いくつもの収束点
インタビュー/アンドリュー・マークル
I. 他者 – 自己 – 世界
キムスージャ、グローバリゼーションの時代に生きる方法論としての美術について
Still from Cities on the Move – 2727 KM Bottari Truck (1997), single channel video, 7:33 min. loop, silent. Commissioned by Korean Arts & Culture Foundation. All images: Courtesy of Kimsooja Studio.
ART iT あなたはこれまでラゴス、デリー、ニューヨーク、パリ、東京と、世界各地でプロジェクトを行なってきました。その経験を踏まえた上でお聞きしますが、あなたにとって地域性とはどういう意味を持っていますか? また、その意味は時と共に変わってきたと言えますか?
キムスージャ(以下KS) まず、正直言って私は今までグローバリズムに関心を寄せたことはありませんし、世界中をまわってサイトスペシフィックなパフォーマンスやビデオ作品を作り始めたことの出発点ではありません。私が主に興味を持っていたのは地域性です。1990年代半ばに作った『Cities on the Move』という写真シリーズとビデオ作品は、現代のアートシーンにおいてグローバリズムの問題が扱われるようになってきた時期と重なったために一部で注目されましたが、私自身は本当は各々の都市とその地域性に焦点を当てていたのです。それぞれの都市の美しさと厳しさと特定性をとても大事に思っていました。
このような意味で、年月を重ねるにつれて起こってきた変化をいくつも敏感に感じ取ってきました。2000年に訪れた頃のラゴスには、荒削りで特別な雰囲気がありましたが、今では荒かったところもすっかり洗練されていると聞きます。その荒かった部分の例を挙げると、当時、殆ど地平線までずっと続く広々とした青空市場が列車が走っている線路の上にありました。列車が来ると人々は道を空け、通過するとまた線路の上に戻るのです。その市場は常に動いていました。そして雨が降っても、たとえ膝まで水に浸かっても、そのまま商品を持って立っていました。この世にふたつとないような市場でいつか是非戻ってそこで作品を作りたいと思っていたのですが、もう見つけることはできません。もちろん、現地の経済にとっては現代化される方がより生産的なのだろうということは理解していますが、文化の面では残念でなりません。何もかも標準化されてしまいました。
Both: Video still from A Needle Woman (1999-2001), 8-channel video projection, 6:33 min loop, silent. Collection National Museum of Contemporary Art, Korea. Top: Tokyo, Japan. Bottom: Shanghai, China.
ART iT 世界各地でビデオ作品を作りたいと思ったきかっけは何だったのでしょうか?
KS 一番最初のきっかけは、1999年、現代美術センターCCA北九州の招聘で来日していたときに東京で行なった『A Needle Woman』のパフォーマンスです。歩くことを中心としたパフォーマンスを行うことを考えていたのですが、はっきりとした構想はなかったので、街中を歩きながらある種の力強さを感じるような場所とタイミングを探りました。撮影班と数時間歩いたところで、何百人も何千人もの人が行き来している渋谷に辿り着きました。人混みに圧倒されたあまりにその場で足が止まってしまいました。そして立ち止まった途端に歩くことの意味を理解したのです。まるでその場で身体の中から無音の悲鳴が上がっているようでした。一種の渦が発生しているような感覚です。
私はそこにじっと立ちました。あくまでも作品を見るであろう観客と往来する人々との間を媒介する存在に徹したかったので、カメラマンに後ろから撮影するようにお願いしました。パフォーマンスの初めは、私に向かって歩いてくる大勢の人たちの膨大なエネルギーの中で一ヶ所に立ち続けるのはとても難しく感じました。女性として、完全に無防備で不安な状況でしたが、時間が経つにつれ自分の中の中心点が見つかり、集中力が高まりました。その場に立ち、通りがかる人々を抱擁し包み込むような意識が芽生えました。こうして、次第に安心しつつも完全に集中することができるようになり、一種の悟りとも言えるようなものを感じるほどの特別な精神状態になりました。波のように押し寄せてくる人の水平線に目をやると、その向こうに白い光が見えて、ある意味、世界の全人類を眺めていることを自覚しました。
この特別な体験を経て、世界中の全ての人に会うために『A Needle Woman』のプロジェクトを続ける必要があると決めました。それが出発点でした。1999年から2001年の間、プロジェクトの第一版のためには大都市に焦点を当てたので、東京に次いで上海、ニューデリー、メキシコ市、ラゴス、カイロ、ロンドン、そしてニューヨークで行ないました。
Both: Video still from A Needle Woman (1999-2001), 8-channel video projection, 6:33 min loop, silent. Collection National Museum of Contemporary Art, Korea. Top: New Delhi, India. Bottom: New York, USA.
ART iT あなたは「針」を両性的な道具、つまり攻撃的でもあり受動的でもある道具として語っています。人混みの中で立ち止まることは、無防備な行為であると同時に挑戦的な行為でもあります。現地の人間ではないのなら尚更のこと。その挑戦的な要素も作品の重要な一部分なのでしょうか?
KS どのパフォーマンスも対峙です。通行者との対峙と言うより、自分との対峙ですね。実際、パフォーマンスを行っている間は周りよりも私の中の方に色んなことが起きます。
もちろん、それぞれの都市で違うリアクションに出会いました。私にとって一番特別な体験となったのは東京でのパフォーマンスです。東京の人々は、周りにいる人たちを認識していながら見えないふりをしたり、少なくとも存在を認めようとはしません。だから東京のビデオを見ると、ある意味、私の身体はそこにあるのに私自身はそこにいないのです。誰も私を見ないので、人混みに無視されている、あるいは隔離されていると言えます。私は透明人間であり、ビデオがこの現象を明らかにしているのです。まるで幽霊か、身体がどんどん透明になっていっているかのようです。また、パフォーマンスを行う過程で私の精神状態が変わっていったというのも面白いです。通り過ぎる人を心の中に受け入れるにつれて、私自身もどんどん解放されていって自分を空っぽにすることができました。可視的なプロセス全体と私の心理的・精神的なプロセスとはそれぞれ反対の方向に進んで行っていたのです。
Both: Video still from A Needle Woman (1999-2001), 8-channel video projection, 6:33 min loop, silent. Collection National Museum of Contemporary Art, Korea. Top: Mexico City, Mexico. Bottom: Cairo, Egypt.
ART iT では、それぞれの都市においてパフォーマンスの体験はどのように変わっていったのでしょうか? 都市によってあなた自身の違うところが見えてきたのでしょうか?
KS はい。場所と、その場が持つエネルギーによって違いました。ニューデリーの人にとっては、東洋人の女性が道の真ん中に立っていることは非常に奇妙だったようです。そのまま通り過ぎずに数分足を止めて私が一体誰で何をしているのか知ろうとしました。仏教や仏像との繋がりが強い地域なので、撮影班に私は仏や彫像か聞く人もいました。パフォーマンス中には誰とも目を合わせることはせず、ずっと遠くの一点を見ていました。これは私自身を安定させるために役立ちましたが、同時に、周りで起こっていることやどのような視線が向けられているかも分かっていました。インドでは、私の頭の中とインドの人たちとの間で非常に刺激的な視線のやり取りがありました。それに対して上海ではちょっと気に留める程度で、一度視線を向けてからまたすぐに自分の世界に戻りました。
カイロの人は好奇心と遊び心で一杯でした。何分か私の前に立ってポーズを真似る人もいて、注意を引くために香水を私の前に振った男性や、人混みが動く中で私に触れてみた女性もいました。直接的で、殆ど誘発的な反応が多くみられました。
ニューヨークでは人々の関心が他の場所や人など周りの情報に向いていて、食べたり、動いたり、話したり、笑ったり、ときには私の真似をしたりと、頭が常に動いていました。そしてロンドンでも多国籍の人々が混在していましたが、ニューヨークの人よりも内向的で、120度や90度の角度よりも斜め45度くらいの視線が多かったです。こうして、これらのパフォーマンスはそれぞれの都市や国の人たちのメンタリティを洞察させてくれました。
Both: Video still from A Needle Woman (1999-2001), 8-channel video projection, 6:33 min loop, silent. Collection National Museum of Contemporary Art, Korea. Top: Lagos, Nigeria. Bottom: London, England.
ART iT 『A Needle Woman』もしくは似たようなパフォーマンスを韓国で行なったことはあるのでしょうか?
KS いいえ。育った場所で自分をそのような立場に置きたくありませんでした。ある程度の客観性が欲しかったのです。韓国でこのパフォーマンスを行うとしたら、全てをよく知りすぎていることが妨げになります。思考的にも歴史的にも共有しているものが多すぎて、見た目の差異はあっても、私自身の身体と周りの人の身体との間の区別がつかなくなります。この作品は私自身が存在する文脈の外で行なわなければならなかったと言えるでしょう。
ART iT しかし、霊光原子力発電所の防波堤沿いのサイトスペシフィックなビデオインスタレーション「Earth – Water – Fire – Air」(2010)など他のプロジェクトや、もちろん展覧会も韓国で行なっています。制作のプロセスを通した、あなたの韓国との関係とはどのようなものでしょうか。
KS 情熱も困難も、創造性の糧となることができます。私の抱えている全ての問題はそれぞれ源となっています。私生活、家族、友達、国——文化的、政治的、そして社会的な関係性は全て作品の題材となり得ます。自分の文化を知れば知るほど、それがどこから来ているか知りながら完全にはその一部となれていないことを自覚しているため、却って疎外感をおぼえます。経済的・政治的に混乱していた社会の中で育ったのは私にとって有益なことでした。しかし、40年ほどずっと祖国で暮らしていくことは、その場所から学ぶべきことは全て学び尽くしてしまうのに充分すぎるほどの年数ではないかと思いました。そこに住み続けるとすると、単純に自分がやってきたことを繰り返してしまうだけだと考えたのです。韓国を離れたもうひとつの理由は、1990年代後半でもなお、女性の美術家が男性優位の社会階級において評価や支援を得ることは難しかったということです。
Top: Video still from Tierra de Agua / Earth of Water (2009), 7:09 loop. Commissioned by Lanzerote Biennale, Spain. Detail of Earth – Water – Fire – Air (2010), six-channel video installation. Bottom: Installation view of Earth – Water – Fire – Air (2010), at Nuclear Power Plant Art Project – Yeonggwang 2010, Korea. Organized by the National Museum of Contemporary Art, Korea.
ART iT 祖国から離れていっていたという感覚は、他の都市と国でプロジェクトを行う原動力が生まれるために影響を及ぼしたのでしょうか? 具体的には、例えば、あなたの制作が一種の美術的グローバリズムとはならないのは何故でしょうか?
KS グローバリゼーションとは、世界中にほんの一握りのブランドを広げるようなことと関係するものだと考えています。つまり、全てが標準化され、既存の文化・考え方・暮らし方が段々と絶やされていくプロセスと捉えています。『A Needle Woman』では、自分を表現するということではなくその体験を目的としていました。私は美術家なので、パフォーマンスは必然的に一種のステートメントになってしまいますが、その体験を観客のために変換することよりも、この世界において私自身でいるという一種の覚醒状態を体験すること自体に関心があります。私の作品にグローバルな要素があるとすれば、それは多分、パフォーマンス自体というよりも、これらのパフォーマンスを、世界中の各都市のそれぞれ異なる雰囲気を同時に見られるよう、ひとつのマルチチャンネルのビデオインスタレーションとして展示しているからではないかと思います。でも、そうすることによって標準化されたフォーマットを作っていると言えるのかどうかは分かりません。私はただ同一のパフォーマンスを行なっている同一の人物でしかありません。
私自身がグローバルな物となることは可能なのでしょうか? 私には分かりません。そうだとすれば、面白いかもしれませんね。この時代において美術家はブランド化されたような価値を持つことができるのは明白ですが、自分の活動をそのように捉えたことはありません。私にとっては、結果や美術作品ではなくて美術家たち自身が大事ですから。
ART iT でも、このグローバリゼーションの時代において、美術家を飛行機に乗せて特定の場所に招聘し、リサーチを行ないその文脈の中でプロジェクトを行うという、サイトスペシフィックな作品のコミッションが増えていったことはただの偶然ではないかもしれません。この方法からは、ときには力強い作品が生まれますが、理想化された地域性に対する空っぽな行為にしかならない場合もあります。
KS そうですね。しかし、それらのコミッションは活動の分野によって違う形をとります。例えば、パフォーマンスはどこにでも移動することができるという点でも通常はサイトスペシフィックなものではないと言えますし、インスタレーション作品、彫刻、絵画作品などとは大きく異なることもあります。空間に基づいたサイトスペシフィック性は時間に基づいたそれとは異なりますし、政治に基づく場合もまたどちらとも異なります。個々のプロジェクトによってあまりにも違うので、一般論を述べるのは非常に難しいです。
キムスージャ インタビュー
いくつもの収束点
I. 他者 – 自己 – 世界 | II. 鏡 – 空虚 – 他者 »