艾未未 インタビュー(2014年9月)

「名前を消される」艾未未 インタビュー(2014年9月)
インタビュー / 牧陽一、2014年9月19日、北京草場地フェイクスタジオ


艾未未(ろくでなし子さんのソフビまんこちゃんとともに)2014年9月19日、北京草場地フェイクスタジオ、撮影:牧陽一

2014年4月30日、『上海CCAA中国当代芸術賞15年展』の開催20分前に、2008年の終身最優秀賞(傑出成就奨)受賞者、および第1-3回評議審査委員であった「艾未未(アイ・ウェイウェイ)」の名前が会場の壁から消された。
さらに一ヶ月後の5月23日、北京798ユーレンス現代美術センター(UCCA)でオランダ人の中国現代美術研究者、戴漢志(ハンス・ファン・ダイク)についての展覧会『戴漢志 Hans Van Dijk ハンス・ファン・ダイク(1946-2002):5000の名前』展が開催された。しかし先の『CCAA中国当代芸術奨十五年』展と同様に艾未未の名前が隠された。案内状の写真からも艾の姿は切り取られた。艾未未はこれに抗議して作品を撤収した。
戴漢志は1986年南京へとやって来た。北京に長年暮らし、多くの中国現代美術のアーティストと交流した。艾未未は1999年、戴漢志とともに「中国芸術文件倉庫(CAAW: Chinese Art and Archives Warehouse チャイナ・アート・アーカイヴ & ウェアハウス)」を創設し、多くのアーティストに表現の場を提供した。戴が晩年になって体を壊した時も給与を払い続けた。戴は2002年に逝去。葬式で彼の妻の手をとったのは艾未未だった。墓の設計も艾未未が行い、艾は戴の最も大切な親友だったといえるだろう。*1

インタビュー

艾未未(以下AWW) 今年行なわれた上海の展覧会は、私の友人で、中国のスイス大使だったウリ・シグが主催している現代美術賞の展覧会です。設立されてからもう15年にもなるが、私は設立時から3年間連続、つまり第1回から第3回までの重要な時期に審査委員だった。私は、すべて無償で、毎回、多くのアーティストを選び、大賞を授与する仕事に当たった。私から、シグに「あまり長くやるのは良くないから、辞めさせてほしい。他の人にやらせた方がいい」と申し出るまでだ。2014年、彼らはこの賞を紹介する展覧会を開催した。毎回の受賞者および、その賞を決めた審査員も取り上げた。私は、審査員を務めただけでなく、終身成就賞に選ばれているから、この賞についての展覧会なら私のことも、私の作品も取り上げないわけにはいかない。ふたつの点においてのタブーがあったわけだ。やつらが艾未未の出品はだめだというので、私の作品は梱包されて後ろの倉庫に入れられた。でもまだ私の名前は残っている。そこで、展覧会が開始する20分前に私の名前は消された。すぐに人が来て壁から私の名前を消して、ドライヤーで乾かし、私の名前はなくなった。これらは、上海の公安局によって行なわれた。上海という街にはたくさんの博物館があるというのに、1990年代から2000年前後に起こった事実を認めない。これは上海が一貫して事実を変え、歴史を改竄していることを表している。すべて、中国共産党が一貫してやっていることだ。

牧陽一(以下、YM) 前にあなたのアトリエも壊されましたね。

AWW チェスをやるときに、元々ここにあったコマを、違う、あちらにあったと言う。こんな人間とはチェスはできない。しかし、問題はこれだけではない。この問題は政府の見解によって起こっているもので、こういうやつらは芸術界の中にはいない。だが、展覧会に3、40人もの芸術家が参加していて、彼らはみな、私のことを知っているにもかからず、しかも、その多くは私自身が賞に選び、文章を書いた芸術家なのに、誰ひとり何も言わない。「すみません。艾未未はここで仕事をしていたはずだ」とは誰も言わなかった。もちろん、こんなことは不愉快にきまっている。ただ、私が不愉快なのは、政府がこの美術展に私を参加させないことではない。やつらが私を恐れているのも、実際のところ彼らが脆弱であることも知っているからだ。私が不愉快なのは、これらの芸術家たちがこんなにも恥知らずで、良識に欠け、主義主張を持たず、美意識のかけらもないということだ。芸術がどういうものかさえも解っていない。まるで、何も無かったかのように装っている。ふたりでチェスを指していて、一方が図々しくでたらめをやっているのに、見ているものが何も言わない。

YM 彼らには勇気が無いのでしょうか?

AWW そうだ。金儲けのことしか考えていない。中国の芸術家は卑しくて、いつもぺこぺこ媚び諂っている。主義主張というものがまったく無い。有名になって金儲けすることしか考えてない。本当に気分を悪くさせる連中だ。さらに、上海で起こったことと同様のことが、一ヵ月後に北京のUCCAで起こった。最初は不思議に思った。友人のデザインの展覧会を見ていたら、そこに私の友人ハンスの大きなポスターが貼られていた。ならば、同じ場所だし、行って見てみようと思った。行ってみるとたくさんのアーティストがそこにいた。王興偉(ワン・シンウェイ)、丁乙(ディン・イー)、みんな来ていた。「展覧会があるけれども、あなたは知らないの?」と尋ねてくる。「知らないよ」と私。「一緒に写真を撮ろう」という。私は「いいよ。呼ばれていないから、たまたま出くわしただけなのだから」と答えた。彼らはばつが悪そうだ。館長のフィリップ・ティナーリも同様だ。彼は「私がやったのではなく、やつらがやった」と言う。私は、「君は館長なのだから、責任を負うべきだ」と言った。私は写真も撮らなかった。王興偉は、私がそんなに気にする必要は無いという。君たちは気にしなくていいだろうが、私自身は大いに気になることだと思った。これは言論の自由にかかわることだからだ。そうだろう?私は車に乗って、崔燦燦(ツゥイ・ツァンツァン)と一緒にそこを離れたが、かなり怒っていた。ハンスの美術展も見なかった。彼は言った。「ほら、見て。携帯にハンスの展覧会の告知メールが来ている。数十人のアーティストの名前がある。」そのリストには、AからZまで並んでいるべきなのに、Cから始まっている。蒼鑫(ツァン・シン)からだ。この事件の後、彼は私のために発言しなかっただけでなく、評論で私を罵った人間を支持した。フィリップ・ティナーリの仲間の鮑棟(バオ・ドン)という、最近、活発な評論家だ。この男はニューヨーク・タイムスに「艾未未が作品を撤収したのは、あらかじめ陰謀を企んでいたからに違いない」と述べた。実に聡明な男だ。当然だが、もちろんそんなことは無い。だが、そのとき、私は実に不愉快だった。アーティストリストの中に私の名前は無いし、「ハンスが、いつ、ある人と文献倉庫を開設した」というように、芸術文献倉庫のことが書かれているにもかかわらず、私については記述が無い。それを見て私は「ハンスを記念する展覧会で、ハンスはもうこの世にいない。もしハンスのことを尊重するのなら、こんなことをしてはいけない」と思った。そうだろう?彼はもういない。私が出て行って彼のために言わなければいけない。文献倉庫は私たちふたりで運営したのだ。もうひとりいた創設者、傅朗克(フランク・ウィッテルハーゲン)*2も死んでしまった。もう私ひとりしかいない。私が言わなければ誰が言うのだ。そうだろう?私は車の中からフィリップに電話した。「フィリップ、君の出したアーティストリストには、私の名前が無い。ということはそこに私もいないということだ。いま趙趙(ヂャオヂャオ)に私の作品を撤収してもらう」。私はアーティストで、私のスタジオスタッフでもある趙趙に電話して、すぐに私の作品を引っ張り出してくれといった。趙趙は大喜びでピアノを引きずり出した。「安全性」(1986)「金の玉子を伴うバイオリン《闲扯淡》(むだ話)」(1986)「ピアノ」(2014)の3つの作品を撤収した。


搬出されるアイ・ウェイウェイの作品「ピアノ」、艾未未のインスタグラムより

YM  「ピアノ」はどんな作品ですか?

AWW 「ピアノ」は私と王興偉そして丁乙がつくった、ハンスへ捧げたインスタレーション作品だ。ここで、私たちは決まりを作った。私が王興偉と丁乙の作品をつくる。王興偉は私と丁乙の作品をつくる。丁乙は私と王興偉の作品をつくる。私たち三人で、一人は他の二人の作品をつくる。あの作品は私の作品ではあるが、実際は王興偉がつくったのだ。だからあのピアノは彼が私だったらどうつくるかを想像してつくったものだ。あのピアノはあなたがどの鍵盤を叩いても同じ音がする。もっと面白いのはあのピアノが壊れたら、どの鍵盤を押しても音が出ない。特製のピアノだ。王興偉がつくったものだが、私の作品だ。だから私はそれを持ち帰った。というわけだ。持ち帰ってから、アーティストが何も表明していないから、取材することにした。王興偉に私の取材を受けるかと訊いたら、いいよ、というし、私も取材したかったから、ビデオカメラを持ってこの事件についてどう思うかと訊いた。王興偉は「多分技術的な問題だろうがどうしてだか忘れた。名簿をつくる人がパソコン上で何か問題が出たのだろう」と言った。私は「わざとだろう」と言った。彼らがこんな言い逃れをするので私も腹が立った。「私たちふたりは友達だし、君のために文章を書いてあげたこともある。最初の展覧会を開催したのも私だ。だから私が作品を撤収すれば君も撤収したいかい?」と訊いた。彼は少し考えさせてくれと言ったが、翌日ネットにアップした文章で「絶対に撤収しない、艾未未を支持しない」と言った。

YM  その時、彼の展覧会も開催していたからではないですか?

AWW そうだ。彼はUCCAで展覧会を行なっていて、それ以降、自分は大したアーティストなのだと思っている。私を批判する文を書いた鮑棟が彼のために文を書いている。

YM  「作品を撤収しなくても、艾未未を傷つけることにはならない。もし友達なら、傷つけることにはならない。恨みを買うことにもならない。もしもう友達ではないなら、やはり傷つけることにはならない」と言っていますね。インタビューはすべてインスタグラムに載せたのですか?

AWW 全部インスタグラムに載せたよ。この事件は過去10年の中国芸術界における最大の事件となった。なぜならすべての人間が態度を示したからだ。赵少若(ジャオ・シャオ・ルオ)、顔磊(イエン・レイ)もドイツの孟煌(モン・ホアン)も撤収を宣言して作品を搬出した。(その他に张离(チャン・リー)、刘安平(リウ・アンピン)、李松松(リ・ソンソン)、荣荣(ロンロン)らが支持を示している。)

YM  王興偉はUCCAで1999年以降、何回か展覧会を開催していますね。

AWW 私は彼のために、3回も文を書いている。

YM  最も多いですね。

AWW 最多だろう。私はみんなに態度を示してほしかった。でも大騒ぎになったね。多くの人が出て来て私を罵り、または、逆に私を支持した。両方だったんだ。

YM  UCCAでは2011年にあなたの回顧展をする予定だったのですね。だが、開催しなかった。

AWW ユーレンスは、もともと私のクリスタルガラスのシャンデリア作品を買って、UCCAを入って正面の場所に展示していた。入ればすぐに目につく所だ。それから私に、(2011年4月3日北京国際空港で身柄拘束、入獄という)事件が起きて、ユーレンスはそれをグッゲンハイム・アブダビに売却した。2011年の3月、もうすでに私が係争中のとき、政府の感情を害さないようにと、私の美術展を中止したのだ。だからこのことについて、私は何も言わなかった。


撮影:牧陽一、2010年

YM  その後、ユーレンスは香港のオークションで中国現代美術の作品を沢山売りましたね。

AWW そうだオークションで沢山売った。そうだ4月だ。*3

YM  彼らはあなたが捕まる事を知っていたのではないですか?

AWW 私には分からない。

YM  中国共産党宣伝部というのはどんな組織なのですか?

AWW ナチスにおける、ヒトラーの友人でヒトラーのために宣伝を担当したゲッベルスのようなものだ。数限りない悪事をはたらいた。「劉少奇を打倒せよ」の時もいたし、「鄧小平を打倒せよ」の時にもいた。「四人組を打倒せよ」の時にもいた。「私を打倒せよ」にも当然存在する。いつでもいる。

YM  あなたとヘルタ・ミュラーとの対話*4にも秘密警察の危険、恐ろしさが描かれています。その組織は秘密組織なのですか。

AWW 秘密組織だろうと思う。彼らの決定だけが私たちに知らされる。彼らがなぜそう決定するのか、全ての内容は明らかにならない。

YM  UCCAユーレンスは信用できない。2007年11月のこけら落としの展覧会『85新潮:中国現代美術の誕生』については、あなたも「新植民地主義」だと言っていますが、私も彼らの見方に同意はできない。85美術運動は中国現代美術の始まりではなく、星星画会が始まりです。だから彼らがどうしてこんな美術展を開催したのか理解できない。

AWW 詳しく調べているね。忘れていたよ。私も彼らの美術展には行かない。

YM  私もです。なぜなら彼らの85美術運動は体制内の活動でした。星星画会は完全に反体制でした。85美術運動は体制内で、比較的自由な活動を許されていたのです。星星画会の時には自由は無かった。

AWW まったくその通りだ。

YM  UCCAはこけら落としに85美術運動を使った。

AWW なぜならキュレーターが費大為(フェイ・ダウェイ)というフランスにいる人間だからだ。彼のようなキュレーターは自分のネットワークを作り上げたがる。自分にとっての85美術運動というわけだ。自分勝手な解釈をしたがる。彼らはみな本物の学者ではない。

YM  私も嫌いですね。費大為にも会ったことがあります。蔡国強が日本にいた頃ですね。蔡国強と費大為は、1994年に東京の資生堂ギャラリーで、一緒に展覧会『亜細亜散歩』を開催しました。

AWW 彼らは派閥をつくるのが大好きだ。費大為とか「さる」って呼ばれている奴とか、派閥が大好きだ。

YM  侯瀚如(ホウ・ハンルゥ)はいま?

AWW ローマにあるイタリア国立21世紀美術館で館長をやっている。

YM  栗憲庭(リ・シェンティン)ぐらいかな。

AWW そうだ。栗憲庭はかなり公正な人物だ。度量も小さくはない。

YM  彼の主催する独立映画祭が禁じられました。

AWW いま独立映画祭が受けている迫害は大きい。こんなに大きな衝突は初めてだろう。

YM  これからは開催できなくなりますか?

AWW まだ開催はできる。別の方法に換えればいい。今回も開催前に彼らに言った。必ずしも会場で開催することはなく、ネット上で毎年組織して討論すればいいのではないかと提案した。今回、私もカンパはしたが、カンパした時に「まず、第一に私の名前を使うな、私の名前を使ったらあなたたちに不利にはたらくかもしれない」と彼らに言ったのだが、彼らは大丈夫と言って、私の名前を出し、艾未未から寄付があったと公開した。また、私はこうも言った。酷く面倒な事になったら、こんな映画祭は開催することはない。ネット上だったらもっと自由にもっと沢山の作品を見る事ができる。会場まで来てみる人は少ない。数人ではないか?そうだろう?

YM  ネット規制をかいくぐる「翻牆」をする人もますます多くなっていますね。中国の言論空間を変えていくことができる。でも變態辣椒(ビエン・タイ・ラァ・ジャオ)*5が言っていましたが、マイクロブログの「微博(ウェイボー)」やネットショップ「淘宝(タオバオ)」のアカウントを削除されて、商売ができなくなったそうです。

AWW 売れていて、とても喜んでいたのに。

YM  商売なら中国内のネットショップは便利ですからね。

AWW 現在、日本の経済状況はいいのでしょう?

YM  表面的には。これからは難しいでしょうね。もう発展していく可能性はない。その必要もない。一般的に言って、生きていければいい。世界を眺めれば、この地域は発展していく、この地域は発展が終わるというふうになっている。

AWW よりよく生きていくというなら、もう発展はしてないけれど、台湾やスイスみたいな場所がいいでしょう。

YM  特に何も無いけれど、環境がいい。日本は1年間原子力発電を使わなかったけれど、これからはそのまま使わなくていい。そうすれば環境が益々よくなる。ヨーロッパでは1980年代に既に原子力発電を止めている。それなのに日本はずっと使っていました。今後は使わなくても大丈夫です。ショッピングモールの冷房も問題ないし。冬も問題はない。
写真を撮ってネットに上げましょう。この作家(ろくでなし子)は自分の女性器を3Dにコピーして逮捕されました。あ、もう載せましたか?彼女はきっと喜びますよ。彼女はみんながタブー視している「おまんこ」という言葉を使っています。鼻や耳のように身体の一部にすぎないのに、禁句になっています。心理的にも抑圧されます。自分の性器さえ自分で表現できないのです。

AWW 日本でもそんな事があるのか。自分の身体さえ使えないのなら、一体何ができるというのだ。

※このインタビューの前半部分は、2015年1月20日発行の『週間読書人』艾未未特集に掲載予定。


*1 牧陽一「誰が私の名前を消したのか?―艾未未アイ・ウェイウェイ2014」『埼玉大学紀要 教養学部』第50巻(第1号)2014年9月
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=KY-AA12017560-5001-08
*2 傅朗克(Frank Uytterhaegen、フランク・ウィッテルハーゲン)、ベルギー人コレクター
*3 2011年4月に香港で行なわれたサザビーズのオークションで、7900万香港ドル(約8億5000万円、当時のレートで)で落札された张晓刚(ジャン・シャオガン)の作品を含む105点を売却、4億2700万香港ドル(約45億7000万円)の売り上げとなった。
*4 艾未未のことば 11 人権の現状がアーティストに与える影響、ヘルタ・ミュラーとの対話(訳 / 阪本ちづみ)、ART iT、2014年11月12日掲載
https://www.art-it.asia/u/admin_ed_contri13_j/t1z2ByplTaKqvAnNIV04
*5 變態辣椒(ビエン・タイ・ラァ・ジャオ)、変態唐辛子という名を持つ、著名な風刺漫画家。
http://biantailajiao.in/

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