中国における初の艾未未の個展開催は艾未未事件の句読点なのか?

中国における初の艾未未の個展開催は艾未未事件の句読点なのか?
文 / 牧陽一


All images: Photo Yoichi Maki

2015年3月に艾未未に会ったときに、展覧会開催の計画を本人から聞いた。だが、開催できるか疑問だった。もし開催しても、途中で中止されたりしないだろうか?そう思っていた。そんななか、艾のインスタグラムには開催準備の経過が映し出されていた。

2015年6月11日、体制側の新聞『環球時報』は三つの大きなニュースを報道した。ミャンマーのスー・チー氏の訪中、汚職幹部、周永康の無期懲役の判決、そして艾未未の北京での美術展だった。*1 単仁平(編集長である胡錫進の筆名)は「艾未未が北京で展覧会を開催するとは実に面白い」という記事で「客観的に見て、中国社会は現代のパフォーマンスアートについて熟知してはいない。艾が以前の「政治性」から脱却して、中国人の視野を切り開く作品を創作し、ここ数年、彼をめぐって形づくられた資源を利用して、公衆とパフォーマンスアートとの接触を推進し、「西に迎合する」から「人民大衆に奉仕する」に改めるならば、非常に面白いことになるだろう」と述べている。
胡錫進はながく艾未未を批判し続けてきた人物だ。「有意思(面白い)」という単語も実に曖昧で批判とも肯定とも取れない。しかし『人民日報』の海外版である、グローバルタイムス『環球時報』は国際的な世論も無視はできない。結果、中途半端な表現になったと思われる。それにしても禁句であった艾未未の名が体制側の新聞に掲載されたのは大きな変化だった。艾未未は表現の自由を回復したのだろうか?
作品を観ていく前に一点興味深い事実に触れたい。2015年5月15日より、中国美術館館長の範迪安(ファン・ディアン)がキュレイトリアルアドバイザーを務めたヨーロッパ史上最大の中国現代美術の展覧会、『CHINA8 – Contemporary Chinese Art on the Rhine and Ruhr(チャイナ8 - ライン・ルール地区中国現代美術展)』が開催されている。デュッセルドルフやエッセンなどライン・ルール地区にある8つの都市の9つの美術館が、ひとつの展覧会として、張培力、丁乙、劉建華、尹秀珍、邱志傑ら120人の中国人アーティストの作品500点あまりを展示している。この展覧会に、筆者はずっと艾未未の作品は選ばれなかったと考えていた。だが、実はこの展覧会には艾未未も出品を打診されていたものの、艾はこれを断っていた。パスポートがないため出国できないことが理由だろうが、その直後ともいえる時期に「北京制圧」とまで形容された、北京市内5か所での艾未未の展覧会同時開催は、ドイツでの大規模な中国現代美術展のために、他のアーティストの作品の多くが出払っている間の開催を企画していたことになる。つまり、北京での個展はかなり戦略的な意味があったわけだ。

6月10日、ろくでなし子さんや神戸大学の濱田麻矢さんと一緒に常青画廊を入ると作品が凄まじい迫力で迫ってきた。400年前明代の汪家の祠である。これも僅か4分の1だけが残ったものだが、隣のスペースである唐人芸術中心にまで突き通している。
この1500ものパーツからなる古建築の骨組みの象徴するものは文化の再建といえるかもしれない。60数名の人員が5ヶ月かけて解体し、20日で組み上げた。出来上がった作品より、その過程での行為が重要だというのも、意思と行為を重視する艾の考え方として受けておかなければいけない。
当初の予定では5月30日を開幕に当てていたが、六四天安門事件の前ということもあり、その後の6月6日に変更された。「作品に一切政治性を含ませない」という条件で開催を批准された。批准に対する交渉は、画廊ではなく、艾自身とスタジオのスタッフがおこなったたのだという。
作品とは作者の手を離れた瞬間からその閲読は観衆に任される。筆者にはどんな閲読ができるだろうか?この汪家の祠は建国後の毛沢東時代、風雨に晒され、朽ち果てるままにまかされた。普通は文物保護の対象になるべきだろうが、地主、資産家が批判の対象だった毛時代には誰も保護することはなかった。この作品は毛時代の文化破壊、それを批判的に捉えたと理解可能だろう。中華文明の粋や栄華を対象とはしない、廃墟への視点だ。表面的には政治的ではないだろうが、見る者の脳の中までもは支配できない。共産党政権のやってきた文化破壊、そして私たちの側からの文化の復興をこの作品の中心テーマと考えていいのではないだろうか。
廃墟のイメージは四川大地震の学校の倒壊を思い起こさせる。400年も残る木造建築もあれば、一瞬で崩れた手抜きコンクリート建築もある。艾未未事件は2008年の大地震とそれに対する艾らの調査に端を発している。その後09年四川成都警察による艾未未殴打事件、11年に起こった艾未未失踪、監禁事件。以来、艾未未の名前は禁句となり、美術館や展覧会から排除され、名前は完全に消された。
今回の展覧会開催の批准は一連の事件に対する「句読点」といえるのかもしれない。艾への弾圧の停止は一時的かもしれない。しかし北京の五つの会場で艾の存在は再び脚光を浴びることになった。政府の懐柔は艾未未の場合のみに限られるわけではなさそうだ。文化的な弾圧統制は、今後緩められる可能性が高い。しかしこのことで中国政府の専制的な文化政策が完全に改められるとは考えられない。
そして疑問に思われるのはふたつの画廊を貫いて展示されていることだ。なぜなら汪家祠を展示するには常青画廊だけのスペースで十分だと考えられるからだ。なぜ壁を穿ち、二つの空間に分けたのだろう?そして唐人芸術の方には常青画廊の方の様子を映像で映し出している。観衆は全体像を見ることはできない。記憶をたどるか、想像するしかない。この空間の断絶は正に中国の内と外を象徴的に描いてはいないだろうか?SNSも使えない。7月9日以降、弁護士ら活動家が200人以上理由も明らかにされないまま一斉に逮捕拘留された。世界から隔絶された現在の中国の現状を批判的に表出してるのではないだろうか?

さて作品の閲読に戻ろう。最初に目に付くのは常青画廊会場の北側奥にあるシャンデリアである。シャンデリアの作品は「光の噴水」(2007年)が最初だろう。ウラジミール・タトリンの「第三インターナショナル記念塔」(1919年)を模したシャンデリアをリバプールの港に浮かべている。森美術館の『何に因って?』展(2009年)でも縦半分に斬られたシャンデリアを出品している。材質は人民大会堂に使われたものと同じである。常に輝かしいものの虚構性、共産党の腐敗を揶揄してきた。だから今回の作品も天窓から入る自然光とは対照的な虚構性を読み込んでしまう。
柱の細工にはピンクやライトグリーン、ホワイトの工業用塗料が塗られている。こうした方法も仰韶文化(紀元前5000年-紀元前3000年)の彩色土器に工業用塗料を塗る作品から始まっている。筆者の記録では2000年ぐらいにはすでに始まっていた表現である。所有するものの残酷さを認められるとともに、本物かどうかわからない点での諧謔性や元の図柄を想像するしかない点で、可視と不可視に分裂された意識の二重性が見る者を困惑させる。そして何よりもくすんだ原型とは対照的な明るい色彩から来るポップ性を見出せる。
基礎石の下には中国の王朝の正史「二十四史」が木箱に入れてある。伝説上の帝王「黄帝」から明滅亡の1644年までの歴史である。中華人民共和国国家清史編纂委員会は現在、独自な『清史』を2002年より編纂中で完成は2016年に予定されているという。単純な解釈はすべきではないが、権力者が編む「正史」、いま中国共産党がそこに新たな歴史を繋ごうとすることに対する批判的な眼差しを見いだせるだろう。
基礎石の一つはクリスタルでできていて、艾老(アイ・ラオ)の書いた「心平而好(心が平静なのはいい)」と書かれた書が挟み込まれている。こうした遊びの部分が各所に見受けられる。
1立方メートルのクリスタルの塊は前波画廊での「彪 Biao Tiger! Tiger! Tiger!」にも展示されている。「1トンのお茶」(2006年)や「紫檀の立方形」(2009年)などの系列に連なるミニマルな作品だ。また、主題となる「トラ、トラ、トラ」は日本軍の真珠湾攻撃での暗号だが、これはそのまま受け取るべきではなさそうだ。先の唐人芸術中心での展覧会に、靖国神社に向かって中指を立てている写真作品「遠近法の研究」(2009年)を出品したように、垣間見られる日本政府への批判的な展示は政府に従った振りをする表面的なカモフラージュでもあると考えられる。そして「政治的な表現をしない」という条件の中身が、中国政府批判はダメでも、日本政府批判なら構わないという一方的なものである事をも明らかにするトラップとなっている。

表題より圧巻なのは3000点以上集められた虎の図柄の陶器片だ。
2013年1月22日、習近平は中国共「反腐敗(腐敗反対)」に関する演説を行い、「“老虎(トラ)”と“蒼蠅(ハエ)”を同時に攻撃する」とし、大物から小物まで不正や腐敗を徹底的に摘発すると言っている。そして2015年6月11日、党内序列9位で、石油ガス関係に力のある「虎」、周永康に無期懲役が言い渡された。以前の画像の姿とは違い、周永康の髪は白髪になり身なりもみすぼらしい写真が公表された。罪人を罪人らしくする演出である。習近平の政権安定にとって邪魔だった人間を消しただけなのに、犯罪者として処罰したと政権を正当化する。裁判は全く公開されることもなかった。2013年の薄煕来裁判の場合と同様だ。如何なる犯罪者であろうと裁判を公開するのが司法独立の印だ。司法は権力の道具になり下がっている。
この3000以上の陶器片の虎も、すべてが決して勇ましくはなく猫に近い。景徳鎮の絵付け職人たちは虎を見たことがない、猫をモデルに描くので、当然ながらそれは虎ではなく猫なのである。権力を把握する独裁政権にとって虎など存在しない、すべては猫に違いない。この作品は、「悪人」の力を虎で演出して庶民を騙す政府の虚偽性を暴くものとして捉えられないだろうか?文化大革命中の模範劇「智取威虎山」もそうだが、相変わらずの古い比喩に、嫌悪感まで持つだろう。習近平は相も変わらず、毛沢東時代の方法を使い、時代を逆行させようとしているのだろうか?
当代唐人芸術中心の側にはガラスケースに陶器の碗5×5=25個が展示されている。これは「明成化斗彩鶏缸杯」明の成化皇帝の御用杯である。雄鶏と雌鳥、雛や仮山石が描かれている。2014年4月8日、香港のサザビーズで、陶器では史上最高値となる、2億8124万香港ドル(約45億円)をつけた。艾はそれをコピーして25個並べた。陶器裏印には本来「大明成化年製」とあるのだが、コピーのほうは「北京發課」になっている。艾らの事務所名だがピンイン表記ではBeijing Fake 発音はFuck、綴りはFakeとなる。罵りと偽物というふたつの言葉の意味を持つ。
2005年7月12日ロンドンのクリスティーズで「元青花鬼谷子下山図罐」が1568.8万ポンド(約30億円)の値をつけている。2006 年、艾は壷の上から見て角度を入れて、真っ白なものから少しずつ色を入れていった作品を並べている。Ai Weiwei & Serge Spitzerの「鬼谷下山」(2005-6年)*2 見る角度によって全部彩色したものに見えたり、全部真っ白なものに見えたりする。
艾による、世界で話題になった最高値の陶磁器の偽物を作る行為は長く続いている。これは彼の御用美術に対する嘲笑が基本にあるだろう。毛沢東も自分用の陶磁器を景徳鎮の一流の職人に作らせている。権力者は常に最高水準の陶磁器を景徳鎮に作らせる。そして時間を経てもその価値は大きくなるばかりだ。こうした権力者が作らせたものを美の基準にする従属的な骨董価値観を艾は批判的に捉え続けている。それは先に触れた「二十四史」同様、権力者のつくりだす歴史観に対する姿勢だろう。
これとは対照的に大量の石斧を並べた作品には「生きるための道具」を評価する艾の姿勢が垣間見られる。魔金石空間、MAGICIAN SPACEでの展覧会『AB型』では、鉄でできた草が展示されている。草民が鉄になることは、庶民の力を信じる姿勢に他ならない。民主への希望と無関係ではあるまい。
以上、筆者の閲読を示してみた。艾の作品には多様性があって様々な読解が可能だろうが、筆者の理解もそのひとつとして参照されるといいと思う。


*1 http://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_1340498
环球时报评艾未未获准在京办展:挺有意思的事:澎湃新闻报料
原文:客观说,中国社会对现代行为艺术尚不太熟悉,艾未未如果真能摆脱前一段的那种“政治”,创作一些开拓国人视野的作品,利用这些年围绕他形成的资源带动公众与行为艺术的接触,从“迎合西方”改为“为人民大众服务”,那将是非常有意思的事情。

*2 『入境:中国美学―上海当代藝術館文献展』上海書画出版社 2006年9月
また画題は、「山西省沢州鬼谷の地に隠棲していた戦国時代の思想家・鬼谷子が、弟子の孫子が「迷魂陣」に捕えられ窮地にあるのを救出すべき下山する」もので、鬼谷子は豹と虎の引く車に乗っている。長谷川祥子「“意匠”の宝庫―明清挿絵本と工芸品」瀧本弘之・大塚秀高編『アジア遊学171中国古典文学と挿画文化』(勉誠出版2014)214p


パスポートを手にするアイ・ウェイウェイ。 Photo: Ai Weiwei (@aiww) via Instagram

附記

2015年7月22日午後3時ごろ、艾未未のインスタグラムには「パスポートを取り返した」と艾とパスポートの写真が映し出された。2011年の入獄以来、4年ぶりに海外への旅行が可能になった。2013年11月30日からフェイクスタジオの前の自転車の籠に花を生け続けて600日目だった。

習近平は2014年10月15日、文学芸術界の72名を招聘し、文芸座談会を開催した。これは1942年の毛沢東の文芸講話の再来そのものだった。党の宣伝に文学芸術を利用しようとする方法は時代遅れと言わざるを得ない。政府の側はまずこの方法の誤りに気付き始めたのだろう。日本でも安倍政権が2015年6月25日、文化芸術懇話会を開き、「マスコミを懲らしめる」などといった、百田尚樹らによるマスコミへの弾圧発言が問題になった。まさに日中両政府は権力保持のために、報道やソフトパワーに対する弾圧、統制へと向かっていた。しかし当然こうした動きに庶民は反感を抱き、多くの言論人の発言や海外での報道には反発が見られた。
艾未未への弾圧が解かれた要因は、こうした政府の時代遅れで専制的な方法が広く世論の反発を招いていること、そしてその反発が大きくなり政府へのプレッシャーとなった結果だと言える。艾を閉じ込めているよりは解き放した方が世界からの批判を逃れられると踏んだのだろう。艾は自分自身をチェスのプレーヤーだと言うように、中国政府が欧米の理解を求めるいま、世界の趨勢をうまく作用させた。一見体制批判の見いだせない個展の成功で、一旦は退いた様に見せたが、逆にコマを奪ったと言える。

しかし艾の仲間のアーティスト趙趙が言うように中国政府による弾圧は変わっていない。7月9日以来、中国全土で200人以上の弁護士や活動家が逮捕拘留されている。艾のパスポート奪回は小さな勝利にすぎない。今以上に思想・表現の自由を求めて戦うしかない。

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