ダンカン・キャンベル インタビュー(3)

即興的な関係性に先行するもの
インタビュー / アンドリュー・マークル
Ⅰ. Ⅱ.


Still from It For Others (2013), 16 mm and analogue video transferred to digital video, 54 min. All Images: Courtesy Duncan Campbell and Rodeo, Istanbul/London.

III.

ART iT 『資本論』を翻案した映像をつくることの可能性に加えて、「他のものたちに」ではもうひとつ、西洋の眼差しというトピックを取り上げています。高度なグローバル化が進む中で、人々はその眼差しを過去の遺物として捉えがちですが、実際には、その眼差しはとりわけ西洋の知識体系に組み込まれるという形で存続しています。どういうわけか、私たちは未だに西洋を中心とする「脱中心化した」世界を生きています。それに対して、あなたがこの作品でどう取り組むのかに関心がありました。

DC 『彫像もまた死す』の本質的な功績のひとつは、クリス・マルケルとアラン・レネが西洋の眼差しという問題を引き受けたことにあると思っています。この映画はその眼差しのみならず、いかにそれが偶発的なもので、文化的なものであり、特定の知識体系や欲望の産物に過ぎないのかについて、さまざまな方法で言及しています。私もあなたの意見に賛成です。この映画以来、知識体系の階層構造の成立を通じて、新植民地主義的な状況が生じてきました。それは西洋の眼差し—西洋のものの見方—こそが普遍的なのだから、誰もがそういう風に考えるべきだという憶測に基づいている、ひどく傲慢な考え方です。
ロンドンの大英博物館やフランス国立ケ・ブランリ美術館などに収蔵されている、かつてアフリカから略奪した文化財の返還問題は、所有権だけでなく、誰がそれを語り文脈づける権利を持つのか—物語ることができるのは誰か—という点でも重要です。こうした美術館や博物館は、オブジェを管理するだけでなく、オブジェに関する語りをも管理しています。大英博物館にオブジェの撮影の話を持ちかけたときにそのような体験をしました。私がやっていることを告げた途端に、物事は難しくなってしまいました。彼らは文化財返還問題を少しも望んでおらず、それを解決済みとして考えています。

ART iT それを聞いて再び北アイルランド関連の問題に戻りますが、IRAを悪役に設定したイギリスやアメリカ製作の映画がたくさん存在するのに比べて、グローバルなマス・マーケットに流通する北アイルランド製作の映画はほとんどありませんね。私にとって、このような状況を反映した象徴的な映画に『クライング・ゲーム』(1992)があります。この映画には、相対するふたつの立場に人道主義的な関係を描き出そうとする寛大な試みという印象がありますが、結局のところ、この奇妙な他者化の効果は文化的階層を強固なものにするだけでした。その意味では、あなたはもっと反人道主義的、もしくは物質主義的な立場からアプローチしていますね。

DC あの状況を人道的に捉えようとする試みには、たくさんの政治的問題が存在します。それがイギリスのリベラルメディアによる試みであれば特に。長く、イギリス軍について一般的に繰り返される文句に、例えば、北アイルランドで任務を遂行した軍隊は、若く、労働者階級出身で、現地に派兵されたが自分たちのしていることを実際には理解していないというものがあります。しかし、兵士を人道的に捉えようとするこのような試みは、そもそも誰が彼らを彼の地へと送り込んだのかを無視しています。彼らに共感しないわけではないし、私はグラスゴーに暮らしていて、同じような状況に置かれた人々に会ったこともありますが、そこではより大きな問題が考慮されていません。こうした状況に関する支配的なメディアノイローゼは、それがプロテスタント対カトリックという宗教の違いによる抗争だとするもので、そこでは植民地支配の負の遺産や、それを支えていた経済的な事象が無視されています。
私はある映画祭で初めてバーナデット・デヴリン・マカリスキーに出会い、私自身の映画や北アイルランドを扱った映画一般について話をしました。ちょうど「血の日曜日」に関するふたつの映画や、スティーヴ・マックイーンの『ハンガー』(2008)が公開されたばかりのことでした。バーナデットは、メジャーな配給作品はひとりの登場人物に焦点を当てなければならないという性質上、視点が制限され、政治的なものが歪められてしまうと考えているため、そうした作品を否定しています。彼女は『ハンガー』を観ておらず、観ることもできませんでした。それは彼女自身がハンガー・ストライキをした人々を支持するキャンペーンに深く関与し、それにより命を狙われたこともあるからで、彼女があの映画を観るのは個人的にも非常に難しいことだったでしょう。個人的には、あの状況を身体的体験に集中して描いたことや、あの状況を文脈づけるという責任を負わないという点で『ハンガー』は成功していると思います。


Still from Bernadette (2008), 16mm film transferred to digital video, 38 min. 10 sec.

ART iT ある意味、『ハンガー』はほかの映画のように心理的な「登場人物」を展開させるのではなく、肉体の最も物理的側面に着目することで普遍性を獲得しています。そして、血の日曜日に関する実際の調査について読むと、アメリカ合衆国で警官がなにも武装していない黒人を殺してしまう出来事との類似点を見つけることができます。公平なる調査という言質が絶えず存在し、国家公認の罪は赦されてしまう。

DC 直近の調査ですら、皆が納得するところまで進んでいません。事件直後のウィッジェリー裁判も完全に事件を隠蔽していました。当時は政治的に考えて、イギリス政府は誠実な調査を行なう余裕などなかったわけですが、現在では落ち着いて歴史問題として見ることができるので、誠実な調査ができるはずなのです。事件の報告がこんなにも長く論争が続いているのは興味深いことです。公式見解は、現場で出来事を目の当たりにした人々の体験とは大きく異なるものでした。
アーティストのウィリー・ドハティはデリー出身で、あの行進にも参加していました。90年代に、彼は目撃者の証言を交えたあの出来事のスローモーションの映像をインスタレーションで発表しました。これにより出来事の真実に近づけると思うかもしれませんが、そこで忘れているのは、この種のトラウマがいかに理解し難く、人々がいかに物事を抑圧するかということであって、こうしたことに巻き込まれた結果として物事を表現する難しさを認めることになります。このインスタレーションには、男性が何かを話している箇所があり、その声に感情を聴き取ることができます。その男は「最悪の日だった」とだけ口にします。あの事件の真実を掴もうとする点において、それはほとんどなにも言っていないと同時に雄弁に語るものでもあります。あの出来事を経験して生きていくトラウマだけでなく、あの出来事はあなたが覚えているようには起きていなかったと言われるトラウマがあるのです。巻き込まれ、どういういわけか途方に暮れて、被害者を責めてしまうといったことが実際に起きました。

ART iT あなたは過去のインタビューで、10年前だとこの素材を扱うのは居心地が悪いものだったと語っていますが、距離がとれた現在、人々はもっと客観的にこの出来事を見ることができると感じていますか。

DC それは私自身にも関係していることですが、あの状況に関するレトリックやクリシェを再生産しない方法で扱う準備は整っていると思います。しかし、90年代初頭とは異なる見解も持っています。数多くのプロパガンダが次から次へとつくられて、私にはそうしたものをつくる関心などありません。ときにカウンター・プロパガンダも必要だと考えない訳ではありませんが、それは私がつくりたいものではありません。あれから何が起きたかと言えば、人々は銃に手を伸ばすことなく、反対する政治的立場の意見について考えられるようになりました。


Above: It For Others (2013), 16 mm and analogue video transferred to digital video, 54 min. Installation view, Scotland and Venice, Scottish pavilion, Venice Biennale, 2013. Commissioned by The Common Guild for Scotland and Venice. Below: Make It New John (2009), 16 mm film and analogue video transferred to digital video, 50min. Installation view, “Make It New John,” Artists Space, New York, 2010.

ART iT あなたの作品はメタレベルと直接的なレベルの両方に作用する傾向にありますが、潜在的に政治的問題も扱っています。作品において、メタレベルと政治的なレベルの間の力学をどのように決断しているのでしょうか。

DC それは決断しようとするものではありません。歴史や政治、社会的状況を扱うだけじゃなくて、それらがどのように表象され、また、なぜ今日このように表象されているのかを理解することも重要なので、それが弁証法的なら、そのように作用するだけです。私はその状況を開いていくようなやり方をしていて、そこに観客が入ってくるわけです。自分がやっていることは恊働的なものだと考えたいし、それは人々に関与を求めます。受動的な経験ではなく、その状況に関して知らねばならないあらゆることを知ることから逃れられないでしょう。物事を閉じてしまうよりも、開いておきたいと思うのです。

ダンカン・キャンベル|Duncan Campbell
1972年ダブリン生まれ。強烈な個性を持った人物に対する詳細なリサーチをもとに、事実とフィクションを織り交ぜた映像作品を制作する。代表作「他のものたちに」(2013)では、クリス・マルケルとアラン・レネの共同製作『彫像もまた死す』(1953)を素材として、文化帝国主義、文化の商品化に対する社会的、歴史的検討を試みている。2013年の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレのスコットランド館で発表した同作品により、キャンベルは翌年のターナー賞を受賞している。そのほか、ジグマー・ポルケを扱った「ジグマー」(2008)、公民権運動に尽力を注いだバーナデット・デヴリンを扱った「バーナデット」(2008)などを制作。これまでに、カーネギー美術館、アーティスツ・スペース、トラムウェイ、チゼンヘールギャラリーなどで個展を開催、マニフェスタ9や第8回光州ビエンナーレなどに参加している。昨年から今年にかけて、出身地・ダブリンでは自身初となる大規模な個展が開催された。
また、2015年2月から3月にかけて開催された第7回恵比寿映像祭では、ベルファストの自動車会社デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)に関するリサーチを基にした「新しいジョン」(2009)をザ・ガーデンホールで展示、「他のものたちに」と「バーナデット」を日仏会館ホールで上映した。

第7回恵比寿映像祭 惑星で会いましょう
2015年2月27日(金)-3月8日(日)
http://www.yebizo.com/

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