日本の女性映画人(2)——1970-1980年代 @ 国立映画アーカイブ


『ねむの木の詩がきこえる』1977年、監督・製作・脚本・音楽・出演/宮城まり子、編集/沼崎梅子

 

日本の女性映画人(2)——1970-1980年代
2024年2月6日(火)-3月24日(日)
国立映画アーカイブ 長瀬記念ホールOZU(2階)
https://www.nfaj.go.jp/
休館日:月
定員:310名(各回入替制・全席指定制)
上映企画URL:https://www.nfaj.go.jp/exhibition/women202312/

 

国立映画アーカイブでは、2022年度に開催した「日本の女性映画人(1)——無声映画期から1960年代まで」に続き、日本映画の歴史において、さまざまな分野で女性が活躍した作品を紹介する特集上映「日本の女性映画人(2)——1970-1980年代」を開催する。監督・脚本・製作などの分野を中心に、劇映画からドキュメンタリーまで計74作品(47プログラム)を上映し、日本映画の転換期に新機軸をもたらした女性映画人たちの足跡を振り返ることにより、日本映画史の再考につながる新たな視座を切り拓く。

本企画では副題にある通り、1970年代から80年代に生じた映画界の構造変化の中で躍進した女性映画人たちを重点的に取り上げる。1950、60年代の撮影所体制のもと田中絹代が監督として異例の活躍を見せた状況から一変して、1970年代以降は独立プロを基盤として、女性監督たちが活路を切り拓いていく。女優出身の左幸子の『遠い一本の道』(1977)や宮城まり子の『ねむの木の詩がきこえる』(1977)は社会運動に根差した題材で大きな反響を呼び、自主製作の動向から頭角を現した鵞樹丸は『わらじ片っぽ』(1976)で前衛的表現を開拓。1980年代にかけて続々と女性が監督を手がけるようになり、作品の多様化が顕著になっていった。一方、撮影所体制がゆらぐ中で、ジャンル映画において女性脚本家たちが台頭。『メカゴジラの逆襲』(1975、監督/本多猪四郎)の高山由紀子や『ビー・バップ・ハイスクール』(1985、監督/那須博之)の那須真知子などが娯楽映画に新風を吹き込んだ。

また、本企画では記録映画作家の時枝俊江藤原智子を小特集を組んで紹介し、その業績を再評価する。岩波映画製作所で羽田澄子と並んで活躍した時枝は、音声を画と対等に捉えて革新的なドキュメンタリーを打ち出し、他方、藤原は女性史を語り継ぐ作品群を手がけている。2019年に企画された「映画の教室 2019 日本の女性監督―道を拓いた女たち」でもそれぞれ1作品ずつ紹介されているが、今回の小特集はそれぞれまとまった数の作品を紹介する貴重な機会となる。

 


『地域をつむぐ 佐久総合病院小海町診療所から』1996年、監督/時枝俊江、ネガ編集/桧山比呂子


『伝説の舞姫 崔承喜 金梅子が追う民族の心』2000年、監督・脚本/藤原智子、製作/斉藤かおり、編集/吉田栄子、加納宗子

 

一部の上映作品の概要は以下の通り。倉岡明子が構成・製作を務めた『六ヶ所人間記』(1985)は、新全国総合開発計画の対象となった六ヶ所村での昔ながらの暮らしへの住民の思いを綴ったドキュメンタリー。青森県出身の倉岡が1982年から3年にわたり取材し、1984年の核燃料サイクル施設立地要請の公表により開発問題に揺れた時期を背景とする本作には、撮影に同伴した倉岡の息子の2歳から5歳にかけての成長も記録されている。1970年代にアテネ・フランセ文化センターで上映事業の基礎を築いた倉岡は、映画技術・美学講座も主宰・運営したうえ、卒業制作作品『東京クロム砂漠』(1978 ※本上映プログラム外)にも制作者として携わった。熊谷博子の『よみがえれカレーズ』(1989)は、土本典昭、アブドゥル・ラティーフとの共同監督作品で、内戦が続いたアフガニスタンで、カレーズと呼ばれる地下水脈を守り続ける人々の営みを伝えるドキュメンタリー。本企画では、日本の女性監督たちが映画作りについて語るドキュメンタリー『映画をつくる女性たち』(2004)も上映。熊谷はハンセン病回復者を8年がかりで撮った新作『かづゑ的』(2023 ※本上映プログラム外)の劇場公開が2024年3月に控える。

 


『六ヶ所人間記』1985年、構成・製作/倉岡明子


『よみがえれカレーズ』1989年、監督/熊谷博子、土本典昭、アブドゥル・ラティーフ、音楽/高田みどり、ネガ編集/清水千恵子

 

監督以外の分野からは、重森孝子が脚本を手がけ、当時大学生で自殺した高野悦子の手記『二十歳の原点』を元に、学園紛争後の挫折感や若者の焦燥をテーマに、理想と現実の狭間で揺れ動く悦子(角ゆり子)の最後の半年間を京都を舞台に描いた『二十歳の原点』(監督/大森健次郎)。本作でキネマ旬報ベスト・テン脚本賞を受賞し、その後のキャリアで日本アカデミー賞最優秀脚本賞や向田邦子賞も受賞した筒井ともみの本格的な映画脚本家デビュー作にして、森田芳光=松田優作コンビが夏目漱石の代表作の映画化に挑んだ作品『それから』(監督/森田芳光 ※英語字幕付き)。『さようならCP』(1974 ※本上映プログラム外)に続き、小林佐智子が製作者として携わった原一男作品『極私的エロス・恋歌1974』(1974、監督/原一男)。1968年から岩波ホール支配人として世界の名作を紹介し、1985年から東京国際女性映画祭にも尽力した髙野悦子が製作を務めた日本とポルトガルの合作映画『恋の浮島』(1982、監督/パウロ・ローシャ)。朝倉大介の名義を引き継ぎ、50年以上にわたり1000本以上のピンク映画を製作し、周防正行、瀬々敬久、いまおかしんじらを輩出した佐藤啓子が企画した『人妻の悶え ザ・不倫』(1981、監督/磯村一路)、『変態家族 兄貴の嫁さん』(1984、監督/周防正行)。1978年に今村プロに入社し、81年からは取締役として今村昌平作品の製作を担った飯野久がプロデューサーを務めた『黒い雨』(1989、監督/今村昌平)。飯野は同作で著しい功績をあげた映画製作者に贈られる藤本賞・新人賞を受賞した。

 


『恋の浮島』1982年、監督・製作・脚本/パウロ・ローシャ、製作/髙野悦子、台詞/羽田澄子


『黒い雨』1989年、監督・脚本/今村昌平、プロデューサー/飯野久、記録/中田秀子

 

2022年に神奈川県立近代美術館 葉山で本格的な回顧展が開かれた朝倉摂が美術監督を務めた『修羅』(1971、監督/松本俊夫)を取り上げ、日本の女性映像作家の先駆者のひとりとして知られる出光真子においては、女性がアーティストとして活動するうえでジェンダーロールが足枷となる点に着目し、芸術家カップルに起きる問題を戯画化して描いた『加恵、女の子でしょ!』(1996)を含む5作品を上映。アニメーションの分野からも、広島国際アニメーションフェスティバルのディレクターとしても知られた木下小夜子が製作、脚本、アニメーションを務め、広島の朝の日常風景を一変させた原爆投下による惨状を描写した『ピカドン』(1978、監督/木下蓮三)などを紹介する。

 


『修羅』1971年、監督・脚本/松本俊夫、美術/朝倉摂、編集/岩佐寿枝、記録/内田絢子


『加恵、女の子でしょ!』1996年、監督/出光真子 ©️STUDIO IDEMITSU

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