小谷元彦:SP4 ‘the specter’ in modern sculpture

2009.4.4–5.2
山本現代 (東京)
http://www.yamamotogendai.org/

文:住吉智恵


SP4 the specter – What wonders around in every mind, 2009
FRP, cloth, horsehair, other media, 30 x 235 x 105 cm
Photo Kioku Keizo, courtesy Yamamoto Gendai

物質や肉体に対する独自のフェティッシュを作品に昇華させてきた小谷が「満を持して」取り組んだのは、彫刻の原点ともいえる等身大の「騎馬像」と「裸婦像」だ。発表のたびにそのリキみを華麗に上回る新しい表現を見せてくれるが、時おりベタな日本近代彫刻のアカデミズムに回帰するような素振りを見せて、自他に向けて真の実力を試すようなところがある。関西のお笑いにも片方の軸足を置く小谷はそれを「親戚のおっちゃんたちが『日本ゼロ年』で木彫の裸婦を見て初めて誉めてくれたんですわ」とうそぶくが、そのコンサバ志向は単なるポーズではない。彼はロダンや古代彫刻の模写から始まり、今なお残る西洋的な人体表現への信仰と矛盾を、「死してなお生きながらえる」脳内ゾンビととらえた。結果生まれた表現はアイロニーを超えた、近代彫刻への愛憎を孕む、鬼気迫るものとなった。馬ともども筋肉や血管をぬらぬらと露にし、やせこけた騎馬像は戦場の勇者よりも超然と、死神の形相でこちらを見下ろす。「死を想え(メメントモリ)」という揺るぎない命題を掲げ、颯爽と荒れ野を駆けめぐるイメージが瞬時に浮かんだ。それこそ古代以来、彫刻という表現が憧れつづけた「物質に生命を吹き込む」ことではないか。皮肉なことに作家はそれを、人体を覆う皮膚や隆起する筋肉の表情を剥ぎとることで実現したのである。小谷は「脳内に巣食うたくさんの幻影(ファントム)が自分を行動させているのではないかという疑念を可視化した」という。ファントムとはときに意識下に潜む「先人を超えたい」という反骨に満ちた野心なのかもしれない。

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