クリストドロス・パナイトウ『書いて、消して、また書いて消す、そしてケシの花が咲く』@ 現代美術センターCCA北九州 CCAギャラリー


Copyright 2017 Christodoulos Panayiotou and CCA Kitakyushu Photo: Ken’ichi Miura

クリストドロス・パナイトウ『書いて、消して、また書いて消す、そしてケシの花が咲く』
2017年2月6日(月)-3月3日(金)
現代美術センターCCA北九州 CCAギャラリー
http://cca-kitakyushu.org/
開廊時間:10:00-17:00(土曜は12:00-17:00)
休廊日:日、祝
※オープニング・レセプション:2月3日(金)16:00-18:00

現代美術センターCCA北九州では、パフォーマンス性を幅広く展開、探求する制作活動で知られるキプロス出身のアーティスト、クリストドロス・パナイトウの個展『書いて、消して、また書いて消す、そしてケシの花が咲く』を開催する。

クリストドロス・パナイトウは1978年キプロス・リマソール生まれ。現在はパリとリマソールを拠点に活動。ダンスや演劇、文化人類学を学んだパナイトウは、多岐にわたる表現方法で、歴史的、文化的な課題を始点に、国家のアイデンティティと構造や、記憶などの問題を扱っている。時に母国キプロスに関する事象を取り上げながら、社会における公衆と個人のあり方を観客に問いかける作品を発表し、2015年には第56回ヴェネツィア・ビエンナーレのキプロス館代表として個展を開催。近年は、Lumiar Cité(リスボン、2016)、Point Centre For Contemporary Art(ニコシア、2015)、ストックホルム近代美術館(2013)、カジノ・ルクセンブルク(2013)などで個展を開催。ドクメンタ13(2012)や第8回ベルリン・ビエンナーレ(2015)、第7回リバプール・ビエンナーレ(2012)、大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2012といった国際展や世界各地の企画展に参加している。また、2017年もシャルジャ・ビエンナーレ13などへの参加が控えている。

本展タイトルは、2013年のCCA北九州プロジェクト・ギャラリーでの前回の個展に続き、パナイトウ自身が選んだ英訳された俳句「I write, erase, rewrite, erase again, and then a poppy blooms」を原文によらずに訳したものを使用している。以下、プレスリリースより、パナイトウの文章を転載。

2017年1月17日 北九州にて
アキコへ

八幡の同じマンションの部屋にまた戻って来たよ。同じベッドに寝て、同じ窓から外を眺め、同じ通りをうろついている。北九州にいると、馴染みのある孤立感を感じる。ほら、普段は戻ってくるより出かけることが多いからね、この2度目の招待で、君はちょっと違う(そしてむしろ不安定な)経験を提案したことになる。

不安定だというのは、戻ってくるという行動そのものじゃなくて、「あの時」と「今」のあいだのぼんやりしたギャップの認識なんだ。理解にてこずる括弧、つまり()のあいだの間というか、言い表すのはもっと難しい。例えば、前回、僕が買った白い洗濯かごはもうない、ベッドは少し固くなった気がする。皿倉山の山頂は突然雪に覆われ、八幡駅側で、もうすぐ見事に花開くはずの桜の木は見当たらない。

昨日は、中身の濃い話ができて良かった。君に教えられなければ、話にのぼった幾つもの概念は理解できないままだっただろうから。帰宅する電車のなかで思ったんだ、翻訳をめぐるあらゆる努力は、我々が自分自身から、自分たちの文化や思想から逃れられないがゆえに、「他者」を理解することなどできないという考えへの抗議かもしれないと。

ある種の無理なことを、今回もう一度、お願いしていいかな。前回同様、僕の好きな俳句をシンプルな一行の翻訳文にしたいんだ。「I write, erase, rewrite, erase again, and then a poppy blooms」という北枝の辞世の句だよ。この伝言ゲームをしてくれないかな、これを日本語に訳し戻して?

日本語がわからない者にとっての俳句の魅力は、まさにその翻訳不可能なところじゃないかな。つまり、どこか厳粛な感じと核心を突く暗示が文章に凝縮されている。僕がものを学んでいく時期に出会った詩は、それと反対に、溢れかえるような言葉でつくられた冒険の連続だ。そうあるべきでないやり方で言葉は使われる。それらの言葉によって、そしてその言葉の中で、こうした詩は(大抵は美しい)その力を引き出し、使っていく。一方で、胸の張り裂けるような北枝の最後の句は、引き離され、切り取られてから並記された考えやイメージとともに、切り離された幾つもの瞬間で構成されている。それは、この部屋に戻ってきて僕が直面せざるをえない「不安定なギャップ」にどこか通じる時間の感覚みたいだ。時間をこんなふうに収縮した感覚に慣れることはできないと思ったけど、ほんの数行読んだだけで、もう馴染んだ気がする。

展覧会のために用意した装身具の石は持参したし、学生の頃から書き始めた詩(というか、消し始めた本)もね。未完成のままで実家にあったのを車で空港に向かう間際に見つけたから、大した考えもせずに持ってきたんだ。

日本に着いてようやく、装身具に使う仮晶のもつ珍しい形と、この過去に行った興味深い行為には類似点があると気がついた。仮晶は、本来の鉱物がなくなり別の鉱物によって置き換わることで生じる。持ってきた本は、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を消していこうと決めた16の時に、偶然と直観で残した結果、膨れ上がった量の言葉を集めたものなんだ。この仕事はここで終わらせるつもりだ。それをやりながら、もう一つのギャップに向き合おうと思う。

今夜は近くの温泉に行くつもりだよ。日暮れ前に出かけて、藤園に寄って行こうかな。何度でも見たいんだ。何度でも。花が咲くまで。

愛と尊敬を込めて
クリストドロス

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