3_安藤正子メールインタビュー [原美術館]

東京・原美術館より
(メールインタビュー第1回はこちら。第2回はこちら。)

「世界」であると同時に、いのりである


「うさぎ」 2011年 パネル張り紙に水彩、鉛筆 180×140㎝
ⓒMasako Ando Courtesy of Tomio Koyama Gallery
 
坪内
ここからは作品に描かれるモチーフについてお聞きします。あらゆることに関心がある中で、これまで子供(のような存在?)や昆虫、植物などを描くことが多かったのはなぜでしょう?
また、背景の奥行きが曖昧な点についても気になるので教えてください。

安藤:
イメージがひとのかたちを借りて出てくるので、といったらよいでしょうか。

子どもがこのような表情で立っている。
このような場所に立っている。
というように。

人が人の子を産む、みたいな自然なところもあるのかも。
始めがそうなので切っても切り離せない。
人がいればその場があり、そこには他の生き物もいてというふうに全部がくっついてくる。

人って、顔や手の表情で気持ちを表せたり、動物や植物よりも感情移入がしやすかったり、複雑な世界をのせていくことが出来る。
子どものすがたならなおさら。
ニュートラルにこちらの世界を受け入れてくれる。
しわのある顔とかだと要素としてかなり強いので、描くとしたら最初からそのイメージで出て来た時しか描けないんじゃないかな。
自分の顔がしわしわになってきたら描くのかな(笑)。

また、描いているとなにか仏像やお寺のようなものを作ってるように感じることがあります。
「世界」であると同時にいのりであるとしかいいようがない、ということのみならず、形態がそれに似て感じるのです。
中心のこどもが釈迦如来や観音菩薩のようなもので、その足下の草が脇侍で、また周りの虫や花や石やなんかも四天王や八部衆や十二神将や十大弟子、みたいに。
どの菩薩や如来にどんな周辺がくるのかよく知らなくても、お寺の入り口であうんの仁王像に迎えられ、正面にメインの仏がいて、まわりになにやら少し小型の仏か人か、その世界を表す者々の姿があり、動植物の気配もあったような、という感覚は日本に住んでる方なら、よくわかると思います。
そして背景に実際の景色があるわけでなく、登場人物?は皆、台座に乗っている。
わたしの絵の草花たちは台座的な現れ方をしているような気もするし、古来からの仏像たちもイメージやいのりを人のかたちを借りて表されたものに違いないのです。

イメージ、精神、言葉の三位一体

坪内:
安藤さんは、木に棲む仏を彫り出す仏師のような存在なのかもしれませんね。「絵の声がうるさい」と言いながらカンヴァスに現れる気配を次々と描いていく安藤さんと江戸時代の円空の姿が重なるような気がします。
ところで、最初に安藤さんが作家として注目された時、それは「物語る絵画」という括りだったと記憶しています。安藤さんの絵画に「物語る」という言葉がしっくりくるかどうかは別として、作品のタイトルは、小説から引用されたものもあり、かなり意味ありげです(笑)。具体的にはタイトルはどのように付けられ、それはどのような役割を果たしているのでしょうか?

安藤:
タイトルはわたしの場合、絵のイメージ、モチーフの現れ方とまったく同じです。
言葉もメンバーの一人で、最初から着席してお茶を飲んでるみたい(笑)。
まあ、絵のイメージも生活の地続きで、最初も最後もないのですが。
部分であり全体である、というか、イメージ、精神、言葉の三位一体というか。
その三位一体、がいちばんしっくりくるかもしれません。
とにかくとても重要なものです。

言葉もモチーフも、日々の意識、無意識のなかに現れたり消えたり。
自分の言葉も、引用の言葉も同じ川底に沈んでいるようなのです。

なので自分のなかで言葉がもやもやとくっつきあって出来たタイトルもあれば、単語で言い切れる作品もあり、また、「貝の火」は宮沢賢治、「雲間にひそむ鬼のように」は大江健三郎、「where have all the flowers gone?」や「ざわわ」は歌から、というように、引用の言葉をつけているものもある。
忘れかけていたけれどたしかあそこに大事なものがあった、とちいさな光る石を探しに水に潜るみたいにもう一度小説を読んだり歌を聞いたり辞書をひいたりする。

絵自体の成り立ちと同じように、具体的かつ抽象的であるか。
絵のイメージや画面の仕事と、言葉の意味や響きの陰性陽性のバランスはどうか。
シンプルかどうか、言い過ぎていないか、などといろいろ考えますが、大体最初に考えたのになります。

タイトル、って絵という目で見るものにとっては、なくても存在出来るような気もするけど、やっぱり子どもに名前をつけるように、また、つけて毎日呼んでるとその子自身をかたちつくる面もあるように、絵ができるのに不可欠なものなのかもしれないな、とも思います。

絵ってほんとに不思議なもの

坪内:
最後に、ずっと気になっていたことをお聞きします。安藤さんはご自身の作品についていつも「絵画」ではなく「絵」という言葉を使っていらっしゃるのですが、なぜ「絵」という言葉を選んでいるのでしょうか?

安藤:
「絵」のほうがいいやすいっていうか、なじむっていうのもありますけど、、、
「絵画」とかいうとエラソーな感じですよね(笑)
でも自分の作品でも、ピカソや子どものでも、「絵」っていうかな。

まあ言い方はともかく、わたしにとって絵ってほんとに不思議なものです。
ほとんど神。
絵って、すごく上手に描いてあっても印象に残らなかったり、すごくデフォルメされた図像がなぜか世界をすくいとっていたり。
現実や写真をそのままうつしてきても絵にならない。
心を燃やして、現実のかたちとイメージのかたちを片目ずつ見ながら、ひたひたと近づいていく。
自然のしわざと人間のしわざのあいだ。

そこにたしかに絵がいるのです。

(了)

【安藤正子 プロフィール】
1976年、愛知県生まれ。2001年、愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。2004年に個展開催(小山登美夫ギャラリー)の他、2009年、「放課後のはらっぱ 櫃田伸也とその教え子たち」展(愛知県美術館、名古屋市美術館)などに出品。現在、名古屋市在住。  
http://www.tomiokoyamagallery.com/artists/ando


小山登美夫ギャラリーにて

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原美術館

「ハラ ドキュメンツ9 安藤正子―おへその庭」
7月12日[木]―8月19日[日]

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