クスウィダナント・ジョンペット インタビュー

コミュニティという方法
インタビュー/アンドリュー・マークル


A Space between You and Me (2011), installation of wooden chairs and wood, speakers, iron electrical box. Courtesy Ark Galerie, Jakarta.

ART iT あなたはもともとアートではなく音楽から出発し、アーティストとしては基本的に独学だということですが、どのような経緯でビジュアルアートの領域での制作を始めるようになったのでしょうか。

クスウィダナント・ジョンペット(以下、JK) 最初のアートは音楽でした。大学時代には、バンドに参加したり、演劇やビデオ作品のための楽曲を制作していました。そのうち、より実験的なサウンドパフォーマンスに引き寄せられていきました。あるとき、キュレーターが私に展覧会への参加を勧めてくれ、ジョグジャカルタの新しいアートの現場に入ることとなったのです。学校でアートを学ぶことはありませんでしたが、そもそもインドネシアでは教育インフラが十分に発達していません。そして、この国の社会は非常に共同性が強く、コミュニティはそこの住民にある種の非公式な教育を与える大規模な公共機関の役割を担っています。さらに、私はアラマイアニや、チェメティ・アートハウスというアートスペースをパートナーのメラ・ジャルスマとともに運営しているニンディティオ・アディプルノモのアシスタントを経験しました。これはアートを学ぶ、より効果的かつ効率的な方法でしょう。アートを学ぶシステムはそこにあり、開かれていたのです。

ART iT ほかの多くのアーティストも、アカデミックな教育ではなく、そのような方法でアートを学んだのでしょうか。

JK 多くのアーティストは美術学校に行っていますが、彼らも自分の将来を考える上でそこでの教育に本当に頼っているわけではないと思います。たとえ学校に行かなくとも、コミュニティが教育システムとして存在し、そのコミュニティの中で積極的に動くのであれば、それで十分なこともあります。みんながお互いのアイディアを共有し、アートについて意見を交わします。政府はぜんぜん機能せず、少なくとも堕落しているし、アートを支援しません。だから、コミュニティは貴重な資源です。


Top: Installation view of Java’s Machine: Phantasmagoria (2008) at Singapore Art Museum, 2011. Photo ART iT. Bottom: Anno Domini (2011), wooden pillars, sound installation, text, soldier figures and video components. Courtesy Ark Galerie, Jakarta.

ART iT 軍の音楽隊の制服を着た機械仕掛けの幽霊の作品はいつから制作し始めましたか。2008年の横浜トリエンナーレで「ジャワズ・マシーン:ファンタスマゴリア」(2008)を見た記憶があります。

JK 最初に展示したのは2008年です。横浜トリエンナーレの数ヶ月前のことです。よりインタラクティブな作品も作っていましたが、それ以前から、ビデオや機械仕掛けのものや音、これらを組み合わせることは制作の一部にありました。インドネシアの歴史、とりわけジャワの歴史についてのリサーチをしていたときに、このプロジェクトを始めました。その歴史は信じられないくらいに複雑で、ヒンドゥー教からイスラム教、植民地からポスト植民地、伝統的なものから近代へ、独裁制から民主制へと数多くの変遷があります。リサーチしていくなかで、インドネシアは常に変遷の状態にあり、文化的アイデンティティも多層的で常に変化し、不安定だということがわかりました。大抵の場合、私たちは二元的な観点から変遷について考えてしまいますが、現実は二元的なものを超えていて、私はそれを「第三のリアリティ」と呼んでいます。空洞の人形というアイディアは、常に展開や変化する身体、また、インドネシアに影響を及ぼしている、矛盾した二元的緊張関係を乗り越えるための戦略として継続的に新しいリアリティを展開する必要性から来ています。

ART iT 大学時代に行っていたようなパフォーマンスなどは現在でも続けていますか。

JK はい。属している重要なコミュニティのひとつに大学時代に入っていた演劇グループがあります。シアター・ガラシと言い、今ではインドネシアの現代演劇において最も重要なグループのひとつにまで発展しました。抽象的もしくは非物語的言語を持つエグゼクティブディレクターと何人かの独自のスタイルを持ったディレクターが組むという体制で、ダンス、演劇、パフォーマンスのそれぞれを参照しながら制作しています。現在、シアター・ガラシとの関係では、私はパフォーマンスに重点を置いていますが、グループとの間にも強く重なり合うものがあります。たとえ異なる方法で表現したとしても、私たちは共通のアイディアや問題に取り組んでいます。

ART iT 実際にシアター・ガラシの舞台に関わったことはありますか。それとも、舞台のコンセプチュアルな側面にのみ関わっていますか。

JK アカデミックな経歴を誰も持っていないので、私たちには境界がありません。演技から音楽までなんでも意見を提案できるし、それぞれがそれぞれのアイディアで貢献できます。話し合いにおいて厳格な規則はなく、すべては流動的です。

ART iT そのようなアート、ダンス、パフォーマンスへの新しいアプローチを生み出す源泉はどこにあるのでしょうか。

JK 私にとって、アートには社会的な役割があり、また自己発見に関するものでもあります。インドネシアの歴史のリサーチを始めたのも、当時、私たちの世代が伝統的な歴史から切り離されていると感じていたからです。自分のルーツを失ったように感じていましたが、それがなぜなのか説明できませんでした。私の家系では祖母が伝統的な精霊信仰者で、父親はカトリック、私はカトリックの第二世代です。祖母と父との考え方の違いから、祖母の持っていたたくさんの知識が父には引き継がれませんでした。こうしたことはインドネシアの多くの家族に起こったことです。また、学校での歴史教育では権力、軍事的出来事、支配的なアジェンダの歴史しか教えません。私たちの社会や文化の本当の歴史は語られません。そこで、私は自分自身で、またシアター・ガラシとともにリサーチを始め、数多くの価値ある情報を発見しました。それらの情報は学校で教わらないもうひとつの歴史であるため、リサーチはアート作品を通して提示されることで社会的役割を担います。


Both: Installation view of Third Realm (2010) at Para/Site Art Space, Hong Kong; multi-media installation and performance work in collaboration with Yudi Ahmad Tajudin, founder and theatre director, Teater Garasi, Yogyakarta. Courtesy Para/Site Art Space, Hong Kong.

ART iT そうした歴史のリサーチはどこで行われますか。

JK 私たちは旅をします。そこには人工物があり、人々が生活していて、土地土地の美術館があります。そうしたものを探しながら国中を旅します。ここから生まれた作品は、15人から20人の関わったすべての人にとって重要なものです。長い間続けていこうと思う重要なプロジェクトです。私たちが本当に探していたものは時間の変化を乗り越える方法だと気がつきました。その問題は様々な場所や時間に渡って変化しているので、よりいっそう困難なことですが。
時の変化の加速を人々がどう乗り越えるかということが私たちの最大の関心事のひとつです。

ART iT 現地の人々にはどのようなことをインタビューしますか。たとえば、戦後の独立時代のような特定の話題について話し合うのでしょうか。

JK 数多くの質問をしますが、質問それ自体はそこまで重要ではありません。なぜなら、私たち自身をそうした問題の外部に位置づけていないからです。私たちは社会の一部であり、みんなとともに答えを探したいのです。私たちは政治的な出来事についても、インドネシアがその歴史のなかで経験してきた複数の変遷から生まれた重なり合う緊張関係を取り扱う実質的な方法についても話し合いません。今日、インドネシアとはなにかという質問に答えるのは本当に難しく、それはコラージュのようであり、その過去とは真にその過去ではありません。

ART iT スルタンの統治時代やオランダ植民時代に続き、スカルノとスハルトの時代を経て、イスラム原理主義の台頭を伴う変遷が新たなレイヤーとなる可能性がありますね。

JK はい。民主主義を完全に取り入れることにより、今日のインドネシアに生まれてきた均質化についてもリサーチしています。実際に民主主義は進行していく均質化の下地を準備しました。その一方で、原理主義政党の政治力はそこまで強力ではありませんし、覚えておいてほしいのは、インドネシア文化は本当に複雑なので、彼らの考え方が完全に受け入れられることはないということです。このようなことは私が別に取り組んでいる「アバンガン」と呼ばれる社会集団についての重要なリサーチにも繋がっています。「アバンガン」とは文字通り訳せば、「赤」を意味しますが、文化的には「灰色」を意味します。アバンガンは19世紀末期のインドネシアが迎えた最初の近代に生まれ始めた社会のレイヤーのひとつです。彼らは保守的なイスラム教と複数の土地の信仰が混ざり合うところに生活しています。インドネシアで「私は灰色のイスラム教徒です」と言ったとき、それは厳格な信者ではなく立場としてはイスラム教徒だということを意味しています。こうした考え方は宗教だけでなく、今日のインドネシア社会の様々な側面にも適用でき、アイデンティティを掴むための非常に複雑で洗練されたシステムです。国家としてのインドネシア自体がこうした「灰色の国家」という考え方を通して構築されてきたと言えるかもしれません。コミュニストでなく、リベラルでもなく、西洋でも東洋でもない。実際には数多くの異なる宗教や伝統があるにも関わらず、我々の国は一神教に基づいていると言えます。つまり、これは真実ではありませんが、まあ、よいとしましょう。高まる宗教的な原理主義という最近の関心事は、過激派の扇情主義を利用するメディアと結びついているのではないでしょうか。


Whispering Kala (2011), wooden pillars, speakers, microphone, video documentary performance. Courtesy Ark Galerie, Jakarta.

ART iT それでは幽霊の作品は、この「灰色」というまさに現実の問題と結びついているということでしょうか。

JK その通りです。最初の人形はジャワ軍の制服を着ています。この軍服は純粋に式典用で、1830年のオランダとのジャワ戦争後、オランダ軍とジャワ王国との交渉の際に使用されたのが一番最初です。この戦争の後、オランダによる近代化はジャワ全土に広がりました。工場、道路、橋などすべてのインフラ設備がオランダによって整備されました。しかし、西洋と地元の要素が混ざり合った軍服の外見に、新たな種類の戦争、象徴の戦争、そして身体がその戦場であることを表象していることに気がつきました。二百年前から今日まで、自身の身体の象徴を巡る戦いが続いています。時間と文化の変容を乗り越える考え方には正解がありません。様々な方法で続いていくだけです。こうした考えが軍隊、いわゆる防衛機構から来ていることが、私にとって非常に重要なことです。この式典用の制服を着た軍隊はジャワ人が自分たちを守るための新しい方法でした。

ART iT このプロジェクトはこれからどのように展開していくと思いますか。

JK 現在はこの軍隊という考え方の歴史を詳しく調べています。最近の作品では、現存する問題に対する新しいアプローチを見つけようとしています。人形からはカーニバルやパレードが連想できます。インドネシアでは、これは共通のシンボルです。私たちは常にコミュニティの発明や時代の変化を称賛しています。

クスウィダナント・ジョンペット『Java’s Machine: Family Chronicle』
3月25日(金)-4月17日(日)
Selasar Sunaryo Art Space
http://www.selasarsunaryo.com/

クスウィダナント・ジョンペット インタビュー
コミュニティという方法

第9号 教育

Copyrighted Image