社会の現実と共鳴する展覧会の力が際立ったはずだから。
それに対して、ツーニェンがライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke、1875-1926)の詩「古代アポロのトルソー」(1908)から借用したビエンナーレのテーマ「You Must Change Your Life」が、さまざまな状況に対する回答として機能しているように見えるのは興味深い。今年3月にソウルで開かれた記者会見でツーニェンは、この文章には「今日、私たちが直面するさまざまな危機と問題に対応する芸術の変革の力に注目する」という意味が込められている、「命令形の強制性はあるが、同時になぜ、どのように変わらなければならないか、ということを言わない開放性がある」と述べた[3]。なるほど、強く「変化」を求めながらも、その理由や方向性、時期と期間などは、すべて「相手」に委ねられている。では、その「相手」とは誰か。2人称の代名詞「You=あなた/あなたたち」は、話者と向き合う状況を前提に成立するので、言われる/読む側の立場からすると、常に主語は1人称の「私/私たち」になる。展覧会の解説文などで時々目にする、美術業界でしか通じない癖のある表現とは対照的に、平易な単語の組み合わせでできており、自己啓発系の本や選挙期間中の政治家の掛け声をも連想させるこのフレーズは、一度見たり聞いたりするだけで記憶に焼きつく。逆説的にも、この普遍性によって、芸術の言語でしか語れない変化とは何か、それはなぜだろうか、そしていかに可能なのかといった問いが、頭の中からずっと離れないのである。芸術は表現の対象となる問題に対してはどちらかといえば無力だが、その問題をいかに提示するかという点においてより大きな力を持つとした、ヒト・シュタイエル(Hito Steyerl|1966年生まれ)の言葉が浮かんだ。
オンラインで全文を読むことができるガイドブックに掲載された、ツーニェンと3名のキュレーター、崔敬華(1977年生まれ)、パク・ガヒ(1985年生まれ)、ブライアン・クアン・ウッド(Brian Kuan Wood|非公表)の連名のテキストでは、リルケの詩句について、次のように説明している。「Taking inspiration from this open-ended imperative, we approach change not as a destination but as a method.(この開かれた要請に触発され、私たちは変化を到達点ではなく、方法として捉えます。)」キュレーターの言葉は可読性を重視して韓国語に訳したという断りがあるとはいえ、「変化を目的地に辿り着く方法ではなく、ひとつの実践としてみなします」という韓国語の訳には違和感を感じた。ツーニェンのことだから、竹内好(1910-1977)の著書『方法としてのアジア』(1978)を念頭においた言葉選びだったかもしれない、というのはさすがに考えすぎだろうが、もしそうではなかったとしても、変化が実践だというのは当たり前すぎるから、方法(method)と実践(practice)は分けて訳してほしかった。
リルケの詩で始まる第16回光州ビエンナーレの第1展示室の展示風景 撮影:三嶋一路
差異と反復
展示室は5つ。各展示室に割り当てられた英語のタイトルは韻を踏んでいて、英語から韓国語への翻訳と、韓国語から日本語への直訳によって失われる部分があるが、起承転結の線形的な物語ではなく、循環性を帯びた円形の物語を紡ぐ構成は一眼で確認できる。前の単語はわかりやすく各展示室の切り口を示している一方、後の単語だけを繋げて読むと、1人称の主体に、連帯する、学ぶ、変化する、表現するという営みを促しているように見えて面白い。
第1展示室:Molecules and Me(分子と私)
第2展示室:Bodies and Bonds(身体と関係)
第3展示室:Landscapes and Learning(風景と学び)
第4展示室:Cosmos and Change(宇宙と変化)
第5展示室:Air and Articulations(空気と発話)
ドゥルーズの愛読者として知られるツーニェンの作品世界では、「差異と反復」が重要な原理として作用する。今回の展示構成においても、「変化」という全体テーマと通じる「差異」と、通常の国際芸術祭ではあまり見ない「反復」のリズムがあった。参加作家の待遇を受けた済州島の火山岩、電源のある端っこに隠れてガタガタ動きながら、保険会社の求める運動量を満たせるようスマホの歩数計測定データを操作する、《レゴ・ペドメーター・チーティング・マシーン(Lego Pedometer Cheating Machine)》(2019)をはじめとするゴールディン+セネビー(Simon Goldin+Jakob Senneby|2004-)の作品、複数の展示室に分散して展開するロッセラ・ビスコッティ(Rossella Biscotti|1978年生まれ)らの連作、随所で「またか」と登場する佐々木健(1976年生まれ)の約60点の絵画から、豊田市美術館で行なわれた個展「百鬼夜行」で見た《1人もしくは2人の虎》(2021)というツーニェンの作品を思い出した。
緑豊かな第3展示室の隅っこで歩数を誤魔化しているゴールディン+セネビーの《レゴ・ペドメーター・チーティング・マシーン》(2019)撮影:三嶋一路
普段物量に感心することは滅多にないけど、一番強烈な印象を受けたのは第1展示室だった。詩からはじまるその物語の中では、「可塑性」という共通点を持つ、約2トンの松脂、溶岩、ゴム、3Dプリント用のレジンといった物質が、搾取、暴力、失踪、隠蔽などの悲劇的な記憶と編み込まれ、再び溶けて、解れて、流れる未来を待っていた。それらの物質は、社会や地域の単位のみならず、セネビーの患っている多発生硬化症や、ビスコッティのリハビリ治療、ソーラブ・フラ(Sohrab Hura|1981年生まれ)の母親の統合失調症と犬の死など、個人の人生を揺さぶる身体の変化としての「病」の隠喩にもなる。
第1展示室の床に広げられた、ゴールディン+セネビー《松脂の池(Resin Pond)》(2026)撮影:三嶋一路
ロッセラ・ビスコッティが天然ゴムで作った連作 撮影:三嶋一路
第2展示室のソーラブ・フラ《ほろ苦い(Bittersweet)》(2019)と《人生は別のところにある(Life is Elsewhere)》(2005-2011)の展示風景 撮影:三嶋一路
天然ゴムで作ったロッセラ・ビスコッティの作品には、《スラティ(Surati)》、《メイ(Mei)》、《マイコ(Maiko)》など、インドネシアの小説に登場する女性たちの名前が付けられており、第4展示室の《ルーシー(Lucy)》と繋がっている。後述するいくつかの作品も含め、今回の光州ビエンナーレには、「名前」がタイトルになった作品が複数あった。それらは、小説、神話、伝説の登場人物の名前だったり、あるいは歴史的な人物の名前だったり、逆にありふれて匿名に近い名前だったりして、ひとりの個人と同時に複数人を名指すことができる。複数の流動的なアイデンティティを捉えたツーニェンの作品《名前(The Name)》(2015)や《名のない人(The Nameless)》(2015)を記憶している観客なら、別の文脈で制作された作品同士が、「名前」という共通点を通じて意味の射程を拡張させている点に関心を寄せたかもしれない。
非物質の情報であるはずなのに、サオダット・イズマイロボ(Saodat Ismailova|1981年生まれ)の映像作品からは、粒子みたいな不思議な質感が感じられた。第55回ヴェネツィア・ビエンナーレの中央アジア館で発表された《ズフラ(Zukhra)》(2013)のタイトルは、ウズベク語で「金星」を意味し、中央アジアの伝説に登場する若い女性の名前に由来するそうだ。眠る女性の姿に、伝説と歴史の断片が途切れ途切れ寝言のように重ねられる。ガイドブックの説明は、「「歴史は、(中略)ぼくが目覚めようとしている悪夢なんです」と、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922)[4] を引用しながら、この作品が曖昧にしている夢と目覚めの境界に触れている。この静寂な夜の時間を描いた作家が、第4展示室で炸裂する太陽のイメージを作った作家と同一人物だということを知った時、会期終盤に再び光州を訪れて、イズマイロボと同僚たちが中央アジアを新たに想像するためにはじめた、リサーチ・コレクティブDAVRA(2021-)のワークショップとトークに参加しようと思った。
第1展示室のサオダット・イズマイロボの《ズフラ(Zukhra)》(2013)の展示風景 撮影:三嶋一路
第1展示室の展示風景。中央奥の真ん中にサオダット・イズマイロボの《ズフラ(Zukhra)》(2013)が見える。撮影:三嶋一路
第4展示室の展示風景(筆者撮影)中央奥の真ん中にサオダット・イズマイロボの《太陽に溶けて(Melted into the Sun)》(2024)が見える。
形式の力学
今回の光州ビエンナーレにおける映像作品の比重や余裕のある空間配置を、映像を主な表現媒体としてきたホー・ツーニェンというアーティストの「偏愛」だとする意見を耳にした。確かに、私の限られた経験の中では、すべての映像作品をここまで丁寧に扱った国際芸術祭は見たことがない。複数の会場を繋げる複雑な動線を作り、世界各地から集めた大量の作品を一挙に見せる国際芸術祭という枠組みの中では、光と音を放つという特性、尺という鑑賞時間の制約、スクリーンとの物理的な距離の確保などのため、映像作品はむしろほかの表現より疎かな扱いを受けることが少なくなかった。これはただ単に私自身の「偏愛」かもしれないけれど、今年の光州ビエンナーレにおける、映像作品を「見る/見せる形式」に対する真摯な実験を高く評価したい。
さらに、この連載の出発点になった調査研究の観点からすると、いくつかの財団と組織による映像作品に対する制作・展示支援活動も重要なポイントになる。例えば、前述したイズマイロボの《太陽に溶けて(Melted into the Sun)》は、イタリアのイン・ビトウィーン・アート・フィルム財団(Fondazione In Between Art Film)とポルトのバターリャ・シネマセンター(Batalha Centro de Cinema, Porto)の助成を受けて制作された作品である。同財団は、「不確実性の三部作(Trilogy of Uncertainties)」と名付けられた、映像インスタレーションのグループ展を、ヴェネツィア・ビエンナーレの開催年に実施してきた。今年は、「Penumbra」(2022)、「Nebula」(2024)に続く「Canicula」 が開かれている[5] 。同展では、光州ビエンナーレの第1展示室でハン・ネフケンス財団(Han Nefkens Foundation)の助成を受けて制作した《リミナル(Liminal)》(2019)を発表したマヤ・ワタナベ(Maya Watanabe|1983年生まれ)が、回転するカメラ・アングルと傾いた床を用いた《ヤルコフ(Jarkov)》(2026)という作品を発表していた。歴史的な厚みを持つ未解明の対象を極端なクローズアップで撮影する手法と前傾したスクリーンの使用が両作品の共通点である。
第4展示室の小部屋におけるワン・トゥオの展示風景。前のふたつのモニターで再生されている作品は《所有権と自立性の実験的パラダイム》(2026)。後ろ側のふたつのスクリーンで投影されている作品は《ラチェット・ドリル(Ratchet Drill)》(2026)。撮影:三嶋一路
「Canicula」(2026)における《所有権と自立性の実験的パラダイム》(2026)の展示風景 撮影:三嶋一路
一方、その8人/組の参加作家の中のもうひとり、ワン・トゥオ(Wang Tuo|1984年生まれ)の《所有権と自立性の実験的パラダイム(The Experimental Paradigm of Ownership and Autonomy)》(2026)は、光州ではもうひとつの新作《ラチェット・ドリル》(2026)と同じ空間で同時に展示されていた。それぞれ、ワン本人の書き下ろした小説に基づいた〈不在に関する批判理論〉(2026-)三部作の第1章と第3章に該当するものである。観客が狭い暗室の床に座り、手前の作品をモニターに繋がったヘッドフォンで、奥の透過性スクリーンをスピーカーで鑑賞する形式は、完成形だとは思えないが、作品間の音と映像の干渉を積極的に利用している点が特徴的だった。あるキュレーターの言葉通り、もしワンが左派の知的伝統に対する強い共感を抱き、その今日の意味を問い続けているアーティストであり、《所有権と自立性の実験的パラダイム》という作品のメッセージが、「連帯とは、共通の傷や治癒ではなく、不完全さそのものとの関係性の共有から生まれる」ということだとすれば、こうした形式的な不完全性もまた作家の重要な意図なのかもしれない[6]。今回は会場でそこまで解読することはできなかったけど、現在制作中の第2章が出来上がり揃った時に、3つの作品の見せ方がどのように変わっていくのかが楽しみだ。
「映画的建築(cinematic architecture)」を標榜した「Canicula」は、ヴェネツィアならではの歴史的な建築空間と映像インスタレーションの相乗効果を最大化した見応えのある展覧会だった。ただ、蒸し暑い日(dog days)を意味するタイトルのもと、過剰、危機、飽和という抽象的なテーマで結ばれていたこともあって、個別の作品の中身より、イメージとサウンド、空間演出のスペクタクルが強烈な印象を残した。その中で、ウクライナの役者たちに臨死のロシア兵士を演技させたロマン・ヒメイ(Roman Khimei |1992年生まれ)とヤレマ・マラシチュク(Yarema Malashchuk|1993年生まれ)の連作は、絵画の伝統を意識した構図と空間演出を用いた意欲的な試みだったけど、映像による絵画の再媒体化(remediation)は、ビル・ヴィオラ(Bill Viola|1951-2024)に代表されるビデオ・アートにやり尽くされたため、もはや新しくはないように思われた。いずれにせよ、撮影機材から上映環境まで最高レベルの技術を活用した「Canicula」が見せた方向性は、現代美術の文脈で「映画的」と形容されるもので、映像文化全般を支える技術の進化とともに、今後加速的に発展していくのだろう。
ロマン・ヒメイ&ヤレマ・マラシチュク〈Wishful Thinking〉(2026)の一部。「Canicula」Complesso dell’Ospedaletto、ヴェネツィア、2026年 撮影:三嶋一路
ロマン・ヒメイ&ヤレマ・マラシチュク〈Wishful Thinking〉(2026)の一部。「Canicula」Complesso dell’Ospedaletto、ヴェネツィア、2026年 撮影:三嶋一路
P. スタッフ《Terminal Lucidity》(2026)「Canicula」Complesso dell’Ospedaletto、ヴェネツィア、2026年 撮影:三嶋一路
ローレンス・アブ・ハムダン《450XL: The Story of a Fugitive Sound》(2026)「Canicula」Complesso dell’Ospedaletto、ヴェネツィア、2026年 撮影:三嶋一路
ヤニス・ラファ《Baby I’m Yours, Forever》(2026)「Canicula」Complesso dell’Ospedaletto、ヴェネツィア、2026年 撮影:三嶋一路
他方、「Canicula」の美学とは真逆の可能性を、光州ビエンナーレの第2展示室で確かめることができた。白くて狭い通路型の部屋の頭上に取り付けられた小さなテレビを用いて上映された、マシュー・バーニー(Matthew Barney|1967年生まれ)の作品《SCABACTION》(1988)である。最初は、1990年代に韓国で人気を博したサムスンの「명품(黒い枠に「名品」と漢字で表記)」というモデルのブラウン管テレビを使った選択があまりにも的確で笑ってしまったが、執拗にクローズアップされた、男性の顎から髭を抜く毛抜きと皮膚の引っ張り合い、粘液が塗られる歯車、溶接される彫刻などのイメージが交差する映像を見ていると、思わず身体が震えた。なぜなら、この学生時代の作品に、その後に繰り広げられるバーニーの作品世界の本質みたいなものが凝縮されていたからである。「Canicula」で見た、男性たちの肉体の暴力的なほどの不穏さ(ヤニス・ラファ)や、壁に黒い金属を塗った部屋の中で上映された液体まみれで回転する機械など(ユーアン・ワン)のイメージを凌駕する不思議な力が、この低画質の小さな映像に宿っているように見えた。ただ、困ったのは、バーニーの他の作品を見たことのない世代に、この感覚をうまく説明できないということ。バーニーは、身体を「有機的な建設現場」や「より大きくて抽象的な装置の部品」と見なしたアーティストであり、彼にとって男性性とは「訓練と反復、ファンタジー、そして崩壊から成り立つ構造」だと紹介する解説文には同意するけど、この作品だけでみんなに納得してもらうのは少し難しいかもしれない。今回はひとりのアーティストの複数の作品を展示しているのだから、バーニーの代表作を写真で何点かでも一緒に展示すればよかったのにと思った。
マシュー・バーニー《SCABACTION》(1988)の展示風景。第16回光州ビエンナーレ(第2展示室)撮影:三嶋一路
変化という方法
全体的に低めの照度だけど、特に第4展示室はブラックボックスを彷彿とさせる空間で、映像インスタレーションが放つ鮮烈な光と音が観客を迎える。火山岩の置かれたその入口のあたりに、それらとはまったく毛色の違う作品があった。3台のスライド・プロジェクターで投影されているおぼろげなイメージは、女性の身体の一部、手書きのテキスト、花、史料、日常の風景など。ちゃぶ台くらいの高さの曲線的なフォルムの台に置かれた不揃いの陶器。ヘッドフォンからは女性たちの歌が聞こえてくる。「カンガンスルレ、カンガンスウォレ……」そして、薄い生地に見える白い何かを一緒に支えている女性たちの手の写真。ナム・ファヨン(Hwayeon Nam|1979年生まれ)という作家を知らない人は、ほのかな光に包まれた映像、どこか寂しい歌声、「私の名は」など、少し滲んだ手書きのテキスト、生地など被写体の柔らかさで、この作品を記憶するかもしれない。解説文を読んだら、《スニ》というタイトルが、朝鮮王朝が大々的にカトリック教の信者を処刑、投獄した1801年の辛酉迫害(辛酉教獄)が起きた当時、光州に隣接した全州という都市で、20歳の若さで殉教したイ・スニという女性にちなんでいることを知れたのだろう。彼女は、루갈다(ルガルダ|Lutgarda)という洗礼名を持っていた。
いままで友人としてファヨンさんの作品を見てきた私には、作品の細部まで意味があることを信じて、もう少し深読みできるところがあった。まず、小麦粉と土は、第1展示室の松脂、溶岩、ゴム、レジンと通じる「可塑性」を持つ素材で、水に混ぜて、火で焼くという不可逆的な変化を経て、それぞれパンと陶器になる。また、それらは、朝鮮時代には女性のみが出入りしたとされる厨房という空間と、大家族制度では女性の集団労働を必要とした料理という営みを連想させる。この「変化」と「共同/協働性」が、作品の中でカトリック教に対する迫害の歴史と結ばれているのなら、みんなの手で支えている白いものの写真は、小麦粉と水だけでできた御聖体を食べるカトリック教の儀式と、それを身体に入れ、洗礼名という新しい名前をもらうことによって、信者として生まれ変わるという「変化」、そしてその変化を共有する「連帯」を暗示するイメージだと理解することができよう。それが小麦粉からパンになる途中の状態、いますぐにも破れそうな薄い生地であり、作品に使われた光と音が弱くて小さかったのは、その連帯が傷つきやすい存在たちからなるものだったからだと思う。ところが、なぜ伝統民謡だったのかという疑問は残った。カンガンスルレとは、秋夕(チュソク)と呼ばれる旧暦の8月15日の満月の夜に、女性たちが手をつないで歌いながら回る伝統舞踊のこと。円舞という踊りはどこも一緒だけど、歌詞は地域によって少しずつ異なる。ヘッドフォンから聞こえてくる歌も、ファヨンさんが書き下ろした歌詞だった。原曲を知っている人なら、本来豊作を祝う楽しい歌が、哀愁を帯びた音色に書き換えられていることに気づいただろう。
ナム・ファヨンの《スニ》(2026)ほかの展示風景 撮影:三嶋一路
その日の午後、ツーニェンの司会で行なわれた、ファヨンさんとベンジー・ラ(Bhenji Ra|1990年生まれ)[7] のトークに参加して、その疑問が解けた。夏に体調を崩して、身体の持つ圧倒的な物質性を痛感したことがきっかけで、2020年にART iTのインタビューでも語ったコレオグラフィーに対する関心を超えて、「ポスト・コレオグラフィー」の段階に入ったとしたファヨンさんは、イ・スニという殉教者がシスターたちと獄中でやりとりした手紙を読みながら、肉体的な苦痛を甘受できるほど大きな力になったのは何かと自問したと言う。「西学/邪学」と呼ばれた学問とともに流入した外来宗教の信徒になることは、スニのような庶民の女性にとって、それまで知っていた世界への「抵抗」、つまり、儒教を基盤した家父長制の身分社会との「決別」を意味したのであろうと。既存のコミュニティから排斥された彼女たちは、焼き物を作って旅商いをすることで生計を立てていた。案の定、観客から、なぜ信徒たちの歌った讃美歌ではなく、直接関係のない伝統民謡を選んだのかという質問が出た。それを重要な質問だと指摘したファヨンさんは、信者になるという宗教的な決断が、過去の自分と断絶して別のコミュニティへ移行するという、主体の政治的な決断になっていたのであろう彼女たちのためにお別れの歌を書き下ろしかったと答えた。歴史に触発された問いを、同時代にも繋がる普遍的な問題へ昇華させるところがファヨンさんらしい。そう、この作品の語る「変化」とは、西洋から東洋へ流れてきた異なる世界観の受け入れである以前に、個人が「生きる方法」を変える決断だったのである。
「このインスタレーション、ソウルの個展と似ているね」と言ったら、ファヨンさんは「あの人も同じことを言ってたよ」と共通の知人の名前を挙げて笑った(こうして、作品を介して尊敬する人とつながる瞬間ほど嬉しいことはない)。一宇美術賞の受賞作家(2024)として行なった個展「昼寝(낮잠|Nap)」(2026)は、各地のビエンナーレとアートフェア、さまざまな展覧会で韓国の美術界が盛り上がっている時期に、大韓航空の社屋1階に位置する一宇美術館で行なわれた[8]。いまはこの世にいない犬の眠る写真、宴会の後みたいに散らかった会場に響く子守唄、床に寝転がっているパフォーマー(たち)、枯れた植木鉢、アリの移動経路を糸で記録した写真連作《アント・タイム》(2014)、大きな鏡、24時間ライブ配信されている日時計……。加速する韓国社会を象徴する大手企業の入口を、全く異なる速度の時間が充満する空間へと変貌させた、この「脱力」の力強さには、明滅する映像インスタレーション群の間で《スニ》が放っていた存在感に近いところがあったのである。
ナム・ファヨンの個展「昼寝」(一宇美術館、ソウル)の展示風景(一部)撮影:三嶋一路
「1980年、世界の秩序を変えようとした人たちがいました。傷と悲しみに耐えて変化してきた人たちがいました。光州において、変化とは抽象的な概念ではなく、生きている歴史なのです[9]」。こうしたツーニェンのメッセージは、観客に届いたのだろうか。現代美術は難解すぎるという一部の批判[10] の中でも、開幕後1ヶ月で来場者16万人を記録した第16回光州ビエンナーレは、順調に船出したようだ。このエッセイを書くために、ペーター・スローターダイク(Peter Sloterdijk|1947年生まれ)の書いた『You Must Change Your Life』(2009、未邦訳)を韓国語で読み直し、やはり嫌気がさして途中で投げ出した。でも、この好きではない哲学者が、リルケにちなんで書名を選んだ理由を説明するために、ウクライナ出身のドイツ系ユダヤ人の詩人、パウル・ツェラン(Paul Celan|1920-1970)を引用したことを見つけたのはよかった。たったひとつの文章でできたこの散文(1969)が、2026年の光州ビエンナーレの提示した「変化」と共鳴しているように思われたから。
「詩は、もはやみずからを押しつけようとするものではなく、みずからを曝そうとするものである。(Poetry no longer imposes, it exposes itself.)」[11]
*1 アーティストとしては、初めて光州ビエンナーレの芸術監督となったホー・ツーニェンは、第12回「Imagined Borders」(11名のキュレータによる共同キュレーション、2018)と第13回「Minds Rising, Spirits Tuning」(芸術監督:デフネ・マヤス、ナターシャ・ギンワラ、2021)に参加して、第13回ではGBコミッション作品《易経四十九掛(The 49th Hexagram)》(2020)を制作・発表した。
2019年、台湾のアーティスト、シュウ・ジャウェイ(Hsu Chia-Wei|1983年生まれ)とツーニェンが共同で芸術監督になったアジアン・アート・ビエンナーレ「The Strangers from beyond the Mountain and the Sea」(国立台湾美術館)の時も、16カ国/地域から30人/組へ参加作家数が大幅に減らされたことが話題になっていた。
*2 「台湾パビリオン」という当初の表記が、途中で国立台湾美術館(National Taiwan Museum of Fine Arts)の略語「NTMoFAパビリオン」になり、開幕直後に無料配布されたマップにはこの表記が残っていた。変更に対する台湾側の抗議を受けて、光州ビエンナーレ財団が8月25日に「台湾パビリオン」という名称を復元した。それを受けて9月3日には、河正雄美術館を会場としていた中国パビリオンの関係者が公式撤退を発表した。光州市立美術館の分館である同美術館は、在日コリアン2世の河正雄が一生をかけて収集してきた在日朝鮮人/韓国人の作品の寄贈を受けて設立された美術館である。
https://www.ha-jw.com/korea/gwangju-art-museum/
*3 「“너는 네 삶을 바꿔야 한다”… 올해 광주비엔날레 주제 발표 (종합)(“あなたはあなたの人生を変えなければならない”…今年の光州ビエンナーレのテーマ発表(総合))」、聯合ニュース、2026年3月13日。
https://www.yna.co.kr/view/AKR20260313030651054
*4 「歴史は、と、スティーヴンは言った。ぼくが目覚めようとしている悪夢なんです。」ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ 1-12』柳瀬尚紀訳、河出書房新社、2016年、66頁を参照。
*5 映像(moving image)の文化的役割に焦点を当て、アーティスト、文化機関、研究組織などへの支援を目的に、2019年に設立された財団。設立者は、ベアトリーチェ・ブルガリ(Beatrice Bulgari)。新作のコミッション・制作、展覧会や参加型プログラムの企画、国際機関との連携、出版などを通じて、映画、ビデオ、パフォーマンス、インスタレーションなど、タイムベースド・メディア(time-based media)の境界を探る。2012年から2019年までアーティストや監督による映像・映画制作を支援したIn Between Art Filmプロダクション・ハウス がその前身となる。「Canicula」の参加作家は、ローレンス・アブ・ハムダン(Lawrence Abu Hamdan|1985年ヨルダン生まれ)、マッシモ・ダノルフィ(Massimo D’Anolfi|1974年イタリア生まれ)&マルティーナ・パレンティ(Martina Parenti|1972年イタリア生まれ)、ヤニス・ラファ(Janis Rafa|1984年ギリシャ生まれ)、ワン・トゥオ(Wang Tuo|1984年中国生まれ)、ロマン・ヒメイ(Roman Khimei|1992年ウクライナ生まれ)&ヤレマ・マラシチュク(Yarema Malashchuk|1993年ウクライナ生まれ)、P. スタッフ(P. Staff|1987年イギリス生まれ)、ユーヤン・ワン(Yuyan Wang|1989年中国生まれ)、マヤ・ワタナベ(Maya Watanabe|1983年ペルー生まれ)。
*6 Alvin Li, “Against Repair,” in Bianca Stoppani, Alessandro Rabottini, Leonardo Bigazzi (eds.), CANICULA (exh.cat.), Marsilio Arte, 2026, p.283, p.291
*7 光州ビエンナーレへの出品作のひとつ、《ビラダリ、地平線で踊る(Biraddali Dancing on the Horizon)》(2024)の「ビラダリ」とは、フィリピンのスールー諸島に言い伝えられる存在の名前。トークでのラの紹介によれば、作中でビラダリは、過去と現在、人間と非人間、記憶と想像を繋げる、ノン・ジェンダー的な天上の存在(non-gendered celestrial figure)として描かれた。なお、ラは釜山ビエンナーレ2026にも参加している。
*8 「一宇(イルウ)」とは、大韓航空と物流産業を抱える大手企業、ハンジン・グループの2代会長のチョ・ヤンホの雅号。2014年に大韓航空ナッツ・リターン事件を起こした「ナッツ姫」は、氏の娘である。韓国の航空産業は大韓航空とアシアナ航空の2社が牽引してきたが、国内第1位の大韓航空が第2位のアシアナ航空を吸収、合併したため、2026年12月17日にアシアナ航空というブランドは消滅し、全日空のマイルを貯められたスターアライアンスから脱退する。
*9 「‘변화’와 ‘실천’이 변화의 도시 광주에서…16회 광주비엔날레가 온다(‘変化’と‘実践’が変化の都市光州にて…16回光州ビエンナーレが来る)」京郷新聞、2026年3月13日。
https://www.khan.co.kr/article/202603131555001
*10 「그래서 어쩌라는 것인가 호추니엔 답한 광주비엔날레(それで、どうしろというんだ ホー・ツーニェンの答えた光州ビエンナーレ)」ソウル経済TV、2026年9月15日
https://www.sentv.co.kr/article/view/sentv202609150233
*11 パウル・ツェラン『パウル・ツェラン詩論集』飯吉光夫訳、静地社、1986年、56頁。
馬定延|Jung-Yeon Ma
1980年韓国ソウル生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科修了(博士・映像メディア学)。著書『日本メディアアート史』(2014)、共編著書『SEIKO MIKAMI: 三上晴子-記録と記憶』(2019)、論文「光と音を放つ展示空間—現代美術と映像メディア」(2019)、「この領土の芸術、この芸術の領土—ホー・ツーニェンの『日本三部作』をめぐって」(2023)、共訳書『Paik-Abe Correspondence』(2018)、『田中功起:リフレクティヴ・ノート(選集)』(2020-21)など。現在、関西大学文学部表象文化専修教授、国立国際美術館客員研究員。researchmap
本研究の一部は、2026年度 関西大学学術研究員研究費によって行なわれた。
