※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。
会田家「檄」展示風景 「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展、東京都現代美術館、2015年 撮影:木奥恵三
毎年、この時期になると、新聞各紙を中心に「今年の展覧会ベスト」の欄がもうけられる。私も例年通り、読売新聞の朝刊に12月10日付けで今年の4選を短いコメントとともに寄せた(*1)。「ベスト」という呼称が美術表現の評価に馴染まないというのは時おり聞く。けれども、その年、どのような展覧会にスポットが当たったかが如実にわかるのは、端的にこのような尺度を採ればこそのはず。とりわけ今年は戦後70年にあたっている。また世相のうえでも、国内外を問わず耳目を騒がす不穏な出来事が多く起きた。そんななか、記名によって誰がどんな展示を評価したかは、時の経過を経れば、また別の尺度で厳しく評価し直されることだろう。
他方、こうした年末の回顧企画は、隠れた優良企画に改めて着目するなどのうえではよい機会となるが、年間の展覧会を通じて浮かび上がった様々な問題を振り返るのには適していない。たとえば今年は、官憲や行政による表現への規制・検閲が、例年にも増して大きな話題となった。その最たるものは、作品が「わいせつ」だとして昨年から始まっていた警察による作者=ろくでなし子の逮捕・起訴が今年、東京地裁刑事第10部により「平成26年刑(わ)第3268号・わいせつ物陳列等」としておおやけに事件化されたことであろう。4月15日から東京地裁・425号法廷で始まった第一回公判は、現在、第7回公判(11月24日・被告人質問)まで進んでいる。私はこれまで複数回、傍聴を希望して抽選の列に並んだが、残念なことに当選するに至っていない。
ろくでなし子の次回公判は2016年2月1日を予定。検察の論告や弁護人の弁論のほか、被告人の最終意見陳述も行われるという。
が、美術界からのこの事件への関心が高まっているとは言いがたい。表現にまつわる事案が被害者不在のまま官憲から一方的に有罪性ありと断言され、ことが法廷にまで及んでいるにもかかわらず、である。私は本連載で一度、この問題を取り上げ、なぜこの事案が業界で等閑視されているかについて分析した(*2)。またこれに続き、私自身も会員のひとりである国際美術評論家連盟日本支部(AICA JAPAN)の常任委員会、定例会でもこの問題について諮り、その時までに会員有志を通じて募られていた意見表明を、賛同者の連名というかたちで連盟のウェブサイトに正式に上げた(*3)。ちなみに、この有志のひとりである上智大学教授・林道郎は、同事件の第6回公判(11月20日)に弁護側証人として出廷、意見陳述を行っている(*4)。この問題については、来年以降も引き続き注視していく必要があるだろう。
また今年は、東京都現代美術館で夏に開催された展覧会「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」で発表された会田誠・岡田裕子・会田寅次郎によるユニット=会田家による「檄」と題された展示をめぐって(正確には同時に展示された会田誠「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」と併せて)、美術館のチーフ・キュレーターの長谷川祐子から作家に対し直に撤去・改変要請があったとされ、大きな物議を醸した。
会田誠「The video of a man calling himself Japan’s Prime Minister making a speech at an international assembly」(国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ)、2014年、シングルチャンネルデジタルビデオ、26分07秒、© AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery
ただし、この一件は結局、展示の撤去にも改変にも至らず、展覧会自体なにごともなかったかのように会期を終えてしまい、また展覧会の規模にもかかわらず図録が作成されなかったため、きわめて後味の悪い推移を辿っている。法廷闘争となっているろくでなし子事件と比べたとき、その社会的甚大性は比べるべくもないかもしれない。だが、警察などの官憲の手ではなく、そうした外的圧力から表現を守るべき立場にいる館のチーフ・キュレーターが作家に対し直接、撤去・改変の圧力をかけたという点で、より深刻な問題を秘めている。
当初は発表されるとされた長谷川によるコメントは、現在に至るまでなんら示されていない。他方、会田がこれに対抗する措置としていち早く出した明快な経緯説明(*5)。により、館と作者とのあいだの関与姿勢が非対称となり、双方の意見をふまえたうえでの論議が困難な状態となってしまった。しかし、朝日新聞などによる取材・記事化(*6)などと総合しても、その事由が「子供にふさわしくない」からなのか、「クレームが寄せられたから」なのか、「安倍政権のパロディ、および文科省批判への内部検閲であった」かは依然、定かではない。が、長谷川から会田家および会田誠への作品撤去・改変要請があったことはいっさいの釈明もされない以上、事実と考えるほかない。
そうでなくても、同じく東京都歴史文化財団の管轄下にある東京都美術館で2014年2月、「現代日本彫刻作家連盟」定期展にて展示中であった中垣克久による作品「時代(とき)の肖像—絶滅危惧種」に対し、館側から作品の撤去・改変要請が出されていたことを、同館副館長の小室明子が認めている(*7)。その際、小室は取材に対し、根拠として、都の美術館運営綱領が定めた「特定の政党・宗教を支持、または反対する場合は使用させないことができる」を挙げ、同作にコラージュされた「憲法9条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右翼化を阻止」などと書いた貼り紙を問題視したと説明した。
その是非については別の機会に譲るしかないが、少なくともこのケースでは、館自体が撤去・改変要請を出したことを認めている。さらに多くの耳目に届いた会田家「檄」文の撤去要請について、説明を求める声に対する都現美の無視・沈黙は、社会的責務をともなう公的な機関として許されることではない。遡れば、昨年は愛知県美術館「これからの写真」展でも、愛知県警から鷹野隆大の写真による男性裸体作品について、「わいせつ物の陳列にあたる」として撤去の指示が入り、美術館が対処する事態が生じている(*8)。が、館はこれをわいせつと認めず、作家と協議のうえ、下半身に布を掛けるという(歴史批評的な意味を持つ)別の展示方法で対応し、その経緯について、館発行の紀要(*9)に詳細な報告書まで発表している。その点でも都現美の対応は異様というしかない。
愛知県美術館「これからの写真」展 鷹野隆大作品、展示方法変更後の様子(2014年)
©Ryudai Takano, Courtesy of Yumiko Chiba Associates, Zeit-Foto Salon
もっとも、これらの出来事は、新聞やSNSを通じて情報が共有され、一定の論議の対象とされたものに限られる。東京五輪の開催を数年後に控え、美術館にも積極的な事業協力が呼びかけられるなか、似たような事例は水面下で多発の可能性がないとも言えまい。わが国で年末は「年忘れ」と呼ばれ、慣習的に一年の垢を落とし「水に流す」よい機会とされてきた。が、昨年起きたいくつかの「兆し」を「年忘れ」してしまったからこそ、今になってさらに悪い事例が立て続いているとはいえないか。このままでは来年以降、同様の自粛・検閲・要請がさらに酷いかたちで拡大しても、なんの不思議もない。
1. 「回顧2015 アート」、『読売新聞』2015年12月10日朝刊
2. 本連載 第46回「象徴としてのわいせつ——ろくでなし子と赤瀬川原平」、2014年12月22日
3. 「ろくでなし子氏に対する不当逮捕と起訴に対する説明と起訴撤回の要求」、2015年1月13日
4. (参考)「<ろくでなし子裁判>『女性器モチーフの作品は多く存在している』美術史家が証言」、『弁護士ドットコムニュース』、2015年11月20日
5. 会田誠「東京都現代美術館の『子供展』における会田家の作品撤去問題について」、2015年7月25日
6. 丸山ひかり「美術館『子ども向け表現を議論』 会田さん作品改変要請」、『朝日新聞』、2015年7月25日
丸山ひかり「会田誠さん作品、展示続行へ 都現代美術館が改変を断念」、『朝日新聞』、2015年7月31日
Andrew Mckirdy, “Artist Aida defiant over latest work”, The Japan Times, July 28, 2015.
7. 大平樹「『政治的』作品撤去を 都美術館『クレーム心配』」、『東京新聞』、2014年2月19日
8. 鷹野隆大、沢山遼「愛知県美術館における鷹野隆大の作品展示について」、ユミコチバアソシエイツのウェブサイト、2014年8月20日
駒井憲嗣「撤去しなければ検挙するといわれ、やむなく展示変更となった愛知県美術館展示について写真家・鷹野隆大さんに聞く」、『webDICE』、2014年8月17日
9. 『愛知県美術館研究紀要』21号、2014年
著者近況:森美術館での「村上隆の五百羅漢図展」関連イベントとして、トーク「大震災、五百羅漢図と村上隆」に登壇予定。2016年1月10日(日) 、アカデミーヒルズ(六本木ヒルズ森タワー49階)。詳細はこちら。