田根剛「建築のための場所を築く」(2)


『田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future―Search & Research』 photo: Nacasa & Partners Inc.

 

建築のための場所を築く
インタビュー / アンドリュー・マークル
本稿は英語版を元に翻訳
I.

 

II.

 

ART iT 森美術館の『建築の日本展』や東京国立近代美術館の『日本の家』といった近年開催された展覧会の話になりましたが、日本建築の系譜とご自身の関係をどのように捉えていますか。

TT わかりませんね。自分の情熱のために仕事をしているので。日本で生まれて、日本の伝統的な建築も好きですが、ヨーロッパの歴史的な建築も好きでそこから多くのものを学んできました。ですから、もし誰かが私をあれこれグループに分類して、それが適当に見えるのであれば、否定はしませんが、それは建築史家の仕事で、私の仕事ではありません。
しかし、当然、日本の建築の伝統を受け継ぎ、その歴史に寄与できるのであれば喜ばしいことです。ただ単に自分ひとりで成し遂げたいわけではありません。巨匠から学ぶとともに、次世代に何か伝えていきたいと思っています。

 

ART iT 最初に刺激を受けたのがガウディだというのは本当ですか。

TT ガウディは私が建築を学ぼうと決めたときに最初に知った人物でした。図書館で偶然彼の本を手に取り、建築に眼が開かれました。安藤忠雄や丹下健三ももちろん学生時代の私に大きな影響を及ぼしました。しかし、私はある特定の建築家や巨匠を追うよりも、特定のプロジェクトに興味があります。安藤忠雄、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエのような建築家は数々の素晴らしいプロジェクトを手がけていますが、そうでもないものもあります。彼らのすべてのアイディアに賛同しなければいけないわけではありません。

 


『建築家フランク・ゲーリー展 “I Have an Idea”』 (21_21 DESIGN SIGHT、2015-2016)photo: Keizo Kioku.

 

ART iT 21_21 DESIGN SIGHTの『建築家フランク・ゲーリー展:I Have an Idea』やパリのグラン・パレでの『北斎』展(ともに2015年)などの会場構成を手がけ、現在、東京オペラシティ アートギャラリーとTOTOギャラリー・間の2箇所での個展を準備していますが、建築を展示することについてどのように考えていますか。

TT 一般的に言えば、建築は展示が難しく、面白いものでもない。建築家は建物を建てるわけですが、展覧会で私たちが見せられるのは、写真やドローイング、模型、スケッチ、映像といった制作過程の副次的な要素だけです。アーティストが絵画やオブジェを展示して、観客と直接的なコミュニケーションを取れるのに対して、建築家には断片的なコミュニケーションしかできません。それにひとつの建物を理解することでさえ、本当に複雑なのです。芸術的なヴィジョンだけでなく、建築基準法やクライアントの要求、ロケーション、文脈、環境——これらすべてがその建物に含まれているのです。だから大半の建築の展覧会に大量のテキストやデータが必要となり、それはそれほど面白いものではありません。
ですから、自分自身に興味深い展覧会を考案するように駆り立てています。展覧会タイトルは『Archaeology of the Future(未来の記憶)』です。そして、私が観客に伝えたいのは、私たちのデザイン感覚だけでなく、私たちが未来を考えることができるようになるための考古学的実践としての建築へのアプローチです。通常、建築は未来を、考古学は過去を向いています。しかし、私はこの展覧会を通じて、私たちがプロジェクトに取り組むときに、そこには常にさまざまな記憶や文脈を結びつける、より深い層があるということを見せたいと思っています。

 

ART iT あなたのプロジェクトの多くは、文字どおり土地を深く掘り下げていくものですね。エストニア国立博物館、新国立競技場基本構想国際デザイン競技のプロポーザル「古墳スタジアム」(2012)、「A House for Oiso」(2015)などが挙げられます。

TT 先にも言及した通り、私が重要だと考えているのは、近代建築が場所という概念を見落としてきたということです。近代建築は、それがどこでどんな条件だろうが、近代的な空間は創出可能だという考え方を運用してきたので、建物は土地とは独立した形で存在することになります。一方、私は建築をその土地に繋げたいと考えています。建築をその土地に繋ぐことは、建築が場所に属し、土地が建築の一部となることを意味します。それらは不可分なのです。また、空間を創出することは、ただ土地の上に空間を構築することだけではありません。掘り起こすこともまた空間をつくりだすもうひとつの方法なのです。空間の発掘と空間を構築するための素材の利用の両方を試しているのです。

 


『新国立競技場案 古墳スタジアム』 image courtesy of DGT.

 

ART iT 今日の建築において、喫緊の課題だと感じていることはありますか。

TT 私にとっての主要な課題は、耐久性のある建築をつくることでしょうか。——それは物理的な耐久性だけでなく、社会的な耐久性のある建築、あるいは商業主義や資本主義の圧力や変わり続ける現代の生活に対する耐性のある建築をつくることを考えています。現在、生活の速度はあまりにも速く、こうした社会的加速に合わせて建築の生産の速度を上げてしまえば、質や耐久性は失われてしまうでしょう。それでは、未来の社会や世代へと何かを引き継ぐことができる持続可能な建築はどうやってつくることができるのでしょうか。私は持続できない建築はほとんど犯罪的だと考えています。

 

ART iT その言葉を聞いて、最初の質問に戻りたいのですが、ほとんどの有名建築家は商業空間の設計を手がけていて、そうした建物には魅力的な外観や非凡なコンセプトを提示しているものが多いけれど、建物の内側は依然として来た人にお金を使わせるために設計された商業空間のままですよね。たとえば、坂茂による銀座の「ニコラス・G・ハイエックセンター」(スウォッチグループジャパン本社)や、SANNAによる「ディオール表参道」。そして、私にとって最も象徴的なのは安藤忠雄による「表参道ヒルズ」です。店舗空間が螺旋状のスロープに沿って並んでいて、訪れた人々が店に入るよう身体的に強制するところがあります。

TT 商業空間の設計の需要や、顧客の動きを管理してほしいというクライアントの要望がどんなものであれ、建築家の使命は公共のための空間をつくることに変わりはありません。設計を手がけるとき、私たちは常に建物と道との連続性について考えています。しかし、内部空間のコンテンツはいつでも変えられるものです。仮に別のクライアントがディオールのビルを購入したら、彼らが好きなように中身を変えてしまうでしょう。建築家は公的利用のための構造——公共空間——をつくりますが、商業主義の観点に特化した空間をつくろうとしても、それはうまくいきません。表参道ヒルズの場合であっても、現時点では商業店舗が並ぶ螺旋状のスロープかもしれませんが、これらの空間はどんな機能にも使うことができます。ギャラリーや会議室という可能性もあります。空間を創出することが、空間の使い方のすべてを決定するわけではありません。

 

ART iT 建築家はなんらかの形でクライアントに異議を唱える責任があると思いますか。

TT 私は常にクライアントとは対話というプロセスを通じて仕事をしています。彼らは正しい答えや正しいヴィジョンからスタートしますが、もし彼らが自分たちの望むものを正確に理解していたら、おそらく建築家はいらないでしょう。そこで、私たちがプロポーザルを用意した時点で、それが対話の土台になります。私たちはクライアントに彼らの元々の概要で実用的でないものを伝えると同時に、彼らの知らないこと、想像していないことを紹介することができます。そういう意味で、私たちは常にクライアントに意見を述べています。
もう一方で、そこには耐久性の問題もあります。仮にクライアントがあまりにも消費に重きを置き、早く安いものを求めているならば、彼らには何かに挑戦してみようという忍耐力はないでしょう。消費文化の速度は建築家のヴィジョンに深刻な影響をもたらしています。

 


『Todoroki House in Valley』 photo: Yuna Yagi

 

ART iT ほとんどの国の経済政策は未だに成長促進や生産性に重きを置いていますが、現実には、生産において、世界的規模へと拡張しうる分野がある一方で、グローバル化によって縮小を迫られる分野もある。どこには同時にふたつの異なる軌道が生まれています。

TT 問題は投資と資本化ではないかと考えています。ある産業に投資するには資金が必要ですが、投資した時点で、その資金は資本化される。日本の財産の場合、二種類の資本化があります。ひとつが土地で、もうひとつが建物です。土地を購入した場合、その価値は維持されるか高騰するかどちらか。しかし、建物に投資した場合、その価値は40年余りでゼロまで下がってしまいます。誰も価値のないものを購入したいとは思いませんから、これは建物にとって非常に良くないことです。だから常に建物を壊すことが選ばれるわけです。経済的には至極当然ですね。こうした経済システムが日本のスクラップ・アンド・ビルドの成長システムをつくっている。どんなものでも価格をつけた時点で、それは売却され、投資の対象として購入されうるものとなり、資本化の需要の対象になります。
しかし、対照的にイタリアでは経済は相対的に貧しいかもしれませんが、環境や文化は非常に豊かです。それは彼らが文化遺産や文化財により投資を行なうからです。彼らは歴史的な建造物をグローバル経済の条件の下に置きたいとは思っていません。そうした建造物がお金では買えないものだとわかっているので、価格をつけようなどとは思わないのです。これは文化遺産に対する賢い考え方だと思います。
これは日本語の「資産」と「財産」の違いを示しています。前者は金融資産のことであり、後者は財産であり文化遺産のことです。後者に投資すれば、その財産はより永く耐えることができ、投資した金額を超えるより豊かなものにさえしてくるかもしれません。

 

ART iT 現在、成長する建築ではなく縮小する建築、あるいは、元住民という固定された人々のみで構成する代わりに、難民のような新しい人々を受け入れて拡張する建築について考えるにはいい時期なのではないかと思っています。
今日の建築が目指しうる方向性はたくさんありますし、おそらく建築家はこれから訪れる個々の状況に対応するために柔軟でいつづけなければならないのかもしれませんね。

TT 同意見ですね。今日の建築家はそうした新しい機会をつくる必要があります。たくさんの人々が移動し続けている現在、私たちが築いてきた環境はより柔軟性や開放性を求められています。単一の機能だけでは、もはや空間を維持するのに十分ではありません。空間には、たくさんの人々や活動を受け入れられるだけの柔軟性が求められていますが、それは固定された機能しか設定されていない空間には不可能なことです。エストニア国立博物館の入り口の一帯は、結婚式から音楽祭、記者会見、そして、年初めに開かれたエストニア建国100周年記念パーティーまで、さまざまな企画を受け入れられる公共空間になりました。公共空間は人々が使いたいと思う各自それぞれの使い方を想像する潜在能力を持ち得ていなければなりません。だからこそ、記憶は私にとって非常に重要なキーワードなのです。ある場所で記憶を認識する方法について考えることで、継続的な記憶の生産が可能になる。場の継続的な経験が生み出されるのです。たとえば、寺を訪れると、そこにいる仏僧は当然何世紀も前の建立とは何の関わりもないわけですが、彼らは来客にその寺の建立や寺の建物にまつわる記憶や物語を語ることができるわけです。建築それ自体が記憶を持ち、それが人々へと伝承されうる。もしこの能力が失われてしまうなら、そこには建築家の名前以外には何も残されていないでしょう。

 

 


 

田根剛|Tsuyoshi Tane
1979年東京都生まれ。ダン・ドレル、リナ・ゴットメとともに設計競技応募のために結成したグループで、2006年にエストニア国立博物館のプロジェクトコンペに提出したプランが採択される。Dorell. Ghotmeh. Tane/ Architects(DGT.)を設立して、実施設計に取り掛かり、「場所の記憶」と題した本作は2016年に完成した。同時に、建築設計のみならず、舞台美術、展覧会や国際見本市の会場デザイン、既存の建築のリノベーションなどを手がけている。2012年には「新国立競技場」国際デザイン・コンクールのファイナリスト11名のひとりに選出され、さらに注目を集めることとなった。2014年には田根にとって初の住宅「A House for Oiso」を手がける。2016年、「エストニア国立博物館」の竣工を機にAtelier Tsuyoshi Tane Architectsとして新たに活動を始めている。
Atelier Tsuyoshi Tane Architectshttp://at-ta.fr/

田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future – Digging & Building
2018年10月19日(金)-12月24日(月)
東京オペラシティ アートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/

田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future – Search & Research
2018年10月18日(火)-12月23日(日・祝)
TOTOギャラリー・間
https://jp.toto.com/gallerma

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