田根剛「建築のための場所を築く」


『エストニア国立博物館』 photo: Propapanda / image courtesy of DGT.

 

建築のための場所を築く
インタビュー / アンドリュー・マークル
本稿は英語版を元に翻訳

 

I.

 

ART iT 建築はその歴史において、権力との複雑な関係性を維持してきました。過去の主要なパトロンやクライアントは、王や貴族、あるいは宗教組織でしたが、現在はそれが国家や民間企業になりました。建築家がどのようにこうした影響力を持つ組織と交渉するのかに関心があります。建築家としてのご自身の倫理観をどのように築き、将来どのように発展させていこうと考えているのかについてお聞かせください。

田根剛(以下、TT) 私にとって答えはシンプルです。昔は王や宗教、国家が建築において権力を持っていましたが、現在はそのようなことはありません。現在は民意が重要であり、私たち建築家は市民のために働いています。国家のためでも企業のためでもありません。イデオロギーや誰かひとりのヴィジョンのためでもありません。建築には膨大な交渉と対話が必須です。クライアントと共に、ヴィジョンを作り上げていくためにチームとして共同作業を行なう。それから、私は公共空間をつくることに興味があります。人々を管理したいとは思わないし、それは私のクライアントも同じです。彼らは人々がその空間を楽しみ、その空間で時間を過ごし、その空間の一部になれるのだということを示すことで、人々とコミュニケーションを取りたいと考えています。だからこそ、彼らは自分たちのアイディアやヴィジョンを建築家と共有する必要があります。自分たちだけでは実現できませんから。建築家は、そうした最初のアイディアの身体的な体験としての実現を推し進めていくことができるのです。

 

ART iT しかし、都市空間は市場経済の圧力によって、ますます貨幣化、均質化されています。建築家として何か取り組めることはあるのでしょうか。

TT はい。これは20世紀に始まった根本的な社会変化ですね。資本主義と市場経済システムは私たちの空間の生産に大きな影響を与えました。今や私たちは、どれくらいの空間があり、いかなるスケジュールに従いその空間を使用するのか——たとえば、銀行のローンを思い浮かべてください——を定める経済構造に基づいて、空間を生産している。20世紀以来、私たちは極めて多くの——想像していた以上に多くの——空間を作り出してきましたが、一方で場所という感覚を失ってしまいました。しかし、場所こそが、最も大切なことなのです。再生産や再現することはできない。ある場所を別の場所と取り替えることなどできません。私にとって、建築とは空間というよりも場所に関するものです。デザイナーやアーティストは素敵な空間をつくることができるし、建設会社はたしかに建築家なしで建物を建てることができる。しかし、建築家はある場所に建築を作ります。どこにでも建てられる大量生産的な空間よりも、私はある状況に応じた特定の場所を作ることの方が好きです。

 

ART iT 普通、日本の若い建築家はより有名な建築家の下で働き、独自の建築を確立する前に個人住宅や小さなプロジェクトを始めるものだと思いますが、あなたの場合は、ダン・ドレルとリナ・ゴットメと共に設計したエストニア国立博物館(2016)という非常に大きなプロジェクトでキャリアを始めました。エストニアの人々がどのように空間としての博物館、場所としての博物館に関わるのかを考慮しましたか。

TT はい。普通、私たちは生まれたときにまずハイハイを覚えなければならず、それから、二本足で歩いたり、自転車に乗ったり、自動車を運転したりできるようになっていきます。しかし、私の場合、仲間といきなり月に向かうロケットに乗ったようなもので、無事に戻ってこられるかもわからない状態でした。国立博物館のプロジェクトを始めたときは、事務所の運営方法も請求書の書き方でさえも知りませんでした。妙な気持ちでした。
博物館の仕事をする中で、私たちにとって重要だったのは、この建築を建物そのもののみならず、過去から現在、そして未来のエストニア文化の歴史の概念を統合するものにしなければならないということでした。モダニズムが、未来のための建築を創造すべく、新しい理念やデザインを発明するという考え方を強調するのに対して、私たちは未来へと導く一方で伝統からも学ぶという現代社会のためのものを作りたいと考えていました。国立博物館のプロジェクトを通じて、考古学の言葉で建築を考えることを教わりました。過去を発掘することで、現代社会において忘れ去られたり、消え去られたりしただろう経験から学ぶことができると同時に、その考古学的な記憶を通して未来の世代のための場所を創造することができるのです。

 


『エストニア国立博物館』 photo: Takuji Shimmura / image courtesy of DGT.

 

ART iT 近代建築は普遍的な主体——それは実際のところ、多かれ少なかれ典型的なヨーロッパの白人男性だということが判明したわけですが——のために構想されました。ポストモダンや現代建築は、同じ空間を利用する異なる身体や存在を持つ主体の多様性や複数性について考えることに挑んでいます。国立博物館を設計する上で、そうしたことは考えましたか。

TT 近代建築は世界中に快適さ、効率性、空間の合理的な構成といった基本原則を広めましたが、この種の建築は空間を生み出す経済的な条件に支えられたものでもありました。数多くの国が空間の生産や計測、さらには素材を製造するための近代的な技術の影響を受けましたが、それは一方で各地方の環境に応じた伝統の喪失を伴いました。同時に、数々のモダニズムのプロジェクトが古くなりつつあり、取り壊されたり、建て替えられたりしています。私にとってそれは衝撃的なことで、モダニズムが本当に私たちの社会や生活を生み出す適切な方法なのかと問い直すきっかけになりました。たとえば、快適さひとつ取ってもさまざまな考え方がある。夏だと、屋外は暑く湿気が多いけれど、屋内は涼しくて乾燥していて、この極端な変化は体に良いはずがありません。つまり、快適さを管理するという近代的な考え方にも矛盾が内在しているわけです。社会の近代化が残した矛盾に向き合い、未来の生活のために構想できるさまざまな方法を探ることが、今日の建築家の課題だと思っています。もちろん、私たちの生き方はグローバル化や新しい情報経済にも多大な影響を受けています。前代未聞の数の人々が移動し、多数の人々がひとつの社会ではなく複数の社会に属している。応答する建築家にとって非常にやりがいのある状況ですね。だからこそ、私は今日の建築にはたくさんの機会があると思っています。われわれ建築家には、標準化した近代社会を作る代わりに、他にはない独特の建築を作ることができるのです。

 

ART iT 国立博物館の内部には、巨大なボリュームが連続した空間が広がっています。これは建築に多様性を組み込むための方法のひとつでしょうか。

TT 建築について、私は多様性や現代性よりも特殊性という観点から考えます。国立博物館の特殊性は、世界中からエストニアを訪れる人々を魅了できる点にあります。建築のアイディアは、旧ソ連時代に軍用滑走路として利用されていたという場に着想を得ていました。滑走路の平らなコンクリートから入り口が伸びていくので、建物内に入るときに建物の裏に何があるのか予想できません。入り口の大きな庇は、多方面から来る人々を迎い入れ、非常に高い天井高を持つ空間へと導いていく。そこは壁のない誰でも入れるオープンな公共空間で、路上や市場のような都市空間にいるかのように歩き回ることができる。この空間では数々のイベントが行なわれています。続く展示室では、エストニアの歴史を長い時系列に沿って見ていくことになりますが、それは古代からではなく、現代のエストニアから始まります。最初に見ることになるのは、Skypeの最初のプログラマーのひとりが使っていた椅子です。それから徐々に天井が低くなり、狭くなっていき、石器時代へと遡ることになり、そこから屋外へと建物を出ると、そこには急にコンクリートの滑走路と森以外に何もない空間がほぼ無限に広がっている。このように劇的空間から何もない空間への移行をデザインすることで、私たちはどのように博物館が滑走路の延長線上に建てられているのかも可視化しました。

 


『田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future―Search & Research』 photo: Nacasa & Partners Inc.

 

ART iT 旧ソ連時代から残っているロシア系住民の存在、つまり、かつての植民者が現在はエスニック・マイノリティであるというエストニア社会の複雑な側面を知りました。このことは博物館がエストニアの統一性というヴィジョンを提案する上でやりがいのある難題だったのではないでしょうか。

TT コンペに最初のデザインを提出した時点では、私たちは建築の要素として飛行場を使えることにただただ盛り上がっていました。滑走路はおよそ1キロ。私たちはこれを博物館とつなげてこれまでになかった巨大な1.5メートルの長さの建物にしたいと考えていました。ところが、コンペに勝った後で、エストニアの人々が私たちのデザインをソ連占領時代の歴史をエストニア社会に融合させるためのヴィジョンとして受け止めていることがわかりました。私たちの提案は、負の歴史を記憶から消すのではなく、むしろ、そこに新しい意味を付与する可能性を示していました。

 

ART iT 日本の多くの建築家は自身の純粋な建築を追求する上で、象徴としての建築という点を避けようとしている印象がありますが、実際には建築が重要な象徴的機能を持つことは無視できないことです。

TT ええ、エストニアの場合、私たちは国家という概念を扱いましたが、建物がナショナリズムの表現にならないようにせねばと思っていました。私たちはある世代の長い伝統からその記憶を次の世代へ、次の世代がその次の世代へと手渡し、その途中で伝統的なオブジェやモチーフ、思考を通じて、お互いが繋がっていくことに重点を置きました。私たちにとって、こうした連続性を考えることが国家の象徴のようなものを創ることよりも重要で、それによってアプローチの方法が導かれていきました。
日本における純粋な建築の追求に関して言えば、それは教育制度が反映されているのだと思います。日本の建築教育では、建築はそれ自体で自立しなければならず、社会的、経済的、国政的なものは扱うべきではないという考え方が維持されています。皮肉なことですが、そうした純粋性の追求が、近年目にする日本の巨匠による素晴らしい建築の取り壊しの原因ではないでしょうか。純粋すぎるために、その建築に私たちの伝統的な連続性を帰属する余地がなく、誰も関心を持たない。納得いきませんが、誰も残したいとは思わなくなってしまう。微妙な問題ですね。

 


『北斎展』、グラン・パレ photo: Takuji Shimmura / image courtesy of DGT.

 

ART iT しかし、日本の内閣府のクールジャパン戦略のような政策もまた、建築を国内外の観客に日本のソフトパワーを示す手段に位置付けています。日本で建築を語る上で、国粋主義的な背景が色濃くありますよね。

TT 日本の建築を一般化しようとする人々の中には、個々のプロジェクトの複雑性を単純化する傾向があり、それは建築家にとって少々苛立たしくもあります。しかし、それでも日本政府や森美術館のような文化機関が日本建築を広めようとしてくれるのは良いことだと思っています。なぜなら、昨今の社会において建築に対する理解はそれほど高くないですから。日本の建設業界の主な特徴は、大手不動産会社や大量生産です。これは建築ではない、けれども、それが日本の日常生活の大部分を占めています。私はこうした成り立ちに全面的に賛成しているわけではありませんが、私たちの文化を受容する上で建築について語ることは欠かせないし、日本の建築が今日も素晴らしいことを成しているのだと認識してもらうことができます。もちろん、日本の建築にとって改善すべき条件はまだまだたくさん残されています。ここ45年あるいは50年の間、数々の失敗をおかしてきました。建築家が設計した数々の建物があまりにも複雑であったり過剰にデザインされていたりして、機能せず、雨漏りするものさえある。日本で建築家はそうした批判を受けてきました。時には社会の信用は失ってきたかもしれませんが、それでもまだまだ社会や文化に貢献できるのではないでしょうか。

 

ART iT 今年前半の森美術館の『建築の日本展』や、東京国立近代美術館で昨年開かれた『日本の家』が日本の観客の建築に対する理解を高めるのに重要だということには同意しますが、一方で、日本の建築として宣伝されているものと、日本の一般的な人々の暮らしは大きくかけ離れていますよね。

TT それは一般の人々だけでなく建築家も同じです。私たちも芸術や豊かな生活とはかけ離れ、食べる間も惜しんで懸命に働いている。これが建築家の普段の生活です。素晴らしい建築を建てようとしながら、生活は決して豊かではない。実際に良いデザインの豊かさやそれが私たちの空間体験にどのように影響を及ぼすのかについて、経験できる建築事務所のスタッフはほとんどいないことにしばしば不安を抱いています。結果的に、誰もが写真映えのする清潔で純粋な空間をつくろうとしてしまいがちです。

 

田根剛 インタビュー(2)

 


 

田根剛|Tsuyoshi Tane
1979年東京都生まれ。ダン・ドレル、リナ・ゴットメとともに設計競技応募のために結成したグループで、2006年にエストニア国立博物館のプロジェクトコンペに提出したプランが採択される。Dorell. Ghotmeh. Tane/ Architects(DGT.)を設立して、実施設計に取り掛かり、「場所の記憶」と題した本作は2016年に完成した。同時に、建築設計のみならず、舞台美術、展覧会や国際見本市の会場デザイン、既存の建築のリノベーションなどを手がけている。2012年には「新国立競技場」国際デザイン・コンクールのファイナリスト11名のひとりに選出され、さらに注目を集めることとなった。2014年には田根にとって初の住宅「A House for Oiso」を手がける。2016年、「エストニア国立博物館」の竣工を機にAtelier Tsuyoshi Tane Architectsとして新たに活動を始めている。
Atelier Tsuyoshi Tane Architectshttp://at-ta.fr/

田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future – Digging & Building
2018年10月19日(金)-12月24日(月)
東京オペラシティ アートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/

田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future – Search & Research
2018年10月18日(火)-12月23日(日・祝)
TOTOギャラリー・間
https://jp.toto.com/gallerma

Copyrighted Image