「市井の山居」あれこれ 第一回

「市井の山居」あれこれ

銀座の真ん中にひっそりとした隠者の居をしつらえた展覧会「市井の山居」。本展覧会では、山居の主人である細川護熙が今回初めて展示する絵画作品をはじめ、絵皿、茶碗、陶仏、書といった多岐にわたる作品の数々が展示されています。
『「市井の山居」あれこれ』では、作品の背後に流れる細川の芸術への造詣とともに、山居に散りばめられた作品にまつわるエピソードを紹介します。

【第一回】 油彩と白隠

今回、細川は昨年から精力的に制作している油彩をはじめて展示しました。風景、寺院の遠景、仏の姿など、多岐にわたるモチーフがキャンバスのなかに描かれていますが、なかでも展覧会のポストカードにもなっている、達磨の作品は細川が始めて描いた油彩作品のひとつであり、細川自身、もっとも気に入っているものといいます。

一見、モダンなこの作品ですが、モチーフになっているのは、実は墨で描かれた禅画。江戸中期に臨済禅を再興した禅僧、白隠(はくいん:1685-1768)の「達磨像」という作品です。

静岡県沼津市で生まれた白隠は、出家を決心してから、全国各地の寺を渡り歩き、厳しい修行を重ねました。その修行の厳しさは、1707年の富士山の大噴火のとき、激しい噴出に逃げ惑う民衆のなかでひとり座禅を組み続けていたという逸話が残っているほど。白隠は沼津の松蔭寺の住職として落ち着くと、84歳の生涯を閉じるまで、一日一日を惜しむように膨大な量の禅画や書物をしたためました。禅画に関しては、筆跡に潜む気迫と力強さは他に比するものはなく、圧倒的な存在感のある作品を数多く残しています。

細川の祖父、護立はこの白隠を心から敬愛し、日本全国の寺に散らばった白隠の作品の収集に尽力しました。幼少のころから病弱で、20歳までの生を全うできないと医者から忠告されていた護立は、白隠の書いた「夜船閑話(やせんかんな)」という本に出会い、深く感銘を受け、白隠の考え方を実践します。必ずしも万人からの評価が高くなかった白隠の作品は、ときには寺の蔵や屋根裏に埃をかぶって眠っていることも多々ありました。そんな白隠の作品を護立は根気よく探し出しては持ち主から譲り受け、毎晩、白隠と仙崖の画を代わる代わる架け替えていたといいます。今では相当の数の白隠の書画作品が、細川家の永青文庫(細川コレクション)に保存されています。

細川は、絵画を描くにあたって、まずは、油彩の魅力に惹きつけられたといいます。油彩のボリューム感、力強さ、色を塗り重ねるプロセスは平面を尊重する日本画にはない特徴です。このことはまさに、白隠の禅画が当時、その大胆さで物議をかもしながらも、なお人々を魅了し続けたことに通じているかもしれません。

※白隠の書画は、東京国立博物館「細川家の至宝」展(2010年4月20日~6月6日)で数点展示されています。

■「市井の山居」あれこれ 第二回
■「市井の山居」あれこれ 第三回

「市井の山居」細川護熙展については↓

「市井の山居」 細川 護熙展

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