MU[無]展 講演録3_諏訪敦彦 「存在の彼方へ—ペドロ コスタの映画空間」+ペドロ コスタ短編映画上映

12月22日、原美術館においてペドロ コスタの短編映画三本に続き、映画監督の諏訪敦彦氏による講演会が開催されました。

「タラファル」、「六つのバガテル」、「うさぎ狩り」という三本の短編を鑑賞し、ペドロ コスタの映画に見られる特異な文法について、実際に制作をされている映画監督ならではの視点でお話頂きました。以下、要約してお届けします。

映画とは世界をフレームで囲いこんだものですが、囲い込むことで混沌とした世界に意味や秩序を与えようとします。一方でフレーム内部には、人間にはコントロールできない混沌とした世界が映り込んでしまうという性質も持っています。そして、各ショット、フレームには、始まりと終わりという時間的限界もありますが、その外側には際限のない現実が広がっているのだ、という確信を映像は与えます。

通常の映画は、フレームで囲い込んだイメージA+イメージB+イメージC…といくつかのイメージを連鎖させることによって流れを生み出し、意味づけてストーリーを構成します。しかしペドロ コスタの作品では、イメージA、イメージB、イメージC…といくつかのイメージが積み上げられても、それらが線的に結びついて時間や空間の全体像や、一つのまとまり、ストーリーが現れてくることはありません。

また通常の映画では、テキストが書かれ、演じる身体をもった人物がそれを演じることで、登場人物の一貫した行動を追うことができます。しかしペドロ コスタの映画では、登場人物の言葉、身体、場所といった要素全てが一つにまとまることはなく、奇妙に遊離していきます。

「ペドロ・コスタ 世界へのまなざし」(せんだいメディアテーク発行、2005/06)にも書かれていますが、映画には扉の「開いた」ものと「閉じた」ものがあると言えます。たとえばチャップリン「街の灯」のラストシーンでは、目の見えるようになった盲目の花売り娘が、自分の恩人であるチャップリンは思い描いていたような紳士ではなく浮浪者だった、という残酷な現実に直面した途端、曖昧な表情を残したままぱっと終わります。これは見せることを拒絶する、扉を半ば閉じた映画と言えるでしょう。そのことにより見る者は、見たいものだけを見ようとすることを拒絶され、さまざまな想像をします。

映画には一つの世界が再現されるという性質があります。ペドロ コスタの映画はイメージA、イメージB、イメージCのつながりがゆるやかで、一つ一つのイメージの間にスペースができています。それにより、一つの物語にとどまらずさまざまな結びつきが映画の中で循環していく構成になっているのではないか、と私は考えます。

先日の東京造形大学でのペドロ コスタの特別講義でも語られていましたが、多くの映画は「私が見せようとするもの」、あるいは「人々が見たいであろうもの」で出来ています。それに対し、「働きかけるもの」と「受け取るもの」の「循環」によってできている映画があります。カメラは難しい機械であり、必ず撮る者、撮られる者の間の対等な関係を失わせますが、ペドロ コスタは、(ヴァンダや短編に登場する老人など、フォンタイーニャス地区の住人達と)共に映画を作っています。ドキュメンタリーのようにありのままを撮るのでもなく、役者を使って自然に見える状況を撮影したのでもありません。

短編映画「うさぎ狩り」で、おじいさんが立ち上がり体操するシーンがあります。ここでおじいさんは自然に立ちあがっているのではなく、映画のために立ちあがっているのです。つまり彼は、ペドロ コスタが映画を撮ることを受け入れて手伝っているのと同時に、ペドロ コスタも彼らが語りたい物語を語るのを手伝っているという関係を作り上げています。ペドロ コスタの存在や人間性により、住人と対等な関係が築かれ、一緒に映画を作っている。これは極めて希有なことです。

(映画は虚構ですが)鑑賞者はその「嘘」を知った上で、それを信じて楽しむという関係性の上に成り立ってきましたが、そこへゴダールらが現れそれを緩やかに破る映画を作るようになります。例えるならば、ディズニーランドが実は千葉にある、という現実が見える瞬間のようなものです。ペドロ コスタもゴダールのように映画の中に断絶、切れ目を作っていますが、手さばきが異なります。まとまりを緩やかに引き延ばし、もう一度関係づけることで、映画・世界・私の結び付きを改めて作りだしていく、そのような肯定的な手法を取っていると思います。

今回、原美術館におけるペドロ コスタのインスタレーションを見て、映像展示が複数のスクリーンに独立することで、イメージとイメージの結び付きが緩やかになり、一つ一つ自立しながら他のものと関係し(広がりを生むことが)、かなり実現されていると感じました。ペドロ コスタは、常々、美術館における映像展示には批判的な発言をしていますが、自分は映画と同じテンションでインスタレーションを作ると語っています。

ペドロ コスタはカメラの位置を決めるのに大変こだわりを持っています。カメラポジションを決めるのに2年かかった、と言うので、本当にそうか?と思わず聞いてしまうくらいです。これはただ単に良い構図で撮りたいということではなく、(被写体と撮影者、鑑賞者の)関係性を探る、という行為なのです。

第3回 講演 諏訪敦彦 「存在の彼方へ—ペドロ コスタの映画空間」+ペドロ コスタ短編映画上映(映画監督・東京造形大学学長)
日時 2012年12月22日[土] 14:00-16:00

(了)

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「MU[無]―ペドロ コスタ&ルイ シャフェス」
12月7日[金]-2013年3月10日[日]

「ソフィ カル―最後のとき/最初のとき」
2013年3月20日[水・祝]-6月30日[日]

「坂田栄一郎─江ノ島」
7月13日[土]-9月29日[日]

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