Curators on the Move 11

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+侯瀚如(ホウ・ハンルウ) 往復書簡
パラレルリアリティ

 

親愛なるHUOへ

親愛なるHHRへ

前回の手紙、面白く読ませてもらった。「間」の空間こそ新たなレジスタンスの場だ、という君とトニ・ネグリの考えには全面的に賛成だ。トニとは数年前、彼が収監されていたローマの刑務所で僕らは会ったわけだが、彼の話から思い出したのはローマ在住のもうひとりの偉大な先覚者、アリギエロ・ボエッティのことだ。

1986年、当時18歳の僕はリセの修学旅行でローマに行くことになり、だったらアリギエリ・ボエッティにぜひ会って来るといいと、友人のアーティストユニット、フィッシュリ&ヴァイスが勧めてくれた。彼との出会いは僕の人生の一大転機というべきもので、実に多くのことを考えるきっかけになった。そのときボエッティが力説したのは、既存のアート界がいかに退屈かということだった。ギャラリーもミュージアムもビエンナーレも、ときにはパブリックアートのプロジェクトも、制限だらけの均質化した展示形態をただ繰り返すばかりではないかとね。アーティストの夢を実現させる方法はほかにいくらでもあるのに、僕らに備わる能力はごくわずかしか活用されていないとも言っていた。そして僕に勧めてくれたのがパラレルリアリティの追及だった。つまり、君の言葉を借りれば「アート作品の生産、提示、コミュニケーションの新たな様式の追求」ということだ。これこそ、退屈で意外性に欠ける、既存の形骸化したキュレーティングに反旗を翻すマニフェストだった。

 

お蔵入りプロジェクトのエージェント

ボエッティとの対話を具現化すべく僕が最初に手がけたプロジェクトは、ミュージアム・イン・プログレスと共同企画した機内展覧会『Cieli ad Alta Quota』(1993)だった。ボエッティがデザインしたジグソーパズルを数万枚作り、オーストリア航空の全フライトの乗客に配布して世界中にばらまくというものだった。

この経験を経て僕は、現行のアート界の枠組みではまずもって実現不可能なプロジェクトをアーティストたちから募り、その実現に手を貸す仕事に乗り出した。つまり「リアリティの創造」、アイディアを現実のものに変容させる試みだ。

ひとつの展覧会が企画される過程で、世界中のアーティストたちが出してくる何百もの提案がボツにされ、日の目を見ぬままになっているというのが現状だ。建築の世界ではコンペの応募作品が建築模型や企画書の形で一般に公開され、話題になる機会も多いが、ビジュアルアートの世界では世間を巻きこむそうしたシステムがなく、ボツになった提案はそのまま人目に触れることなく埋もれてしまうのが一般的だ。

この10年間、僕はアーティストたちが抱えるお蔵入りプロジェクトを収集し、データベース化してきたが、アーティストからの提案書はいまも引き続いて受け付けている。これをもとにいまだ実現されずにいる企画に命を吹きこみたいと思っている。それにはまずこの情報を発信して議論を巻き起こし、そして何よりもこれを形あるものにすることが肝心だ。そして生まれたのが「お蔵入りプロジェクトのためのエージェンシー」だった。これはジュリア・ペイトン=ジョーンズと僕が中心となり、e-fluxの協力を得て、サーペンタイン・ギャラリーに設立された。

お蔵入りの中でもとりわけ刺激的なのは、ドイツ人作家、インゴ・ニーアマン発案のピラミッド・プロジェクトだろう。このプロジェクトのキーワードを、着想のもとになったカイロ在住のジャマル・アルギターニの小説『ピラミッド・テクスト』の引用と合わせて、いくつか紹介しよう。

常なるピラミッド ピラミッドは常に彼とともにある
始まりのピラミッド 始まりは時空を内包する一瞬
逍遥ピラミッド 「訪問ピラミッド」の項を見よ
中心ピラミッド その都市における彼の存在理由
鮮明ピラミッド/朦朧ピラミッド はっきり見えるものはぼんやり見えるときもある
昼ピラミッド/夜ピラミッド 昼は夜から生まれ、夜は昼から現れ……ピラミッドの姿は昼夜を通して絶えず変化した
目のピラミッド/知力のピラミッド ときに知力は目で捉えられぬものを見、ときに目は知力では把握できぬものを捉える
愛のピラミッド 知を欠いた愛はありえない
記憶のピラミッド 忘却に対するエリック・ホブスバウムの抵抗
道ピラミッド 道はかならず別の道に通じている
訪問ピラミッド それらは訪ねるものであり、住まうためのものにあらず
ワンダー・ピラミッド……

お蔵入りプロジェクトを実現させるプロジェクトは、リサーチの一環として僕が手がけているインタビューにも直結している。どのインタビューでも最後にかならず尋ねるのは、まだ実現できずにいるプロジェクトだ。ぜひやってみたいと思いながらできずにいるものを話してもらうんだ。
これもまたリストだね。僕のリスト好きはジョルジュ・ペレックといい勝負だろう。

リスト作りは偶然に思いついたわけではなく、いままでにない展示形態を模索する内に生まれたやり方だ。1993年に始動した『Do It』はその一例だ。このプロジェクトが問いかけているのは、展覧会を一連の指示という形で成立させるにはどうすればいいかということだ。そこで1960年代のフルクサスのようなゲーム感覚で、アーティストたちに制作提案書を提出してもらった。今や膨大な数の提案書を蔵するこのプロジェクトは、インターネットを通じて徐々に広まり、すでに40余りの美術館や学校で彼らの提案が実践されている。ダイナミックに知に働きかけるこのプロデュースのあり方は、その軽便性、柔軟性、意外性という点から、地球規模で優勢を誇る紋切り型の展示形態とは一線を画した興味深い手法になっている。

 

偉才たちの奇想

僕のリストマニアぶりは、1999年にフランチェスコ・ボナミと共同で企画した『Sogni/Dreams』にもはっきり現れている。そして新しいところでは『未来は……』と題するアンケートの回答集だ(『Curators on the Move 7』参照)。これは数年前、ごく近しい友人たちに気軽に答えてもらったのを皮切りに、その後アーティスト、建築家、デザイナー、歴史家、哲学者など、世代も様々な100人近い人たちにも回答してもらい、それを一冊にまとめたものだ。こうした試みを通じて偉才たちの頭の中にうごめく奇想というか、いささか突飛でも発展性を秘めた彼らの思考を人々に身近に感じてもらえたら、とりあえずリスト作りの第一目標は達成ということになるだろう。もちろんこれに触発されて文化的対話の新たな形態がさらに生まれ、後に続くさまざまなプロジェクトの手本になれたら最高だけどね。

この2年間は『未来への処方(フォーミュラ)プロジェクト』と銘打ち、アーティスト、文筆家、建築家、科学者といった人たちに「21世紀のための方程式」を提案してもらう企画を進めてきた。方程式の体裁さえとっていれば、なんでもあり。提出する方程式に短いコメントを付けるのはオーケーだが、この企画の成功のカギはエレガントな簡潔性にある。複雑なアイディアを内包しつつ簡潔な方程式に結晶化する試みだ。

これは一部の参加者にはやりなれた作業だが、それでも文章や映像やもの作りにたずさわる大多数にとってはいい刺激になったはずだ(まさにそこが狙い)。最終的に、このゲームの参加者全員が同じルールに従ってくれたよ。

『未来への処方プロジェクト』を思いついたのは、LSD開発者のアルベルト・ホフマンにインタビューしたのがきっかけだった。インタビューの最後に彼が紙に書いてくれたLSDの化学式を見て、化学記号の持つパワーと圧倒的な簡潔性にたちまち魅了された僕は、これが次のプロジェクトの面白い切り口になるような気がした。

結果は、偶然と好機と決断、そして参加者のたゆまぬ努力によって生まれた散策(フラヌリー)とでもいうべきものだ。これによって彼らの仕事の進め方や彼らのあるがままの好奇心をユニークな視点で紹介することができたし、また現代の文化状況で方程式が果たすきわめて重要な役割を示せたと思う。結局これは我々全員に突きつけられた根本的な問いかけでもある。君の基本原則(フォーミュラ)は何か、君の方程式は何か、とね。

ここに挙げたプロジェクトはどれも、均質化を強いるアート界の既存勢力に対抗するゲームに役立つ、様々なルールの提案になっているはずだ。かつてピエール・ユイグも(彼のAssociation of Freed Timeの話にからめて)言っていたが、どんな行為も同じことを繰り返していけば、ある時点を境に同じような状況しか生まなくなり、そこから出てくる結果も似たり寄ったりになってしまう。

こうした流れを変える必要があった。つまり、展覧会に付きもののエゴや制作をめぐる些末な問題を乗り越え、進むべき新たな道を見つけねばならないということだ。これまでとは違う何かが生まれる必要があった。展覧会は問題解決の場でもハッピーエンドをもたらす場でもない、あくまでも出発点にすぎない。それは始めの一歩、発想の転換点、冒険の場なんだ。

この手紙も、親愛なるハンルゥ、未来に待ち受ける多くの冒険に期待をこめて書いている。冒険はまだ始まったばかりだ。

変わらぬ友情を
ハンス・ウルリッヒ

(初出:『ART iT』No.21(Fall/Winter 2008)

 


 

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