四川汶川大地震から5年 文/牧陽一

四川汶川大地震から5年
文/ 牧陽一                  
 

2008年5月12日に起こった四川汶川大地震から5年を記念して、今回は艾未未(アイ・ウェイウェイ)が四川汶川大地震の際に書いた文を3篇選んだ。地震直後には言葉も出なかった。最初の「哀思(哀悼)」が書かれたのは5月22日。震災10日後である。マスコミは救護活動のすばらしさばかりを宣伝し、政治家はそれを愛国運動に利用した。だが「災難の中、手をさしのべて、傷ついた人を助けるのは人道主義であって、祖国や人民への愛などではない。」重要な事は事実であって「なぜ多くの校舎が潰れたのか?」だが、まるでそれを無視するように官制のマスコミは愛国ばかりを煽情的に報道した。艾未未は「生者の無意識と無覚悟から、生命価値を軽視することから、生きる権利と表現力を麻痺させた時から、そして正義、平等、自由をはき違えた時から、本当の死者の不幸というものがはじまるのだ」と明記し、生きる者の責任として地震の現地調査へと向かった。
 
そして校舎倒壊によって亡くなった子供たち5196人の名簿を作成するが、当局によって30数回に及ぶ理不尽な妨害に遭う。結果、地震で死亡した子供たちはわずか10校に集中していることが明らかになっている。「無声的節日(声なき祭日)」は救助が打ち切られた6月1日に書かれている。浅見洋二による翻訳は2008年8月号の『現代詩手帖』の特集「いま詩の力とは何か 四川大地震を前に」に収められた。迅速な対応、そして表現を適えた詩人たちに敬意を表したい。今回は浅見洋二氏本人の許可を得て再録した。本特集は日中両国の詩人作家たちが地震に寄せて22編の作品を書いている。うち艾未未の「声なき祭日」以外では、閻志(イエン・ジー)「亡くなった子供は眠りについた本」、翟永明(ジャイ・ヨウミン)「女の子はみな涙なき天使」が子どもの死を記念している。翟永明は北川中学の瓦礫にあった子供たちの教科書やノートを拾い集め、そこに書かれた少女の詩を見出す。北川中学はほとんど壊滅状態で782名もの中学生と高校生が亡くなっている。だが近くにあった北川漢龍の小学校では一人も犠牲者が出ていない。北川漢龍の小学校を中国のマスコミは「奇跡だ」と報道したが、これは当然のことであって、北川中学の方に手抜き工事があったことは明らかだ。関係者は子供を殺して賄賂を得たのだろう。こうした問題は他の校舎についても容易に証明できるはずだったが、政府は全てを隠蔽したのである。
 
だから艾未未は「誰も謝ることはない。集団で消滅するがいい。」(「不用道歉(謝る必要はない)」9月26日)と言い切るのだ。残念ながらこの英訳は『Ai Weiwei’s Blog』(The MIT Press, 2011)には収められてはいない。だがこの表題「謝る必要はない」から、ドキュメンタリー映画『艾未未:Never Sorry』 (2011年)の意味を「決して謝らない」政府の態度と解することができるのではないか。今回の3篇は従来底本に選んでいた『此時此地Time and Place』(桂林・広西師範大学、2010年)にも収められていない。後に『艾未未雑文選:不要對我有幻想』(香港・大山文化出版社、2012 年)に掲載された。中国では四川汶川大地震に関する文が削除されたものと考えられる。香港版表題の不要對我有幻想は「私に幻想をは抱くな」という意味だがこれも艾未未本人というよりは政府について言えることだ。だとすれば2009年11月、ミュンヘンの美術館、ハウス・デア・クンストで行われた『So Sorry』と題した彼の個展で、子どもたちを追悼した艾未未とは対照的に、「ネバーソーリー」は決して「非を認めず、謝罪しない」政府の態度と見なすことが可能だろう。そしてそんな政府なら消滅した方がいい、それが艾未未の考えに違いない。
 
2009年5月、四川汶川大地震一周忌に、亡くなった子供たちの誕生日を記念していた艾未未のブログは閉鎖された。2009年8月、同じ震災犠牲者の調査をしていて逮捕された譚作人(タン・ズオレン)の弁護のため、艾未未は四川省の成都に赴いたが、深夜、警察に襲撃され頭部を負傷する。9月ミュンヘンで脳内出血の治療手術を受ける。以降、美術展で紙に打ち出した犠牲者の名簿を展示している。また2009年調査に関するドキュメンタリー映像「花脸巴儿」「老妈蹄花」などをユーチューブに公開している。2010年5月にはツイッターで募った人々が亡くなった子供たちの名前を読み上げるプロジェクトを実施。最近では艾未未のフォロアーが再びツイッター上で亡くなった子供たちの誕生日を記念している。また他のフォロアーは四川汶川大地震5年を記念して花の図版をツイッター上で募集するプロジェクトを実施している。

2012年10月にYou Tubeで公開された艾未未による「草泥马style」は5カ月で100万アクセスを超えているが、現在へヴィーメタルのアルバム「神曲」も制作されており、2013年5月にYou Tube等で公開される予定だという。制作は左小祖咒(ズオシャオズージョウ)。2曲は2012年にアメリカへ渡った盲目の弁護士、陳光誠(チェン・グアンチョン)による作詞で「ホテルアメリカ」「壁を乗り越える」が収められている。自宅軟禁されていた陳が壁を超えて逃亡したことや、政府のネット管理ファイアウォールを超える意味を想像できる。なぜへヴィーメタルかについて艾未未は「収監中、看守に歌を歌わされたが、プロパガンダの革命歌しか知らなかった。出獄したらひとつつくってみたい」と思っていたという。ロックスターであり北京東村1994年からの古い仲間である左小祖咒の影響もあるだろうが、詩的言語への執着は1970年代末、北島(ベイ・タオ)ら今天派の詩人との交流、さらに近代中国の代表的詩人である父、艾青(アイ・チン)にまで遡ることも可能だろう。彼が詞をつくっても全く不思議ではない。また昨今やたらと中国のパンクバンド盤古楽隊(Punkgod)の作品をツイッターにアップしていた点も気になる。彼にとっては全ての方法が表現として機能するから、神曲についても期待できるだろう。ちなみに神曲はダンテの神曲からだろうが、艾未未のファンが数年前から彼を「艾神」と呼び始めたこととも無関係ではない。同名の艾未未の伝記、杜斌『艾神』(香港・溯源書社、2012年) も刊行されている。艾未未は自分が神格化し、カリスマとなるのを警戒している。「草泥马style」や「神曲」の悪ふざけは彼独特のテレ隠しに見える。

ところで、今年2013年日本でも公開予定の映画「艾未未:Never Sorry」で自分はどんなアーティストかと訊かれた艾未未は「むしろチェスのプレーヤーに近い、相手がどんな手を打って来るかで次の手を考える」と答えている。四川汶川大地震に関わる当局との応酬はまさに相手の出方を見て次を考えて実行する艾未未の「手」を如実に表している。それはアーティストの陳丹青(チェン・タンチン)がやはり「Never Sorry」の中で言っているように 「中国共産党はならず者だ。艾未未もそれに近い。ならず者はならず者の扱いを知っている」ということなのだろう。「Never Sorry」の終盤、艾未未は自分を殴った警察官を問い詰めていく。彼のクルーは警察の対応をビデオに収めていくが、警察の方もビデオで撮り始める。しかし「警察のビデオは公開できないが我々のビデオは公開できる」のである。怯えた警察官の目を見れば、何が正しいか見る側には明らかだ。
「Never Sorry」の最後、「リトリートするな(引き下がるな)リツイートしよう」艾未未の態度は、私たち自身の在るべき姿勢に移り代っていくことだろう。


注: 「神曲」については以下に予告が掲載されている。
Chinese dissident Ai Weiwei set to release heavy metal album
艾未未将发行重金属专辑《神曲》

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