
5つの事柄についての永続的な調書
インタビュー/アンドリュー・マークル
V. 自己発情窒息
ART iT ニューヨークのアーティスツ・スペースでの個展では何を予定しているのでしょうか。
ダン・フォー(以下DV) アメリカでの初めての個展なので、過去の作品の要素を再利用するのも良いのではないかと思っています。フランスの国立自然博物館で見つけた花を博物学的に記録したドローイングを使った壁紙を作りました。19世紀フランスの自然史における発見の大半は宣教師によるものでした。インドシナは中国と対立するイギリスを支えるために作られました。中国が開国すると、貿易と共に宣教師が西洋人としては初めて見る土地を訪れ、これらの花々を見つけたのです。この宣教師たちが国から追われながらも人々を改宗させようとしていたのと同時にこれらの花を記録していたというのがとても面白くて。私が使った花はある特定の宣教師が描いたものです。その宣教師はベトナムから中国までメコン川沿いに旅をしていたのですが、チベットに着いた途端に捕まって殺されてしまいました。私はこの話が好きで、彼の花ばかり使っています。アーティスツ・スペースでは彼の花をジョー・キャリアーのベトナムの写真と併せて展示する予定です。

ART iT 宣教師の花の絵と、ジョー・キャリアーが戦時中に若い男性の写真を撮っていたこととを意図的に比べているのでしょうか?
DV はい、政治的暴力が横行していた時代の中の美しさという点で筋は通っていると思います。その点については映画『24時間の情事』[1959年アラン・レネ監督、マルグリット・デュラス脚本]を強く意識しています。展覧会のタイトルは「Autoerotic Asphyxiation」[自己発情窒息]に決めました。展覧会に対して説明的ではないタイトルが好きです。自分の首を絞めながら射精するというのは非常に複雑な組み合わせだと思います。不条理でありながらも理解可能で。それ自身の中に矛盾が生じています。
ART iT ジョー・キャリアーの写真の展示は何パターンほどあるのでしょうか? 私が知っているだけでも2009年のケルンのギャラリー・ダニエル・ブッフホルツでの展示と、ベルリンのギャラリー・イザベラ・ボルトロッツィでの展示がありますが。
DV これまではその二つですね。個人的にはボルトロッツィでの展示が特に気に入っています。その空間とロケーションとの関係によって妙にサイトスペシフィックな要素が加わっていました。実はあとふたつの場所でも展示しているのですが、あまりうまくいったように思えません。アーティスツ・スペースでは初めてジョーの写真を他のものと組み合わせることになります。あの場所は最近リノベーションを経て、たくさんの窓に取り囲まれたひとつの広いロフト式の空間になったので、例の花を壁沿いに吊られるカーテンにして、その間に写真を吊ることにしました。過去の展示よりももっと色んな要素が侵入している状態になります。


DV 宣教師はすっかり私の頭にこびりついて離れないもののひとつになりました。父に何度も清書してもらっている手紙も宣教師が書いたものです[宣教師テオファン・ヴェナールが1861年にベトナムのトンキンで殉教する前にその父親に宛てて書いた手紙。第2部参照]。歴史とは完全にイカれた、滅茶苦茶なものです。19世紀のカトリックの宣教師から始まって、1955年にベトナムが南北に分かれるとアメリカは南側を西洋化させるべくカトリックのゴ・ディン・ジエム大統領を支持するに至ります。焼身自殺をしている僧侶の写真はもちろんゴが南部の8割を占める仏教徒を抑圧していた時代のものです。アメリカはようやくゴには南部を統一することはできないことを理解し、1963年に彼に対する軍事クーデターを支持します。父は当時カトリックではありませんでしたが、ゴが好きだったので静かな抵抗として——カトリックの大統領が暗殺されているときに自分の宗教の話をするのはもちろんご法度でした——改宗して今も熱心な信者であり続けています。こういった、関連しているけれど時代的には完全に離れている歴史上の出来事の繋がりは大好きです。
以前作った十字架の作品は知っていますか? 白い十字架で、人の名前が書いてあるのですが。あの作品は私にとって大事な意味を持っていますが、全く偶然できたものなのです。というのは、そのような伝統が存在することを私は知らなかったのです。ベトナムのカトリック教徒の場合、誰かが死ぬとお墓に墓石を乗せるまで一定の期間を置きます。その期間中に親族は仮に設置する十字架を作り、手書きで亡き人の名前を書きます。父も祖母が亡くなったときに正にそのような十字架を作っており、それが私の手書きの文字への興味の始まりと言えます。その伝統のことは全く知らなかったのですが、ある日、妹が私を訪ねてベルリンに来たときに、その十字架を持って来たのです。衝撃を受けました。家族が一周忌に実際の墓石を設置しに行ったときに、この十字架をどうすればよいか分からず、でも捨てたくはないと困ったそうです。きっと私が気に入るだろうと思った妹が持って来てくれた、というわけです。
私はこの十字架に物凄く興味を惹かれましたが、美術とは結び付けていなくて、ベランダに置いていました。それほど大事なものだと思わなくなるまで十字架と同居していたとも言えます——段々とあらゆることが薄れていって、急に歴史の様々な痕跡が見えて途端に全く別のものになる。自分の考え方を曲げる、ひとつの方法です。
これは私の作品が展覧会という文脈においてミニマル、あるいは抽象的になった初めての作品でもあります。この十字架と半年同居した末に捉え方が変わったわけですが、良くて10分余り会場に留まる鑑賞者にそれをどうやって理解しろというのでしょう? 社会から隔たれた彫刻作品でしかありません。でも、それが素晴らしいと思ったのです。作品を見ると、それ自体ははっきりと認識することができます。これは十字架である、数字である、人名である、アルファベットの文字である。認識はできるのですが、鑑賞者が本質的なところを捉えるのは不可能なのではないかと思います。そういう意味では、この作品は私の考え方を形成する中でとても重要なものでした。何も期待することはできません。ただやるしかないからやるんです。

ART iT 認識はできるけれど、元の文脈から外されている、ということですね。
DV はい。父方も母方も祖母が亡くなっているのでふたつの十字架があって、どちらも売却しました。未だに一体どういうことだったのか、他の人がそれらに一体何を見出したのか、不思議に思っています。私にとって謎です——謎であるための謎というわけではなくて、私にとって必要なことだと感じましたし、一種の美、決して伝えることのできない美を見出していました。反対側からはどう見えるのかは想像もつきませんが、それもとても興味深いことだと思います。何も与えないという点で非常に力強い作品でした。つまり、全ての人に語りかけたり手を差し伸べたりしたがるという馬鹿げた考えを棄てて、自分の視点だけを基点に、誠実さを守り通して作品を作るということです。
それこそ完璧な復讐です。何か復讐をする対象があればの話ですが。
ダン・フォー インタビュー
5つの事柄についての永続的な調書
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