ドクメンタ14(カッセル)

2017年9月12日
ドクメンタ14(カッセル)
文 / 大舘奈津子




フリデリチアヌム美術館


会期も終わりに近づいた8月末、ようやくドクメンタ14を観ることができた。ちょうどフランコ・“ビフォ”・ベラルディによるパフォーマンス「浜辺のアウシュビッツ」の上演が予定されていたにもかかわらず、そのタイトルに対して、多方面から「ホロコーストを喚起させる」という非難の声があがり、公演がキャンセルとなった直後のことであった。アテネ開催以降、多くの批判に晒された今回のドクメンタ14は、しかしながら、圧倒的なリサーチを基に、過去と現代が直面する諸問題を、美術作品や美術史によって考察し、繋ぐというディレクター、アダム・シムジックによる意欲的な展覧会であった。*1 5月にアテネ会場を見たときにはわからなかった展覧会の輪郭がようやくカッセルで見えた気がした。

従来のメイン会場、つまり通常、観客の多くがツアーを始める場所であるフリデリチアヌム美術館は、今回、アテネではドクメンタの会場にもなったギリシャ国立現代美術館(EMST)のコレクションが9割以上を占め、キュレーションについても、EMSTの館長であるカテリナ・コスキナがドクメンタのテーマに沿って行なった。「ANTIDORON(返礼)」と題されたEMSTのコレクション展は、同館が所蔵する1960年以降のギリシャ内外の現代美術コレクションから、ギリシャ人作家の作品を中心に構成したもので、ヤニス・クネリスやルーカス・サマラスなど一部を除いて、これまで国際的に注目されることがそれほど多くなかったギリシャの現代美術作家の作品をまとめて見る良い機会となった。ヴラシス・カニアリスのインスタレーション作品「Hopscotch」(1974)は、ギリシャにおける移民問題が現在に始まったわけではないことを提示し、アレクサンドロス・デルモウゾスの革新的な教育に関するアレクサンドロス・プシクリスのビデオ作品「Alexandros Delmouzos and the eighty may beetles」(2014)では、極めて複雑な歴史を持つギリシャ史の一端を知ることができる。




ステファノス・ツィヴォプロス「Precarious Archive」2015年


しかしながら、各地方に充実した現代美術館やクンストハレを擁するドイツからすると、EMST所蔵の非ギリシャ人の作家の作品はそれほど魅力的には思えないかもしれない。フリデリチアヌムというドクメンタの中心とも言える場所に、EMSTのコレクションを持ってきたことは、その意味では象徴的な意味が大きいように感じられた。前回のドクメンタ13で、キャロライン・クリストフ=バガルギエフが焦点をあてたアフガニスタンは、フランシス・アリス、マイケル・ラコウィッツらスター作家が現地で制作したサイトスペシフィックなプロジェクトの成果をカッセルで展示し、注目を集めた一方、アフガニスタンのアーティストたちの作品は、ひっそりと元エリザベス病院だった会場にまとめられて展示されていたのとは対照的に、今回はギリシャ美術を過剰にも見えるほど丁重に扱っている。

同会場に展示された数少ないドクメンタ14の参加作家の作品では、ハンス・ハーケが1959年に展覧会アシスタントとして関わり、撮影したドクメンタ2の記録写真が印象的であった。作品写真ではなく、働く人や熱心にカタログを見つめる観客の写真など、ドクメンタがいかに当初から人々の注目を集めてきたか、また、当時からハーケが展覧会を成立させる人々や労働に興味を持っていたことを窺い知ることができる。一方、会場外にある別の入り口から地下に降りた空間に展示されたのは、アテネのコンセルヴァトワールで、ライブハウスで踊る若者を撮影した映像作品を展示していたベン・ラッセルである。カッセルでは、セルビアの銅鉱山とスリナムの金鉱というふたつの鉱坑で働く男たちのドキュメンタリー「Good Luck」(2017)を、モノクロのポートレート映像と組み合わせたインスタレーションを展開していた。




Left:カタリン・ラディク、サウンドインスタレーション、1970年代/2015年.
Right:カール・フリードリヒ・エヒテルマイヤー「National Figures」1876-1882年.



ベニンのブロンズ彫刻


コード・ノワール(奴隷法)


しかし、今回のドクメンタの中心は間違いなくノイエ・ガレリーであり、その展示は圧巻の一言につきる。この展示からドクメンタ14のコンセプトをはっきりと理解することができた。ノイエ・ガレリーの所蔵品である、カッセル出身の彫刻家、カール・フリードリヒ・エヒテルマイヤーによる「National Figures」(国別彫像、と訳すべきだろうか)は、過去のドクメンタでもコレクションの一部として展示されていたはずであるが目に留めることはなかった。しかし、今回、ミュンヘンの博物館に所蔵されている18、19世紀にベニン王国(現ナイジェリア)で作られたブロンズ彫刻とともに展示されることにより、美術品をめぐる植民地主義について言及する展示となり、初めてその姿をじっくり見ることとなった。1884年から1885年のベルリン会議で、アフリカ植民地分割の原則、つまり欧州諸国による植民地占有のルール(実効支配をしている場合のみ占有を認め、大きな変更の際には宗主国である欧米各国に通告する)が定められた。その約10年後の1897年、ベニン王国でイギリスの行政官が殺された報復にイギリスは軍隊を派遣し、ベニンを占領。3,000から5,000にもおよぶ王国の文化財を破壊、略奪し、ベニンのブロンズ彫刻は世界に売り払われた。今回はそのひとつである、ミュンヘンのバイエルン州立民族学博物館に所蔵された彫刻が展示されている。それは、ほぼ同時代にエヒテルマイヤーが制作したギリシャ、フランス、イタリア、ドイツ、スペインなど当時の列強8カ国の象徴としての彫像「National Figures」(1876-1882)と、さらにセルビア生まれのハンガリーの詩人であるカタリン・ラディクによるコラージュおよびバルカン民謡やポーランド民謡などさまざまな民謡のサウンドインスタレーション(1970s/2015)とが組み合わされた長い廊下の展示空間で、ヨーロッパとはなにか、そしてヨーロッパが歴史的に何をしてきたのか、美術や文化とどう向き合って来たのか、という問いを容赦なく発してくる。あるいは世界で最も残酷な近代の法律書とされるルイ14世が1685年に発布した「コード・ノワール(奴隷法)」*2 は、グリム兄弟の末弟で(グリム童話で知られる長兄と次兄とは別人)カッセル美術アカデミーの教授でもあった、イラストレーターで版画家のルートヴィッヒ・エミール・グリムによる「ムーア人の洗礼」(1841)や、ムラート、ジプシー、ユダヤ人などといった当時のマイノリティを描いた作品と併せ、キリスト教による侵略の歴史が生み出したものを考えさせる。




マリア・アイヒホルン「Rose Valland Institute」2017年


マリア・アイヒホルン「Rose Valland Institute」2017年


マリア・アイヒホルンは今回のドクメンタで最も重要なアーティストのひとりである。2003年にミュンヘンのレンバッハハウス美術館での個展では、同館のコレクションから、ナチスを含む違法な接収を経て所蔵された来歴が見えるように表と裏の両方を見せる展示を行なうなど、ナチスと美術作品との関係は常に彼女の作品の重要なテーマのひとつであった。今回のドクメンタでは、ナチスに対するレジスタンス運動の重要人物であり、特に美術館や個人コレクターからナチスによって接収された6万点以上の作品について、接収された作品の置き場となっていたフランスのジュ・ドゥ・ポーム美術館の学芸員という自らの立場をうまく利用し、その行き先や運送業者など移動の際の詳細情報を記録することにより、戦後、それらの作品が散逸せずに持ち主に返却されることを可能にした立役者、ローズ・ヴァランから名前をとった「Rose Valland Institute」(2017)というプロジェクトを発表している。同プロジェクトは、極めて広範囲で、多角的なリサーチに基づいた展示は、違法に取引されたのちに公的なもしくは別人の所蔵品となったものの所有権は誰にあるのか、を議論するべく会期終了直前に行なわれるワークショップを含む。展示物としては、ナチス政権下、ベルリン市図書館によって違法に接収され、「Jコレクション」(Jewsの頭文字のJ)として蔵書となっていた書籍で構成された本棚、カッセルのアートコレクターだったユダヤ人アレクサンダー・フィオルノに対するカッセル市の外国為替局長からの所蔵品没収の通告書および、市がフィオルノ財団から「取得した」とされる美術所蔵品リストなどの公式文書、1935年から42年の間のナチスによって接収された作品のオークション記録、同じようにナチスによって接収された後述するマックス・リーバーマンの作品を含む多数の作品の元の持ち主であるユダヤ人コレクター、デヴィッド・フリードマンの所蔵品リストと、このリストについての彼の姪孫に当たるデヴィッド・トーレンとアイヒホルンインタビュー、ナチスがパリにおいて行なった接収の証拠となるアルバムなど、多岐にわたる。




ルイス・グルリット:Left「Akropokis」1858年頃. Right「Acropolis at Sunset」制作年不明.


こうしたナチスによる美術品の接収が孕む問題は、決して過去のものではない。2012年にミュンヘンの個人宅で、税務調査をきっかけに、ナチス時代に接収もしくは不当売買された作品約1,500点が隠されているのが見つかり押収された。2013年に故人となった、押収当時の持ち主コルネリウス・グルリットの遺言によって、最終的にその多くがスイスのベルン美術館に所蔵されることになった。このグルリット家のコレクションは、ドクメンタが作品貸し出しを希望したものの、ベルン美術館の同意を得られず、今回展示されることはなかったが、その事実を家族の物語と絡め、変化球とも言える展示によって、19世紀から21世紀に渡る長い時間軸を見せることに成功していた。*3 コルネリウスの曽祖父に当たる画家ルイス・グルリット(1812-1897)が、バイエルン国王の息子であるオソン1世がギリシャ初代国王として統治していた時代の1858年頃にアテネに赴いて描いた新古典主義絵画作品「Acropolis」、その孫で、2012年にコルネリウスが押収された美術品をもともと収集していた、美術史家でありながら、ナチス政権に公式に任命され、「頽廃芸術」品の売買を担当していた美術商の4名のうちのひとりでもあるヒルデブラント・グルリット(1895-1956)の姉であり、ナチスの台頭前に若くして自殺したアーティストでグラフィックデザイナーの、コーネリア・グルリット(1890-1919)のドローイングも展示されていた。また、ヒルデブラントが作品売買を行なったとされ、2012年に息子コルネリウスのアパートからもその作品が見つかった、ユダヤ人故に1933年にベルリンのプロイセン芸術アカデミー(現ベルリン芸術アカデミー)の学長の職を追われたマックス・リーバーマンの、ノイエ・ガレリー所蔵作品である「Rider on the beach」(1908)も展示され、グルリット一族および彼らと交流があったアーティストの数奇な運命を観客に想像させる。*4 登場人物を整理しようとキャプションで生年や来歴を確認するために、これらが掲げられた展示室を何度も混乱しつつ行き来しながら、不運にもナチスに巻き込まれた美術品の歴史、および関わった人の人生、行き場が見えない作品の未来について、アイヒホルンのワークショップに参加しなくとも、考え、当惑してしまう。現在、当該作品を保管しているベルンの美術館はドイツ政府およびバイエルン州政府と協力して、グルリット家のコレクションの来歴調査を行なうとしているが、それが果たしてどのような結果をもたらすのか、現時点では想像もつかず、欲望や権力の象徴として、第二次世界大戦を生き残った美術品の今後は依然不透明である。




ヴィヴィアン・ズーター「Nisyros〔Vivian’s bed〕」2016-2017年


家族の物語に関連した別の文脈としては、エリザベス・ヴィルトのコラージュ「Fantasias」(2016-17、ノイエ・ガレリー)、その娘であるヴィヴィアン・ズーターのインスタレーション「Nisyros〔Vivian’s bed〕」(2016-17、グラスパビリオン)、さらにそのふたりをグアテマラのズーターとヴァルツの自宅で撮影したイギリス人作家、ロザリンド・ナシャシビの映像「Vivian’s Garden」(2017、オットーネウム自然科学博物館)と、絵画作品(2017、ベルヴュー宮殿)の組み合わせが、それぞれの展示場所は離れてはいたものの、その緩やかさがゆえに感情を揺さぶるものであった。ヴィルトはユダヤ人であったために1938年にアルゼンチンに渡り、一時期バーゼルにいたものの、現在はグアテマラのパナハッチェルに娘のヴィヴィアン・ズーターと暮らしている。家族ではないナシャシビの映像は、そのふたりの、静かながら過酷な自然に囲まれた日常を穏やかに撮影したもので、時々交わされる母娘の会話がドイツ語であることから、複雑な家族の歴史を類推できるものであった。ズーターの作品はキャンバスに貼られることなく、ときにハリケーンなどの自然災害の跡が残り、自然の匂いを放つペインティングで、鮮やかな色の組み合わせが、ナシャシビの映像に映された彼女のアトリエの再現とも言えるような、外光によって変容しつづけるインスタレーションを、市内のグラスパビリオンと呼ばれるショーウィンドウで囲まれた元店舗スペースで行なっていた。




アリン・ルンジャン「246247596248914102516... And then there were none」2017年


今回、新たな会場となった、ノイエ・ノイエ・ガレリーは1970年代に建てられた元郵便局の建物を利用していたが、そのなかではタイの作家でPARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015にも参加していたアリン・ルンジャンのインスタレーション作品「246247596248914102516... And then there were none」(2017)が印象に残った。そのうちの映像作品は、第三帝国時代のドイツに大使として赴任したタイの外交官で、ヒトラーとも交流があり、ヒトラーの塹壕で見つかった芳名帳の最後のページに1945年4月20日の日付と共にサインをした、つまりヒトラーが最後に会った外国のゲストかもしれないプラサット・チュティンの回想と、ルンジャン自身の亡父の思い出がシームレスに繋がるナレーションを音声とし、ヒトラーの塹壕があったベルリンの駐車場で彫刻のポーズをとるように踊るダンサーたちと、実際に展示されていたタイ民主化運動の象徴である兵士たちのレリーフのタイでの制作風景が交差する映像が組み合わされたもので、タイとドイツ、第二次世界大戦終戦前後の話と現代の話と、音声と映像の双方にそれぞれ複数の要素を含みつつ、それらがうまく絡み合い、幻想的ともいえる独特の世界を作り出していた。

同会場の3階は、アテネ美術アカデミーでナチスの強制収容を想起させる行為をヨーロッパの各地の難民に行なった挑発的とも言える16mmフィルム(ただしデジタルに変換)の映像作品「Glimpse」(2016-2017)を展示したアルトゥル・ジミェフスキのインスタレーション「Realism」(2017)が展示され、足を切断した6名の男性たちが日々のエクササイズを含む生活の様子を極めて規則的なルーティンのようにきっちりと記録撮影した映像を6面で展開していた。同じ階に展示されたウルリッヒ・ヴュストによる東ドイツの風景写真は、当時交流がなかったにもかかわらず、ベッヒャー夫妻のスタイルを思わせる硬質な写真など、緊張感が溢れる展示空間となっていた。




ブルーノ・シュルツ「Cat」1942年


アーシャ・ラツィス「Archival and documentary materials」


今回のドクメンタでは資料展示が多かったことも、視覚芸術の展覧会として批判が集まった理由のひとつかもしれない。実際に読むものが多すぎるという文句は観覧中もあちらこちらでひそやかに聞こえた。グリム・ヴェルトの2階の展示はしかしながら、その資料展示こそが魅力のひとつであった。一部で熱狂的な人気を誇るユダヤ系ポーランド人作家のブルーノ・シュルツは第二次世界大戦中、ドロホヴィチ(現ウクライナ)に作られたゲットーに収容されたものの、そこでナチス親衛隊の将校に芸術的才能を認められ、将校の邸宅をはじめ街の装飾芸術担当として働くこととなった。その邸宅のパントリーの石膏壁に描いたグリム童話を主題とした絵は、その後の持ち主によって上塗りされ、覆われていて人目につかぬまま半世紀以上が経過し、2001年、シュルツの映画を制作しようとした映画監督によって発見されたのである。その後、現在の家主の同意のもと、壁は切り取られ一部がドロホヴィチの美術館に所蔵され、今回の展示に至った。*5

また、同じ展示室には、ヴァルター・ベンヤミンが愛し、「ナポリ」(1925)を共に執筆した、旧ソ連時代のラトビアの女優で演劇ディレクターのアーシャ・ラツィスの資料展示があった。彼女は、10年間も投獄されていたが、刑務所のなかでも囚人と共に劇場を組織するなど演劇活動を続け、出所後は劇場ディレクターとして活躍するという演劇に対する情熱を持ち続けた人物であった。ドイツ語を解さない私は残念ながら内容を知ることはできないものの、展示には彼女が演出アシスタントとして仕事を共にしたブレヒトや、ベンヤミンから彼女に宛てた手紙などが含まれている。その隣には精神分析学者のジークムント・フロイトの姪で、 絵本作家、イラストレーターのトム・ザイトマン=フロイトの作品も展示されていた。作品だけではなく、その人生を写真と共に丁寧におっており、マルタとして生まれた子どもが15歳の時にトムを名乗り始めたことや、ときおり男装をしていたことなどが記され、結婚、夫と共に始めたヘブライ語絵本の出版活動から自殺に至るまでの経緯を示す資料が作品とともにガラスケースの中に収められていた。




ナイーム・モハイエメン「Two meetings and a Funeral」2017年


ブシュラ・ハリーリ「The Tempest Society」2017年


現存するアーティストの作品に言及する比重が小さくなってしまったが、そのなかではやはりヘッセン州立博物館に展示されていたナイーム・モハイエメンの映像作品「Two meetings and a Funeral」(2017)が素晴らしかった。アテネでは、自分の父が1977年にトリポリに向かう途中、アテネのエリニコン空港で9日間立ち往生した経験を、すでに閉鎖された同空港を使って撮影し再現した映像作品「Tripoli Cancelled」(2017)を発表し、私的でポエティックともいえる世界を展開させたが、カッセルでは、1961年に設立された非同盟運動についてのドキュメンタリーを3面スクリーンで上映した。主題はまったく違うものの、前作同様、70年代に起こった事実を元にし、どちらの作品も当時建てられた建築空間が重要な要素となっている。ニューヨーク、アルジェ、ダッカの3部から構成されるその作品は、過去の記録映像に加え、インド人政治学者であるヴィジャイ・プラシャド 、バングラデシュの若手政治家ジョナイド・サキらがモデレートする形で進められる。サダト、チトー、カストロ、カダフィなど非同盟運動に参加していた各国の名だたる政治家の当時の演説映像を差し込みながら、一方で、アルジェリア大学の考古学者でアクティビストのサミア・ゼナディや、当時バングラデッシュ政府関係者で非同盟運動の会議にムジブル・ラーマンとともに出席した法学者のインタビューなど、非同盟運動が最も盛んであった70年代に彼らが何を目指していたのか、そしてどの時点で(今日も残っているものの)機能不全に陥っていったかを左派の視線から描いていく意欲作であった。

同じく映像作品では、アテネ美術学校およびカッセル大学にある会場で展示されたブシュラ・ハリーリの「The Tempest Society」(2017)が印象深い。1972年にパリでアルジェリアからの移民労働者であるモハメド・バシリ、パリの学生であったフィリップ・タンセランとジャンヴィエーヴ・クランシーの姉弟が移民労働者の権利を求めて設立した演劇グループ「Al Assifa」(Tempest Societyの意味)の活動にオマージュを捧げ、異なるバックグラウンドを持つギリシャ人3人が舞台の上でAl assifaの過去の活動と現在の移民、難民がおかれた状況を考察する。Al assifaは移民労働者が直面した人権問題や人種差別を、演劇というメディアを通じて、劇場だけではなく、路上や工場などあらゆる場所で訴える活動を展開していた。映像は、おそらくタンセランと思われる人物の登場、また実際にギリシャで生きる難民たちの経験談、パゾリーニやグラムシの引用などと、70年代および近年の記録映像を交えて複数の時間軸が錯綜する形で進んでいく。ここでも芸術が政治と向き合い、社会の改革を目指す姿が過去のものとしてではなく示されている。

そもそも、今回のドクメンタの評でよく聞かれた「政治的すぎる」とは何を指すのか。難民問題がもちろん今日、ドイツそしてヨーロッパが抱える大きな問題であることは間違いない。ただし、私の鑑賞や作品理解が不足しているかもしれないが、この問題を直接的に扱った作品がそれほど多かったとは思えない。それよりも、難民問題を含むヨーロッパが現在直面する社会の諸問題のルーツはどこにあるのか、という問いに対して、キリスト教、植民地主義、ナチズムなど多角的に、しかしながら、あくまでも美術史や美術作品、ときには文学や演劇といった芸術を通じて問いかけていたとように思う。その原因となるものは、もちろんはっきりとは見えないものの、ヨーロッパ、そしてドイツが行なってきた行為の連鎖から生まれたものだということを実証していた。その「何か」を感じることができたのは、私自身はノイエ・ガレリーの所蔵品である、ヨーゼフ・ボイスの大型インスタレーション作品「Monopol」(1976)を目にしたときなのだが、その瞬間ぞっとするような感情が引き起こされた。このドイツの現代美術を代表するアーティストであるボイスですらも、ここで挙げた歴史や歴史における行為と無縁ではなく、無辜の民ではあり得ないのだ。つまりそれは、今日、美術館や博物館という場所で、歴史や事象、そしてもちろん作品を客観的に見ているつもりの私も同様である、ということでもある。全体主義、社会の分断、難民問題など今日直面する問題の根源はここにあるのか。美術は、問題と無縁どころかその原因の一端を担いながら、一方で証人ともなりうる罪深き存在なのだろうか。




ヨーゼフ・ボイス「Monopol」1976年


今回のドクメンタは私が見る限り、現代美術の展覧会とは言い切れなくても、美術展であることは間違いない。遠い昔からずっと、美術、芸術は人の手によるものであった。また、美術は常に「同時代性」を含有することが、現代美術だけでなく、古典美術作品の展示方法によって露わになっており、それこそが最も感銘をうけた点であった。以前、ある作家に言われた「美術はいつの時代も現代美術である」という言葉を深くかみしめながら、視点の時間軸を想像力によって自ら移動させていく努力が求められていると感じた。それは現代美術の展覧会を見慣れている立場からすると、正直戸惑う部分でもあるが、その作家の言葉どおり、新古典主義の石膏像である「National Figure」も制作当時は現代美術作品であり、当時のヨーロッパの定義というテーマに向き合った結果、作家の手によって作られたものである。また、ナチスに接収された作品、そのなかには2000年代に発見されたものも含まれるが故に、そうした作品の制作経緯だけでなく来歴をも直接的ないし間接的に見せることは、それらを今の問題として捉え直すことにも繋がる。そうした過去と現代を繋げる試みが、個人および家族の観点、経済的な観点、ジェンダーの問題などいろいろな角度から少しずつ紡がれているところが今回のドクメンタの大きな特徴であり、「いま」と「美術」の双方を点としてではなく、座標として捉えるヒントを与えてくれた点で非常に意欲的かつ新しい展覧会のかたちだと思った。

その一方で、繋がりや文脈を意識した結果、単独の作品の自律性は揺らぐこととなった。今回、展覧会の文脈と切り離し、特定の作品について語ることは非常に困難である。したがって、自律性を重視する作品はそもそも入り得なかったかもしれず、そこに不自由さを感じた観客がいることは理解できる。特に物故作家については、作品そのものだけではなく、丹念に人生を追いながら資料やキャプションと共に展示している場合が多く、また時にはそうしたキャプションなしには理解が難しいこともあった。こうした手法は現代美術の展覧会において、個展以外でとられることは少なく、その点で作品それ自体から批評されることを否定しているのではと感じることもあった。しかし、そうした細かいリサーチに基づいたキャプションや、資料自体の面白さのあまり、それらを読み込む行為を抑えることができず、これまで「観客の解釈に委ねられる、故に自由である」とされてきた、そうした現代美術の見方そのものが批評されていると私は理解した。しつこいと感じるほどに資料や解説を出し、実証的なアプローチをしなければならないほど、すでに歴史として確定している事実ですら、ときの為政者によって「捏造」とされる、もしくは無視されてしまうことがある現代では、自由を担保すること自体が困難になりつつある。そういう時代に私たちは生きているのだ。こうした実証主義とも言える態度はキュレーションにとどまらず、アーティストの個々の作品においても同様であり、極めて精度の高いリサーチに基づいた上で、あくまでも事実をベースにしようという意志の下に作られた作品を見ることができた。(前述の作品のほか、ヒワ・K、アンナ・ダウツィコヴァ、マリーナ・ギオティらの作品など)

とはいえ、前回のドクメンタ13で感じた、歴史を紐解き、現在の視点をもたらすが故にある種の正義を振りかざすことに繋がるような押し付けがましさはなく、常に距離を保ちながら、過去と現在を比べる視点があるのも非常に新鮮であった。美術が持つ余白の大きさを再確認するとともに、観客に委ねられるその余白に、まさか過去というピースが入り込むとは思っていなかったために非常に興奮し、世界と歴史の拡がりを再確認することができるスリリングで、ここ数年見た芸術祭のなかで最も刺激に満ちた展覧会であった。




*1 アテネのドクメンタ開催について批判的な記事として、ギリシャ元財務大臣ヤニス・バルファキスによるドクメンタ運営への痛烈な批判がある。
https://conversations.e-flux.com/t/we-come-bearing-gifts-iliana-fokianaki-and-yanis-varoufakis-on-documenta-14-athens/6666


*2 ドクメンタ14の出版物『The Documenta Readers』に英訳が掲載。黒人に対してだけではなく、ユダヤ人も対象にしていることがわかる。「領地にいるすべてのユダヤ人はこの法律の発布から3ヶ月以内に出て行くことを命ずる」。


*3 グルリット・コレクションは2017年11月からベルン美術館とボン美術館で展覧会が開催される。
https://www.kunstmuseumbern.ch/en/see/today/688-dossier-gurlitt-120.html
http://www.bundeskunsthalle.de/en/exhibitions/bestandsaufnahme-gurlitt.html

*4 リーバーマンの今回の出品作に近い作品「Two Riders on the Beach」(1900-01)は、2012年に見つかったコルネリウス・グルリットのコレクションであったが、最初に元の持ち主(もしくはその遺族)に返された作品群に含まれ、元の持ち主のデヴィッド・フリードマンを大叔父にもつ、ホロコーストから生き残りアメリカに亡命したデヴィッド・トーレンに戻され、その後トーレンは2015年にオークションにて同作品を約3億円で売却している。
https://news.artnet.com/market/sotheby-s-london-impressionist-sale-311351

トーレンとグルリット家との因縁はこれ以降もあり、2016年にはトーレンは、もともと大叔父の持ち物であったはずのリーバーマンの別の絵画「Basket Weavers」を、2000年にドイツのオークションハウスに持ち込んだのが、ヒルデブラント・グルリットの娘だったことを突き止め、その事実を知りながらオークションにかけたオークションハウスの責任を重くみて、落札者を開示するように訴訟を起こした。これはおそらくアイヒホルンから提供されたリストに基づいて行なわれたであろう。
https://news.artnet.com/art-world/david-toren-villa-griesbach-465407

トーレンはアイヒホルンとのインタビューの中で、この作品がワシントンにあることが判明し、現在の持ち主は所有権を放棄することを代理人の弁護士を通じて同意し、契約書を交わしたと語っている。しかし、その持ち主が誰であるかは判明していない。
http://rosevallandinstitut.org/toren_en.html


*5 ちなみに残りの一部は、イスラエルのヤド・ヴァシェム(国立ホロコースト記念館)が所蔵しているが、ヤド・ヴァシェム側が調査段階で、ウクライナ政府の同意なしに持ち出したことで、ウクライナとポーランドの世論を中心に国際的な批判が高まった。その後、ウクライナ政府がヤド・ヴァシェムと契約書をかわし、ヤド・ヴァシェム側への長期貸与ということで決着した。この点についてはドクメンタの解説では触れられていない。




ドクメンタ14
アテネ|2017年4月8日(土)-7月16日(日)
カッセル|2017年6月10日(土)-9月17日(日)
http://www.documenta14.de/
AD:アダム・シムジック
「Learning from Athens」

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