モニカ・ボンヴィチーニ インタビュー (2)

抗う彫刻、抗う言語
インタビュー/アンドリュー・マークル

II.


Hammering Out (an old argument) (1998), Video color projection, sound, amplifier, 2 speakers, Duration: 18’45”. Courtesy of the Artist and Galerie Max Hetzler, Berlin

ART iT フェティシズムに関する作品を制作する以前の90年代には、ジェンダー理論を扱った作品を制作していましたよね。このような推移は何に起因していたのですか。例えば、「I Believe In the Skin of Things As In That of Women」(1999)は、フェティシズムの考察へと向かう過渡的な作品と考えられるのでしょうか。

MB あれは区切りとなった作品と言えるかもしれませんね。当時は見つけられる限りのジェンダーに関する本を読んでいましたが、しばらくの間それらの理論から離れなければなりませんでした。あの作品はそれを受け入れるための手段でしたね。結局は離れられなかったのですが、ジェンダー理論による性同一性の構築の分析は興味深いものでしたし、建築との関係において、一般的な性の領域に関する研究ももたらしてくれました。わたしには、フェティシズムはジェンダー理論の当然の結果としてあります。

ART iT SM用吊り下げ拘束器具のひとつであるラブ・スウィングをギャラリー空間に設置したとき、普段はアブノーマルだと考えられているものに対する正常化作用は起こりましたか。

MB そうはならなかったと願っていますが。ラブ・スウィングはとりたてて目新しいものではなく、「The Fetishism of Commodity」(2002)を制作した頃には、おそらくあなたが思っているよりも多くの人が知っていました。オルタナティブカルチャーに属するものを、販売目的で持ち込んだわけではありません。興味を持っているのは、リラックスさせるのとは違う方法で、人々に空間やアートについて考えさせることです。実際には、ネットやアダルトグッズショップで買えるような通常のラブ・スウィングを使ったことは一度もありません。常にわたしがデザインした“ダブル”・ラブ・スウィングを使用しています。特定のコミュニティにおいて上手く機能しているものを、広く公にするのは好きではないし、わたしがしたのはそうしたこととは違うと思っています。

ART iT SM道具の形態に対する魅力は感じていましたか。それらがギャラリー空間での観賞者の経験に与えるであろう、ある種の効果を予測していましたか。もしくはそれよりも、あの作品はオブジェクトそれ自体における暗示的意味に関するものだったのでしょうか。

MB 一番最初にラブ・スウィングを展示したときは、ドローイングもいっしょに展示しました。ドローイングはわたしにとって、伝統的に考えられているように、考えを書き留める方法であり、考えていることを言語レベルからオブジェクトや彫刻へと変換するためのプランです。そこにはベルナール・チュミによる、官能性はいかに空間を克服するか、というステイトメントを元にしたグラフィティがあったり、建築における透明性についてのミース・ファン・デル・ローエのアイディアを再現できるかもしれないちゃちな素材を使っていました。ガラスの代わりにアクリル、大理石の代わりにラテックスを使用した断片的な四角い空間を制作しました。わたしが言いたかったのは、いかに建築家ミースが特定の物質や視覚効果にフェティッシュを感じていたかということです。わたしはそこに彼についての文章や理論とは無関係な個人的嗜好に陥っているものを見てとります。おそらく、ラブ・スウィングを使うこととは、こうしたものを見せる方法でもあったのです。
また、ダブル・ラブ・スウィングを使うことで、横たわろうが座ろうが、そこには決定的に受動的もしくは能動的な態度はありえません。実際にいったん身を預けたならば、自ら降りることはできません。彫刻は常に身体や空間に関係していて、身体を通して経験されるという点において、それは象徴ではなく、当然身体性は彫刻の基礎を成すものです。そういう意味で、ラブ・スウィングは異なる読みを引き起こすのだと考えています。


I Believe in the Skin of Things as in that of Women (1999), Drywall panels, aluminium studs, wood panels, graphite, 250 x 700 x 400 cm. Courtesy of the Artist and Galerie Max Hetzler, Berlin

ART iT 最近、友人に連れられ、ベルリンの伝説的なクルージングスペース(発展場)へ行ったのですが、わたしたちが店に入った途端に、店内の人々が振り返って、じっと見つめてきました。このように凝視される強烈な感覚を経験することは、自分自身の身体との関係に変化をもたらします。観者へと投げ返されるまなざしとして、フェティッシュなオブジェクトを考えるということはありますか。

MB どうでしょう……でも、個人的に美術館は性的にすごく魅力的な空間です。なぜなら、そこは見ると同時に監視員やほかの観賞者によって見られる空間なのです。新しいニューヨーク近代美術館には、ほかの空間を覗き込める窓やガラスがそこここにあります。なぜ、あの人はあの絵画の前にあれほど長く立っているのだろうと不思議に思い、自分自身の目で見に行こうと思うかもしれません。また、たとえ、あなたひとりしかいなかったとしても、あなたは絵画から見られているのです。
どこかにニュートラルな空間があるなんてことは信じていません。それはどんな美術館、どんなギャラリーでも同じです。だからこそ、作品がいかに機能しているのか理解するために、わたしたちを廊下へと導いてしまうブルース・ナウマンの作品は好きですね。例えば、「Performance Corridor」(1969)や「Live/Taped Video Corridor」(1970)。わたしの作品でいえば、「Plastered」 (1998)。石膏の床を歩き、その床を壊してしまう。もしくは、ラブ・スウィングを継続する可能性を持つこと。そうしたことはすべて、自らの責任で決断しなければならない。まるでクラブで誰かに見られるように、あなたは街角で野菜を買うのとは異なる振る舞いをするでしょう。
かつて、ロンドンやニューヨークを訪れたとき、友人が、わたしがベルリンでは絶対に入ることのできないようなSMやゲイバーに連れて行ってくれました。当時も今もヘテロのわたしにはわからないような性的表現や欲望の自由を提供する場所でしたね。スウィンガークラブには一度も行ったことがないけど、乱交や他人の行為を観たり、猥褻や苦痛などそうした完全なる自由を経験することなんて信じられない。そうしたことが、とても自由でポジティブだと思う一方で、ある個人をヘテロだとかゲイだとかと決めつけるのは非常に窮屈なことだと思うのです。
多くの人がわたしについて、ゲイ、苦痛、鎖を用いることといった観点から書きます。「奴隷に思いを馳せよ」と言いますし、どういうわけか、それが真実なのかもしれませんが、わたしのSMの経験は、たとえそれが観察者としてだとしても、非常に解放されています。そして、それを禁じられたものや淫らなものと関連づけたことは一度もありません。


Both: The Fetishism of Commodity (2002), galvanized steel, chains, leather swing, plexiglass, latex, 208 x 500 x 444 cm. Courtesy of the Artist and Galerie Max Hetzler, Berlin

ART iT そういう意味では、あなたの作品はまさに権力の力学についてのもの、もしくは、素材の使用が強要する観者による投影といえるのではないでしょうか。

MB 権力構造に関する作品を制作することは90年代に非常に人気がありました。それはなんらかのことを意味していますが、同時にひとつも意味していない。それは、あなたが何をしていたかによりますね。作品にも、美術館にも、個人的経験にも、いつもの環境で出会うものにも権力構造は含まれています。わたしの場合、それは取り組むべきなにかを形成する経験の集積です。その過程には、たくさんの人や物事が関わり合っていて、すべてを理解することはできません。

ART iT しかし、「I Believe In the Skin of Things As In That of Women」や「Hammering Out (an old argument)」(1998)というビデオ作品では、文字通り物理的に構造を攻撃していますよね。

MB 一番最初に「I Believe In the Skin of Things As In That of Women」を制作したのは、ウィーンのギャラリーでの展示です。ウォール・ドローイングなどすべてを制作し、そして、すべてを壊すことは決めていましたが、ギャラリストには何も伝えずにいました。普段はそんなことをしないのですが、繊細なアーティストを装って、オープニング前夜にひとりで作品と過ごしたいと告げました。すごく不安で、壊し始めるまでに数時間かかりました。目の前にはすでに完成された作品があり、まったく問題のないものなのです。でも、これは壊すために制作したもので、破壊という行為には不安が入り混ざった決断を必要としました。わたしは夜遅くに帰宅し、次の日、ギャラリストたちは空間を見て、完全にショックを受け、冷静さを失っていました。
自分の作品を壊すべきではないからこそ、そこにはなにか美しいものがあるのではないでしょうか。ルイーズ・ブルジョアもやりましたよね。もちろん、自身の為したことの価値を無くすのは政治的な行為ですね。自身の作品を自由に扱うという極端な決断です。わたしにとって、これは身体的な行為で、人前で作品を壊そうなどと思わないし、破壊という考えを美化したくはありません。ある部分では過程であり、ある部分では結果でもありますが、皆に見せるものでもありません。

モニカ・ボンヴィチーニ インタビュー
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第13号 革命

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