イム・ミヌク「音に目を凝らして」

音に目を凝らして
インタビュー / アンドリュー・マークル

 


Minouk Lim Adieu News (2019), mixed-media video installation, dimensions variable, 13 min 35 sec looped, installation view, Aichi Triennale 2019. All images: Unless otherwise noted, courtesy Minouk Lim and Tina Kim Gallery, New York.

 

韓国の現代社会における民族意識やそれをかたちづくる抑圧構造に、遊び心に満ちた批評的なまなざしを向けるアーティスト、イム・ミヌク(1968年韓国テジョン生まれ)。映像、パフォーマンス、インスタレーション、公共空間への介入など、その実践は、日本による植民地支配と韓国の現代社会のあいだ、共産党支持者を疑われた幾千もの人々が粛清や報復により殺された朝鮮戦争期の民間人虐殺の抑圧的な記憶とグローバル新自由主義の消費文化の新たな要求への崇拝のあいだ、そして、北朝鮮と民主化以前の韓国双方の独裁政権の倒立した鏡像関係のあいだにある隠れた繋がりを明らかにしてきた。

近年は、市民と権力との争いの領域として、マスメディアが果たす役割に重点を置いた制作に取り組んでおり、《The Possibility of the Half》(2012)では、韓国のパク・チョンヒ元大統領と北朝鮮のキム・ジョンイル[金正日]元総書記の死を嘆く人々の映像を並置した。同様に、ソウルのサムスン美術館PLATEAUで2015年に開かれた個展『The Promise of If』では、韓国の公共放送局KBSが1983年に放送した特別番組「離散家族を探しています(Finding Dipersed Families)」に想を得た展示を行なった。同番組は、朝鮮戦争の混乱から30数年もの間、離ればなれになっていた家族の再会を助けるための一度きりの番組として企画されたが、最終的にはその年の6月30日から11月14日までの138日間、435時間以上にわたって生放送が続き、延べ5万3千人以上が出演した。以来、イムは釜山ビエンナーレ2018「Divided We Stand」に出品した大規模インスタレーションをはじめ、複数の作品に同番組の映像や図像を素材として使用している。

本テキストは、2018年9月の釜山ビエンナーレの際に収録したインタビューに基づいている。英語で実施されたインタビューを、韓国語への翻訳、英語への再翻訳、改訂および共同編集作業といった編集工程を経て作成した英文テキストを原文に、日本語へ翻訳。この間、イムはあいちトリエンナーレ2019が開幕後わずか3日間で「表現の不自由展・その後」の展示を閉鎖したことに抗議すべく、自分の作品の展示を拒否を決断するという問題の渦中にあった(ステートメント)。イムともうひとり韓国から参加したアーティスト、パク・チャンキョンのふたりは、8月6日に作品展示を拒否した最初のアーティストとなった。現在では、国内外13名のアーティストが作品の一時的な停止、完全撤去、再設定といった形で閉鎖された展示に対する連帯に加わっている。9月30日、「表現の不自由展・その後」実行委員会は、会期終了前に展示を再開する方向であいちトリエンナーレ実行委員会と合意したと発表した。

 


 


Minouk Lim The Promise of If (2015), still image from two-channel video projection, 30 min. Video courtesy KBS.

 

ART iT あなたの制作活動は、関係性の美学という動向が生まれた頃のフランスでの協働的なプロジェクトから、韓国への帰国を挟み、近年は韓国の歴史、とりわけ朝鮮戦争にまつわる出来事を再検討するものへといくつかの段階を経てきました。そうしたすべての段階に共通するテーマとして、ソウル市内を走るトラックの荷台で歌うパフォーマンス《New Town Ghost》(2005)から、とあるドイツ民謡が辿った歴史を追った《O Tannenbaum》(2017)までにわたる作品の数々に見られる、歌や詩、音楽への絶えざる関心があるのではないかと思いますが、それは一体どこから来ているのでしょうか。

イム・ミヌク(以下、ML) 私はみずからをなり損ないの詩人だと思っています。しかし、歌や音楽は私が新作をつくるための原動力で、自分の限界を超えるための勇気を与えてくれます。子供時代、私の周りには音楽が常に流れていました。姉がピアノを弾いていたり、祖母が読むお経がどこか詠唱のようなものとして聴こえていました。統一教会が設立した中高校に通っていた頃は、聖歌隊で歌ったり、クラシック音楽の演奏を鑑賞したりしていました。パリでは音楽が安息地となり、愛する祖国へ私を一瞬で連れていってくれました。この頃、音楽とそのパフォーマティヴな側面によってつくりだされる領域に関心を持ちはじめました。

私は1990年代後半に韓国に帰国し、そこでアンダーグラウンドで活動するミュージシャンたちと知り合いました。彼/女たちとともに韓国の初期のテクノ音楽シーンを切り開く、それは本当に忘れられない経験でした。さまざまな人々が集まるその環境に、美術界との違いを感じました。共同体をつくりだすだけでなく、共同体の束縛から自由でいられる力を得たかのようでした。以来、そうしたシャーマニズム的な力を持つ音楽ーーその本来の形式を壊し再編成できる音楽、楽譜などなくても他者に伝わる音楽に魅了されてきました。

音楽はイデオロギーを持たず、普遍的で人々をひとつにするものだと思われがちですが、こうした経験が私に、音楽はイデオロギーの強力なツールにもなりうるということを教えてくれました

 

ART iT ヴィジュアルアートで音楽とイデオロギーの両者を扱うことの難しさは、ある意味どちらも目に見えないということにあります。私たちはいとも簡単にその両者を非物質的なものだと誤解してしまいますが、実際にはどちらも強力な物質的効果を持っています。

ML 音楽を聴くとき、私は常にその質感をスキャンしているような気持ちになります。音楽が耳から3Dプリント出力されているような。音楽は非物質的ではなく、鳥の鳴き声のように領域に基づいて分子化されています。音楽は境界をつくりだし、また、境界によってつくりだされる。私はそれをある種の自己崩壊のように捉えています。この自己崩壊というところが重要です。他者が必要であるにもかかわらず、他者と分けることができないというところが。このように、音楽は機械であり、動物であり、神であり、兵器である。(それは突然、ワーグナーの音楽を聴き、ポーランドに侵攻する衝動に駆られたというウディ・アレンのジョークを思い起こさせます。)

物質主義的な社会において、イデオロギーはその形式や位置付けを絶え間なく変えていきます。そもそも何が支配的なのかを明らかにすることが不可能なので、イデオロギーの終焉について話し合うのは難しい。コーヒー1杯、ラーメン1杯、あるいは街角や地平線の向こう側にも、あらゆるイデオロギーが終わりなき幻想をつくりだしています。日常、無垢、平和や安全、変化、希望といったあらゆるイデオロギーが。私も例外ではありません。「これ!」という最新の商品やペットやセルフィーを積み重ねた不可視の祭壇を私たちが明日も築きつづける一方で、政治家や専門家はその現象を慎重に観察、分析し、自分たちの権威を築きつづけることでしょう。私はそうしたものに立ち向かい、秩序を再編成しようと試みています。そして、そのサイクルが続いていきます。

 


Both: Minouk Lim New Town Ghost (2005), still image from single-channel video projection with sound, 10 min 59 sec.

 

ART iT 《New Town Ghost》には、消費者志向の社会についてラップで歌う女性が登場します。消費者志向の社会では、個人の顔から共同体全体にいたるまで、ありとあらゆるものの見た目をわずかなお金で変えたり、改善したりすることができますが、外見が中身と同じであるとは限りません。あなたが韓国の近代化に興味を持つようになったきっかけについて教えてもらえますか?

ML 自由になるため、教育を受けるため、新しい世界を体験するために国外へ出ましたが、結局、帰国しました。必然的に、私は変化が何を意味するのか、そして、それが夢にとって何を意味するのかについて考えはじめました。そして、自分が欲望と絶望に同時に囚われているのだと気がついたのです。13年という歳月を経てなお、私はこの国が持つ独裁制や国家主導の近代化、反共プロパガンダに対する郷愁の念という終わりなきサイクルに再び直面することとなりました。韓国社会における共同体という概念は、日本の植民地支配によって根本的に粉々に砕かれ、さらに、独裁制と急造の近代化により引き裂かれました。にもかかわらず、それは決して「個」というレベルにまで分割されることはありませんでした。幸運にも両親のおかげで留学できたのだから、韓国の政治の批判などせずに、一生懸命働いて成功をつかむことに専念すべきだと言われたのですが、私にはまだまだわからないことがたくさんあり、学び続けたいと思ったのです。近代化が意味するものについて学びなおさなければいけないと感じました。それがいつどのようにはじまり、どこへ向かっていったのかを調べなおさなければならない、と。また、そうした疑問は学術的な関心というよりも日常の生活や環境の中から生じてきました。

 

ART iT それは自分がパク・チョンヒ[朴正煕]とその後継者であるチョン・ドゥファン[全斗煥]の独裁的な権威主義体制から続く経済システムの恩恵を享受してきたことに対して抱く葛藤によるものでしょうか?

ML 私は60年代に生まれ、80年代に大学へ行き、1988年にパリへと向かいました。かつて日本の吉田茂元総理大臣は、朝鮮戦争が日本に恩恵をもたらしたと述べました。にもかかわらず、60年代、パク・チョンヒは侵略に対する謝罪を求めるのではなく、その代わりに韓国経済の発展のための貸付金を受け取ったのです。彼が1979年に暗殺された後、80年代は軍事クーデターで実権を握ったチョン・ドゥファンの時代がきました。それは検閲と拷問の時代でしたが、空前の好景気の時代でもありました。87年にほかの大学生が政権に対して民主化を要求する抗議運動を起こしたとき、私はキャンバスを手に毎日新村(シンチョン)のスタジオを行き来していました。彼/女たちが政権に拷問されたり、催涙ガスで襲われたり、それによって命を落としたりする中で、私は何もせずにボードリヤールやカミュを読んでいました。当時私は大学3年生。ある講評会で、花を描いた絵画をイラストみたいだとコメントしたことで謝罪文を書かされたこともありました。その後すぐに、私は学部課程を終わらせることなく、パリへと旅立ちました。それはソウル・オリンピックの年で、私は政府が渡航禁止を解いたことによる最初の受益者のひとりになりました。私は未だにこうした歴史の只中に亡霊のように立っています。

 


Both: Minouk Lim Navigation ID (2014), installation and performance view, opening day of the 10th Gwangju Biennale, “Burning Down the House,” 2014.

 

ART iT あなたは《New Town Ghost》で取り組んだこの問題に繰り返し立ち戻っていますね。また、それに並行して、朝鮮戦争期の民間人虐殺を扱った作品にも継続して取り組んでいます。たとえば、2014年の光州ビエンナーレに出品したプロジェクト《Navigation ID》では、犠牲者の遺品を収納した輸送用コンテナをビエンナーレホール前の広場に運んできました。現代社会における独裁政権時代への郷愁と朝鮮戦争に関する記憶喪失というふたつの現象の間に関係性はあると思いますか?

ML 私の作品は、あまりにも「個人的」故に自分がこれまでに棚上げにしてきた物語、しかし、そこにこそ家族と自分とが長年にわたり向かい合ってきた葛藤や危機が映されていることを受け入れようとしてきた物語から生まれてきました。記憶や秘密、畏怖といったものを扱っていますが、過去にのみ関心があるというわけではありません。現在もなお残る開いたままの傷口にも向き合っています。

両親は朝鮮戦争を生き延びましたが、ふたりの人生はずっとそのトラウマ体験に取り憑かれていました。ふたりの過去の記憶をより深くまで掘り下げていくために、歴史をもっと学ばなければいけませんでした。しかし、父の目に私のこのような欲望は彼自身に対する挑戦として映りました。彼は独裁時代に対するいかなる批評も受け入れませんでした。むしろ、彼は自発的に自分の記憶を消すことを選択したのです。朝鮮戦争の間に彼の村で起きた民間人虐殺について訊ねたとき、彼は「知らないということを知る」べきだとだけ答えました。彼はそこで起きたことを恥じ、自分の尊厳を守る手段として記憶を失うことにしたのだと私は理解しています。彼はより良い未来に向けて努力し続ければよいのだと主張していましたが、皮肉なことに、独裁時代への郷愁や意図的な記憶喪失は彼をずっと過去に縛り付けていました。

 

ART iT 言うまでもなく日本でも、強固な家父長制構造が歴史的なトラウマを適切に扱うのを妨げることがよくあります。

ML 現在の安倍政権下ではとりわけそういう傾向があるのではないかと思います。彼の祖父が誰なのか、誰もが知っています。岸信介は戦犯被疑者として逮捕されたことがあります。安倍は彼の祖父が過ごした帝国時代の栄華に戻りたいと考えているのではないでしょうか。今日の日本は、朝鮮戦争後の反共戦線への協力と引き換えに、アメリカ合衆国政府の赦免と支援の上に建てられました。いまや日本は犠牲者を非難することを止めて、過去に向き合うべきときではないでしょうか。歴史が歪められ、記憶が恣意的に改ざんされるとき、退行が起こります。そして、未来の世代に憎しみだけが受け継がれることほど、最悪な退行などありますでしょうか。こうした文脈において、「昭和の妖怪」と呼ばれた日本の岸信介の強い影響が死後もなお続いていることと、韓国のパク・チョンヒは薄気味悪いほど双子のようによく似ています。パク・チョンヒの娘、韓国前大統領のパク・クネ[朴槿恵]を韓国で支持する人々と、日本の安倍支持者は、私たちの平和への願いを打ち砕いています。

それはまるで音楽について話した際に述べた自己崩壊のイメージのようです。私の父はちょうどパク・チョンヒと同じく「君が代」を歌うことができました。私は彼がひとり密かに君が代を歌っていたのを覚えています。また、実家に日本刀と神棚があったというおぼろげな記憶もあります。なぜそれが家にあったのか正確にはわかりませんが、ある日、忽然と姿を消しました。それは未だに謎のままです。

父とは対照的に、母は私が朝鮮戦争の間に起きた民間人虐殺について調べていたときに初めて彼女の記憶を語ってくれました。北朝鮮の兵士たちがわずか15歳や16歳と本当に幼く、母は彼らに木陰で歌を教えてもらったそうです。とても美しい情景が私の頭に浮かんできました。しかし、母は戦争は悲惨で残酷なものだと言いました。ある日、アメリカ兵の集団が裸になって川で泳いでいるのを見かけたそうですが、次の瞬間、彼らは皆、近くの山に隠れていた北朝鮮のスナイパーに撃ち殺されてしまいました。母はそれを目撃しました。ずっと後になっても、母は急な物音に過敏に反応していました。

こうした話を最後の最後に聞くことができましたが、両親とじっくり話し合う時間はありませんでした。ふたりはいつも私を共産党員や北朝鮮シンパ、あるいはそうした話をする相手ではないと思っていました。

 

ART iT 両親は何年生まれですか?


ML ふたりとも1930年代生まれです。父の経験は植民地時代の過去に深く根付いていました。父は日本統治下で小学校に通い、日本語を学びました。ですが、複雑な環境で育ち、死に物狂いで生きていかねばならず、教育は二の次でした。朝鮮戦争直前に、貧困から抜け出すために軍隊に自ら志願した父にとって、政府は命の恩人なのです。

 


Both: Minouk Lim The Possibility of the Half (2012), two-channel synchronized projection, 13 min 23 sec.

 

ART iT あなたの父親世代の韓国の男性には、おそらく似たような境遇の人がたくさんいるのではないでしょうか。

ML たしかに私の父はこの世代によくあるタイプのひとりなのかもしれません。かつて韓国の政治家は庶民の感情をつかむためにタクシーに乗るべきだと言われていましたが、タクシー運転手は大抵の場合ただただ同じ話題を繰り返すだけなので、民主的な意味できちんと考えようとするならば、それは良い考えではありません。タクシー運転手は、戦後、この国を再建するためにがんばった困難な時代のことしか話しませんし、パク・チョンヒやチョン・ドゥファンを悪く言おうものなら、そいつは北朝鮮に送ってやればいいのだとも考えていました。しかし、韓国であれ日本であれアメリカ合衆国であれ、憎悪の政治や鎖国主義は世界中どこでも同じように作用します。自分たちとは異なる誰かを危険な存在として目をつけ、安全性のイデオロギーを悪用して排除するのです。以前、ノ・ムヒョン[盧武鉉]に反対する感情が最高潮に達したとき、私が出会ったタクシー運転手の誰もが「漢川の奇跡」を懐かしそうに語っていました。《Wrong Question》(2006)という映像インスタレーションでは、そうした感情を捉えようとしました。終わることのないような物事に終止符を打ちたいときに作品をつくるというのが私の方法論ですね。

 

ART iT こうした男性像がプロトタイプである原因のひとつは、朝鮮戦争の間に行なわれた粛清がありますよね。

ML そうです。それが生存のメカニズムであり、彼らがあらゆるものを戦争に見立てる理由です。生き残るために競争相手全員を撲滅しなければならないという論理。以前はこうした論理を日本植民地主義のレガシーだと考えていましたが、それは今日の世界秩序を支配する新自由主義の核となるものではないかと考えています。同時に、韓国に戦争のメタファーが根強く残っているのは、分断国家のままであることが原因ではないか、と。抗日運動家と帝国日本の協力者が解放された直後に手と手を握り、休戦したなんてことが本当にあり得るのでしょうか。互いに復讐しようとしたり、裏切ろうとしたりせざるを得ないのではないでしょうか。アメリカ合衆国とソビエト連邦が軍事的利便性のために朝鮮半島を分断したことで、この国は再びイデオロギーによって引き裂かれ、「殺るか殺られるか」という精神構造に悩まされることになりました。血の粛清の歴史を経て、韓国の初代大統領としてイ・スンマン[李承晩]が権力を掴み、パク・チョンヒがそれに続きました。これも歴史のねじれを巡る終わりなき論争が現在まで続く原因のひとつです。この状況は日本と変わりません。

 

ART iT 《Navigation ID》と、韓国の公共放送局KBSが1983年に生放送した特別番組「離散家族を探しています」を扱った《The Promise of If》(2015-18)は関連していますよね?

ML 私には人生において忘れられない生放送が3つありますが、それらはすべて政治とアートが同じルーツを共有していること、つまり、どちらも論理や理性では管理できないという点を思い起こさせるものでした。まず、1979年のパク・チョンヒの国葬、次に1983年の「離散家族を探しています」、そして、1984年のナム・ジュン・パイクの衛星通信プロジェクト《グッド・モーニング・ミスター・オーウェル》です。2012年にパク・チョンヒの葬儀の映像と北朝鮮のキム・ジョンイル[金正日]元総書記の映像を交えて編集した《The Possibility of the Half》を、廃墟に見立てたテレビスタジオのセットとともに初めての映像インスタレーションとして発表しました。この作品は、不可能なまなざしに重点を置いていて、その点は続く《Navigation ID》や《The Promise of If》にも関連しています。

 


Both: Minouk Lim Navigation ID (2014)

 

ART iT 当初、《Navigation ID》について、コンテナを移送する際にヘリコプターや救急車が伴走するのを放送したり、ライブ配信をすることが、悲しみをスペクタクル化するのではないかと懸念していたのですが、文脈を理解した今、あのような壮大な規模で実現することこそ道理にかなっていたのだと思っています。

ML あのようなテクノロジーは、私たちの社会で見過ごされているもの、語られぬもの、消し去られたもののために役立てなければならないと考えていました。ですから、あの作品はスペクタクルなものでなくてはなりませんでした。しかし、報道機関の多くが「スペクタクル」そのものを自主規制してしまった点から考えると、おそらく成功していなかったのかもしれません。

ナム・ジュン・パイクの《グッド・モーニング・ミスター・オーウェル》は、最新のメディアテクノロジーが人類の平和やコミュニケーションをいかに促進できるかという方法を示しました。それは市民に対するマスメディアの支配力に警鐘を鳴らしたジョージ・オーウェルに対する厚かましいオマージュでした。2014年、見捨てられた遺品を載せて移動するコンテナの行列のライブ配信は、私からパイクへの厚かましいオマージュです。インターネットによりかつてないほどに繋がった今日の世界が、調和と平和の下に共存するのではなく、憎悪と差別の世界と化していることを作品を通じて示したいと思いました。私たちは死においてさえイデオロギーで隔てられ、適切な葬式さえ与えられない。ジョージ・オーウェルの予測はあまりにも正しいものでした。あのライブ配信は葬儀を埋め合わせることができたのでしょうか。あの周波数の領域の中での別れ、再会の在り方はそれぞれ異なります。

 

ART iT それは釜山ビエンナーレの出品作に《Promise of If》というタイトルをつけたことにも関係していますか。

ML このタイトルからふたつの異なる意味が推測できるでしょう。ひとつは可能性などというものはないということ、もうひとつは可能性というものしかないということ。私には「離散家族を探しています」に出演した人々が放送を通じて一か八かサイコロを振っているように見えました。彼/女たちは行方不明の家族の代わりとなる誰かに可能性を開いておきたかったのであって、それが誰であろうとほとんど構わなかったのではないでしょうか。離ればなれになったとき、まだ若く、名前も年齢も覚えていない場合さえありました。彼/女たち自身の自己紹介には、あまりにも多くのはてなマークが記されていました。この不確かさこそ、公共放送局が取り除き、抑制しようとしたものに他なりません。ですが、私は離散家族が証言の意味を無効にするもうひとつの戦略として、「if」を採用したのではないかと信じています。

 

ART iT 《Promise of If》に抑制と過剰との強い緊張関係を感じました。あらゆる撮影機材や、宙に浮かぶ巨大な円形の照明による中央のインスタレーションは、どこか検査と管理のための装置のようでしたが、一方、投影された映像の中で話している人々は強烈で制御できない感情を表しています。そこには証言、あたかも偶然現れたかのような抑圧された記憶から生まれる奇妙な情報もあります。かつて「かつこ」という日本名で呼ばれていたと証言する女性。首の両側に傷跡が残っているという男性。家の近くにネズの木が生えていたと語る男性。語り手は、わずかな時間しか与えられず、証言をする上で非常に厳格な形式に従わなければならなったのですが、その形式を逸脱し、はみ出したところで、証言は詩的な質を帯びていました。そして、アナウンサーは次の語り手へと移るために証言を途中で遮るのです。

ML インスタレーションに使用したオブジェは、離散家族が自分たちがスタジオにいないときに血縁者がやってきたときのために、場所取りの目的で残していったマネキンや代用品に基づいています。映像は、記憶だけが離散家族が自分のアイデンティティを証明するための証拠であるという理解の下に編集しました。その一方で、彼/女たちの記憶は、長年の時間を経てかすかに残った傷跡、あるいは、誰もが持っていて、どこにでもあるような物や風景に対する思い出になりました。映像で最も重要だったのは、家族たちが自己紹介に自ら記したはてなマークです。可能性を開いておく空白のままのプラカード。そこから何も導き出せないことはわかっていますが、それはあいだの空間なのです。括弧に括られた空白、あるいは犬かオオカミかわからない黄昏の時刻のような。彼/女たちの証言は、分析も証明もできませんが、掴もうとするものから逃れ続けることはできるのです。

 


Both: Minouk Lim The Promise of If (2015-18), installation view at Busan Biennale 2018. Below: Detail. Photo ART iT.

 

ART iT なるほど。長く離ればなれだった家族が放送を通じて再会する映像を見るとき、実はどこか演出されたもののように見えました。もちろんある程度はそうなのだと思いますが。

ML 朝鮮戦争の休戦後に北朝鮮からやってきたとか、まだ向こうに家族が残っていると打ち明けるのは、連座制ゆえに、彼/女たちが差別や排除の対象になるであろう秘密の公表のようでした。休戦後に北朝鮮から韓国に移ってきた人々の多くが、自分の過去を隠し、反共運動の極右保守のリーダーになりました。太極旗だったり、「ありがとう、KBS」や「打倒共産主義」といった余計なスローガンが書かれたプラカードがあるのはそういうことです。しかし、現実には行方不明の家族の多くは韓国に住むことになったので、彼/女たちにとって再会の瞬間はおそらく抑圧されていた不安が一気に解放されるように感じられたのではないでしょうか。

だからこそ、このような状況において何かを前提としたり定義したりすることは不可能です。誰も彼/女たちが他者の悲しみを理解しているなどとは言えません。そうは言っても、再会の瞬間を目にしたり、再会した血縁者の不確かな思い出を耳にしたとき、悲しみを感じたり涙を流さずにはいられないでしょう。なぜこんなふうに感じるのでしょうか?純真だから?無能だから?騙されているからでしょうか?いずれにせよ、私たちは涙を堪えられない。おそらく私がこの映像を探究し続けるのは、このような問いに対する答えがまだ見つからないからかもしれません。

 

ART iT この作品が明らかにしているのは、人間の感情的な悲劇と国家のイデオロギーや権力の展開とが交差するところなのでしょうか?

ML それよりも、それらが交差し得なかったところを明らかにしているのではないかと考えています。国家が組織的な暴力の責任を負わなければいけないのは疑いようがありません。しかし、そうした事実を記録する以上に、この映像から消えてしまったものやこの映像に映っていないものに光を当てることに集中したいと考えていました。永遠に続くものなどないこの国で、生における死と死における生が交差するところを探りながら、証言という人間の洞察力を考えてみたかったのです。

 

ART iT 個々の家族の再会に対する憧れや不確かさは、言うまでもなくやがて起こるであろう南北統一の可能性のメタファーです。事実、これは南北関係におけるこの上ないメタファーですよね。

ML 朝鮮戦争が休戦して、この国はお互いをまったく意識しないという空っぽの空間に陥り、その中で暮らし続けています。車で2時間程度の距離にもかかわらず、向こう側はブラックホールのよう。次に何が来るのかを意識しないまま、どちらもいまここにだけ固執しています。私の作品における家族というメタファーは、私たちは実のところ誰なのか、あるいはどこから来たのかを知らないままであるという問題に関係しているのです。私は常にこうした意識の隙間を指摘したいと考えていて、「あなたは自分が誰なのか本当にわかっていますか?」と観客に問いかけたいと思っています。

 


View outside Minouk Lim’s display area at Aichi Triennale 2019, photographed August 6, 2019. Photo courtesy Minouk Lim.

 

ART iT 目に見えない物質としての音楽や音の話からはじめましたが、「If」もまた目に見えない物質として考えることができるかもしれません。「if」の可能性を示すインスタレーションはあり得るが、実在の「if」は絶対に見せることができない。なぜなら実在の「if」など決して存在しないのですから。

ML あのインスタレーションは、管(conduit)のようなものです。私たちはあのインスタレーションが表しているのと同じ場所を占有することなどできません。

 

ART iT その意味では、自分のインスタレーションは空虚なものだと思いますか?

ML 自分の作品が環境や領土、舞台という役割を同時に演じることで異世界を開くものだと心から信じています。そこが空虚な空間でなければいけないのは、他者の共同体が形成されるためです。だから、自分のインスタレーションをあまりに単純なものやわかりやすいものにしたくはありません。観客には喪失感を味わってもらいたいです。空虚が認識できるように。

 


 

イム・ミヌク|Lim Minouk

1968年韓国テジョン生まれ。韓国がたどった急速な民主化や近代化の過程で生まれた、あるいはグローバル経済の構造の下で暮らす多くの人々にも影響をもたらす疎外や矛盾に目を向け、文筆、音楽、映像、インスタレーション、パフォーマンスなど多彩な方法を駆使して表現を展開している。これまでに、サムスン美術館PLATEAU(ソウル、2015)、ポルティクス(フランクフルト、2015)、ウォーカー・アートセンター(ミネアポリス、2012)、アートソンジェ・センター(ソウル、2008)などで個展を開催。瀬戸内国際芸術祭2016、シドニー・ビエンナーレ2016、台北ビエンナーレ2016、パリ・トリエンナーレ2012、リバプール・ビエンナーレ2010といった国際展や、『Political Populism』(クンストハレ・ウィーン、2015)、『Real DMZ Project 2015』(アートソンジェ・センター、2015)、『他人の時間|Time of others』(東京都現代美術館、国立国際美術館、シンガポール美術館、クイーンズランド州立美術館|現代美術館、2015-2016)などに参加。なかでも、光州ビエンンナーレは光州銀行賞を受賞した2006年に続き、2008年、2014年と過去3度参加。2018年の釜山ビエンナーレでは、サムスン美術館PLATEAUの個展『The Promise of If』を再構成した映像インスタレーションを新設された釜山現代美術館で発表した。また、2012年には韓国美術家賞の最終候補に選ばれている。

あいちトリエンナーレ2019では、《The Promise of the Half》を再編集した2チャンネルの映像を中心としたスタジオセットと韓服のインスタレーションからなる新作《ニュースの終焉》(2019)を発表したが、「表現の不自由展・その後」の展示閉鎖に抗議し、作品展示を拒否する決断をした。(ステートメント

Minouk Lim: http://minouklim.com/

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