艾未未のことば 2 1001人 現代の「童話」

1001人 現代の「童話」
訳・責任編集/牧陽一
※このインタビューは2007年7月22日に行われ、後に『画廊』2007年第3号総第112期に収録された内容をもとにしています。

ドクメンタからの艾未未 文/牧陽一

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『画廊』編集部 5年に1度のドイツのカッセルドクメンタは今まですでに11回開催してきました。ドクメンタは開放的な学術視野と現代芸術と文化の問題について高度な関心を持つことで名高いです。間もなく到来する第12回のドクメンタで、あなたは1001人の中国の観衆を率いてドイツに向かい、世界の先端芸術の舞台で、世界の人々に向かって、この雑然とした“世界の童話”を演繹して見せることになるのですが、「童話」の作者であるあなたは世界に向かって何を現わそうと思っているのですか?

艾未未[以下、AWW] この「童話」という作品の概念或いはその全体の状態は見たところ比較的単純ですが、実際にはかなり複雑で、短い言葉でそれをはっきり言うことは難しい。作品表現には社会学的な意味を備えた媒介と方法を採用していて、それは中国からの人の群れが――彼(彼女)らは現代アートと関係があるかないかですが、多くの人は関係がありません――作品自体としてカッセルのドクメンタへと入っていく。これら生命体個人の持つ認知力と経験の可能性、特に現代アートの範疇内での彼らの片時の経験が、作品自体の含意となります。そのため文化の側面、或いはまた社会政治学の側面から見るに関わらず、「童話」の関連する問題は多く、同時にそれはまた日常生活と現代アート環境とボキャブラリー間の複雑な関係に関わってきます。「童話」は数量上形成した規模によって、必要な強度を達成することができます。「童話」はひっくり返した型板に類似している、それに別のプレートを一緒にすると、とても多くの面白い問題を生むことがあると同時に危機さえも生まれる。この危機は直感的なものであり、経験的でもあります。判断可能であると同時に予測できないものです。すべての生命体個人の経験経路そして指向、その可能性はすべて予測できないものです。だから、私が世界に何を現そうとしているのかよりはむしろ私が世界に何を現わさないかと言った方がいい。世界がすでにこのようになってしまったのに、私が何かを現わすことを必要とするのか?私がしているのは別の方向への努力で、私がもし何も現わさないならば、「童話」それ自体が、個人、集団、あるいは類型、あるいは国家の中で演じる役柄を照らし出すか経験させるのではないか、ということなのです。

『画廊』編集部 人々は「童話」に関心を持つと同時に、種々の推測もあって、ある人は、これはドクメンタのテーマに対して高い許容性を備える芸術行為だと言い、ある人は、芸術に対する再考と転覆だと言う、甚だしきに至ってはそれを芸術のはでな宣伝に思う人があると言います。これら様々な人の声について、あなたはどんな応対をすることができますか?

AWW 私はこれらの声を聞きません。なぜなら私の作品は、私個人の経験、私の政治観と文化観から来るものだからです。他人がどのように私の作品を言おうが、私は興味がないばかりではなくて、良く言おうが悪く言おうが私に影響することがない。極端な話、人々が文化の角度から探求しようが他の角度から探求しようが私は関心を持たない。芸術品であるかないか、いわゆる社会的効果があるかないかにも私は関心を持たない。私が関心を持つのはこの作品と関連した人の間の関係で、彼らの心理的関係、彼らのこの事に対する認識なのです。これはその他の何よりもずっと重要です。もしただ単純にはでな宣伝だというなら、私はこの問題に答えるすべがないと思います。はでな宣伝、どうしてはでな宣伝を要するか?私は宣伝を必要とするのだろうか?私は宣伝をこうしなければならないのだろうか?これは問題を単純化しています。だから私がこれらの問題に応対する必要はありません。

『画廊』編集部 あなたのブログに99の質問が列挙されたアンケートが載っています。今回あなたと共にカッセルに行く人は1001人。99の質問に1001人、この数字はいろいろ連想させます。これらの数字は何を意味しているのでしょうか?

AWW 私があなたに明確に教えられることは何もありません。数字は数字で、それぞれの意味があるけれども、正確には言えない。私にとって作品の根本は重要ではありません。人がどのように生活し、どのように自分の歴史と社会を看做すか、それが私たちの必ずやはっきりさせなければならないことです。作品は私が必ずやらなければいけないことではありません。彼らが私にやらせるから、私がやるというだけです。もし私がやらないとしても、全く問題ない。いったん私がやると決めたのだから、私は他人と関係を持つことを望みます。私のつくるこの構造が可能であることを望みます。もちろんこれは私の妄想にすぎず、何もないのかもしれません。世界はこのようなものでしょう、何も発生しないのが正常ではないでしょうか?

『画廊』編集部 それでは人々が推測したように、芸術の大家ボイスがかつてカッセルで7000株の木を植えたように、あなたの1001人の計画はただ大家の方法を継続しているだけなのでしょうか?

AWW 私は人類の文化活動のすべてが継続だと思います。このような継続はすべて芸術の参与者あるいは制作者となることを反映している。彼らは現実あるいは非現実世界に対する表現と理解を示しています。これがいわゆる存在の共通性でしょう。私はボイスの作品に対して興味があるわけではありません。私は神秘主義の象徴的言語について明るくありません。もちろん彼は重要な芸術家です。彼は自分の明晰で完備した言語体系を持っています。だが私個人は彼が何をしたかを十分に探知していない。私は作品の普遍性と一般性に注意しますが、これは明らかにボイス作品の特徴ではありません。もちろん「童話」も公衆の意識を動員します。或いは誰かが評することに類似しますが、とても重要な社会彫刻です。でもこれは言い方にすぎない、この言い方が私にとって受け入れ難いほどにはひどくないというだけです。

『画廊』編集部 ボイスと比べるとアメリカのポップアート、アンディ・ウォーホルの方があなたの創作への影響がもっと大きいですか?

AWW そうです。もし彼らの2人から選ぶならば、私はウォーホルの方に近い。ウォーホルの「からかい」の方がしっくりいくし、この時代の発生させる変化に直面することができます。彼は最も普通のやり方で生命を表わすことができて、もう2度と生命を神聖化しない。私はこれがとても人を感動させるのだと思うのです。デュシャンが創始した伝統ともとても近い。個人の状態、生活と芸術の関係、私はもっとこれらに傾いています。これは私が80年代の全てをアメリカで過ごしたことに関係があるかもしれません。

『画廊』編集部 ポップアートについて多くの人がまだ理解することができません。どうしてウォーホルの缶詰が芸術なのか、スーパーマーケットの棚の様なものは芸術ではないのではないか?どのように芸術と実物を区分するのかという問題について、アーサー・コールマン・ダントー(Arthur Coleman Danto 1924–)の理論では、それはまず芸術理論の詳細な説明と関係があり、その次に、一個人の持った芸術史論知識と関係があります。ジョージ・ディッキー(George Dickie 1926-)は更にダントーの基礎の上で、芸術を判断する標準が芸術家、批評家、芸術史家、芸術哲学家、および画廊経営者などの構成する社会の構造に帰結すること、つまり芸術の発言力は最終的にはこれらの人々の構成する“芸術界”が手に入れるとしました。これに対して、あなたの見方は如何ですか?

AWW このような説明にはそれ自体の合理性があります。なぜなら芸術自体がいくらかの人たちの陰謀或いは陽謀だからです。どう言ったところでいくらかの人々の習慣的な方法なのでしょう。それはデュシャンの言う“ドラッグ”に類似しています。人が絶え間なく一定の言語で強化されていって自分までその一定の状態を信じ込まなければいけないくらいになっているのです。この世界で、いわゆる芸術家は2種類しかいません:1つは芸術というこの神話を強化する、もう1つはこの神話を壊す或いは解体するのです。私個人は神話を解体する芸術家の方に興味を感じます。
私は分かったのです。指し示すものがなければ、誰も思考しようとしない、人とはそういうものだ。たとえ路上で2人がぶつかっただけだとしても、多くの人が見ている、さもなければ、その人が呆然と意識のない状態にあるということです。


「童話」(2007)よりスチル写真

『画廊』編集部 あなたのブログの中で、大部分のネット友達はあなたの活動に対してたいへん興味を持ち、先を争って参加を申し出ていますが、いくらかの人は懐疑と不理解を示しています。ある人のコメントには、“引き継ぐもののない童話の旅には決してあこがれない”と書かれています。
しかし募集の締め切りの時には3000人も申し込んでいました。申請者をふるい分ける基準は何ですか?

AWW ふるい分けるのはとても可哀相なことです。私からすると、申し込んだすべての人が行くべきです。90パーセントの人が私のぜんぜん知らない人だ、私は私の知らない人に、誰が行くべきで誰が行くべきではないとは実に言い難いです。私も申し込んだ人がこんなに多くなるとは思いもしませんでした!だから選ぶ理由はとても世俗的で、例えば、この人のコメントが多くて、比較的に十分にこの作品に対する興味を示しているとか、この人は根本的に出国するチャンスがない、などなどです。たとえば、これは甘粛省からの農民、あれは広西のトン族の山中のとりでの少数民族。さらに公務員を退職したばかりの人、交通治安警官。いろいろな道理は特になくて、ただ思うだけ、え、この職業はとても少ないな、或いは、学生が多すぎるなとか。こんな風に、とてもつまらない基準です。

『画廊』編集部 つまり、あなたには実際にどんな人が行って、どんな人が行かないという大方の考えもなかったのですね。

AWW ありません。2歳の子供から70数歳の老人まですべています。人が、私は行きたいと言う、私は最初のうちは相手にしないが、後でまたその人があまりにも行きたいと言えば、私はその人を行かせる。私にとって、誰が行っても同じです。でも、もしその人の出国する可能性が小さければ、私はいくらかその人に同情します。もしある人が、私はドイツ語ができる、私はドイツの会社で働いていますと言えば、あなたは行くのをよしなさい、海外の経験のない人がたくさんいるのだから、と私は言います。

『画廊』編集部 現在の統計データでは、どんな種類の人の占める割合が大きいですか?

AWW 学生とデザイナーですね。これは私がブログを通じて情報を発表したことに関係があると思います。私は新聞、雑誌といった伝統的なメディアを使いたくなくて、ブログで試してみようと思いました。ブログにこんなに大きな影響力があるとは思いもしませんでした!とってもうれしい、これは個人の方式であって、過去の権力機構と権力言語システムを通していないのですから。

『画廊』編集部 これこそがあなたが最も望んだものですね。

AWW そうそう、私が最も望んだものです。私はインターネットが人類最大の革命だとはっきりと感じています。ブログを見たたくさんの人々がまた次々と多くの人に連絡を広げていく、彼らの両親とその他の家庭も巻き込んで、とても複雑な状態を構成していく。

『画廊』編集部 これらの過程はすべて記録すべきでしょう?

AWW そうです、私たちは相当な記録をしました。

『画廊』編集部 これまで聞いてきたところ、あなたは芸術自体に対してほとんど気にかけないようですが。

AWW その通り、私はこれまでいわゆる芸術の問題について考えたことがありません。過去は私は芸術が好きではなくて、最初に芸術を学んだのも社会の私に対する圧力のせいでした。芸術を学べば別のシステムで考えることができました。もちろん長年やってきたから、多少の感情は働きます。適切にいえば私はやはりとても幸運なのでしょう。芸術をすることができるばかりではなく、人がまた自分のやったものを展覧会に置いてくれる。自分は芸術の問題に関して何も言う必要はない。それは比較的に良い事だと思います。

『画廊』編集部 ネット上のアンケート「99の質問」の意義はどこにあるのですか?どのような理想的な結果を達成したいのですか?

AWW 「童話」はすべての過程が作品です。その概念形成からどのようにブログを使うかまで、申請、ビザの選択、パスポート、航空会社の処理、ドイツでの活動に参加して帰ること、これらのすべては同等に重要です。私にとって最終の表現はありません。この作品は、ある人が「童話」に関して耳にした1秒間、彼個人の願望から始まります。だからその過程が重要であって、それが私の最も重視した部分です。この作品はすでに発生しています。彼が耳にしたその1秒から始まります。だから私達は申請で彼がしなければならないいくつかの事柄を通じて、彼をある状態に導き入れます。この問題はとても重要です。だから私達は99の質問を設定します。この99の問題は多くの友人が書いて、それらを1つにまとめました。政治、文化、宗教、個人の信仰に関係がある、これで十分です。その他に、アンケートのフィードバックの情況から見て、すべての人はすべてとても迅速に問いを埋めている。その上すべてに興味津々です。回答もとてもおもしろい。同時に私たちもドキュメンタリーをつくりました。私たちには10数人のドキュメンタリー制作グループがあって、その中には若くて優秀な映画監督もいて、始まると、私達はドキュメンタリー形式でこれら申請者の日常生活の様子を撮影しました。彼らはふだん何をしていて、家はどんな状態か、私達はもう約1000時間撮影しました。ドイツでもカッセルの市民、関係者を取材して、彼らに「童話」に対する見方を話してもらいました。私たちはこれらのドキュメンタリーを通じて作品発生時の全般的な状態を凝固させ、それに一定の形を備えさせて、それを伝説にすることを望んでいます。それが「童話」の特徴です。その他に、私達は写真と文章の記録を残しました。

『画廊』編集部 あなたはドキュメンタリーを通じて申請者の日常生活が1つ1つ現れることを望んでいます。それはまた、記録者とされた人も、「童話」に関心を持っている人も、知りたいと思っているでしょう。作品の作者として、この時間、あなたは主に何をするのですか?グループに分かれて活動する中で(1001人が5組に分かれて相前後してドイツに向かう)、あなたはどこであるいはどのような形で「童話」全体の創作過程に参与するのですか?

AWW 実は私はあまりに多く細かい点を議論するべきではないのです。ドクメンタの実行委員会は私に細かい点を話さないでほしいと要求しているのですが、中国語のメディアだから大丈夫でしょう。面倒なところがあって、カッセルのドクメンタの作品発表が6月13日で、展示は6月16日、現在までのところ、作品は多くなくて、主に私の作品だけが“混沌とした状態”なのです。ネット上でカッセルをクリックすると、15万件が私の作品のことで、ほとんどのヨーロッパメディアはこの事を議論しています。展覧会の主催者までもがどうしてこんなに大きな宣伝力があるのかと不思議に思っています。客観的に言って、私は能動的にメディアに話し出したことがなくて、メディアの方が私を訪ねてきます。私も1001人もメディアに頼んだことはないのに。中にはメディアの従事者もいて、彼らはいくらか報道をしたいようですが、私は全く興味がありません。しかし彼が個人的に参加するのはまた別の事です。私には必然的に別の方式、別の道があると思います。私たちは同じ方法を使わずにできるのではないでしょうか?実際にはこれがとても重要な事だと証明しています。作品が異なっているのではなく、作品の方法が違っていると言えるはずです。

『画廊』編集部 この雑誌が出るころには、展覧会も始まっています。いくらか具体的な情報を提供してください。

AWW 簡単に言いましょう。たとえば、この3千数組の申請票を見るのに、1部に5分だとしても、たっぷり時間がかかる、数十時間などすぐに過ぎてしまう。しかも見るのは1回だけではない。たとえば航空会社に5組に分けて行くことを連絡しなければなりません。航空会社は私達にうまくタイアップできないから、7月に行くのが数十人だけ、そこの数十人がそれぞれドイツのルフトハンザ航空と中国の国際航空公司に分乗してカッセルに向かう。これらの手配、ドイツでの乗り換え機、電車への乗り換え、すべて人の問題に関わってきて、とても複雑です。ビザも同様、私は「童話」が実行できるように大使館へ行って大使と顔を合わせなければなりません。ビザの費用の問題もあって、1人1人必ず入る生命保険、誰が行くか行かないかとリコンファームするとか、多くの人々の協力を必要とします。もちろん私達には多くのボランティアがいて、直接参加したのは20数人、間接的な参加者は100人以上います。ドキュメンタリー制作、製品制作、その他こんなに多くの人が、どこに泊って、どのように住むか、誰が彼らに朝食をつくるのか、朝食は何を食べるのか、これらはすべてとても具体的なことで、1回でも満足に食べられなければ、みんな不愉快に感じるでしょう。だから私たちは細部にわたって考慮しました——どのような枕を使うべきだろうか、また朝起きて急に思いついたのは、1001人が一斉に歯を磨くにはどうすればいいか、こういった事は私のすべての時間を占めました。カッセルへ着いた後に(私は第1組で1ヶ月前にカッセルに着くはず)、私は宿泊所の手配を済ませなければならず、ベッドを用意して、掃除して、ライトを備え(これらも記録される)、パソコンに必要な充電器やカメラを配備する。すべてすべてとても具体的です。

『画廊』編集部 すべての細部にあなたは関与しなければならないのですか?

AWW 私はすべての細部に関与する、関与しなければいけないのです。でも私はこれらの事をするのに優れている、私はそれをやるべき人間だからです。私は新疆建設兵団の農場で成長して、こうした仕事をやってきたのです。米国での10数年も同様です。私が建築に従事したのもずいぶん長い、だから私は事柄の細部、尺度、処理を全く問題なく捉えることができます。同様に私たちは製品を用意します、たとえば眠るベッド、シーツ、敷き布団など。昨日私たちはお碗も買ってきたのですが、それに匙、塩を入れる用具など……。私たちは10個もの40インチの大きなコンテナを持っています。

『画廊』編集部 どうしてここまでするのですか?

AWW 向こうでやるともっと面倒なことになるからです。価格の問題ばかりではなく、向こうでは選択の余地が小さくなるから。自分たちでやることで、作品へのコントロールになります。私たちはそれが特殊な状態になるのも望まないし、実際から離れすぎることも望まない。食卓だって、こんなに大人数だから、テーブルだけでも70数卓作らなければいけないのです。

『画廊』編集部 こんな人数で一体どこに住むのですか?

AWW 私たちはフォルクスワーゲンの工場跡に住みます。北京798の工場跡とたいしてかわりません。現在ドイツの方で改装をしていて、内装工事費だけで100〜200万かかります。みんなが安全にドイツへ行って無事に帰って来られるために、私達は大量の事をしなければいけない。もちろん、私は喜んで準備をしています。みんなが楽しく遊んで、居心地が悪くてホームシックにならないようにしたいです。


「童話」(2007)よりスチル写真

『画廊』編集部 あなたの話を聞いていると今回の作品ではかなりの費用がかかりそうですが、こんな巨額の資金をどうやって準備したのですか?

AWW 重要な構成部分には最も費用がかかります。しかし私はその問題を一分で解決しました。私は私の考えを私のギャラリーに話しました。主人のウルス・マイル(Urs Meile)は聞き終わると、とてもいい考えだと思い、きっと資金を用意できると信じて、大体どれくらいかかるかと私に訊きました。ざっと計算して300万ユーロ、3千数百万人民元でした。私は作品をつくる時あまりお金のことは考えません。もし先にお金のことを考えたら作品をつくれなくなるからです。私が考えるのは作品の完成度です。実際この作品をつくらなくてもいい、もし可能性がなければつくらなくても全然構わないのです。勝手に何かつくればドクメンタに参加できる。マイルは私に一週間時間をくれと言いました。その後彼は、金は準備できた、安心してやればいいと言いました。私と画廊は良好な関係を持っていて、その関係は商売上の関係ではなくて、私の作品に対する支持と共通認識です。私にとって、これは私に責任を持たせる、つまり、自分が他人の信頼を獲得する時、自らも惜しみなく全てを作品の中に溶け込ませることを望む、それによって双方が信頼を得るのです。

『画廊』編集部 去年私達がマイルを取材した時も、彼は特にあなたとの友情に言及しました。でも友情と信頼のことだけで、金銭の話はしませんでした。

AWW 私は優位だと感じる、自分に1つアイディアがあって、このアイディアとはあまり関係のない人がそのアイディアを分かち合いたくなって、そして彼の情熱と代価を支払う、これは私にとってとても特殊な経験です。私がドイツ大使に会う時も元スイス大使のウリ・シグ(Uli Sigg)さんが付き添ってくれたが、彼はいかなる国家であっても緊迫するとても大切な要所だと言って、わざわざスイスから北京へ飛んで来てくれました。ドイツは中国に対してとても複雑な感情を持っています。中国がとても神秘的な東方国家だと思う一方、中国が本当に彼らを飲み込んでしまうのではないかと思っています。この時私たちは彼らを説得し、必ずやこの要所をクリアしなければなりませんでした。大使は私たちといっしょに食事を約束したので、私とシックはドイツ大使の家に行きました。15分以内で、ドイツの駐中国大使は何の問題もない、とても良い考えだ、私達は全力であなたを支持すると言ってくれました。私は唖然となりました!すべての不安は一瞬で解決した!さすがに自分の一方的な願望でできるようなことではありません。これは国家間の事で、政治と外交に関わってくる。すべての人は責任を負わなければならない。現在までのところ、私たちは誰にも拒絶されてはいません。こうした点で、ドイツ人は本当に気風がいい!

『画廊』編集部 万一金銭の出資援助が得られなくて、ビザも得られなかったらとは考えなかったのですか?

AWW そのときには私は死んだに決まっています!お金がなくては、作品はつくれない。最も単純な形の「童話」では依然、物質の代価と現実的代価を支払わなければなりません。もちろん私はお金の問題をあまり重視しません。私は自分に考えがあって、それが良い考えならば、必ず誰かがその考えを分かち合おうとすると信じています。「童話」は確かに費用が巨大で、お金がなかったら成功は得られないかもしれません。

『画廊』編集部 カッセルでする具体的な事以外に、更に重要な関連情報を教えてくれますか?

AWW 私は開幕式には参加しません、私は開幕式アレルギーです。私は開幕式に出ると全身具合が悪くなります。私にはするべき事がたくさんある。たとえば厨房を手伝ったり、お碗を洗ったり、私はこんな事をするのが大好きです。もし誰か散髪するのなら、私が散髪してあげられる、いっそ暇なら暇にまかせていればいい。

『画廊』編集部 その時に誰かと話し合ったり交流したりする計画はありませんか?

AWW 私にはありません。でも私達は人に頼んで談話や話し合い、交流の類をまとめて1冊の本をつくるつもりです。

『画廊』編集部 あなたはずっとこの作品がもつ予知不可能性、結果のない結果を強調しています。これはあなたが意図的に残した懸念ではありませんか?展覧会が終わる時「童話」のなぞを解くことがあり得るのでしょうか?

AWW もしあるならば、私は将来人々にこんなことがまるで起きなかったかのように思ってほしい。私は1つの作品が社会に対して本当の作用があるとは思いません。個人の記憶の中でこそ、疑いもなくとても特殊なものです。しかしこれが1人の人間が必ず経験すべきだという意味ではない、だから結果について私は気にかけない。私は耳目を驚かすような事をしたいわけではありません。誰かがすごい人数だねと言えば、わたしは、中国の旧正月の里帰りは毎年1億人を超える、それこそ一体なんなのだ、と言うでしょう。

『画廊』編集部 「童話」の創作過程の中で、実際に多くの問題が現れました。たとえばパスポートとビザの取り扱いなどです。これらの問題はすべてあなたの想定内なのでしょうか?

AWW 全く疑問の余地もないくらいに「童話」では私たちは今日の生活の多大な問題に直面します。考えてもみてほしい、北京で働いている人が、景徳鎮に帰ってパスポートの手続をするのに、休暇を取る。このための代価を支払う。景徳鎮に帰っても、あちらの警官が申請を拒絶するかも知れない、類似する問題は確かに多い。いくつかの辺境地域、農民が甘粛省でパスポートの手続をする場合、警官はひどく緊迫している、お前のような農民がどうして外国へ行くことができるのかと、徹底的に調べる。しかし大都市、中国は本当に進歩したと思いますが、特に北京と上海では、通常5~10日でパスポートの手続きができる、何の問題もなく、好きな時にできる。社会は変化している、作品それ自体もこのような変化を反映している。多くの人は喜びに躍り上がり、同じく多くの人が絶望し助けもない、これはすべて必然です。

『画廊』編集部 始まりから今まで、あなたは「童話」の創作過程の中で最も面白いことはどんな事だと思いますか?

AWW 私が最も面白いと思ったのは、中国人が未知の世界に対して、自分の直感によって判断し、参加を願い、その有機的な構成部分になりたいと望んだことです。この点に私はびっくりしました。実は、多くの人は私が何をする人間かを知らない、こんな芸術家がこんなに沢山の人を連れてドイツに行く、そんなことができるのだろうか?と、心配していました。しかしためらう人はほとんどいません。そして私は、狗子、張馳などとても面白い作家を発見しました。彼らはふだんエレベーターに乗るのさえ怖がるくせに、飛行機に乗ってドイツへ行ってビールとソーセージを楽しみたがった、これは現代版の童話との関わりを思わせます。誰もが単純だけど遥か遠いことにあこがれています。とても煽情的な事もあった、1人の女の子は言った、今日私はこのニュースを耳にすると、思わずこの街の最もにぎやかな横断歩道まで行って大声で泣き叫んだ、私は人がうれしい時、泣き出すとは思いもよらなかった。中国人は実際にはとてもロマンチックで、彼らは感情のために代価を払う、これはとても特殊なことです。すべての申請者は時間的にも金銭的にも大きな代価を支払わなければいけない。行程にも多くの曲折があるが、それでも彼らは心から望んで代価を惜しまないのです。

『画廊』編集部 これは彼らのあなたに対する信頼と関係があるでしょう。

AWW しかし実際の私は最も信用できない人間です。ははは、この社会はやはりおもしろい。

『画廊』編集部 あなたの作品はこんなに多くの人を動かしました。今の中国では正に芸術の神話じみていますが、始めあなたが作品を“童話”と命名したのはどんな考えからですか?

AWW 私は「童話」は世界との関係により近いと思います。言っているのは普通の道理ですが、しかしそれはまた非常に困難な事です。それはすべての人と関係がある、普通の正常な事と関係がある、もし神話ならば、そうではない。

『画廊』編集部 その時どうしてそんな考えが浮かんだのですか?

AWW 私の作品の大部分は自己の状態に対して懐疑を維持しています。作品自体に対してすべて懐疑的です。私は自分の作品が以前の作品の痕跡を残すのを望みません。私は自分の作品が形態後の合法性、或いは情理的な信頼性をもつことを疑っています。これらに私はかなり懐疑的です。カッセルは私たちに作品を類型化しないプラットフォームを提供してくれました。場所が違えば、この作品はできなかったかもしれません。

『画廊』編集部 普通人々は芸術家の地位を評価する時、参加した展覧会を参考にしますが、あなたがカッセルに夢中になる原因は何ですか?

AWW 実際に1つの展覧会はひとつの態度であって、文化の姿です。展覧会は対立と衝突を表出できるかどうかという期待と可能性への要求であって、それが展覧会の地位と影響を決定づけます。歴史的に見て、ドクメンタはこの方面で最も優れています。だから、カッセルはそうした歴史を持っています。だからどうしてドクメンタに難題を出さないでいられようか?と思うのです。実際には自分自身に難題を出したということにもなるのですが。

(つづく)

追記(2012.5.1)
牧陽一 『艾未未読本』(集広舎)は、ART iT オンラインショップで発売中

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