ダンカン・キャンベル インタビュー(2)

即興的な関係性に先行するもの
インタビュー / アンドリュー・マークル
Ⅰ.


Still from Falls Burns Malone Fiddles (2003), 35 mm photographic negatives and 16 mm film transferred to digital video, 33 min. All images: Courtesy Duncan Campbell and Rodeo, Istanbul/London.

II.

ART iT さて、初期映像作品「Falls Burns Malone Fiddles」の話になりましたが、印象に残っているのは、イメージに対するナレーション、ナレーションに対する字幕の作用が、観客に何を見るかの選択を強いるところです。あなたの近年の作品には、視聴覚装置のある機能と別の機能との距離に一貫したものがありますよね。例えば、「新しいジョン」の歓声や咳払いといったノイズから、モンティ・パイソンを連想しました。これらは観客にスクリーン上の「現実」に対する複数の次元の存在を思い起こさせるブレヒト的なものだと言えるでしょう。

DC そうですね。それは話し手がいて、観客席に聞き手が座っているという受動的な経験ではありません。私自身ひとりの観客として、意味を構築する過程に観客が巻き込まれる作品を評価してきました。当然、否定し難い事実はありますが、歴史とは現時点で何が許され、何が許されないのか、また、出来事にどんな意味を期待するかという点で、常に現在という視点から見直される対象です。そういうわけで、知られていないこともあるし、出来事が忘れられたり見つけられたりするというダイナミックなプロセスを受け入れるのが大事なことです。

ART iT 「Falls Burns Malone Fiddles」では素材が映像制作を規定するという思考に従い、「バーナデット」では利用可能なものと自分の用意した物語を調整していましたが、「新しいジョン」になると、終盤の工場労働者への演出されたインタビューを通して、自分用の素材をつくりだすという別の段階に移ろうとしているように感じました。あなたがこれまで拘ってきた映像素材への特別な精神(エトス)というものはありますか。

DC 「新しいジョン」に関して、それ以前にやってきたことから別の段階に移ったとは思いますが、作品終盤の5人の役者が登場する場面のダイアローグや駆け引きには記録資料が存在します。あの場面は既出のインタビューに基づいており、政治に関する議論の大半はそのインタビューに逐語的に従っています。もちろん、登場人物はつくられたものですが、ジャーナリスト役の彼女に労働者が抵抗する場面でさえ、私は何時間もの映像を最後まで見て、そこから推察しました。その映像では、ジャーナリストが風変わりな物語を工場内で起きていた出来事に押しつけ、労働者からその確証を得ようと試みていました。それは実際の関心事や体験からかけ離れていたので、労働者たちは当惑しつつ答えるしかありませんでした。
ドキュメンタリーという形式から考えても、演出されたドキュメンタリーというアイディアには長い歴史があります。ロバート・フラハティは役者ではない実際の人々を使いながらも、動作や立ち位置、台詞を指示するという方法を提唱した優れた人物でした。つまり、このようなアプローチには前例があります。
また、ある種の誠実さもあると思いますね。さらに、ドキュメントやフッテージに深く浸透した選好や先入観があります。私自身も選好や先入観を持ちながら、そうした流れの一部をなしています。ですので、そうしたものを隠そうとするよりはむしろ、はっきりさせておこうとしました。この不規則に広がる歴史を50分の映像作品に要約するなど不可能なのだから、それはほかの誰かのパースペクティブにすぎず、決定的なものではないと批評的に理解することが重要です。


Above: Installation view of Falls Burns Malone Fiddles (2003) at Kunstverein Munich, Munich, 2009. Below: Still from Bernadette (2008), 16mm film transferred to digital video, 38 min. 10 sec.

ART iT 映像作家として、素材に対してあなた自身はどのような映画的視線(基準)を当てはめましたか。

DC ある意味、それを回避しようとしました。アーカイブ素材に関して、美的決断の大部分は既に為されていて、編集における美学も当然あるわけですが、それよりも作品にリズムを生み出すことを考えていました。「他のものたちに」の場合、私自身がその大半を撮影しましたが、そこには指針となる非常に特殊な美的参照がありました。最初の部分では、クリス・マルケルとアラン・レネが『彫像もまた死す』でオブジェを撮影した方法で再制作を試みました。ダンスのシークエンスでは、統計に対する私自身の興味や統計の美学が具現化されたのですが、より重要だったのは振付家のマイケル・クラークでした。また、日常的なオブジェの場面には、私たちが再制作(複写)して撮影したスティーブン・ショアの写真がありました。*1 *2

ART iT 既存の素材や引用した素材で映像を構築する自分のやり方を、アプロプリエーションという実践だと考えますか。また、現代美術で理解されているようなアプロプリエーションと映画で用いられるそのような実践を分つものはありませんか。

DC 私の方法をアプロプリエーションと呼ぶのは言い過ぎではないでしょうか。私が制作する映像作品の全フッテージは、許可を取っているので、厳密な意味でアプロプリエーションではありません。アプロプリエーションとは、ある原則に基づいた戦略であると理解しています。そもそも、歴史的もしくは社会的に重要なドキュメントがその権利にお金を支払わない限り使用させないという人々によって所有されているという事実に賛同できないから、アプロプリエーションという実践があるわけです。
私自身もそうした問題を抱えていましたが、「バーナデット」を制作しているときは、バーナデット・デヴリン(現在は、バーナデット・マカリスキー)が存命であるという事実を意識していたので、その状況にふさわしくない、海賊版のように見られるものとはいっしょにしたくないという思いがありました。そういうわけで、正式に物事を明らかにしておかねばなりませんでした。
より正確な言葉としては、コラージュでしょうか。たとえ、自分自身で撮影していても、別の視覚的参照があったり、シナリオ内のテキストの参照があります。アプロプリエーションに適用される一連の具体的な問題がありますが、単に素材に対価を支払うことで、そうした議論の外に自分を置けるのではないかと信じているのです。

ART iT そのような方針は面白いですね。主流の場に流通していない素材や知識へのアクセスを提供する限り、あのアーカイブは民主的な機関として役に立つ可能性はありますが、もちろん、このモデルには正当性と管理という側面もあります。そこで問題になるのは、どのようにそうした権威と交渉していくのかということです。

DC 最初にアーカイブ素材を使い始めた時は、あるものは使っていいという考えを持っていました。必ずしもこの考えを否定するわけではありませんが、あれからBBCも含めて何度もアーカイブを使用してきて、単純にアーカイブを維持するだけでも大量のリソースを投じなければならないということを実感しました。保管しておくべき映像素材だけでなく、それを見せるためのテクノロジーも含め、ほとんど科学技術博物館です。データ移行に関するあらゆる問題や、ある技術から別の技術へとデータを移行させる度に質が落ちていくという事実は悩みの種になっています。各アーカイブは現在そうしたことにより意識的ですが、実際はそうでないにも関わらず、デジタルの方が当然優れていると単純に考えていた人々により、初期のアナログ−デジタル変換の時点で回復不能なほどに損傷したり、劣化してしまった素材もあります。そういうわけで、誰かがオリジナルの質を維持するために資金を出さなければいけません。


Above: Still from It For Others (2013), 16 mm and analogue video transferred to digital video, 54 min. Below: Still from Make It New John (2009), 16 mm film and analogue video transferred to digital video, 50 min.

ART iT それでは、作品制作のプロセスについて教えてください。最初に大枠を決めてから制作をはじめますか。それとも、メタナラティブと素材の肝となる部分を直感的に行き来しながら進めるのでしょうか。「他のものたちに」の仕訳記入の場面を考えているのですが、自己言及的にこの映像作品の成り行きを記録していて、あれはほとんど18世紀の冒険小説の日誌みたいでしたね。

DC 大抵の場合、制作の過程で出来上がっていきますね。「バーナデット」のときは、彼女がクイーンズ大学で関与していた組織「ピープルズ・デモクラシー」に興味を持ちましたが、この組織に関するアーカイブ素材を調べはじめると、あまり利用できるものがなく、制作をはじめるのはなかなか難しそうだという見通しになりました。そこから、この組織のスポークスマンとして目立っていた彼女へと徐々に焦点を移していったのです。
「他のものたちに」では、明確に『彫像もまた死す』に取り組みました。マルケルの作品では珍しく、『彫像もまた死す』は、アフリカ文化と西洋文化の和解という展望とともにどこか楽観的に終わります。しかし、マルケルが『サン・ソレイユ』(1983)のために西アフリカとギニアビサウに戻ってきたとき、独立運動の勢いはいくぶん弱まり、権力は中央集権化が進んでいました。この事例、そしてより一般的にはマルケルの映像作品で興味深いのは、彼が10年後に再訪していたら、彼は意見を変えていたのではないかということです。これこそ私が彼を尊敬するところです。彼の作品はある特定の瞬間のスナップショットで、時間が経てば、すべては変わってしまうだろうということ。彼が継続的に自分のやっていることを修正していたと感じませんか。
「他のものたちに」の日誌の部分は、より信頼のおけるものではなくむしろ日誌を使うことで現実を反映させようという試み、また、セルゲイ・エイゼンシュテインが翻案した映画『資本論』のためのノートへのある種のオマージュでしたね。*3 翻案された『資本論』のアイディアは実に困難な計画です。そのテキストは形式的にはかなり多様で、各所に統計的な情報だったり、高度に文学的なものだったり、疑似神秘主義的なものだったり、そうしたものが混在しています。

ART iT あなたがマイケル・クラークと『資本論』の第1巻を読むリーディング・グループを結成したという記事を目にしましたが、作品内に使用されたダンスシーンは10分から12分くらいでしたね。あそこは『資本論』の第1巻を読み切るのに使われたとてつもない量のエネルギーが圧縮された部分であるような気がしました。

DC そうですね。撮影したものの使用しなかった挿話はほかにもあります。それらを使っていたら、二倍の長さになってしまったでしょう。このプロジェクトは元々、それだけで成立するものとして計画していましたが、あらゆることが合致していき、最終的に「他のものたちに」に含むことになりました。実際のところ、リーディング・グループは私たちふたりだけでした。2008年の世界金融危機の余波が残る、誰もが何がどうして起きたのかわからず混乱していたときで、『資本論』を読むことそれ自体が面白いことでした。それは、デリバティブ取引のことや、市場を支える物理的な商品など何もないのに1兆ドル規模の市場まで膨らんだアメリカ合衆国のサブプライムローンのように、なぜそれがあらゆる制御を振り切って拡大していったのかを理解する手助けのひとつになりました。
それ以前も独りで『資本論』をところどころ読んだことがありましたが、マルクスの弁証法の真価を認めるため、また、物がある場所から別の場所へと移動する仕組みを知るためには、『資本論』を最初から最後まで読まなければいけません。マルクスは議論を閉じることなどせず、常に外へ外へと開き続けました。そして、どのように要約するべきかというジレンマに戻ってきます。それをダンスという表現で伝えようとするのはどうかしているように見えるかもしれませんが、そもそも『資本論』に関する映像作品をつくるのも同じくらいどうにかしていますよね。


*1 マイケル・クラーク(Michael Clark):1962年アバディーン(スコットランド)生まれ。ロンドンのロイヤル・バレエ・スクール、ランバートバレエ団などを経て、84年にマイケル・クラーク・カンパニーを創立。以来、革新的な作品を発表し続け、国際的な評価も高い。キャンベルだけでなく、サラ・ルーカスやピーター・ドイグやそのほか、ミュージシャン、ファッションデザイナーとの共同制作も積極的に行なっており、テート・モダンのタービンホール(2011)やホイットニー・ビエンナーレ(2012)でも作品を発表している。2012年には20年振りに来日し、「come, been and gone」を高知県立美術館で公演した。

*2 スティーブン・ショア(Stephen Shore):1947年ニューヨーク生まれ。幼少期より写真をはじめ、71年にメトロポリタン美術館では存命の写真家史上二人目となる個展を開催。70年代初頭にドキュメンタリー作品における色彩と大型カメラの可能性を切り拓き、代表作として『American Surfaces』や『Uncommon Places』が知られている。また、82年よりバードカレッジで教鞭を執り、著書『The Nature of Photographs』を執筆するなど、制作者としてのみならず教育者としても後続世代に多大な影響を与えている。

*3 セルゲイ・M・エイゼンシュテイン「「資本論」映画化のためのノート」所収『エイゼンシュテイン全集 第4巻 映画における歴史と現代』翻訳/エイゼンシュテイン全集刊行委員会、キネマ旬報社、1976年

ダンカン・キャンベル インタビュー(3)

ダンカン・キャンベル|Duncan Campbell
1972年ダブリン生まれ。強烈な個性を持った人物に対する詳細なリサーチをもとに、事実とフィクションを織り交ぜた映像作品を制作する。代表作「他のものたちに」(2013)では、クリス・マルケルとアラン・レネの共同製作『彫像もまた死す』(1953)を素材として、文化帝国主義、文化の商品化に対する社会的、歴史的検討を試みている。2013年の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレのスコットランド館で発表した同作品により、キャンベルは翌年のターナー賞を受賞している。そのほか、ジグマー・ポルケを扱った「ジグマー」(2008)、公民権運動に尽力を注いだバーナデット・デヴリンを扱った「バーナデット」(2008)などを制作。これまでに、カーネギー美術館、アーティスツ・スペース、トラムウェイ、チゼンヘールギャラリーなどで個展を開催、マニフェスタ9や第8回光州ビエンナーレなどに参加している。昨年から今年にかけて、出身地・ダブリンでは自身初となる大規模な個展が開催された。
また、2015年2月から3月にかけて開催された第7回恵比寿映像祭では、ベルファストの自動車会社デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)に関するリサーチを基にした「新しいジョン」(2009)をザ・ガーデンホールで展示、「他のものたちに」と「バーナデット」を日仏会館ホールで上映した。

第7回恵比寿映像祭 惑星で会いましょう
2015年2月27日(金)-3月8日(日)
http://www.yebizo.com/

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