38:再説・「爆心地」の芸術(15)除染される大地と芸術(後編)

2013年12月18日

赤城修司「20130106福島市音楽堂」、2013年

赤城修司はもと、画家であった。いや、現在も画家ではあるのだが、絵はもう描いていない。その代わり膨大な量の写真を撮る。けれども、これらの写真が、かつて描いた絵の「代わり」をしているのかどうかは、本当のところわからない。赤城が絵を描かなくなった直接の原因は、震災で起きた原発事故と、その余波で起きた福島市内の放射能汚染だ。のほほん(かどうかはわからないが)と生きていた日常が、ある日を境に、そのまますごしてよいのか誰にもわからない「汚染地帯」になってしまったのだ。赤城が執拗に身の回りの様子を写真に撮るようになったのは、それからのことである。

先日、「未来の体温」展の準備を兼ね、福島市内を訪ねた際に赤城の家で見せてもらった震災前の絵には、なかばあっけにとられた。暮らしをめぐる環境と心理のかくも劇的な変化にもかかわらず、赤城の絵は、原発事故以後に撮られた写真と、きわめてよく似た感触を持っていたからだ。それらは、ガラス越しの街並みや路傍の雑草などを、無人(あるいは後ろ姿)の風景としてパネルに描くものだった。原発事故以後に注目を集めるようになった赤城の写真を観た目でとらえれば、事故以後の汚染された「フクシマの日常」を描いていると取られても不思議ではない。事実、それらの「風景画」は、日ごろから撮り貯められていた福島市内の様子を写真から再現したもので、後に、汚染された日常の記録として赤城が撮ることになる街の近辺も含まれる。通行人の顔を伏せた、人気(ひとけ)に乏しい描き方もよく似ている。いったい、赤城のなかではなにが変わり、なにが変わっていないのか。震災を境に表現が不自然に深刻化したり、単に「なかったこと」にしてやり過ごすのとは根本的に異なる持続と変容が、そこには感じられる。


赤城修司「道端」、2010年


赤城修司 左:「森合町窓景」、2008年 右:「横断歩道」、2005年

もっとも大きな変化は、むろん、絵画から写真に移ったことだ。けれどもそれは、絵画よりも写真のほうが手軽だからではないだろう。むしろ赤城は、写真に移行してからのほうが、手間も工夫も思いのうえでも、はるかに膨大な時間を作業に費やすようになっている。もとの赤城による絵の描き方にしても、見え方の変哲もなさに比べ、けっして「手軽」なわけではなかった。同じ場所を写した写真を比べながら、厳選した場面を最適なトリミングで切り取り、大きなパネルに克明に写していく。その成果は、震災に先立つ3年前の2008年に応募した東京での団体展(新制作)での入選に始まり、翌09年には逃したものの、10年には二度目の入選を果たしている。順調にいけば、2011年にも恒例通り応募する予定だったという。そんな折り、あの震災が起こったのである。

それを機に、赤城は絵を描くのをぴたりとやめてしまう。公募展への応募も当然のように見送っている。あれだけのことが起きているのに、なんの変わりもなく平然と展覧会が続けられていくことに、強い違和感を抱いたからだという。こうして、「街を歩く→ 写真に撮る→ 絵に描く→ 保存する」というプロセスから、「絵に描く」という、画家にとっていちばん肝心な項目がごっそりと抜け落ちることになった。しかし逆に言えば、ほかの項目は生き残ったのである。

いま「保存する」と書いたが、赤城は原発事故以後、保存していた絵を少なからず捨てている。それは、なまじ大切に取ってある絵などがあるから、汚染された福島から出られないのだ、という思いからだったという。それにしても、画家が自身の絵をゴミと同じように捨てるというのは、よほどのことだ。当時、赤城が置かれた状況の切迫を想像してあまりある。にもかかわらず、絵を「捨てた」ことは、逆説的に赤城にある「利便性」をもたらした。たとえば先に触れた「保存」にしても、デジタル写真のデータならアトリエのように場所など取らない。コンピュータのなかにアーカイヴしていけばよいだけだし、クラウド化すれば自宅のような特定の場所さえなくなる。震災以後に撮り続けられる膨大な量の写真を「保存」するには、赤城にとってかっこうの手段が与えられたのだ。ゆえに、赤城の作品保存への執着は、震災前よりもむしろ強化されているようにさえ見える。


赤城修司「20130426福島市役所」、2013年


赤城修司「20130509路傍の土」、2013年

これと歩調を合わせて膨れ上がったのが、原発事故以後の福島市内の様子を収める「記録」への執着だろう。カメラによる撮影だけでなく、「撮影したこと自体への記録」(日時、場所)を残す様々なツールにも長じていた赤城は、ここに携帯型のガイガーカウンターも加え、原発事故以後の福島市内を、日常の風景と放射線量から捉える、巨大な写実像——立体とも平面ともつかない——を描き出すことになったのだ。以前は日課のように街をランニングしていた赤城にとって、市内の各所をくまなく歩き回るのが体力的に苦にならなかったのは、不幸中の幸いであった。僕が出会う赤城は、いつも全身黒づくめ(目立たないため?)で、腰のフォルダーの左右に線量計とカメラを振り分けて装着し、いつでもどこでも片手で取り出して操作できる「二刀流」となっている。自家用車にリアルタイムで線量の推移を記録する線量計を装備しているのも見たし、自宅の庭が除染される様子を自動でシャッターを切る据え付けのカメラで記録していたのも知った。赤城の場合、さらにここに街の様子を伝える音の記録まで加わったのである。

このように、赤城の「表現」——と言ってよいのかわからないが——は、実は、とうてい「写真」という枠に収まるものではない。その様相はすでに、生活の圏内に限定されつつも、空間的にも時間的にも際限なく継続される、異形なパフォーマンスの域に達している。

が、だからといって、赤城の生活する福島市内の汚染が消えてなくなるわけではない。そのことで、絵を描いていたころとはまったく異なるある分裂が、赤城の新たな表現——やはり、そうと言うしかなかろう——へと宿命的に取り憑くことになった。ひとつには、離脱すべき福島市内の汚染状況の記録に執着すればするほど、そのことが「赤城修司」の属性をより深く浮き彫りにすることとなり、赤城自身を、より強固にいま住む土地に縛り付けることになりかねない、という矛盾だ。そして、さらにもう一点は、赤城が残すことになる膨大な量の記録=表現を、いったい「誰」が発見するのか、という問題である。いずれも、簡単に答えの出るようなことではない。

けれども、その困難があるからこそ、赤城の行為と写真は、いわゆる「部外者」が一時的に足を踏み入れて撮るだけの、いわゆる「被災地アート」とは根本的に異なるものとなっている。また赤城が暮らす福島市内は、人口密集地にバラ撒かれた放射性物質の除染という、文明史上にも例のない事態の渦中にある(前回触れた美術館の除染もその一環だ)。そのことの本当の意味が見えて来るのは、赤城と同時代を共有するわれわれではなく、きっと、もっとずっと先の未来を生きる見知らぬひとたちの目線からだろう。この意味で、赤城の行為と記録は、「フクシマ」から逃れられない現実以前に、限りある一個の生命体として「いまこの時に縛りつけられている」赤城自身が、彼にとっての限られた時空を「未知の誰かに送り届ける」という、絶対に埋められないズレを、もとからともなっている。画家であったころの赤城がとりあえずの目標としたのは、目前で開催される公募展での入選だった。しかしもはやいま、それはない。彼の表現は、顔の見えない誰かへと向けて彼方へと放たれる、いわば投瓶通信となった。だが思えばそれこそが、デザインやイラストやエンターテインメントと違って、アートがアートでしかありえないことの宿命的な存在理由ではなかったか。震災を機に赤城がアートに目覚めたのではない。アートのほうが赤城に取り憑いたのだ。

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